長く続く恋愛関係における欲望の秘訣(19:10)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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なぜ 良いセックスは 色あせていくことが多いのでしょうか 最高に愛し合うカップルにでさえ 起こりうる事態です なぜ親密な良い関係が 良いセックスを意味しないのでしょう これは 一般的な考えには 反しています そして こんな問いかけもあります すでに手に入れたものに さらに欲望を感じられるか? これも難しい質問ですよね? なぜ禁じられると そそられるのか 強烈な欲望をかきたてる 禁断とは何なのでしょうか? なぜセックスによって― 生まれる子どもが カップルの性生活に打撃を与えるのでしょうか? 致命的な性的打撃のようですね? 誰かを愛しているとき どんな気持ちになりますか? 欲望を抱く場合と どんな風に異なりますか?
これらの問いかけは 私が掲げるテーマの中心です 現代の恋愛における 性欲の本質と それに伴うジレンマの問題です 私が世界中を旅して 気付いたことがあります ロマンチシズムが広まった所には 欲望の危機が 訪れているようなのです 欲するものを所有したときに 欲望に訪れる危機とは 自由な選択や嗜好や 自己の発露としての欲望に 訪れる危機であり 現代の恋愛と 個人主義社会の一部として 主要な概念となった欲望の危機です
性的関心を長い間ずっと 維持しようという試みは 人類の歴史上 初めてのことなのです でも14人の子供を 望んでいるからではありません 少子化が進んでいるので 増やす必要はありますけど 妻にのみ課せられた 女性の役割だからでもありません 欲望に根ざして 喜びと繋がりを得るためのセックスを 長期にわたって求めることも 初めての試みです
ではこの欲望を維持させるのは何で なぜそれは難しいのでしょう? 真剣な恋愛関係において 欲望を維持するための柱は 2つの基本的なニーズを 両立させることだと考えます 1つ目のニーズは 安全、予測可能であること 安心感、信用、信頼感 そして永続性です これらは私達の生活の 基礎となるもので 家庭と呼ばれます もう1つは男も女も同じく抱く 強いニーズです 冒険、目新しいもの、謎 リスク、危険 未知のもの、予測できないもの 驚きなどです ご納得いただけますよね 放浪や旅もです つまり安全性と冒険性が あいまったものを 男女関係に求めているのです 最近は こういった男女関係を 情熱的な結婚と呼びますが 昔は矛盾する言葉でした かつて結婚とは 経済的な制度でした 生涯のパートナーを得ることで 子供を持つことや社会的地位において 継続性や仲間を獲得するのでした 現代の私達もパートナーに 同様のものを求めますが それに加えて ベストフレンドでいて欲しかったり 忠実かつ情熱的な恋人を望みます しかも私達は昔に比べて 2倍も長生きです (笑) しかも私達は昔に比べて 2倍も長生きです (笑) 1人の人間に求めるようになったものは その昔は村全体が与えてくれたものでした 私達が求めるのは 帰属感、身分、継続性 さらに 超越性と神秘性 そして畏敬も― 全てを1人に求めます 安らぎ 焦り 新たなもの 馴れ親しんだもの 予測可能なもの サプライズを求めます 当然のように求めます 大人のおもちゃとランジェリーで何とかなりますか? (拍手)
というわけで現実が 見えてきたでしょう? 私が思うには ある意味 ―後で説明しますが― 欲望が危機に瀕しているとき 私達の想像力すら脅かされています
なぜ 良いセックスは やがて色あせていくのでしょう 愛と欲望には どのような関係があり どのように繋がっていて どのように相反するのでしょうか? エロチシズムの謎が そこにあるのです
「愛」をうける動詞があるなら 「have (所有する)」で 「欲望」をうける動詞があるなら 「want (欲する)」だと思います 恋愛では愛する人を自分のものにしたい 理解したいと思います 距離を縮めたい 隙間を埋めたい 緊張をほぐしたい 親密感が欲しいと願います でも欲望の場合 すでに経験したことは望まれないものです 予測できる結末には 興味をそそられないのです 欲望の場合 異質な他者のもとを訪れ しばらく過ごしたり 禁じられた場所を覗ければ 良いのです 欲望においては 異なる世界への架け橋が欲しいのです 言い換えれば 火を燃やすには空気が必要ということです 欲望にはスペースが必要です こんな風に言ってしまうと かなり抽象的になってしまいますね
そこで こんな質問をしてみました 過去数年 『Mating in Captivity』を手に 私は20ヶ国以上を訪れ どんな時にパートナーに強く惹かれますか? と質問しました ちなみに性的にではなく 人として最も惹かれる時です 様々な文化、宗教、性別を超えて 1つの例外を除いて 同じような答えがいくつか見られました
初めのグループは 自分がパートナーに一番惹かれるのは 彼女が何処かに行ってる時 ― 離れていた2人が再会した時だと つまり自分がこういう力を取り戻すときです 相手といる姿を想像できる力 想像力が戻ってきたとき 不在と切望によって想像力が根付いたとき これが欲望の大きな要素です 2番目のグループは もっと面白いですよ 相手に最も惹かれるのは 彼がスタジオで働いてる時 彼女がステージの上にいる時 彼が得意分野で輝いている時 彼女が夢中になることをやっている最中 パーティーで他の人が 彼にすごく惹かれてるのを見た時 彼女が周囲の注目を浴びているのを見た時だと つまり自分のパートナーが輝いていて 自信たっぷりでいる姿を見た時が どうやら もっとも惹かれる状況のようです 輝きとは独立自尊です ところでパートナーに惹かれる時を 密着している時 ― 5センチ位の距離の時だと言った人は ほとんどいません インチではどれくらいでしょう 相手が見えないほど遠くに離れている時でも ありません いつ惹かれるかというと ちょうど良い距離からパートナーを見た時で その距離だと 馴染みのある よく知ってる相手が 一瞬なんとなくミステリアスで とらえ所がない様に見えるのです この丁度いい距離感がエロチックで 相手に引き寄せられるのです マルセル・プルーストが言うように ミステリーとは新しい景色を探すことではなく 新しい目で見ることなのです つまり私のパートナーが1人で 何かをしてるのを新しい目で見たとき 一瞬 あれっと思います 良く知っているはずのパートナーに まだ知らないことがあると気づきます
更に大切なのは こういう欲望と 世話をされることとは まったく関係がないのです これは興味深い点です 誰かが必要なんてことはありません 欲望は 世話することとは全く別です 世話することは 深い愛であるとともに 強力な「反」媚薬でもあります 誰かに必要とされると すごく興奮するという人に いまだ出会ったことがありません 誰かを欲することとは別物で 世話されることで欲望は萎えます 女性はこれをずっと前から知っています なぜなら 親らしくふるまうほどに たいていは 性的なエネルギーは下がるからです でも これは意味あることです
そして3番目のグループの答えは 驚いた時 一緒に笑ってる時というたぐい 今日 職場で同僚が 彼氏がタキシード姿の時が 一番だと言うので 私は「男性はタキシードか カウボーイブーツにかぎるよね」と 結局は目新しさなんです ただしセックスの体位や 多彩なテクニックという新しさではありません 目新しさとは 自分のどの部分を出せるか 自分のどの部分が見られているか なのです なぜなら ある意味では セックスは行為ではない とも言えます セックスという場所に行って 自分と他者とが 自分の内部に 入り込むのです ではセックスすると何処に行きますか? あなたのどの部分と繋がりますか? そこで何を表現したいですか? そこは卓越した崇高な所でしょうか? 上品ぶらなくてもいいですか? 安心して大胆になれますか? あなたが身をゆだねて良くて 責任を求められないようなところですか? 幼児的な願望を表現できる場所ですか? そこで何が芽生えるでしょうか? 言葉が出てくるのです 行為だけではないのです 私が興味があるのは その言葉にある詩的な部分です これが私が官能的知性を 探求し始めた理由です
ところで動物もセックスします 彼らの中核であり 生物学上 生まれ持った本能です ただし官能的な生活を営むのは 私達人間だけです 人間の想像力によって 形成された性的能力なのです 人間だけが何時間も愛し合うことができ 至極の時間を過ごし 何度もオーガズムを経験できます しかも誰かに触れることなく1人でも可能です 私達は想像力を持っているから ほのめかすだけで 実際にセックスをする必要がないのです 私達には予想という名の パワフルな力があります 予想することは欲望の基盤で まるで実際に起きているかのごとく 想像できる力で 何も起きていないのに 実際に起きているかのように体験できる力です これら全てを一度に体験できるのです というわけでエロチシズムについて考えた時 セックスの詩的な部分を考え始めました そして それを知性とみなすと それは自分で培っていくものなのです その材料はなんでしょうか? 想像力、遊び心 目新しさ、好奇心、神秘性でしょう でも 主役として中核をなすものは 想像力です
きちんと理解するのは大事なので 官能を輝きさせ続けられるのは どんなカップルか 欲望を維持させるものは何かについて まずはエロチシズムの本来の意味と 神秘的な意味に立ち返って 調べることにしました その反対にある トラウマを調べて 分岐点となるものを調べました 私はベルギーの小さなコミュニティーで育ち 周りはホロコーストの生存者たちばかりでした 生存者は2つのタイプに分けられました ただ死ななかったという人達と 精神的にも生きて帰った人達です ただ死ななかった人達は 鎖に繋がれたようで 喜びを享受することなく 誰も信用することができませんでした 常に警戒していて ドキドキ、ハラハラと不安だらけで うつむいたままで どこへも踏み出せません 遊び心や安心感を抱けず 想像力も失われます 精神的に生きて帰れた人達は エロチシズムは 死を免れる薬だと理解していました 彼らは どうやったら生き延びられるか 知っていたのです 私が仕事でセックスレスカップルの 相談を受けるようになってから 量の問題を耳にすることもありますが でも たいていは質が求められています 質とは 生きてる実感 活力、再生、バイタリティー エロス、エネルギーなどに もう一度繋がるということで かつてセックスが与えてくれたもの あるいは与えて欲しいと望むものです かつてセックスが与えてくれたもの あるいは与えて欲しいと望むものです
そこで 私は違う質問を始めました 最初の質問は 「私は・・・のとき自分を閉ざしてしまう」 「こんな時 自分はその気になれない」 この質問は― 「私を幻滅させてしまうものは・・・だ」とか 「あなたが・・・するとしらける」とは異なります こんな答えが返ってきます 「自分がその気になれない時とは 内面が死んでしまっているように思える時 自分の体が嫌いな時 年老いたと感じる時 忙しくて自分の時間がない時 忙しくてパートナーと連絡さえ出来ない時 仕事が上手く行かない時 自信がない時 自分には価値がないと思ってしまう時 喜びを欲しがったり 手にしたり 受け取ったりする権利すら ないんじゃないかと思う時」
そこで これと反対の質問をしました 「私は・・・のときに興奮します」 皆がよく交わす質問は 「誰に興奮させられた 何に興奮したか?」ですよね そういう質問とは違うのです もしあなたの内面が死んでいたら バレンタインだからとあれこれ頑張っても 無駄な努力です 受付には誰もいないわけですから (笑) こんな時には自分は興奮します・・・ 欲望に気づき目覚めるのはこんな時で・・・ という話をするのです
愛情と欲望における矛盾について 非常に不可解に見える点は 愛を育てる要素であるはずの 相互関係、相互依存 庇護、気遣い、他者への責任といったものが 時に欲望を抑える材料でもあるということです なぜなら欲望には多数の感情を伴い そのすべてが愛情と折り合いが良いわけではないのです 嫉妬、所有欲、攻撃性、力、支配 下品だったり 厄介だったり 私達の多くが 夜になると興奮しますが 日中にはそういうことを嫌いなふりをします エロチックな考えは 道徳的には問題とされます バラの花のベッドのような 美しい妄想で済んでしまったら こういった面白い議論にはなりません でも私達の頭の中は 自分の愛する人の前で どう持ち出したらよいやら 分からないことだらけなのです なぜなら愛は無私無欲だと考えているのに 欲望は いい意味で どこか利己的な面が あるのです 相手が目の前にいる時でも自分らしさを 失わない力ともいえます
あるイメージを思い浮かべてもらおうと思います 私達が生まれ持つ 相反する2つの欲求を 融和する必要があるからです 繋がりたいという欲求 距離をおきたいという欲求 安全性や冒険の欲求 そして団結や自立といった欲求です 皆さんの膝の上に 小さな子供が座っているとします その子供は膝の上で とても安心して休んでいます 私達は誰しも ある時に 新しい発見と探検の為に 世の中に出て行かなければなりません ここから欲望が始まります 探検には好奇心と発見が必要です しばらくすると子供は あなたを振り返ります こう言ったらどうなるでしょう 「世界は素晴らしい場所だよ 出かけておいで 楽しいことでいっぱいだよ」 すると彼らは 世界の大海原に漕ぎ出し 繋がりと隔たりとを 同時に経験することになるのです 彼らは想像の中に 自分の身体感覚に また遊び心の中に旅立つことが可能です そして帰ると誰かが待っていることも 分かっています
でもここに残った人が こう言ったらどうでしょう 「心配で不安だ 元気がでないんだ 長い間 パートナーに 世話してもらっていない そこの何がそんなに良いの? 私達 お互いがいれば 十分じゃない?」 どんなふうに わずかな反応が 返されてくるか わかりますよね これから戻ってくる人もいるし とっくの昔に戻ってきた人もいます 戻ってくる子供は 誰かを失なわないように 自分の一部を 抑えていくことでしょう 他者との繋がりを保つために 自分の自由が失われるのです 愛し方にはある種のくせがつきます それは過度の心配や 過度の責任感や過剰な保護によって 歪むのです 相手との距離を置くことができず 自由に出かけたり 喜びを体験したり 新たな発見をしたり 自分の中に入りこむことができません これを大人の言い方に置き換えると 小さい時に始まったことが 性生活にまで影響を及ぼし これが生涯続くのです 2人目の子供が戻って来ました でも 常に後ろを振り返っています 「ずっとそこにいる? 僕に文句言う?僕のこと叱る? 僕のこと怒る?」 彼らはどこかに出掛けていたようで 実は離れられないのです そして このような人達は 初めはすごく情熱的だったと言います つまり この関係の初期には お互いの親密感が そんなに強くないので 欲望を低下させるほどではありません 繋がりが深まるほど 責任を強く感じて 相手の前で 自分を出せなくなります 3番目の子供は戻って来ません
欲望を維持したかったら どうすべきかということは まさに弁証法的な課題です なぜなら新しい世界を見るために 安全が欲しい でも離れられないと 楽しみを得れないし 性的絶頂に達しない オーガズムを経験できない 相手がどう思い どう感じるかに 囚われすぎて 自分が興奮できないのです
これらの基本的な2つの相反する欲求を 融合するというジレンマを踏まえ 性生活が充実しているカップルが 行っていることに何点か気付きました 1つ目は 性的なプライバシーが 十分にあるということです 彼らはお互いに エロチックになれるスペースが 守られていることを理解しています 更に セックスの前戯は 本番の前に5分ほど行うことではないと 理解してます セックスの前戯は 前のオーガズムが終わったときから始まっています そして 性的スペースとは お互いの身体を撫でること― だけではないと理解してます そこは あれこれ決まりのある 大企業の管理だとか アジャイルのマニュアル本などは 忘れる場です (笑) ただ ただ その場に身を任せ 責任感のある 模範的市民などということも忘れましょう 責任感と欲望はぶつかり合います 両者は 相容れないのです 性生活が充実したカップルは 情熱には波があることも理解しています まるで月のように 満ちる時もあれば欠ける時もあります ただし彼らは火が消えても 情熱を再び呼び戻す 方法があると知っています なぜかといえば 何かが自然に発生するという神話に 期待したりはしないからです 洗濯物をたたんでいる時に 救いの手が現れて 願いがかなえられることはありません 長期的な恋愛関係で 努力なしに新しいことは起きないと 理解しています
充実したセックスとは 計画されたセックスです 偶然ではなく 意図して行うものです 集中すること はっきり意識することです
ハッピーバレンタインデー(注:このプレゼンテーションは2月13日に行われました)(拍手)
長く続く関係において愛するパートナーに望むことは、ベストフレンドであり、また官能的なパートナーであって欲しいと言うものです。エステル・ペレルは心のこもった良いセックスには「安心」と「サプライズ」という2つの相反するものが求められると指摘します。では、欲望はどのように維持できるのでしょうか?ペレルが官能的な知性の謎について、機知に富んだ雄弁な語り口で紹介します。