すべてにイエスという年(18:44)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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少し前のことですが ある実験をしてみることにしました 一年間 苦手なものすべてに 「イエス」と言ってみることにしたのです 不安になることや いつもはやりたがらないことなら何でも 自分にイエスと言わせました 沢山の人の前で話したい? いいえ でも イエス テレビの生放送に出たい? いいえ でも イエス 演技をしてみたい? 絶対にいやです でも イエス イエス イエス。
そうしたら すごいことが起きました 怖気づいてしまうことを やってみることで 不安が消えたのです もう 怖くはないのです 沢山の人の前で話す恐怖心、社会不安 パッ!とどこかへ行ってしまいました この一言の力は驚くべきものでした 「イエス」は私の人生を変えました 「イエス」は私を変えたのです 中でも ある特別な「イエス」があり それが想像もしなかった方法で 私の人生に 深い影響を与えたのです 始まりは 我が家の 幼い娘の問いかけからでした。
私には3人の素晴しい娘がいます ハーパー、ベケット、エマーソンです 幼いエマーソンはどういうわけか 南部のウェイトレスのように 誰もを「ハニー」と呼びます(笑)
「ハニー マグマグに 牛乳が欲しいんだけどぉ?」(笑)
我が家の南部のウェイトレスは ある夜 一緒に遊ぼうと誘ってきました 私はどこかへ出かけるところでしたが イエス と言いました このイエスが私たち家族の 新しい人生の始まりとなったのです 私は誓いました これからずっと 子供たちが遊ぼうと求めてきたときには 私が何をしていようとも どこへ行こうとしていても イエスと言うことを どんな時も です 完ぺきではありませんが 精一杯 やってみています そして それは 私と子供たちと家族に 魔法のような効果をもたらしてきました そして期待していなかった素晴らしい副作用も 最近まで完全には 理解してはいませんでしたが 子供たちと遊ぶことにイエスということが 私のキャリアを救ったといえるでしょう。
私の職業は多くの人が 「夢のような仕事」と呼ぶものです 私は作家です 物語を綴って生活をしています 夢のような仕事 そうではありません 私は巨匠―「タイタン」です 夢のような仕事 私はテレビ番組を製作しています 製作総指揮もです かなりの量の番組になります 今シーズン(9月~5月)では 70時間分の番組を世の中に 送り出す責任があります 4つのテレビ番組 70時間の放送時間(拍手)
同時製作するショーは3つ 時には4つ どの番組もこれまでにはなかった 何百もの仕事を作り出しました 1つのエピソードの製作予算は 3~6百万ドルぐらいになりますが 5百万ドルとしましょうか 9日ごとに4番組分の 新しいエピソードを製作 つまり 9日ごとに 2千万ドル相当の番組 4つのテレビ番組 70時間の放送 3つのショーの製作が同時進行で 時には4つ 常に16話が進行中 『グレイズ・アナトミー』全24話 『スキャンダル』全21話 『殺人を無罪にする方法』全15話 『The Catch』全15話 全部で70時間 1シーズンで3億5千万ドルにもなります アメリカでは私の番組は 木曜日の夜毎に放送されます 世界中で256もの地域で 67言語へ翻訳され放送されています 視聴者は3千万人にも上ります 私の頭脳はグローバルですね 70時間の内の45時間については プロデュースしただけではなく 脚本も書いています そのため 何を置いても 製作に充てる とにかく静かで クリエイティブな時間が必要なのです ファンをキャンプファイヤーの周りに集め お話を聞かせるためにね 4つのテレビ番組 70時間もの放送時間 同時製作するショーは3つ 時には4つ 予算は3億5千万ドル キャンプファイヤーは世界中で燃える 他に誰がこんなことを? 誰もいません だから 私はタイタンなのです 夢のような仕事(拍手)
感心してもらいたくて 言ってるのではありません 作家という言葉を聞いて どのように思われるかは知っています これをお話しすることで 会社を経営していたり 国のために または教室や お店や家庭で 懸命に働いている皆さんに 私の仕事の話を 真剣に受け止めてもらえるでしょう 私が一日中 コンピューターの前で 空想しているのではないということを ご理解いただけるでしょう 夢のような仕事とは 夢見ることではないのです 仕事なのです 働くことなのです 現実で 血と汗を流すことで...涙はありませんが 私は目いっぱい働きます 一生懸命ね 働くことが大好きなのです。
必死で働いている時 のめり込んでいる時は― 他には何も感じないのです 私にとって自分の仕事は 何もないところから国を作り出すこと 劇団の人員配置をすること キャンバスに描くこと すべての高音を歌いこなすこと マラソンをすること ビヨンセになることです これらすべてを同時進行でするのです 私は働くことが大好きです 創造的で 機械的で 疲労困憊するもので ウキウキするもの 楽しくて 困ったもので 客観的で 母性的で 厳格で 賢明なのです この素晴らしさをもたらしているのが 「ハム(hum)」なのです 仕事が順調に進んでいる時 私の中にはある種の変換が起こります ハムが脳の中で始まり それがどんどん大きくなるのです 目の前に広がる道路のようで どこまでも走っていけるような気がするのです 私がハムについて説明しようとすると 多くの人は 執筆の話だと思い込んでしまいます 書く喜びを語っているのだと 誤解しないでください その通りなのですが でも ハムは― 番組製作を始めるまでは どこにもなく 仕事を始めて 働いて作って 組立てて 創作して 共同製作して 発見したのです この音を この流れを このハムを ハムは書くこと以上のものなのです ハムは行動することであり活動であり ハムはドラッグで ハムは音楽で ハムは光であり 空気なのです ハムは耳元での神のささやきなのです こんなハムがある時には 高みへと ただただ突き動かされるのです どんな犠牲を払おうとも それを得るまで 懸命に努力する その感覚が ハムと呼ばれるものなのです もしくは 仕事中毒ともいえるかもしれません(笑)
天才といえるか エゴかもしれません 単に失敗することへの 恐れなのかも わかりません わかっているのは 私は失敗するような人間ではないこと ハムを愛していること タイタンであることを伝えたいということ それを疑うようなことはしたくないということ。
要は― さらなる 成功を収めると 手がける番組やエピソード 乗り越えるべき障害も増え やらなくてはならない仕事は増え 責任と職務も増し さらに注目されて これまでの実績が重くのしかかり 期待も もっとされます 成功するために働けば働くほど 仕事は増えていくばかりでした 私が仕事について言っていたのは 働くのが大好きということでしたよね? 私が建てていた国 走っていたマラソン 劇団 キャンバス 高音 そしてハム ハム ハム ハムが好きです ハムが大好きです ハムが必要なのです 私はハムなのです 私はハム以外の何者でもないのか?
間もなく ハムは止まりました 働き過ぎて 酷使されて 使い古され 燃え尽くされ ハムは止まったのです。
3人の娘たちは 母親がシングルの 働くタイタンなのは いつものことで ハーパーはこう言います 「ママは来れないけど ナニーにメールできるわよ」 エマーソンは 「ハニー 私 ションダ社に 行きたいって思ってるのに」と言います 娘たちはタイタンの子で 小さなタイタンなのです ハムが止まった時 娘たちは12歳、3歳、1歳でした ハムのエンジンは死に 仕事は大好きではなくなりました エンジンはかからないのです ハムはどうしても戻ってきません 私のハムは壊れてしまったのです 私はこれまでと同じように タイタンの仕事をこなしていました 1日15時間 週末もずっと働き 後悔も 降参もしないし タイタンは眠らず 決して辞めないのです 情熱に満ちた心 澄んだ目 何ら変わりなく でも そこにはハムはなく 私の中には静けさだけが... 4つのテレビ番組で 70時間の放送時間 同時製作するショーは3つ 時には4つ 4つのテレビ番組で 70時間の放送時間 同時製作するショーは3つ ... 私は完璧なタイタンでした 皆さんのお母さんに 紹介できるような 世界は同じ色をしていましたが 私にはもはや何の楽しみもありませんでした それが私の人生でした すべては私のしてきたこと 私はハムで ハムは私で あなたは自分のやっていることや 大好きだった仕事が 砂を噛むようなものになってしまったら どうしますか?
今 こんな風に思っている方もいるでしょう 「好きなだけ泣きなさいな 頭のおかしいタイタン作家さん」(笑)
でもね そうでしょう あなたが創作したり 働いていたり 大好きなことをしていたら 教師でいることや 銀行員でいること 母親でいること 画家でいること ビル・ゲイツでいること もし ただ誰かを愛しているとしたら それがハムをもたらすのです あなたがハムを知っているとしたら ハムがどんなものかを感じたことがあったら ハムへ行ったことがあったとしたら ハムが止まったら あなたは何者? あなたは何? 私は? 私はまだタイタンといえるでしょうか? 心が歌を奏でるのをやめてしまったとしたら 静寂の中で生きていける?
そんな時に幼い南部のウェイトレスが こう言ったのです 私はまさにドアを出るところで しかも すでに遅れていたのですが 「ママ 遊ばない?」 と娘は言います。
遊べないのよ と言いかけたとき 2つの事に気がつきました 1つは私はすべての事に イエスと言うべきだという事 2つ目は私の南部のウェイトレスが 「ハニー」と呼ばなかったこと 彼女は もう誰の事も 「ハニー」と呼ばなくなったのです いつの間に? タイタン時代を懐かしみ 失った私のハムを悼んでいましたが 今ここで 娘は私の目の前で変わっていっているのです 「ママ 遊ばない?」 と娘は言います 私は 「イエス」 と答えます 何も特別なことはありません 一緒に遊び 姉たちも混ざりました たくさん笑って ドラマティックに『みんなうんち』を 読み聞かせました 特別なことはしていません(笑)
でも特別なものでした 何故かというと 痛みやパニック ハムがなくなった行き場のない想いの中では 意識する以外は何もできないからです 集中するのです ただ じっとして 創りあげていた国も 走っていたマラソンも 劇団もキャンバスも そして高音も存在せず そこにあるのは べとつく指と 砂糖まみれのキスと 小さな声と クレヨン そしてあの歌!凍り付いた少女が 何だか知らないけど ありのままの自分になるとかいう(笑)
平和でシンプル この場所の空気は特別で 私はやっと息をすることができました 呼吸をしていると思えました 遊びとは仕事の真逆です 幸せでした 私の中で何かが解れたのです 脳の中のドアがゆっくりと開く音がし エネルギーがなだれ込んできました ほんの一瞬だけじゃなく 確かに起こっているのです 感じるのです ハムはひそやかに戻り 完全にではなく かろうじてですが 静かで 耳を澄まさないといけませんが でも確かにいるのです かつてのハムではありませんが それでもハムなのです。
私は魔法の秘密が わかったような気がしました 浮かれてしまわないようにしましょうか すべては愛なのです それがすべてなのです 魔法でもなく 秘密でもなく 愛なのです 私たちが忘れてしまったもの ハム 仕事場でのハム タイタンのハム それはただの代わりだったのです 私はどんな人ですかと聞くとしたら 私がどんな人かを お伝えしないといけないとしたら もし私が自分のことをショーについてや テレビの放送時間数や 私の頭脳がどれだけ 世界的にイケてるかで説明したとすると 本当のハムは何なのかを 忘れてしまっているのでしょう ハムは権力ではなく 仕事に限るものではなく ハムは喜びそのもので 本当のハムは愛そのものでもあり 人生にワクワクすることからの 熱情だったり 本当のハムは信頼と平和でもあり 本当のハムには 過去の栄光は関係なく 責任と職務も 期待も プレッシャーも 気にもかけないのです 本当のハムは非凡で独創的 本当のハムは耳元での神の囁きなのです でも神は間違った言葉を 囁いていたのかもしれません 私がタイタンだなんて 神が言うはずもなく。
ただ愛することなのです もう少し愛を使いましょう たくさんの愛を 子供たちが遊ぼうという時は どんな時も イエスというつもりです ある理由で これを絶対のルールにしました 働き過ぎという罪悪感から 自由になる許可を自分に与えるためです これは規則なので 私には選択の余地はありません ハムを感じたい以上 私には選択の余地はないのです。
気楽にできればよいのにと思いながらも 私は遊ぶのが得意ではなくて むしろ好きではないのです 仕事と同じようには興味が持てません この事実と向き合うには 劣等感を感じるし 傷つきますけど 遊ぶのは好きじゃありません 働くのが好きだから いつも働いています 家庭にいるよりも 仕事をしているほうが好きです この事実と向き合うのは とてもしんどいです 家族と過ごすよりも 働くほうが好きな人なんているでしょうか。
ええ 私ですね 正直になりましょうか 私は自分のことをタイタンと言っています 問題があるといえるでしょう(笑)
そして その問題の一つが リラックスし過ぎてることでしょうか?(笑)
庭を走り回って あっちへいったり こっちへいったり 30秒間のダンスパーティーで踊りまくったり ミュージカルの曲を歌って ボールで遊んで シャボン玉を飛ばして 子供たちが割って 私はぎこちなくて 無我夢中で ほとんど困惑してばかりでした 常に携帯が気になっていましたし でも それでも大丈夫なのです 私の小さな人たちが生き方を示してくれるし 万物のハムがすべてを満たしてくれました 遊び続けました ふと不思議に思うまで そもそも なぜ私たちは 遊ぶのをやめてしまうのでしょう。
あなたにも出来ますよ お子さんが遊ぼうという時 どんな時もイエスと言ってみませんか ダイヤモンドの靴を履いた おバカさんだと思います? そうかもしれませんが それでも 試してみては 時間は十分にあります どうしてかわかります? 何故って あなたはリアーナでもマペットでもないし お子さんからは 大して 面白くないと思われてます(笑)
あなたに必要なのはたった15分だけ 私の2歳と4歳の子が 私と遊びたがるのは 他に何かやりたいことを 見つけるまでの ほんの15分だけです 素晴らしい15分ですけど それでも 15分なのです 私がテントウムシや あめ玉でもないかぎり 15分後にはいないも同然なのです(笑)
13歳の娘については― 13歳と15分間も話すことが出来たら 私は良い親として表彰もの(笑)
あなたに必要なのは15分だけ どんなに大変な日だとしても 15分の 何にも邪魔されない時間くらいは確保できます 大事なのは 何にも邪魔されないということ 携帯も 洗濯も 他のこともしないでです 忙しい生活をしている皆さん 夕食の支度は必要だし 子供たちをお風呂にもいれなくては でも 15分なら何とかなります 子供たちこそ 私の幸せ 私のすべてです でも 子供たちでなくてもよいのです ハムを満たす原動力は あなたが より心地よく 生きられる場所にあるのです これは 子供と 遊ぶことについての話ではなく 喜びについてなのです 広い意味での遊ぶこと あなたにも この15分間を 楽しいと思えることを見つけて その舞台で遊んでみませんか。
私は完ぺきではありませんし 成功するのと同じくらい失敗しています 友達に会ったり 読書をしたり 宙を見つめることを忘れてしまっています 「遊ばない?」は 自分を満たすことを思い出させてくれます テレビの仕事を 初めてもらったあの頃 タイタンとしてのトレーニングを 始めたあの頃 よくわからない方法で 自分と競い始めた あの頃に諦めてしまっていたもの 15分間 自分に完全に集中してみることが 問題になり得る? 15分だけですよ? 全くそんなことはないです 仕事をしなかった まさにそのお陰で ハムが戻ってきたのです 私がどこかに行っている間にだけ ハムのエンジンが給油されるかのように 仕事は遊びなしには成り立たないのです。
少し時間はかかりましたが 数か月後のある日のこと せきを切ったかのように 感情がほとばしり 気づけば 私はオフィスで 聞きなれないメロディとグルーヴで 満たされました アイディアがどんどんと紡がれてくるのです ハミングロードが開かれ 私はどこまでも走っていけるのです 私はまた仕事が大好きになりました 今―私は あのハムは好きですが もう 大好きではないのです あのハムはもう必要ありません 私はあのハムではないし ハムは私でもありません もう 違うのです 私はシャボン玉で べたつく指と 友人たちとの食事なのです 私はそういうハムなのです 人生にはハムがあり 愛にはハムが 仕事のハムは私の一部ではありますが ただもう それは全てではないのです ありがたいことです タイタンでいることは もはや重要ではなく タイタンが 「はないちもんめ」 を するところなんて見たことないですし。
仕事を減らして遊びを増やして それでも何とか 私の世界は回っています 私の頭脳は相変わらずグローバルですし キャンプファイヤーはまだ燃えてる もっと遊ぶほどに 幸せは増し 子供たちも幸せになる もっと遊ぶほどに 良い母親でいるように感じられるし もっと遊ぶほどに 精神は自由になる もっと遊ぶほどに よりよく働けて 遊ぶほどに さらにハムを感じることが出来る 私が 建てている国 走っているマラソン 劇団に キャンバスに 高音に そしてハム―ハム また別にあるハム 現実にあるハム 人生はハムで もっとハムを感じるがごとに この見なれない 不安定で 繭から出たばかりの 不器用で 新しくなった 活気のある タイタンじゃない私は 自分らしく思えます この新しいハムを感じるほどに 自分を理解してきています 私は作家で 物語を綴り 心に描きます 仕事のその部分は 夢を生きること それは仕事の夢の部分 夢のような仕事なのだから 少しは夢があっても良いでしょう。
私は働くのを減らし もっと遊ぶことに イエスと言いました タイタンにならなくてもよいのです。
遊びませんか?
ありがとうございました(拍手)
ションダ・ライムズは、『グレイズ・アナトミー』 『スキャンダル』 『殺人を無罪にする方法』のドラマの背後にいる巨匠 「タイタン」であり、シーズンごとに担当するテレビ番組の放送時間は70時間にもなります。そして、何よりも彼女は働くことを愛しています。「懸命に働いている時、深く入り込んでいる時には、他には何も感じないのです」と語る彼女は、その感覚をハム(hum)と呼んでいます。ハムはドラッグで、音楽で、耳元で聞こえる神のささやきでもあるのです。もし、そのハムが止まったとしたら、何が起きるのでしょう? ライムズと一緒に、「イエスという年」を通して彼女がいかにハムを取り戻したのかを見てみましょう。