ニューヨークシティの喧騒の下にある公園(6:17)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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私の夢は、世界で最初の地下公園をニューヨーク市に造ることです。
なぜ地下に公園を、しかもニューヨークに造るのでしょう? この小さな子どもたちは、左から私の祖母(5才)、そして祖母の妹、弟。それぞれ11才と9才です。この写真は、祖母たちがイタリアからアメリカへ移住するほんの少し前に撮られました。ほぼ1世紀前の話です。その時代の多くの移民と同じで、祖母たちはニューヨーク市のローワー・イースト・サイドに到着し、そこで人種のるつぼに出会いました。この世代が素晴らしい理由は、新しく未知の土地で生活を立ち上げるだけでなく、彼らは文字通り街を創りあげていたということにあります。常にこの時代の歴史に魅了されてきた私は、よく祖母に昔のニューヨークの話をせがんだものでした。祖母は肩をすくめて、ミートボールやパスタをもっと食べなさいと言うだけで、聞きたかった歴史の話はほとんど聞けませんでした。私が知るニューヨーク市はもうすでに出来上がっていた気がします。子供の頃、いつか世界に変化をもたらし、世界をより美しく、更に面白く、そして正しくしたいと思っていました。ただどうすればよいかが分かりませんでした。
最初、私は海外で働きたいと思い、ケニアでユニセフの仕事に就きましたが、自分の街の政治よりもケニア現地の政治についてよく知っているということに違和感を覚えました。ニューヨーク市の職に就いてからは、直ぐに政府の官僚主義に不満を覚えるようになりました。グーグルでも働き、すぐに社の妄信的な信者になり、心の底からテクノロジーが全ての社会問題を解決できるのだと信じるようになりました。しかし、それでも、世界をより良くしているという実感はありませんでした。
2009年、友人であり現ビジネスパートナーのジェームズ・ラムゼイがある驚くべき場所について教えてくれました。これです。これは路面電車のターミナルでした。ウィリアムズバーグ橋をブルックリンからマンハッタンへと移動する乗客の為の駅で、1908年から1948年の間使われていました。それはちょうど、私の祖父母たちがその辺りに住んでいた時代です。この場所は1948年に完全に放棄されたと知りました。この発見に心を奪われ、私達は、当局にこの場所へ立ち入る許可を取り、見て周ることが出来た時、この光景を見たのです。この写真は魅力を十分に表していません。この場所に行った時に感じる、えも言われぬ魔法のような感覚を伝えきれていません。ここはフットボール競技場ほどの大きさの空き地で、人が集中する中枢部の真下にあります。この場所では、まるで自分が発掘調査に来たインディー・ジョーンズで、遺跡の細部がまだ残っているかのようです。本当に特別な風景です。
ここはローワー・イースト・サイドの中心地点にあり、この地区は今日も未だ市の最も混雑した地域の一つです。ニューヨーク市は、一市民辺りの緑地が他の大都市の2/3しかありません。この地区になるともはや1/10ほどのみです。私達は直ぐに、この土地をどうしたら何か公共利用出来て、しかも緑溢れる土地に出来るか、ということを考え始めました。私達の計画は、簡単に言うと、地上から街の側道の真下へ自然光を取り込む簡単な仕組みで地下へ日光を導き入れ、その光で地下へ日光を導き入れ、その光で植物を育てるというものです。この方法で、今日このような場所を、すっかり変身させ、このように出来るのです。
2011年、こうしたいくつかの画像を公表しました。すると面白いことに、多くの人々が「ハイライン・アンダーグラウンドに似ていますね」と感想を述べたのです。それでこの場所のニックネームはこのように決まりました。「ローライン」の誕生です。
そしてひとつ確実だったことは、人々はこの日光を取り入れる技術がどのようなものか知り、体感したいという強い興味を抱いていたということでした。想像以上の関心が寄せられました。信じがたい決断ですが、私は仕事を辞め、このプロジェクトに全力を傾けることにしました。これは私達とチームの皆で、倉庫でテクノロジーのデモンストレーションを準備しているところです。これは、ソーラーキャノピーの内側で技術を紹介する為に私達が制作したものです。中央に6つのソーラーコレクターが見えます。これは展示が完成した時の倉庫の様子です。ソーラーキャノピーが上部にあり、日光が差していて、地面には緑の草木のスペースが広がります。たった数週間の間に、何万人もの人々がこの展示を観に来場し、それから私達を支持してくれる。地元、そして世界中のデザインを愛する人々のサポーターの数が増えました。これはローラインの真上のエリアの図で、この先10年に渡り、主な再開発が終わった後の姿を描いています。このエリアが相変わらず狭苦しく、緑が少ない様子がお分かりでしょう。私達が提案したいのは、フットボール競技場の面積の緑の空間をこのエリアの直下に創り出し、それだけでなく、急速に高級化する地域に、コミュニティ主導というあり方を導入することです。
今私達は、どのようにニューヨーク市と共にここの全体のエコシステムを統合し、変革していけるかを考えています。この地下公園の入口は図のように考えています。ここに象徴となるエントランスがあり、文字通り道路をめくって、市の歴史とも言える地下層を現し、この暖かな地下空間へ人々を招き入れます。真冬の凍える寒さの中、屋外、ましてや公園へ行きたいとはまず考えませんね。ローラインには四季があり、市の憩いの場となるでしょう。このローラインは私の家族の物語を完結させるものだと考えたいのです。祖父母や両親が街を建て拡大して行った世代なら、私たちの世代は、既に存在している空間を改めて手にし、共有された歴史を再発見し、コミュニティをより面白く、美しく、正しい姿へと、新たな姿へと昇華させていく世代なのでしょう。ありがとうございました。(拍手)
ダン・バラシュとジェームス・ラムゼイにはニューヨークシティの下に、緑溢れる公園を造るというクレイジーな計画があります。
二人は1948年以降放置された市街電車のターミナル駅を利用し、「ローライン」というフットボール競技場の大きさの地下公園を建設しています。
地上の太陽光を捉え地下へ導き込む技術を駆使して作られるこの公園なら冬も市民は凍えることが無いでしょう。
カテゴリエンターテインメント, 建築