息子はコロンバイン高校乱射犯──母として、私の伝えたいこと(15:18)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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私が息子の声を最後に聞いたのは 息子が学校へ向かうため 玄関を出た時でした。暗闇の中で たった一言 こう叫びました 「行ってきます」。
1999年4月20日のことでした。その日の昼前 コロンバイン高校で 息子ディランと友達のエリックは 生徒12人と先生1人を射殺し 他20人以上を負傷させた後 自らの命を絶ちました。13人の罪のない人々が殺され 彼らの大切な人たちを 深い悲しみと トラウマに突き落としました。ケガを負った人々の中には 外見を損ない 永久的な障害を抱えた人もいます。しかし この惨事の非道さは 死者や負傷者の数だけで 測れるものではありません。あの日 学校にいた人々や 救出や後始末に携わった人々の 精神的ダメージを 数値化する術はないのです。コロンバインのような悲劇の影響は 算定できません。特に 事件が青写真となることで 他の銃撃犯が 残虐な事件を起こす可能性が あるからです。コロンバイン事件という津波の 衝撃が収まった後も コミュニティーや社会が 受けた影響を把握するのには 長い歳月がかかります。
私も息子の罪の遺産を 受け入れるのに何年もかかりました。彼の最期の象徴となってしまった あの残忍な行動は 私が知っていた息子の姿とは 全く違うものでした。事件後 周りから聞かれました。「知らなかったなんて あり得るかしら?」「母親として何やってたの?」同じ疑問を私は今も 自分に問いかけています。
銃撃事件の前は 自分のことを 良い母親だと思っていました。我が子が 健全で 思いやりと責任感のある 大人になるための 手助けをすることが 自分の人生で 一番重要な役割でした。でも あの悲劇が起き 私は親として失格だと確信しました。この挫折感が1つの要因となり 本日この場に立っています。父親を別にすれば ディランを最も理解し 愛していたのは この私です。あの惨事の前兆に気づく人間が いたとしたら 私しかいませんよね? でも気づきませんでした。
本日 私は 傷害や殺人を犯す人間の母親として 経験したことをお伝えしに来ました。あの悲劇の後 何年もかけ じっくりと記憶をたどりました。親として どこで失敗したのか はっきりさせようとしたのです。でも答えは簡単ではありません。解決策の提案など できません。唯一 私にできるのは 自分の学んだことを 皆さんにお話しすることです。
事件前の私を知らない人と話す時 私は 3つの課題に直面します。1つめは このような会場に入ると その中に 息子が犯した罪のために どなたかを亡くした人が いるかもしれないことです。家族の者のせいで生じた苦悩を 加害者本人に代わって 受け止める必要が 私にはあると感じます。ですので まずは 心の底からお詫びします。息子のせいで苦痛を抱える皆さん 申し訳ありません。
2つめの課題は 息子の死因である自殺について お話しすることで、皆さんに ご理解ばかりか同情までも 求めざるを得ないことです。亡くなる2年前、息子は 自傷行為をおこなっていると ノートに書いていました。苦しみの中で 命を絶つために 銃がほしいと 書いていたのです。亡くなって何ヶ月も経ってから 初めて知りました。息子の死因が自殺だからといって 彼が死の直前に見せた凶悪性を 軽んじるつもりはありません。私は 彼の自殺したいという考えが 殺人へと進んだ過程を 理解したいのです。あれこれ読みあさり 専門家と話をした結果、こう信じるようになりました。息子が銃撃事件を起こした根本にあったのは 人を殺す願望ではなく、彼自身の死の願望だったのです。
息子の殺人と自殺を語る上での 3つめの課題は これがメンタルヘルスの話だということです。失礼― 心の健康状態の話なのですが、私はより明確に「脳の健康状態」と呼ぶ方が良いと思っています。同時に これは暴力の話です。ただでさえ多い 精神病に対する誤解を さらに深めることだけは したくありません。精神病に悩む人のうち、他人に暴力を振るう人の割合は ごくわずかしか ありません。しかし自殺で亡くなる人の 約75パーセントから 90パーセント以上は、なんらかの診断可能な精神病を 患っています。よくご存じのとおり、心のケアにおける既存のシステムは 皆を救うように整ってはおらず、破壊的な思考を持つ人が もれなく ある特定の診断基準に 該当するわけでは ありません。恐怖、怒り、失望感を 常に感じながら 診断も治療も受けていない人が 大勢いるのです。患者の行動が危機に達して初めて 注目されるという場合がほとんどです。自殺の約1~2パーセントが 殺人に絡んでいるという 推定が正しいとすると――一部で実際そうなってきているように――自殺率が上昇すれば 自殺者の殺人率も上がります。
私は死の直前にディランが 考えていたことを理解したくて、近しい人を自殺で亡くした人たちに その答えを求めました。調査をしたり 資金調達イベントの ボランティアをしたりしました。そして 可能な限り 自殺危機 あるいは自殺未遂の 生存者と 話をしました。
その中で もっとも参考になった 1つが、ある同僚との会話でした。彼女は私が職場の個室ブースで 別の人と話していたのを たまたま耳にしました。「ディランは 私を愛していなかったからこそ あんなに悲惨な行動ができた」という私の言葉を聞いた彼女は、後で、私が1人でいるところへ来て 会話を耳にしたことを詫びながら私の間違いを指摘しました。彼女は若い頃 シングルマザーとして 幼い子3人を育てていた時に 重いうつ病にかかり、身の安全を考慮して入院したそうです。その頃 彼女は「自分が死ねば 子供達はもっと幸せになれる」と確信し 自ら命を絶つ計画を立てました。彼女は きっぱり言いました。「母親の愛情はこの世で一番強い絆で、私は子供達を世界中の何よりも愛していた」と。それでも彼女は 病気のせいで、自分がいない方が子供達は幸福になれると思い込んでいたのです。
彼女の話や他の人から私が学んだのは、自殺で死ぬという いわゆる決心や選択は どんな車を運転しようとか 土曜日の夜どこへ行こうとか そういう選択と同じではない ということです。極端な自滅的状態に陥った人というのは、救急医療でいうステージ4の状態と同じです。思考が妨げられ、自分で自分を管理する術を失います。計画を立て論理的に行動することが できたとしても、苦痛というフィルターを通して 自分なりに現実を解釈するため 彼らの「真実」の感覚は ゆがんでしまうのです。このような状態にいることを 上手に隠せる人もいます。往々にして 隠すだけの理由を抱えています。ふと自殺を考えるというのはいくらでもありますが、長く絶え間ない自殺念慮や 死ぬ手段を考えるというのは 病理学的な症状の表れであり、多くの病気と同じように、命を落とす前に状態を認識し治療する必要があります。
しかし 息子の死は 単なる自殺ではありません。集団殺人を伴っていました。私は彼の自殺念慮が殺人へと 変わっていった過程が知りたかったのです。しかし研究は少なく 簡単に答えが出るわけでもありません。確かに彼は継続的なうつ病を 患っていたのでしょう。彼の、完璧主義で何でも自分で決めたがる性格がまわりに助けを求めにくくしていました。学校で 何度か 事件の引き金になるような体験をし、その結果自尊心が傷つけられ、屈辱と怒りを感じていました。また ある男の子と複雑な交友関係にありました。激しい怒りや孤立感を共有する間柄だったのですが、その子は重度の精神障害を持ち、支配的で殺人的な傾向を表していました。このような極度に傷つきやすく不安定な時期に、ディランは銃を入手する方法を見つけたのです。我が家では一切所持していませんでした。17歳の少年が 合法であれ非合法であれ、親の許可どころか親の知らないうちにゾッとするほど簡単に銃を購入できたのです。それから17年が経ち、多くの学校で乱射事件が起きたのになぜか今でも恐ろしいほど簡単です。
あの日のディランの行為は 私の心を引き裂きました。ご多分に漏れず、トラウマが 私の体と心を襲いました。乱射事件の2年後、私は乳がんになり さらに2年後 精神病を患うようになりました。絶え間なく襲ってくる 果てしない悲痛に加え、私はおびえていました。ディランに殺された相手の ご家族に遭遇するのではないか。マスコミに追われたり 一般の人から お叱りを受けるのではないかと。ニュースを見るのが怖くなり、「最悪の親」「最低の人間」と呼ばれることを恐れました。
私はパニック障害を発症しました。初めて発作が起きたのは 事件の4年後、証言録取で尋問を受けるための準備中で、犠牲者の家族と初対面する という時期でした。次の発作は事件の6年後、ある会議に出席して、初めて公の場で自殺者の殺人について 話をする準備中でした。2回とも症状は数週間に及びました。発作は場所を選びませんでした。ホームセンターでも 職場でも、ベッドで本を読んでいる時でさえ 起きました。突然 頭が恐怖の渦に巻き込まれ、どんなに頑張って自分を落ち着かせようとし、そこから抜け出す方法を考えても どうにもなりませんでした。私は自分の脳に 殺されるような錯覚に陥り、さらに 恐怖の感覚を恐れることで 私の思考は すっかり消耗していました。頭が正常に機能しない状態とは どんな感じか、私はその時 初めて知り、本気で脳の健康を訴える活動を 始めたのです。心理療法、投薬治療 セルフケアにより 周りの状況はさておきどうにか正常といえる生活に 戻りました。
一連の出来事を振り返って わかったのですが、息子が機能不全に 陥っていくまでには約2年という時間が かかっていたようです。助けてやるのに 十分な時間があったわけですが、それも誰かが その必要性を察知し 助ける手段を 知っていればの話です。
「なぜ気づかなかったの」と 誰かに聞かれるたび、みぞおちを殴られたような 感じがします。そこには非難のニュアンスがあり、どんなにセラピーを受けても 完全に払拭することのできない 私の罪悪感を引き出します。でも私は学びました。もし愛情を注ぐだけで 自殺念慮を持つ人が 自らに苦痛を加えることを 阻止できるのだとしたら、自殺は ほとんど なくなるはずです。愛情だけでは足りません。自殺は蔓延しています。10歳から34歳の主な死因の中で 2番目に多いものです。アメリカの若者の15%が、過去1年間のうちに 自殺の計画を 立てたことがあると 回答しています。私が学んだのは、どんなに可能と信じたくても、愛する人の考えや想いの すべてを知り コントロールするのは 不可能だということです。そして「自分たちは他と違うんだ」とか「自分の愛する人が 自らや他人に 危害を加えるなんて あり得ない」という頑固な信念のせいで、私たちは目の前に潜む事実を 見落としてしまう ということです。そして、最悪のシナリオが現実となっても、事実を知らず、適切な問いかけができず、適切な治療を探そうとしなかった 自分を 許すことを覚えなくてはいけません。「自分の愛する人は今 苦しんでいるかもしれない」と常に考えるべきです。本人が何を言おうと どんな行動をとろうと 関係ありません。彼らの叫びを全身で感じ、自分の意見を押しつけず、解決策の提案もせずに 耳を傾けるのです。
私は残りの人生を この悲劇と――この折り重なる悲劇と 共に生きていきます。大勢の方の心中をお察しすれば、ご遺族が失ったものと 私が失ったものは比較になりません。私が葛藤しても ご遺族の苦しみは和らぎません。私に苦しむ権利はなく、一生をかけて償うより他にないと思う人さえいることも承知しています。
私にわかっていることは 次のように集約できます。痛ましいほど残念ですが、どんなに慎重で責任感の強い人でも 事実 助けられない場合があるのです。でも愛情があるのなら、知り得ないことを 知ろうとする努力を 絶対に止めてはいけません。
ありがとうございました。
(拍手)
スー・クレボルドは、生徒12人と教師1人が犠牲となったコロンバイン高校銃乱射事件の犯人の1人であるディラン・クレボルドの母親です。事件後、彼女は何年もかけて家族の歴史を詳細に掘り起こし、息子が犯した暴挙を防ぐために何ができたのか理解しようとしてきました。この痛々しく苦悩に満ちた講演を通し、クレボルドは自ら命を絶つ思考と人を殺す思考との関連性を研究し続けるよう、親や専門家に対して訴えながら、精神病と暴力の交差点を探ります。