恐怖に打ち勝って何でも学ぼう(16:25)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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この写真は、1979年、2歳のティム・フェリスです。このポーズを見てもわかる通り、自信満々の少年でした。この頃、可愛らしい日課がありました。私は夜になると仕事で疲れた両親がクロスワードやテレビでくつろいでいる時に居間に突撃し、ソファーに飛び乗り、クッションを引っぺがして床に投げ、おなかの底から雄たけびを上げて、帰るのです。超人ハルクごっこです(笑) ごらんの通りそっくりですね。この日課はしばらく続きました。
7歳の時、サマーキャンプに行かされました。両親は平安な一時を望んだのです。毎日、正午になるとみんなで池に行きます。浮きドックがあり、そこから水に飛び込むのです。未熟児として生まれた私は体が小さく、生まれたとき左の肺が潰れていました。水にうまく浮けなかったためもともと水は怖かったのですが、それでも時々行っていました。キャンプのある日、みんな浮き輪の中に飛び込んでいました。浮き輪の内側へのダイブです。面白そうなので私も飛び込んだら、いじめっ子の一人に足首をつかまれました。上にあがって息をしようとしましたが、浮き輪が背中の上にあり、必死にもがき、死ぬかと思いました。幸いリーダーの人が来て、私たちを分けました。その時から、泳ぐことが恐くなりました。ずっと克服できませんでした。泳げないことは私にとって一番の屈辱でした。自分はハルクではないと思い知らされたのです。
この話にはハッピーエンドがあります。今年の8月、31歳の私は2週間、水泳に再挑戦しました。基本的なことから疑問を解決していき、最初はプールで、20ヤードを溺れる猿のように泳ぎ、それだけで心拍が200にもなっていたのに、しばらくすると、故郷の近く、ロングアイランドのモントークの海を1キロ泳げるまでになったのです。最高の気分で海から上がりました。上がった時はSpeedoの競泳用パンツをはいていましたが、超人ハルクになった気分でした。
このプレゼンテーションの終わりには皆さんにもハルクの気分になってもらいたいです。皆さんもその気になれば、長距離スイマーにもなれ、何カ国語も習得し、タンゴのチャンピオンにもなれます。今日は私の特技を紹介します。怖くてどうしようもないものを分析していくというものです。では始めましょう。
水泳 第一の原則。この原則はとても大事です。結果を出せない人は、誤った考え方や未実証の仮定にとらわれています。私にとってのきっかけは、ダブルエスプレッソを日に6杯飲むような友人がこう言ったことです。「コーヒーを1年絶つよ― お前が海で1キロ泳ぎ切ったらね」。私のチャレンジが始まりました。私はトライアスロンの選手を探しました。水泳一筋の人は教えるのが上手くない、と気づいたからです。ビート板での練習もしましたが、足がカミソリのように水を切るだけで、進みませんでした。やる気をなくし、足を見つめるだけでした。ハンドパドルもやってみました。オリンピック選手に教わってもダメでした。今では親友のクリス・サッカと出会いました。気温39℃の中、アイアンマンレースをフィニッシュした人です。彼は「力になれるかもしれない」と言って、テリー・ラフリンを紹介してくれました。Total Immersion Swimmingの創設者です。生体力学から学んでいき、正しい泳ぎ方を知りました。泳ぐのが怖い人、苦手な人は、まず脚のことを忘れてください。意外でしょうけど、脚は大した推進力にはならないのです。強く蹴るだけでは解決しません。平均的なスイマーは、エネルギーのたった3%しか前進する力に変換できません。問題は水の抵抗なのです。意識すべきことは、上半身に下半身を引っ張らせることです。大きい車の後ろを走る小さい車のようにです。そして体を水平に保つようにしてください。そのためには、水面を泳いではいけません。密度の関係で、体の95%は自然に水の中に沈みます。
3つめのルールです。クロールの場合、多くの人が お腹を下にして、水面に上がろうとしますが、流れるように右から左へと回転させるのが正解です。胴体をまっすぐ保つようにしてください。例を見てみましょう。彼がテリーです。右腕を伸ばしていますが、頭より低く、かなり前に伸ばしています。全身が水中に入っています。頭より低く腕を伸ばし、頭は背骨に沿った位置です。すると水圧で足が浮くようになります。これは体脂肪が少ない人には特に重要です。ストロークの例です。脚は蹴るのではなく、返す感じ。左手を伸ばして左脚を返します。それによって腰を回転させます。右手の浸水位置ですが、真正面の水をかくのではなく腕を45度の角度で入れていきます。水の抵抗を受けないように伸ばしています。上は間違いです。ほとんどの水泳コーチはこう教えます。もちろん彼らに責任はありません。後で「表と裏」ということについてお話しします。下のような、私が説明した泳ぎ方をすることで20ヤードで21ストロークだったものが11ストロークになるのです。コーチ無し、ビデオ無しの二回の練習でできました。今は水泳が好きでたまりません。希望者がいれば、私が水泳のレッスンをしたいです。
最後に息継ぎです。多くの人に問題となる部分です。クロールでこれを治すには、体を回転させたとき戻す手が水に入るところを見ることです。これだけでずっと良くなります。大切なのはこれだけです。
言語 素材vs方法。私は、多くの人と同じように語学が苦手だと思っていました。中学から高校一年まで、スペイン語と苦闘し、知っているフレーズと言えば "Donde esta el bano?" (トイレはどこですか?)くらい。しかも返答されても分かりません。悲しい現実でした。二年生で転校したとき、他の言語を選べることになりました。友達のほとんどが日本語をとっていました。私も挑戦してみようと日本語を取ることにしました。6ヶ月後、日本に行く機会がきました。先生からは「心配するな」と言われました。「日本語の授業が毎日あるから、慣れるはずだ。素晴らしい経験になるぞ」と。私にとって初の海外です。両親にも勧められ、出発しました。
東京に着くと素晴らしい気分でした。地球の反対側にいるのが不思議でした。ホストファミリーとも会いました。なかなか良いスタートが切れました。最初の夜、学校が始まる前日にホストマザーに丁寧に頼みました。8時に起こしてほしかったのです。「8時に起こしてください」です。「おこしてください」ではなく「8時におかしてください」と言ってしまいました。似てますよね。意味は「8時にレイプしてください」です(笑)。あれほど困惑した日本人女性を初めてみました(笑)。
歩いて学校に行くと先生に何かの紙を渡されましたが、まったく読めません。まるで象形文字です。漢字で書いてあったのです。日本語で使われる中国生まれの文字です。何が書いてあるか先生に尋ねると、先生は「オーケー、オーケー、えっと、世界史、数学…古文」と説明してくれました。そこで初めて気づきました。ちょっとした誤解があったようで、日本語の授業とは、日本語を教える授業ではなく普通の日本人の高校生向けの授業だったのです。私を除くその学校の生徒の4,999人は日本人でした。私のリアクションはこんな感じでした(笑)。
それをきっかけに、言語の習得法を探しまくりました。あらゆるものを試しました。紀伊国屋に行きあらゆる本を読み、あらゆるCDを聞きましたが効果がありませんでした。これを見つけるまでは。これは常用漢字の一覧表です。一般的な1945の漢字が載っているポスターです。1981年に文部省が制定したものです。読みやすさの観点から、ほとんどの出版物で使われる漢字はここにあるものに制限されています。これが私にとって大きな宝となりました。
この素材を集中的に勉強し始めると一気にレベルが上がりました。朝日新聞を読めるほどになったのです。それから6ヶ月後、つまりトータルで11ヵ月後には「日本語I」から「日本語VI」まで終えました。アメリカに戻り、16歳にして翻訳の仕事もしました。それ以後も、「方法」より「素材」を重視するやり方を10個ほどの言語で試しました。語学が苦手だった人間が5~6種類の言語を話し、読み、書けるようになったのです。このことから言えるのは「どのように」するかではなく「何を」するかが重要だということです。つまり、「効果的」―重要なことをする―か「効率的」―重要でないことも含め上手くこなす―の違いです。
これは文法にも言えます。私は実験を通じて、この6つの文を使うようになりました。これらを過去形・現在形・未来形へとネイティブに訳してもらうことで、文法を解析できます。それにより、主語、目的語、動詞、直接/間接目的語の位置、性といったことが理解できます。複数の言語をマスターしたければ、このルールを入れ替えてやるだけです。興味のある方には、今度詳しくお話ししましょう。今では私も言語が大好きです。
社交ダンス 表か裏か。とても重要です。私が社交ダンスが上手そうだと思った人、間違いです。私の体はほとんどのことに向いていません。岩を持ち上げるくらいにしか向いてません。以前はもっと体が大きく筋肉質でした。ですから、こんな歩き方でした。オランウータンみたいでした。超人ハルクでもいいですが。社交ダンスには向いていません。
2005年、私はアルゼンチンにいました。タンゴのレッスンを見学しました。ダンスする気はありませんでした。10ペソ払って中に入ると10人の女性と2人の男性がいました。いい割合ですね。先生が言いました「あなたもやりなさい」 いきなり冷汗がでました(笑)。実は大学で社交ダンスをやったのですが、相手の足をかかとで踏んでしまい、悲鳴を上げられました。彼女のリアクションにショックを受け、大きく傷つきました。二度とそのクラブには戻りませんでした。女の先生は私に近づいてきました「さあ、手を回して」美人のアシスタント講師でした。上級クラスの邪魔をされ怒っていました。私は頑張りましたが、手を置く場所も分かりません。彼女は腰に手を当て、反対を向き、教室中に響く声で言いました。「この男は筋肉の塊のくせに―フランス人みたいな掴み方しやがる!」(笑)私は励ましだと受け取りました。(笑)大笑いされ、恥ずかしかったです。彼女は「さあ早く。忙しいんだから」と言いました。8歳からレスリングをやってた私は、彼女を潰す勢いで男らしく抱きました。彼女は私を見上げて「良くなったわ」と言いました。私は1か月分の月謝を払いました(笑)。
さらに目標として、競技会への参加を決めました。パーキンソンの法則―「作業の複雑さは割り当てた時間を使い切るまで膨れあがる」ものです。目前の競技会を目標にしました。まず女性の先生に、女性のリードのされ方を教わりました。リードされる側の繊細さや技術を知ることで、大学での悪夢を避けようとしました。さらに彼女と一緒に過去の優勝者の特徴や技術を調査していきました。ブエノスアイレスで教えるチャンピオン達をインタビューしていきました。結果、私は2つのリストを作りました。一つは、彼らが明示的に勧める技術やトレーニングの「表の」リスト。もう一つは、彼らがやっていない―共通点をまとめた「裏の」リストです。アルゼンチンのダンス講師の保守性は置いておいて、彼らが薦めなかった3つをあえて攻めることにしました。まずはロングステップです。多くのタンゴダンサーはショートステップを使います。でも私は長いステップのほうがエレガントだと感じました。小さなスペースでもこのステップはできます。2つめは、変わった種類のピボットです。3つめはテンポの変化です。この3つのエリアを攻略すれば、2~30年やっているダンサーとも勝負できると考えました。
この写真は、4ヶ月後のブエノスアイレス選手権、準決勝のものです。それから1ヶ月後、世界選手権で準決勝まで行きました。その2週間後、あのギネス記録を作りました。では練習を見ていただきましょう。ちょっと早送りします。これはリードの先生としてエリシアと私が選んだ―ガブリエル・ミセーさんです。彼の世代では屈指のエレガントさを持っています。ロングステップとテンポの変化、そしてピボットが有名です。エリシアもとても有名です。2人が合っていることは明らかですね。この映像ですが、実は二人が初めて一緒に踊った時のものです。彼は力強いリードをします。胸でリードをすると前傾姿勢になり、私のつま先の力ではうまくリードできません。そこで、肩と腕を使ったリードを教わりました。彼女を持ち上げられるという利点もあります。この動きを分析していきました。これはピボットの一種です。バックステップのピボットです。たくさんの種類があります。何百時間もの映像をすべて分類しました。ジョージ・カーリンが自分のコメディーを分類するのと同じようにです。私の天敵、スペイン語でタンゴを習いました。
恐怖心は友達であり、バロメーターです。「してはいけないこと」を示すこともありますが、多くの場合「するべきこと」を教えてくれます。私の最高の成果や最高に楽しい時間は、一つの質問から生まれました。「これをやったら最悪どうなるか?」特に子供の頃からの恐怖を克服するには、分析のフレームワークと自分の能力を恐怖の対象にぶつけましょう。そして大きな夢にぶつけましょう。
今、私が怖いものをお教えしましょう。もしも、これまでの私の学びの機会がなかったとしたら、私の人生はどうなっていたかと怖くなります。ここ2年、私はアメリカの公立学校のシステムを分析し、修正点を探してきました。約5万人の生徒を対象に試行を行いました。学校も、6つほど建てました。読者のおかげです。興味をお持ちのすべての皆さん、是非、話をしましょう。私は何も知らない初心者ですが、質問はたくさんあります。助言をください。ありがとうございました。(拍手)
生産性のカリスマ、ティム・フェリスの楽しくて勇気を与えてくれるエピソードは、「これをやったら最悪どうなるか?」というシンプルな問いこそが、何事も習得する秘訣だと教えてくれる。