知りえないことの素晴らしさ(10:05)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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ある10月の暑い朝 夜汽車を降りたった私は マンダレーにいました ビルマ王朝 現在のミャンマーの古都です 通りに出ると 荒っぽそうな男達が たむろしていました 皆 それぞれの自転車タクシーの側に 立っています その中の一人が私に近づき 観光案内を申し出てきました 彼が提示した値段には呆れました いつも買う1本のチョコバーよりも 安かったのです。
そこで自転車タクシーに乗り込むと 彼は宮殿やパゴダの間を ゆっくりと自転車を漕ぎ始めます そして故郷の小さな村から 都会に出てきた経緯を話してくれました 数学の学位をとり 教師になる夢をもっていましたが 独裁軍事政権下での生活は厳しく さしあたり 生計を立てるには これしか ありませんでした 自転車タクシーの中で 夜を明かすことも多いそうです 早朝に到着する夜汽車の客を つかまえるためです。
そんな話をしているとすぐに 私たち二人には 多くの共通点があることに気づきました 二人とも20代で 異文化に魅了されていました それで彼は家に招待してくれました。
人が溢れる大通りから離れ 荒れた路地をガタガタ揺られながら 進み始めました 周りは荒廃した古小屋ばかりでした すっかり方向感覚を失い いつ何が起こっても おかしくない状況であることに気づきました 襲われようが 薬を飲ませられようが どんなことに巻き込まれても 誰も気付かないでしょう。
やっと目的地で止まり あばら屋に案内されました 小さな一部屋だけの住居でした そこで彼はかがみこみ ベッドの下に手を伸ばしました 私は凍りつきました 何を取り出すのかと息を殺し待つと 箱を出してきたのです 箱に大切にしまわれていたのは 彼が今までに受け取った 海外の訪問客からの手紙でした 一部には 新しい外国の友達が写った ボロボロの小さな白黒の写真が 貼られていました。
その晩 別れ際に 気付いことは この体験が旅をする秘めた意義も 見せてくれたことでした それは思い切って飛び込んでみること 外向きにも 内向きにも 自分がいつも行かない所に 行ってみること 未知の世界を冒険してみること 不透明なこと 恐れを体験することさえも。
日々の生活では 怖いほど当たり前に 全ての事を把握してると思いがちです ところが外に出ると 常にそうではないと 思い知らされます 全ての事に関して 完璧に理解するのは不可能だと。
どこにいても 「人々は落ち着きを求める」 ラルフ・ワルド・エマーソンは 私たちに思い起こさせます 「でも 落ち着かないからこそ 我々は希望を持てる」のだと。
このカンファレンスでは 嬉しいことに 沢山の刺激的なアイデアや発見が 共有されました 実に あらゆる方法で 知識の拡大が 刺激的に 推し進められています ただある時点で知識では 解決できない事も体験します その時点が 人生の大きな起点なのです 恋に落ちたり 友達を失ったり 光が消えたその時点です 方向性を失い 不安にかられ 自分を見失った時こそ 真の自分を見つめる事ができるのです。
私は「無知は至福」だとは思いません 科学の進歩は紛れもなく 我々に 明るくて 長く 健やかな人生を もたらしています 私は 物理法則を教えてくれた先生や 3X3は9と教えてくれた先生には 感謝しきれません それは 必要であれば昼でも夜でも 指で勘定することができます でも数学者に −3X−3も9だと言われれば その論理は ほぼ そのまま 納得できます。
言葉を変えて説明すると 知識の反対は 必ずしも無知ではありません 驚嘆であるとか 又は 不思議や 可能性とも なりえます 自らの体験で解ったのは 知っていることよりも 知らないことの方が 断然 気力を高めてくれ 前進する原動力になってきたことです また知らないことがきっかけとなり 周りの人との連帯感が生まれることも 多々ありました。
過去8年間 毎11月に ダライ・ラマ法王猊下と共に日本を旅しました 彼が毎日 口にすることで 人々に安堵と自信を与える言葉が 「私にも わかりません」でした。
「チベットの将来の見通しは?」 「世界平和はいつになったら訪れるのか?」 「子どもを育てる最適な方法は?」。
するとこの聡明な方は言うのです 「正直なところ 私にも わかりません」。
ノーベル賞を受賞した経済学者 ダニエル・カーネマンは 過去60年以上に渡り 人間の行動を研究してきました 彼の研究の結果によると 人間は知っていると思っていることについて 必要以上に自信を持っています 彼の印象的な言葉を引用するなら 我々には「無知を無視する 無限大の能力」があるのです 我々は いわば 今週末に 自分のチームが優勝することを予想し その事実を思い出すのは それが現実となった時だけなのです ほとんどの場合は暗中模索しています そこに真の親密感が隠れているのです。
恋人が明日 何をするか知っていますか? 知りたいと思いますか?
一部の人たちが 全人類の祖と呼ぶ アダムとエバは 命の木の実を食べ続ける限り 不死の身でした しかし 善悪の知識の木から 実を食べ始めた瞬間から 純白ではなくなったのです 二人は自意識が芽生えたことにより 気恥ずかしくなり 落ち着きませんでした 二人はすでに手遅れとなった時点で 知るべき事もあるが 追究しない方が良い事も 沢山あることを悟った訳です。
私も子供の頃― もちろん子供なりに 何でも知っているつもりでした 20年も学業に没頭し知識を得て その後 情報産業で働き 情報誌『タイム』に寄稿していました そして初めて日本発見の旅に出た時 2週間半過ごし 40ページの書き下ろしのエッセイを 旅のみやげに持って帰りました 事細かに 日本の寺院や ファッション 野球のこと 日本の心を描写しました。
しかし そうした中で まだよく解らない事実があることに 自分でも理解できない感動をおぼえ 日本に居を構える決心をしました それから28年経った今でも この第二の故郷については 十分に語ることができません そこが素晴らしいのです 毎日 新しい発見をすることができ その過程で 曲がり角を覗くと 私が決して知りえないようなことが 数十万も潜んでいるのですから。
知識は代え難い賜り物です しかし 知の幻想は 無知よりも危険なものです。
恋人を理解してると思い込むのも 敵を知っていると思い込むのも 相手を知ることなどできないと 認めることよりも 危険だとも言えます 日本の小さな住まいで 毎朝 太陽の光を受けながら あえて天気予報を見ないようにします 予報を聞くと 私の心は曇り 気が散ってしまうからです たとえ陽が出ていても。
作家を本業として34年経ちますが 一つ解ったことは 自分の道を操らずにいる時 次に何がおきるか解らない時 周りよりも優れているんだと 驕らない時に 変化が訪れます 愛に関しても同じですし 危機に直面した時も そうです 突如として 私たちは あの自転車タクシーに呼び戻されます 電灯に照らされた広い道を外れて ガタガタと道を進むと 旅の最初の鉄則が蘇るのです それは 人生の鉄則でもあります どれだけ身を任せられるかで 自らの強さが決まるということです。
結局のところ 人間らしくあることが 全てを知ってしまうことよりも ずっと意義深いことなのではないでしょうか。
ありがとうございました。
(拍手)
約30年前、ピコ・アイヤーは日本へ旅をし、日本に魅了され、居を移しました。人間の精神を鋭く観察するアイヤーは、30年目と比べて今の方が、日本の事に限らず、あらゆることを遥かに知らないと感じていると言います。詩的にそして瞑想のごとく知恵を熟考するなかで、アイヤーは、年齢を重ねることで得られた知識への興味深い洞察を語ります。人は知れば知るほど、いかに知らないかが分かるというのです。