HIVとインフルエンザ ー ワクチンの戦略(21:05)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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自分がどう死ぬか心配ですか? 心臓病やガン、交通事故でしょうか? 多くの人は、コントロールできないことを心配します。戦争やテロや、ハイチの悲惨な地震なども心配です。では、人類にとって真の脅威は何でしょうか。数年前、バーツラフ・スミル教授は、歴史を変えるほどの大きな災害が突然起こる確率の計算を試みました。彼が名付けた「大規模な致命的断絶」とは、今後50年の間に起こり得る、最高1億人の命を奪う災害のことです。世界大戦が発生する確率や、大規模な火山の噴火や、小惑星が地球に衝突する確率を求めました。しかしその他の何よりも発生の確率が高く、ほぼ100%の確率で起こり得るとされたのが、インフルエンザの大流行です。
インフルエンザはカゼがひどくなったものと思われがちですが、致命的になることもあります。アメリカでは、毎年、季節性インフルエンザで3万6千人が命を落とします。発展途上国のデータは不完全ですが、死者の人数はもっと多いことでしょう。さらに厄介なことに、ウイルスはしばしば著しい変異を遂げると実質的に新種ウイルスのようになり、こうして大流行が生じるのです。
1918年には、新種のウイルスが出現して、5000万人から1億人が亡くなりました。燎原の火の如しです。発症してから数時間で亡くなった患者もいました。今日、我々は大丈夫なのでしょうか? 誰もが心配していた今年のひどい流行は、なんとか回避できたようです。しかしこの脅威はいつ再現してもおかしくありません。幸いなことに、今の時代は科学と技術と国際化が結びついてかつてない可能性を拓きつつあります。いまだに、地球上の全死者の5分の1と、多くの苦しみの原因である感染症を撲滅して歴史を刻む可能性です。それは実行可能なのです。すでに、現在のワクチンによって何百万人もの命を救っています。ワクチンをより広く行き渡らせれば、より多くの命を救えます。さらに新種や改良型のワクチンであれば、マラリアや結核やHIV、肺炎や下痢やインフルエンザなどの、これまでずっと続いてきた苦しみに終わりを告げることができるはずです。
今日は、ワクチンの成果についてお話します。最初に、なぜワクチンが重要か説明しましょう。ワクチンの力は、たとえるなら、ささやき声のようです。ワクチンの成果があると歴史に残りますが、その後しばらくするとほとんど耳にすることもなくなります。ある年齢以上の人なら、腕に小さな丸い痕が付いているでしょう。子どものときの予防接種の痕です。でも最近は天然痘の心配はしなくなりました。20世紀に5億人の命を奪った病気が撲滅されたのです。ポリオもです。鉄の肺を覚えている方などいますか? こういう物を目にすることは無くなりました。ワクチンのおかげです。
さて、興味深いのは、今日では30種余りの病気にワクチンで対処できるのに、HIVやインフルエンザは未だに脅威だということです。それはなぜでしょうか? こんな事情があるのです。ごく最近になるまで、ワクチンの仕組みは明らかではありませんでした。試行錯誤によって効果は確認されていました。病原体を確保し、それを改変して、人や動物に投与したらどうなるか観察するのです。この方法は多くの病原体に対して有効で、やっかいなインフルエンザにもなんとか使えますが、人間が天然の免疫を持たないHIVにはまったく効果がありません。
ではワクチンの作用を見てみましょう。簡単に言えば、必要に応じて、免疫系が使うための秘密兵器を作っておくのです。普通は、ウイルス感染してから、体が完全な反撃体制を整えるまで数日から数週間かかるのです。それでは手遅れになることもあります。あらかじめ免疫をつけていれば、特定の敵を認識して、打倒できる戦力が体内に配備されるわけです。ワクチンはそういう働きをします。ではビデオをお見せします。TEDで初めて公開するこのビデオは、効果的なHIVワクチンの作用を説明するものです。
ワクチンは、特定の侵入者を認識し、中和するように人体を訓練しておくものです。HIVは人体の粘膜関門を突破して侵入すると、免疫細胞に感染して増殖します。免疫系の最前線部隊は侵入者を発見します。樹状細胞やマクロファージが、ウィルスを捕らえてその断片を「提示」します。前線からHIVの侵入を知らされると、HIVワクチンで作られた記憶細胞が活性化します。この記憶細胞は、直ちに必要とされる兵器を配備します。メモリB細胞はプラズマ細胞となって、次から次へと、HIVにピタリと適合した特定の抗体を産出して、HIVが細胞を感染させるのを防ぎます。同時にキラーT細胞大隊が、HIVに感染してしまった細胞を探して破壊します。ウイルスは打ち負かされます。ワクチンが無かったら、これらの兵器を準備するまでに1週間以上もかかり、その間にHIVとの戦いには敗北してしまっているでしょう。
よくできたビデオでしょう? ビデオに出てきた抗体の作用は、ほとんどのワクチンで同様に働きます。つまり肝心なのは、どうすればインフルエンザや HIVに対して必要な抗体を人体が作るようにできるのか、です。これらのウイルスの厄介なところは、常に変化しているということです。インフルエンザのウイルスを見てみましょう。この図にあるいろいろな色の突起を用いて、インフルエンザのウイルスは感染します。また、抗体がウイルスを捕まえて、中和するのに用いるのもこの突起です。変異によって突起の形が変化すると、抗体はウィルスを認識できなくなってしまいます。だから、毎年違った系列のインフルエンザにかかるのです。そのため、春には、次のシーズンに流行しそうなインフルエンザを、3つの系列からできるだけ推定し、1つのワクチンに仕立てて秋には生産できるように急ぐのです。
さらに困ったことに、最も多いA型インフルエンザは、人の周辺で生息する動物にも感染します。A型はそれらの動物の中で遺伝子組み換えを起こします。さらに、野生の水鳥は、全ての系統のインフルエンザのキャリアです。するとこんな状況が生じます。2003年には、H5N1ウイルスが発生しました。これは鳥から人への伝染が何件か別々に起こったものです。致死率は70%と推定されました。当時は大変恐れられましたが、幸運にもこのウイルスは人から人へは伝染しにくいものでした。今年メキシコで発生して恐れられたH1N1ウイルスは、人と鳥とブタからのウイルスが混ざったものでした。簡単に伝染するものでしたが、幸運にも、軽度のものでした。ある意味で、これまでは運がよかったのです。しかし、いつ別の野鳥が飛び込んでくるかもしれません。
こんどはHIVを見てみましょう。インフルエンザは変化が多いのですが、HIVと比べてしまうと、ジブラルタルの岩のように見えます。エイズの原因となるウイルスは、これまで科学者が目にした最も難解な病原体で、猛烈に変異します。免疫系を回避するオトリの機能を持ち、攻撃してきた細胞を逆に攻撃して、そのゲノムの中に身を潜めます。このスライドは、インフルエンザの遺伝子がどう変化し得るか示しています。これに比べると、HIVは遥かにやっかいなターゲットですね。先ほどのビデオでは、感染した細胞からウイルス艦隊が送り出されていました。感染したばかりの人の中には、こんな輸送艦が100万個もあって、それぞれが少しずつ異なっているのです。全てを識別して仕留めることのできる兵器を用意することは、実に困難な課題となります。
HIVウイルスがエイズの原因であると確認されて以来の27年間で、他のあらゆる感染症の治療薬より多くの種類のHIV薬が開発されてきました。これらの薬では治癒できませんが、それでも、HIVと診断されることがすなわち死の告知ではなくなったのは、科学の大きな成果です。薬を入手できる者にとっては成果です。しかし、ワクチンへの取り組みは全く違っていて、大企業はそこから撤退しました。科学として実に難しく、ビジネスとしても成り立たないと見なされたからです。エイズのワクチンを作ることは不可能と考えられていましたが、そうではないという証拠が集まっています。
この9月には、タイで行われた臨床試験から、予想もしないエキサイティングな結果が得られました。エイズのワクチンが初めて人体で効果を示したのです。残念ながら効き目は弱いのですが、このワクチンが作られたのは10年ほど前のことです。新しいやり方や早期検査によって、高等な実験動物でもさらに有望な結果を出しています。でも、ここ数ヶ月の間に、HIV患者の血液から、広い範囲にわたって効力を持つ新しい中和抗体も特定されました。これは何を意味するのでしょうか。先ほど述べたように、HIVは変化しやすいのですが、効力の広い抗体は、ウイルスの様々な変種に適合して中和できるのです。こんな抗体を手に入れて、サルに投与すると完全に感染を防ぎます。さらに、この研究者たちは、抗体がHIVを捕捉する場所として、新しい部位を発見しました。この場所の何が特別なのかと言うと、ウイルスが変異を起こしてもほとんど変化しない場所であることです。例えて言うなら、ウイルスが何度着替えても履いている靴下は同じなわけです。すると次にするべきことは、体がきちんとこの靴下に反応するようにすることです。
こうして次のような状況に至りました。タイでの臨床結果から、エイズにもワクチンを作れることが確かめられ、抗体の研究結果が、そのやり方を示唆しているのです。この戦略では、抗体をもとにしてワクチン候補を作ります。ワクチン研究において初めての、逆からの戦略です。「レトロ=ワクチン学」と呼ばれるここでの考え方はHIVのみに留まるものではありません。こういうふうに考えてみてください。新しい抗体が特定できました。この抗体はウイルスの多様な変種にも適合します。この抗体が結合する特定の部位がわかっています。その部分の構造を正確に理解することができれば、それをワクチンに反映させて、ヒトの免疫系に働きかけて適合した抗体を作らせることができると考えられます。うまくいけば、HIVの万能ワクチンが作れるでしょう。まあ、「言うはやすし」ですね。実際の構造は、この青色の抗体が黄色の部位に結合するといったものだからです。ご想像のとおり、この3次元構造は、取り組んでみると厄介です。何か役立つアイデアのある方はぜひお聞かせ下さい。
このように、HIVから始まった研究は、他の病気に対するイノベーションを促します。例えばバイオ技術の会社は、インフルエンザに対する新しい抗体のターゲットと共に広範な中和抗体を見つけています。現在彼らは極めて激しいインフルエンザに対応できる抗体の組み合わせを検討し、調合しようとしています。将来的には、これらの「レトロ=ワクチン学」のツールを用いて、予防的なインフルエンザワクチンを作れるでしょう。また、合理的ワクチンデザインの観点からは「レトロ=ワクチン法」は一つの手法にすぎません。
別の例を挙げましょう。インフルエンザウイルスの表面に出ているH型とM型の突起の話をしましたが、別の小さな突起に注目してください。免疫系からはほとんど隠れているのです。これらの部位も、ウイルスの変異の際にあまり変化しないことがわかってきました。そこで、特別な抗体でこの部位を攻撃すれば、どの種類のインフルエンザも機能を失います。これまでの動物実験によると、軽い症状は出るかもしれませんが、重症になることは防げます。人にも効果があるなら、これは万能インフルエンザワクチンになります。毎年変更しなくても良く、死の危険から守ってくれるのです。そうなれば、インフルエンザはただの「たちの悪いかぜ」になります。
もちろん、どんなに素晴らしいワクチンでも必要な人全員に行き渡らなくては意味がありません。そうするためには、優れたワクチンの設計と優れた生産手段、そして、優れた流通手段を組み合わせなくてはなりません。数ヶ月前のことを思い出してください。この6月にWHO (世界保健機関)は、41年ぶりにインフルエンザの大流行を宣言しました。インフルエンザのピークに備え、10月15日までに1億5千万本のワクチンを用意するとアメリカ政府は約束しました。発展途上国向けのワクチンも約束しました。数億ドルを費やしてワクチンの製造を急いだのです。どういう結果になったでしょう?
インフルエンザワクチンの作り方、つまり製造技術は1940年代初期に開発されました。時間のかかる面倒な工程です。鶏卵を用いる方法で、生きた鶏卵を何百万個も使いますウイルスは生き物の中でしか増殖せず、インフルエンザに対しては鶏卵が大変適していたのでした。ほとんどの型のインフルエンザでは、一つの卵からワクチンが1-2本できます。幸運にも、現代の生物医学は著しい進展を遂げています。そんな時代ですから、インフルエンザワクチンは――鶏卵から作ります(笑)。数百万個の卵からです。ほとんど何も変わっていません。まぁ、信頼できるシステムです。問題は、あるウイルスの株が育てやすいかどうか分からないことです。今年のブタ系のインフルエンザは、生産の初期にはあまり増殖せず、卵1個につきワクチン0.6本分でした。
こんなことが心配になります。あの野鳥がまた飛んできたらどうするのか。家禽の群れに感染するタイプの鳥インフルエンザが流行したら、ワクチンを作る卵がなくなるわけです。ダン(注:ダン・バーバー。TEDで「魚と恋に落ちた僕」を披露した)、魚を育てるのにチキンペレットを何億個も使うならここで手に入るみたいですよ。現在、世界中合わせて3つの型のインフルエンザワクチンを3億5千万本ずつ製造できます。豚インフルエンザのように1種類だけをターゲットにすれば、合計12億本まで増やせます。工場がきちんと稼働しているとしてです。2004年には、1つの工場で雑菌が混入しただけでアメリカでの供給は半減したのです。それに、製造プロセスには今でも半年以上かかります。
いったい我々の備えは1918年より改善していると言えるのでしょうか。新しい技術も開発されているので「もちろん」と言えるようになればと思います。世界中の誰もに行き渡るだけのインフルエンザワクチンを、アメリカが今投じている費用の半分で製造できたらどうでしょう。最新の技術によってそれは可能になります。例を示します。私も関係している会社ですが、免疫系を活性化するウイルスの、H型突起のある特別な部分を発見しました。この部分を切り取って別のバクテリアの先端に付ければ、すさまじい免疫反応を起こすので、非常に強力な抗インフルエンザ剤ができます。このワクチンは非常に小さく、ありふれた大腸菌の中で増殖できます。ご存知のようにバクテリアの繁殖は早く、ヨーグルトを作るようなものです。そこで、数箇所の工場で数週間もあれば豚由来インフルエンザ用のワクチンを、全世界で必要な分製造できます。卵を使わないので今の何分の一かのコストです。
そんな新しいワクチン技術の比較表です。劇的に改善した製造技術と大幅なコスト低減に加えて、今説明した大腸菌の手法では、期間も短縮出来ます――命が救えるということです。発展途上国は現在のインフルエンザ対応から取り残されがちなため、これらの新技術には期待しており、西側諸国より進んでいます。インドやメキシコ、その他の国ですでにインフルエンザワクチンの試作が始まり、これらのワクチンが初めて実用されるのもこれらの国かもしれません。この新しい技術は大変効率的で比較的費用もかからないので、流通手段を開発できれば何十億もの人に命を救うワクチンを届けられます。
この次はどうなるか考えてみて下さい。新しい伝染病は、数年ごとに出現したり再発したりしています。いつか、もしかしたら近いうちに、我々皆を狙うウイルスが現れるでしょう。そのとき何百万人も亡くなる前に素早く対応できるでしょうか? 幸いにも、今年のインフルエンザは比較的弱いものでした。「幸いにも」と言った理由のひとつは、発展途上国では予防接種を受けた人はほとんどいなかったからです。これまでの投資を無駄にしないための政治的・財政的先見があるなら、これらをワクチン学の新しいツールと共に使いこなし、世界の皆に十分なワクチンを安価に製造できるようにして、健康で創造的な生活を保証することができます。インフルエンザで年に50万人も亡くすことはないのです。エイズで年に200万人も亡くすことはないのです。貧しい弱者が伝染病におびえる必要はないのです――もちろん他の人たちもです。
バーツラフ・スミルが言っている「生命の大断絶」の代わりに、生命が継続して行くことを保証することができるのです。
今、世界に必要なのは新しいワクチンです。これは実現できることなのです。
ありがとうございました。
ワクチンの設計や製造、流通についての知見が進歩して、世界の脅威であるAIDSやマラリアやインフルエンザの根絶に近づいていることを、セス・バークレーが語ります。