ほとんど語られないセックスと官能の物語(16:10)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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しばらく前に モロッコの カサブランカにいたとき 私はファイザという 若い未婚の母親に出会いました。ファイザは幼い息子の写真を見せてくれ 息子を授かってから妊娠・出産までの 話を聞かせてくれました。
驚くべき話でしたが ファイザの最後の言葉には さらに驚かされました。「私は処女なの」と言ったのです 「それを証明する診断書も2枚あるわ」
これは現代の中東での話です。キリスト生誕から2000年が経った今でも 処女懐胎が人生の現実として語られるのです。
ファイザの物語は 私が何年にもわたり アラブ圏を旅する中で耳にした セックスについての多くの話の1つです。これは憧れの職業か 非常にいかがわしい仕事のように 聞こえるかもしれませんが。
私にとっては そのどちらでもありません。私は半分エジプト人であり イスラム教徒ですが アラブのルーツとは遠く離れた カナダに生まれ育ちました。
東洋と西洋の両方に属している 多くの人々と同じように 私も長年自分のルーツを よりよく理解したいと考えてきました。セックスに目を向けることにしたのは 私がHIVやエイズについて 作家 研究者 そして活動家として 関わっているからです。中東や北アフリカでのHIVやエイズの 大流行の原因はセックスであり これらは感染者が今も増え続けている 世界でたった2つの地域の1つです。
今 セクシュアリティは どの社会を研究するにおいても 非常に重要な視点です。なぜなら 私たちの夜の営みは より大きな段階の力となり 政治や経済 宗教や伝統 ジェンダーや世代に反映されます。その国の人々を本当に知りたいと思うなら まず彼らの寝室を見るところから 始めなければなりません。
もちろんアラブ世界は広大で 多様性があります。しかし 言葉でも行動でも 異議さえ唱えられない 超えてはいけない一線が3つあるのです。
その1つ目は政治です。しかし アラブの春によって 政権が覆され 2011年以降 地域全体で 内戦が起こりました。現在は新勢力も旧勢力も 普段通り 統治を続けようとする一方で よりよい生活をするために 何百万人が攻防を繰り広げています。
そして2つ目は宗教ですが ムスリム同胞団のような 組織の台頭によって 宗教と政治は今や 結び付いています。公共の場と私生活における イスラム教の役割について 疑問を呈し始めている人もいます。
そして3つ目は触れてはならない あの話題です 一体何だとと思われますか?
観客:セックス
エルフェキ:聞こえないので 大きな声で
観客:セックス
エルフェキ:もう1度 どうぞ恥ずかしがらないで
観客:セックス
エルフェキ:そう その通り セックスです (笑) アラブ圏において セックスが許される 唯一の条件は婚姻です。両親の許しを得て 宗教の承認を受けて 国に登録された結婚です。結婚こそが大人になるための 手段なのです。結婚しなければ両親の家を出ることができず セックスをしてはいけない上に 子供を持つなどありえません。
結婚とは社会的拠り所かつ 難攻不落の要塞なのです。いかなる攻撃にも耐えるばかりでなく 別の選択肢もありません。そして その周囲には 婚前交渉の禁止 コンドーム使用の禁止 中絶の禁止 同性愛の禁止など 様々なタブーが広がっているのです。
ファイザはこの生き証人でした。彼女が処女であると言ったのは 単なる希望的観測ではありません。この地域の主要な宗教が 結婚前の純潔を激賞しているとはいえ 家父長制社会においては「男の子はやっぱり男の子」なのです。男性が結婚前にセックスをしても 人々は大体見て見ぬふりをします。
これは女性には当てはまりません 女性は結婚初夜に処女でなければならない―つまり 処女膜が損なわれていない状態で 初夜を迎えるということです。これは個人の問題ではありません 一族の名誉 とりわけ 男性の名誉にかかわる問題なのです。
それゆえ 女性とその親族は ごく小さな身体の一部を守るために 非常に大きな努力をします。女性器切除から 処女検査 そして処女膜再生手術などです。
ファイザは別の道を選びました 挿入を伴わないセックスです。それでも彼女は妊娠をしましたが ファイザは実は妊娠に気づかなかったのです。なぜなら 学校で性教育は ほとんど行われず 家族間のコミュニケーションが希薄なためです。
彼女の妊娠が隠し切れなくなると 母親はファイザが父親や兄弟から 逃げる手助けをしてくれました。これはアラブ圏において 数えきれないほどの女性たちにとって 名誉殺人が現実の脅威であるからです。ファイザがようやくカサブランカの病院に 収容されたとき ファイザに助けの手を 差し伸べてくれた男性は 彼女をレイプしようとしたのです。
残念なことに ファイザのような女性はたくさんいます。私の研究の中心であるエジプトで 私は結婚と離婚にまつわる たくさんの問題を目の当たりにしました。金銭的に結婚する余裕のない男性が とてもたくさんいます。結婚はとてもお金のかかるものに なってしまったからです。男性は結婚生活にかかる 金銭的負担を求められますが 仕事がないのです。これは近年の動乱の 主要な要因の1つであり アラブ圏の多くにおいて 結婚年齢が上昇している 理由の1つでもあります。
結婚したいと考えている キャリアウーマンはいますが 夫を見つけられずにいます。なぜなら 性別的役割に反抗しているからです。チュニジアの若い女性医師は 「女性はどんどんオープンになっているけれど 男性はまだ先史時代を生きている」と 私に話してくれました。
そして異性愛という境界を超えた 男女もいます。同じ性別の人とセックスをする― あるいは異なる 性的アイデンティティを持つ人々です。彼らは その行いのみならず 見た目さえも罰せられるような 法律の対象になります。彼らは日々 社会的不名誉や 失望する家族 宗教による地獄の責め苦と 闘っているのです。
そして 夫婦の営みについても すべてがバラ色ではないようです。結婚生活に より大きな幸せ―性生活の充実を求める夫婦たちは どうしたら達成できるのか途方に暮れています。特に妻がそうです。寝室で輝きを見せようものなら 悪い女だと思われるのではと 恐れているからです。
そして結婚という名をかたって 行われる売春も存在します。彼女たちは家族によって しばしば裕福なアラブ人旅行者に売られています。これはアラブ圏で拡大している 性産業の一面にすぎません。
さて これまでの話をあなたの出身国で 聞いたような覚えが あるという方は挙手をお願いします。はい。アラブ世界だけが性に関する悩みを 独占しているわけではないようですね。
アラブ圏の寝室で何が起きているのかを 明確に教えてくれるアラブ版の キンゼイ・レポートはまだありませんが、何かが間違っていることはほぼ確かです。男女における不公平な基準―セックスが恥ずかしいものとされ 家族が個人の選択を狭めていること。うわべと現実の間にも 大きな溝があります。人々がやっていることと やっていると認めることの溝です。そして概して個人の間でのひそひそ話から 真面目で一貫した公の場での議論へ 移行したがらないのです。
カイロのある医師が 「ここでは セックスはスポーツの反対なんだ。サッカーは みんなが話題にするけど ほとんど誰もやることはない。セックスは みんながやっていることだけど 誰も話題にしたがらない」とまとめてくれました (笑)
(音楽) (アラブ語)
あなたに助言します 助言に従えば幸せな人生が送れるでしょう。
夫があなたへと手を伸ばし あなたの身体をつかんだら ゆっくり息を吐いて 彼を色っぽく見つめましょう。
彼がペニスであなたを貫いたら 誘うように語りかけ 彼に合わせて動きましょう。
刺激的ですね! これらの役に立つヒントは 『性の悦び』やユーポーンにあると 思われるかもしれません。実は 10世紀に書かれたアラビア語の本 『悦楽百科事典』に書かれているのです。この事典には 媚薬から動物性愛まで セックスについてあらゆる事柄が 書かれています。
これはアラビア語圏における 性愛文学の長い伝統のほんの一例であり その多くは宗教学者らによって書かれたものです。預言者ムハンマドまでさかのぼると イスラム文化圏にはセックスについて 率直に語る豊かな伝統がありました。問題だけでなく悦びについても 男性だけでなく 女性の視点からも語られたのです。千年前には アラビア語で書かれた セックスについての事典があったのです。セックスのあらゆる要素や 体位や好みについて網羅し、ご覧のように女性の身体を形作るだけの 豊かな語彙を有していたのです。
現在では このことはアラビア語圏では ほとんど知られていません。教養のある人々にも知られておらず、彼らは母国語よりも 外国語でセックスについて話す方が 気が楽であると感じるのです。性にまつわる状況は 性革命が起こる直前の ヨーロッパやアメリカによく似ています。
しかし 西洋はセックスについて解放した一方 アラブ社会はその反対の方向へと 向かおうとしているようです。エジプトやその近隣諸国における セックスにおける閉鎖性は 政治 社会 文化における 閉鎖性から来ています。これは複雑な歴史的過程の産物でもあり 1970年代末以来の イスラム保守主義の台頭とともに 広まったものです。「決して受け入れない」というのが セックスに関する現状について 異議が唱えられた時の 世界中の保守主義者の立場なのです。アラブ圏では こうした異議に 西欧の陰謀であるとの烙印を押し 伝統的なアラブ・イスラム圏の 価値観を傷つけています。しかし 本当に問題であるのは 保守主義者の もっとも強い統制手段 つまり― 宗教でセックスを覆い隠してしまうことです。
しかし 歴史を振り返れば ごく最近 私たちの父親や祖父の時代にも 実用主義であり 寛容だった時代 他の解釈にも耳を傾ける時代がありました。中絶やマスターベーション 扇情的な話題である同性愛についてもそうでした。保守主義者が信じ込ませようとしているように 白か黒かではないのです。これらの話題について、他の事柄と同様に、イスラム教には少なくとも 50色以上のグレーがあります (笑)
旅を通じて 私はアラブ圏全体で 様々な意見を模索している男女に会いました。より幸せな結婚生活が送れるよう 夫婦の手助けを試みる性科学者、学校で性教育が行えるよう 尽力する先駆者、レズビアンやゲイ、性同一性障害や トランスジェンダーの男女。彼らはネット上や 実生活での支援を通じ 同じ立場の人々に 手を差し伸べようとしています。女性たちが また男性も徐々に 街や家庭で起きている性的暴行に対して 声を上げて闘おうとしています。性産業で働く人々がHIVや その他の職業的な危険から 身を守れるよう支援しているグループや ファイザのような未婚の母が 社会に居場所を見つけられるよう そして何より我が子と一緒にいられるよう 支援しているNGOもあります。
今はまだこうした努力は小さなもので 資金も不足しており 手に負えないほどの逆風を受けています。しかし 私は長い目で見れば 時代は変わりつつあり 彼らの考えが根付くだろうと 楽観視したいと思います。アラブ圏における社会的変革は 劇的な対立によって 打ち負かしたり 露呈することで 起こるのではなく 対話によって起こるものです。
ここで大事なのは 性「革命」ではなく 性「進化」です。世界の他の国々から学び 地域の状況に応用し 誰かが用意した道に続くのではなく 自分たちの道を作るのです。この道はいつか私たちが 自分の身体をコントロールでき 必要としている情報やサービスを利用でき 満足できる安全な性生活を送れる権利へと 導いてくれることを願います。自分の考えを自由に表現し 自分で選んだ人と結婚をし 自らパートナーを選び、セックスの頻度、子供持つかどうか、いつ持つのかを選ぶ権利――これらはすべて暴力や強制 差別なしに 実現されねばなりません。
アラブ圏はまだこの理想からは程遠く 多くの事柄が変化を必要としています。法律 教育 メディア 経済など あらゆる分野で必要とされています。この実現は少なくとも1世代はかかる大仕事です。
しかし これは私自身が経験した旅― 性生活に関する因習に 厳しく疑問を呈することで 始まるのです。そしてこの旅は私の信念や 現地の歴史や文化に対する理解をさらに強くしました。かつて絶対的な原理しか見えていなかったところに 多くの可能性を見せてくれたのです。
今アラブ圏の多くの国々で 起こっている混乱を考えると― セックスについて語ることや タブーへの挑戦 代替案を見つけることは 贅沢であるかのように響きます。
けれど この歴史上の重要な瞬間において もし私たちが私生活や性生活における 自由や正義― 尊厳と平等 プライバシーや自律性に 重きを置かなければ 公の場においても それらを達成することは難しくなるでしょう。
政治とセックスは密接に関係していると言われますが、私たち全員にとって真実です。世界のどこにいようと 誰を愛していようと真実なのです。
ありがとうございました。
(拍手)
シェリーン・エルフェキは、「その国の人々のことを本当に知りたいなら、まず彼らの寝室を見るところから始めよ」と言います。彼女は5年間、中東を旅をして回り、セックスについて人々と対話してきました。そこで耳にした会話は厳格な社会規範と根深い抑圧を反映している一方で、アラブ世界における性に関する保守主義は比較的新しいものであることに気づいたといいます。エルフェキは「公の場で再び対話が行われるようになれば、より安全で満足できる性生活につながるのではないか」と問いかけます。