最終更新:1月10日
アメリカで頂点を極めた血管外科医が母校に求めたものとは?
親の仕事の都合で外国を渡り歩くうちに典型的な「問題児」になっていった大木少年は、やがて人に喜ばれることを追求し医者を志し、アメリカ屈指の血管外科施設であるアルバート・アインシュタイン医大(ニューヨーク)で無給医から這い上がって教授まで上り詰め、そこで1億円という年収を得るほどの高い評価を得る。だが、「アメリカンドリーム」を成し遂げた大木Drは、1/10の年収になるにも係らずその富と名誉を捨て、母校東京慈恵会医科大学に戻る決心をするのであった。
頂点をきわめた血管外科医が求め続けるのは、本拠地と人に喜ばれることだった。
「医師としてのトキメキ」を得るために、今日も彼は戦い続ける!
第1話と最終話をお試し公開中!
トキメキDr. バックナンバー
監修:Dr.大木 隆生(東京慈恵会医科大学 外科学講座統括責任者)
脚本:青木健生(34話まで),モリ淳史(35話から)作画:モリ淳史
監修:大木 隆生Dr.
高知県生まれ。血管外科医として、数千例もの手術を行ってきた。
全米No.1の称号と評される『ベストドクター in NewYork』に4年連続選出という世界的名医で、「大動脈瘤」を「ステントグラフト」という人工血管を使って手術を行う第一人者。
2007年、当時44歳という史上最年少の若さで、消化器外科や呼吸器外科などを含む6診療部、医局員200余名を擁する東京慈恵会医科大学外科学講座統括責任者(チェアマン)に就任。
大木Dr.プロフィール
【略歴】- 1987年
- 東京慈恵会医科大学卒業
- 1994年
- 東京慈恵会医科大学大学院卒業、医学博士取得
- 1995年
- 米国アルバートアインシュタイン医科大学モンテフィオーレ病院 血管外科無給研究員
- 1998年
- 米国アルバートアインシュタイン医科大学モンテフィオーレ病院 血管外科スタッフ
- 2002年
- 米国アルバートアインシュタイン医科大学モンテフィオーレ病院 血管外科部長
- 2005年
- 米国アルバートアインシュタイン医科大学 外科学教授
- 2006年~
- 東京慈恵会医科大学 外科講座教授、診療部長
- 2007年~
- 東京慈恵会医科大学 外科学講座統括責任者(チェアマン)
- 2010年
- 高知県観光大使
- 2016年~
- 日本外科学会 理事
大木Dr.の著書
医療再生 日本とアメリカの現場から
定価:700円(税抜) 刊行:集英社(2016/01)
医師不足や医療不信が同時多発的に拡大し、社会問題化した「医療崩壊」は、その後どのような道を辿ったのか。本書では、繰り返される医療事故をはじめ、「医療崩壊」後の日本医療が今なお抱える問題を、独自の職業観や医局運営術も交えながら検討し、米国での無給研究員時代より続く著者自身の実践から捉え直す。新医療事故調査制度や新専門医制度などの相次ぐ制度改革や、アメリカ型医療の流入といった目まぐるしい変化について、日米両国の現場で外科医療に携わった体験を交えて考察した一冊。(「BOOK」データベースより引用)