自動運転車は周りの世界をどう見ているのか(15:29)
講演内容の日本語対訳テキストです。
自動スクロールはしませんので、映像に合わせてスクロールさせてご覧下さい。
1885年、カール・ベンツが自動車を発明しました。その年、初の公開試乗会が行われたとき、本当の話ですが、壁に激突したそうです。それ以来130年の間私たちは、この自動車の最も信頼性の低い部分、運転手をどうにかしようとしてきました。車体を強化したり、シートベルトを付けたり、エアバッグを付けたり。この10年ほどは、自動車を賢くすることによって、この「運転手」という欠陥部分を正そうとするようになりました。
今日お話しするのは、運転支援システムによってこの問題を手当てするアプローチと、車を完全に自動運転にするアプローチの違いと、それでどんな恩恵があるのかということです。また、私たちが開発している自動運転車と、それが周りの世界をどう見、どう反応しているのかもお見せしますが、その前にまず、何が問題なのか話しましょう。大きな問題です。世界で毎年120万人が交通事故によって死んでいます。アメリカだけでも毎年3万3千人が死んでいるんです。分かりやすく言うと、これはボーイング737型旅客機が平日に毎日墜落していることに相当します。
信じがたいことです。自動車はこんなイメージで 売られていますが、実際の運転はこんな感じです。天気は悪く、運転中にみんな 他のことをしたくなります。その理由は、交通事情が悪化しているからです。アメリカでは、1990年から2010年までの間に自動車の総走行距離は38%増加しましたが、道路の増加は6%に留まります。だから、交通事情の変化は単なる感覚的なものではなく、この20年で現実にはっきり悪化しているんです。
これは、人々にコストとしてかかってきます。アメリカにおける平均通勤時間は約50分ですが、これを労働人口の1億2千万人と掛け合わせると、毎日通勤のために60億分という時間が浪費されていることになります。大きな数字なので分かりやすく言い換えましょう。60億分を人の平均寿命で割ると、毎日162人分の命が、この単なる移動時間のために無駄になっている計算です。信じ難い話です。それに加え、この渋滞の中に座るという特権を持たない人たちもいます。彼はスティーブといい、とても有能な人ですが、目が見えません。仕事に行くのに朝30分運転する代わりに、2時間かけて交通機関を乗り継ぐか送ってもらえるよう、友人や家族に頼まなければなりません。私たちのような移動の自由を持っていないのです。これはどうにかする必要があります。
多くの人は、運転支援システムを作って徐々に改良していけば、いつか自動運転車ができると考えます。でもそれは、一生懸命ジャンプしてればいつか空を飛べるようになると言うのと同じようなものです。基本的に違うことをする必要があります。自動運転車が運転支援システムと異なる点を3つ示しますが、まず私たちが経験したことをお話ししましょう。
2013年に、初めて一般人を載せて自動運転車のテストを行いました。100人のGoogle社員ではありますが、このプロジェクト外の人たちです。自動運転車を渡して日常的に使ってもらいました。自動運転車と言っても、留保付きです。まだ実験段階のもので運転席の人に注意を払ってもらう必要がありました。十分テストはしていましたが、それでも誤動作することがあったんです。それで彼らに、2時間のトレーニングの後に運転席についてもらい、使ってもらいました。そうして得られた声は新製品を世に送り出そうとしている者にとって、勇気づけられるものでした。誰もがとても気に入ってくれたのです。普段ポルシェに乗っている人がいて、最初は「こんなの馬鹿げている。何考えてんのか分からない」と言っていたんですが、終いにはこう言ったのです。
「自分だけでなくすべての人がこの車を持つべきだ。みんなひどいドライバーだから」
これは私たちの耳に心地よい言葉でしたが、自動運転車に乗った人たちが車内でやっていることには驚かせられることになりました。これは私のお気に入りの逸話なんですが、ある人が運転中に携帯を見てバッテリーが切れかけているのに気付き、こんな風に後ろを向いて、バックパックの中を探ってノートPCを取り出し、横の座席に置き、また振り向いてバックパックを漁って充電ケーブルを取り出し、ノートPCと携帯を繋いで携帯を充電したんですが、この間車はずっと時速100キロ以上で走っていました。信じられないような話です。これを見て答えは出たと思いましたね。技術が進むほど運転手の信頼性は逆に下がっていくので、自動車を徐々に賢くしていっても、望むような結果にはならないだろうと。
少し技術的な話をしましょう。このグラフの横軸は、車がブレーキをかけるべきでない時にかける頻度です。こちらの軸は概ね無視して構いません。街中を運転していて車がランダムに停止するようなら、そんな車は誰も買わないからです。縦軸は事故を防ぐために車がブレーキをかけるべき時にかける頻度です。左下隅が昔ながらの自動車です。車が自分でブレーキをかけることはなく、馬鹿なことをすることもなければ、事故を防いでくれることもありません。衝突回避自動ブレーキのような運転支援システムを作ろうと思ったら、色々な技術を取り込んでこんなグラフになり、ある種の動作特性を実現できるでしょうが、事故をすべて防げるわけではなく、そこまでの能力はありません。それでもこの曲線上のいずれかの点を選んで、事故の数を半分にできるかもしれません。これはすごいことです。交通事故が半分になるんですから。アメリカで毎年死ぬ人の数が1万7千人も減らせます。
しかし、自動運転車を作ろうと思ったら、曲線をこのようなものにする技術が必要になります。車にもっとセンサーを付け、基本的に衝突が起こらないという点を選ぶことになります。衝突は起きたとしても極めて低い頻度です。これを見て、移行は段階的であるべきか議論ができるでしょう。80:20の法則というのもありますが、上の曲線に移るのは極めて難しいのです。これを別の角度から見てみましょう。この技術はどれくらいの精度で正しく振る舞わなければならないのか? 緑の点は運転支援システムです。アメリカでは、人間の運転手は、事故に繋がるようなミスを10万マイル (16万km) に1度犯しています。これに対して、自動運転車は1秒間に10回くらい判断を行っています。1マイルあたりだとおよそ千回です。この2点は対数目盛りで8つ離れています。10の8乗倍です。これは私が走る速さと光の速さを比較するようなものです。私がいかに頑張ったところで、そこに到達することはありません。とても大きなギャップがあるということです。
最後に、システムが不確定さをいかに扱うかという問題があります。この歩行者は道を渡るのかどうか、私には分からないし、どんなアルゴリズムでも分かりません。運転支援システムは行動を起こせない、ということです。予期しないところでブレーキをかけるというのは受け入れられないからです。一方、自動運転車の場合は、歩行者がどうしようとしているのか分からないという場合、スピードを落として様子を見、それから適切に反応します。
だから、運転支援システムよりもずっと安全だということです。
2つのシステムの違いについては分かったので、自動運転車は世界をどう見ているのかという話をしましょう。
白いのが私たちの車です。まず、自分が世界のどこにいるのかを知るところから始めます。地図とセンサーデータを突き合わせ、地図に現在見えているものを重ね合わせます。紫色の箱は、道路上の他の車です。道の端にある赤い箱は自転車です。それからよく見てもらうと、ずっと向こうにロードコーンがあります。これで車がいる状況については分かりますが、それだけでは駄目で、この後何が起きるか予測する必要があります。右手前方にいる小型トラックは、左に車線変更しようとしています。道路の先が塞がっているのを迂回するためです。1台のトラックの動きを読むだけじゃいけません。みんなの考えを読む必要があり、これはとても複雑な問題です。それを元にどう動くべきか判断します。どういう経路を取り、どうスピードを変えるか、道に沿って進む、左か右にハンドルを切る、ブレーキやアクセルを踏む。
つまるところ、2つの数値に集約できます。難しくはなさそうでしょう?
2009年に取り組み始めた頃はこんな感じでした。私たちの車が中央にあり、道を走る他の車が箱として描かれています。自分がどこにいて、他の車がどこにいるかおおよそ把握している必要があります。世界を幾何学的に理解するのです。街中を走行するようになって、問題は格段に難しくなりました。車の前を歩行者が横断したり、車が目の前を横切ったり、様々な方向に進みます。信号があり、横断歩道があります。前と比べて、遙かに複雑になっています。それに対応できるようになったら、今度は工事現場に対応できなければいけません。ここでは左側のロードコーンによって、右に移動させられています。工事現場そのものだけでなく、その周囲を行く人にも注意を払う必要があります。交通違反があれば警察が来ます。屋根に点滅するライトが付いている車はただの車ではなく警察車両だと理解できる必要があります。道路の端にいるオレンジ色の箱はスクールバスです。これも特別な扱いを必要とします。
道路上の人々には、それぞれ期待することがあります。自転車の人が手を挙げているのは、車線変更したいので道を譲ってほしいということです。警官が路上に立ってこんなポーズをしていたら、止まれという意味だと理解する必要があり、進めという合図をしたら進む必要があります。
このために私たちの取っている方法は、車同士で情報共有するということです。最初の荒削りなモデルでは、1台が工事現場を見つけたら他の車にも知らせ、車線変更して問題を回避できるようにするというものでした。しかし、私たちはもっと深い理解をしています。これまで観察してきた他の車のデータ――何十万という歩行者、自転車、自動車のデータから、それぞれがどんな姿をしているか理解し、それを元に他の車や歩行者がどう見えるか推測します。さらに重要なのは、それぞれがどう動くと予想されるかというモデルを作れたことです。ここで、黄色い箱は前を横切る歩行者です。青い箱は自転車で、こちらの車を右に避けると予想しています。向こうからやってくる自転車は、道に沿って進んでいくだろうと予想できます。ここでは車が右折していて、こちらでは目の前にUターンしようとしている車がいて、その動きを予期し、それに応じて安全な動きをします。
見たことのあるものばかりなら良いのですが、現実の世界では、見たことのないものにも出くわします。これは、ほんの2ヶ月前に マウンテンビューを走行していて出会ったものですが、電動車椅子の女性が、道の真ん中でぐるぐる鴨を追いかけていたんです(笑)。陸運局のマニュアルのどこを見ても、この状況にどう対処すべきか書いてありません。しかし私たちの車はこの時、スピードを落として無事やり過ごせました。対応しなければならないのは鴨ばかりではありません。鳥が突然前に飛び出しましたが、車はちゃんと対応しています。ここでは、マウンテンビュー以外ではおよそお目にかからないような自転車に対応しています。もちろん、他の車にも対応する必要があります。こんなミニサイズのものまで含めて。右手を見てください、誰かトラックから降りてきます。左にいる車の緑の箱が、ぎりぎりになって右折してきます。車線変更しようとしたら、左手の車も同時に。車線変更してきました。車が赤信号を突っ込んでくるので道を譲っています。こちらでは自転車が信号無視して入ってきます。もちろん、危険がないように対応します。そして、道路では時々、理解できないことをする人たちがいます。2台の自動運転車の間に、真横から車が入ってきました。「何考えてんだ?」と言いたくなるでしょう (笑)
様々なケースを立て続けにお見せしたので、1つのケースを少しだけ細かく見てみましょう。
先ほどの自転車のケースですが、下の映像で分かるように、この自転車はまだ視界に入っていません。しかし、車は自転車を把握しています。左端の青い箱です。レーザーを使って捉えたものです。これは少しわかりにくいので、向きを変えて、レーザーによるデータをよく見てみましょう。目をこらして見ると、道の角にいくつか点があり、この部分ですが、青い箱が自転車を示しています。こちらの信号は赤ですが、自転車の信号は既に黄色になっています。映像をよく見ると分かります。しかし、自転車は交差点に入ってきます。こちらの信号が青に変わり、向こうは赤になっていますが、この自転車が道を横切ってくることを予期しています。あいにく、隣の車は我々ほど注意を払っていなかったため、進み始めます。幸い、自転車はうまくよけて交差点を渡りきりました。これで前に進めます。
ご覧いただいたように、この技術はとても素晴らしい進歩を遂げ、市場に送り出せると強い自信を持っています。日々行っている、シミュレーターによるテスト走行は500万キロにも及びます。この車がどれほど経験を積んできたかお分かりになるでしょう。 私たちは、この技術を道路にもたらせる日を待ち焦がれています。運転者支援システムではなく、自動運転車が正しい道であると信じています。これはとても緊急性の高い問題なんです。この講演をしている間にも、アメリカでは34人が交通事故で死んでいる計算です。
これを世に出せるのはいつになるのか? 非常に難しい問題なので、確答するのは難しいです。この写真は私の2人の息子です。長男は11歳で、それは、あと4年半で運転免許を取れるようになるということです。私たちのチームでは、そんなことにならないよう全力を尽くしています(笑)。
統計的に、自動車において信頼性の最も低い要素が何かというと、それは運転手です。現在進められている運転席から人間をなくそうという企ての1つ、Googleの自動運転車プログラムを率いるクリス・アームソンが自動運転車の現状について語り、自動運転車はどのように道路を見、次にどうすべきか自律的に判断しているのか、興味深い映像を使って紹介します。