元イスラム原理主義者の心の中(17:22)

マンワ・アリ(Manwar Ali)
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対訳テキスト
講演内容の日本語対訳テキストです。
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今日 皆さんの前に立っている私は 今ここにある命を生きている存在です。でも長い間 私は死ぬために生きていました。

若いころ 力と暴力によって ジハードが果たせると 信じていました。力と攻撃で 世の中を 正そうと思っていました。私は人々の苦しみに心を痛め 人々を苦しみから救いたいと 強く願っていました。暴力によるジハードは崇高で 勇敢で 人々を救済する 最善の方法だと考えていました。

多くのアラブの同胞達が、特に若者達が 過激に走る危うさを孕んでいます。アルカイダや イスラム国をはじめとしたグループが 彼らにこう呼びかけるからです。「彼らの 容赦ない暴力こそが 真のジハードなのだ」と。私は その考えは 間違いだと伝えたいのです。かつて私も 信じていましたが それは完全な間違いです。

ジハードの真の意味は 己を高めてゆくことです。日々努力し 霊性を高め、己を見つめ 心を清らかにし 人のために尽くすことです。学びや知恵 そして 神の教えを通して よりよい自分に変わってゆくことです。ジハードとは その全てを表す言葉です。ジハードが 戦うことを意味することもありますが それは稀なことであり 非常に厳しい状況において 規則や制限の下でです。

イスラムにおいては ある行為から得るものが それに伴う 苦しみや困難より勝らなくてはなりません。より重要なのは コーランの中で ジハードと 戦いについて記された言葉は 寛大さや 博愛の心や 忍耐を否定しません。

しかし今日 世界各地で起こっている 暴力的なジハードは 決して許されることではありません。なぜならそれは恩恵よりも 苦しみをもたらすからです。ジハードの理念は ハイジャックされたかのようです。歪められ 暴力による闘争を指す言葉となり 苦境に悶えるイスラム教徒が アルカイダやイスラム国などの 原理主義者によって テロリストにされてしまいます。しかし私はわかったのです。真のジハードとは 神の愛する徳を磨き 生きるために 己を高めてゆくことだと。神の愛する徳とは 正直さ 頼りになること 同情の心 博愛 信頼に足ること 他人を尊重する心 誠実さ 誰もが分かち合う 人として大切なことです。

私はバングラデシュで 生まれましたが イギリスで育ちました。イギリスの学校に通いました。私の父は学者でした。私たち家族は 父の仕事でイギリスに渡りました。

1971年 まだバングラデシュにいた頃 全てが変わりました。独立戦争が私たちを踏みにじったのです。家族が 町の人々が いがみ合い 戦いました。私は12歳で戦争を経験しました。家族は飢えに苦しみ 22人の親戚が 無残に殺されました。私の兄もです。人が殺されるところや 獣が道端の死体をあさるのを見ました。誰もが飢えていました。不埒な行い 残虐行為 理不尽な暴力・・・ 私は若く まだ十代でした。やりたい事が沢山ありました 勉強がしたいと思っていました でも 4年間 学校に通えませんでした。

独立戦争の後、父は 2年半 刑務所に入れられました。毎週 面会に行ったものです。そして 自学自習を続けました。1973年に 父は釈放され、亡命者としてイギリスに渡り 私たち家族も 父に続きました。私は17歳でした。

そんな経験を通して 私は世の中の残虐さや 理不尽さを思い知らされました。私は強く望んでいました。とても強く そして深く 世の中を正し 虐げられた 犠牲者たちを救いたいと。

イギリスの大学で学ぶ間 私は仲間と出会いました。彼らはどうしたら思いを果たせるか、そして宗教で人々を救えるかを説きました。そして私は 原理主義者になっていきました。暴力も正当なものであり ある状況下では美徳だと 考えるほどにです。

そして 私はアフガニスタンの ジハードに参加しました。ソビエト軍から アフガニスタンの イスラム教徒を守るためでした。私はそれをジハードと思っていました。神によって報いられる 聖なる任務であると思っていました。

私は伝道者となりました。私はイギリスにおける 暴力的ジハーディストの先駆者でした。同志を募り 資金を集め 訓練を施しました。私には真のジハードが何なのか わかっていませんでした。ファシストのイスラム教者から吹き込まれた 歪んだジハード観のために、彼らは 力と権利を求め、世の中を支配するという欲望を正当化するために ジハードの名を借りているのです。今日 歪んだジハード観は アルカイダやイスラム国などの 原理主義者によって広まっています。

私は原理主義者であった―15年の中で少しの間 アフガニスタン以外にも カシミールやミャンマーのためにも戦いました。目的は侵略者を撃退すること そして虐げられた犠牲者達を 救うことでした。そして もちろん 神に従い カリフの統治のもとに イスラムの国を創ることでした。私はそれを胸を張って行いました。何の法律も犯しませんでした。私はイギリス人であることに 誇りをもっていましたし、それは今も同じです。イギリスに対して 何の敵意も持っていませんでした。イスラム教徒でない人々にも 敵意などありませんでした。もちろん今もありません。

あるアフガニスタンでの戦いで 私と 数人のイギリス人は アフガニスタン人の 15歳の少年と 特別な絆を結びました。彼の名はアブドラ、純粋で 愛らしい 愛すべき少年でした。彼は人を喜ばせるのが大好きでした。貧しい少年でした。彼のような少年達は キャンプで 単純労働をしていました。ですが 彼は幸せそうに見えました。私は考えずにいられませんでした。彼の両親は 彼をどんなに恋しがっているだろうかと。そして彼に幸せな未来を 願っているに違いないと。残酷な状況の中で 戦争に巻き込まれた 犠牲者としての現実が 彼に容赦なくのしかかっていました。

ある日 私は塹壕で 不発弾を拾いました。それを 急ごしらえの 泥壁の小屋に置きました。そして いつもの 短時間の目的もない戦闘に 小屋を出ました。数時間後 小屋へ戻った時 そこで少年が死んでいました。火薬を取り出そうとして 不発弾が爆発し、彼は無残な姿で死んでいたのです。自分には無害だった 不発弾のために 粉々になって・・・私は自分に問いかけました。彼の死に どんな意味があるのだろう? なぜ彼は死に 私は生きているのだろう?。

私はジハードを続けました。私はカシミールで戦いました。また、フィリピンで ボスニアで チェチェンで新兵勧誘をしました。自分への問いは 膨らむばかりでした。

後に 私はミャンマーで ロヒンギャの戦士達と出会いました。やっと十代になったばかりの 彼らは、マシンガンと手榴弾発射銃を手に ジャングルで生まれ育った 少年たちでした。そこで私は 礼儀正しい 2人の13歳の少年と出会いました。彼らは私を見つめ イギリスに連れて行ってくれと 頼むのでした。彼らはただ 学校に行きたかったのです。それが彼らの夢でした。私の家族・・・ 彼らと同い年の私の子供は イギリスの家で暮らし 学校へ通っています。平和に暮らしています。私は考えずにいられませんでした。この少年たちは そんな平凡な日々を夢見て 何度語り合ったのだろうかと。彼らは不条理な世の犠牲者です 星を見上げながら 地べたの上で眠り 指導者達の私利私欲と 権力争いのために 冷酷に搾取されていました。

私はまた 彼らのような少年たちが グループ同士の諍いで 殺し合うのを見ました。それはありふれた光景でした。アフガニスタン カシミール ミャンマー フィリピン チェチェン・・・ 愚かな指導者達のせいで 若者や弱者が殺し合っていました。ジハードの名の下に イスラム教徒同士で 侵略者や支配者から 誰かを守る為でなく、自由のためでもなく、子供達はこき使われ 容赦なく搾取され 人々は争い死んでゆきました。私がジハードの名の下に 戦った争いの中で・・・そして それは今も続いています。

私が外国で参加した 暴力的なジハードは、私の理想とは かけ離れたものだと悟りました。私が経験したことと 私が聖なる務めと信じたこととは 深い裂け目に 隔たれていました。私はイギリスで 自分がしてきた事を 省みる必要がありました。深く考える必要がありました 伝道や 人々の勧誘や 資金集めや 訓練を行い、なにより重大なのは 若者たちを過激に走らせ 戦いの死地に送り込んだこと。私がやってきた事は 全て間違っていました。

私は80年代の半ばに、アフガニスタンを皮切りに 暴力的なジハードに参加し 2000年に気が付くその時まで 活動に身を捧げました。組織では誰もが私を支え、褒め称え、ジハードの名の下で行われる 行いを賛美しました。私は2000年に自分の過ちを悟り、組織を抜けたときには 15年が経っていました。

振り返ってみると、私たちは 価値観について 論じるのに明け暮れ 大義のために 回りが見えなくなっていました。自分たちの内面を 磨こうとはしませんでした。弱者のために戦っていると 自分達に言い聞かせていました。それらの戦いは 勝てるはずのないものでした。私たちは まるで死をもたらす機械のように より多くの悲劇を 生み出してしまいました。少数の残忍な指導者の 私利私欲のために。

しかし 長い時が過ぎ 私は目が覚めたのです。私は目をそらさずに 真実と向き合い始めました。それまでの人生で出会った 自分への問いについて 考えはじめました。そして自らの魂に触れました。

私の学んだことをお話しましょう。暴力的なジハーディズムに 参加する人々や そのような原理主義に 傾倒する人々は、普通の人となんら 変わらないのです。私は 彼らも変われる と信じています。彼らも心を取り戻し 癒されることができます。そのために 人としての 価値を知る必要があります。

辛い現実から目を背ける時 人は誰か言われたことを 鵜呑みにしてしまうものです。そして人は 人生の中のいかなる時でも 大切にしていたはずのものを 無視してしまうのです。私は正しいことを していると思っていました。ですが 今はなぜそう思ったのか 考え始めています。私は人々に 真実を受け入れよと 繰り返し説きました。しかし それが正しいのか省みることをしませんでした。

人は変われるという確信は 私自身の経験、すなわち人生の旅の中で得たものです。多くの本を読み 反省し 深く考え 自分を知り 私は気が付きました。私と 仲間たちが築こうとした イスラムの世界は偽物で不当なものだったと。私たちが信じて疑わなかった 神聖で 揺るぎない真実に 疑問をさしはさむことで、私はもっと柔軟に 考えられるようになりました。

変化や矛盾で満ちたこの世界では、かつての私のような 愚かな伝道師は 彼らが真実と説く神話や作り話の 矛盾に目を向けることはありません。私は 自分を知ることや 政治について知ること、そして 一人一人の 社会との関わり方や行動が他人へどんな影響を与えるか 深く認識することが どれほど重要なことか 気付きました。

私は今日 皆さんに 心からお願いをします。特に、イスラム聖戦主義を 信じている人々へ 独善的な権威を拒否しましょう。怒りや憎しみや 暴力を捨てましょう。残虐で道義に反した行いを 正当化せず、過ちを正すことを学びましょう。自分たちの命を超えて生きる。少しでも美しくて 役に立つものを創りましょう。愛をもって 世界へ 人生へ歩みよりましょう。心を高め、耕すために 世界や 人々の 優しさや美しさ、そして真実を知るために学びましょう。そうすればより大切にできるのです。自分自身を、お互いを、人々の繋がりを。そして私は 神を それがジハードです 私の真のジハードです。

ありがとうございます。

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このプレゼンテーションについて

「長い間、死ぬために生きてきました」 元イスラム原理主義者のマンワ・アリは言います。1980年代、彼は中東とアジアで武力行動に加わっていました。この感動的なトークで、彼は原理主義者であった過去を顧みます。そして、無慈悲な暴力が尊く価値あるものだと主張するイスラム原理主義グループに感化されてしまった人々へ、力強くまっすぐなメッセージを投げかけます。「怒りと憎しみを捨てよう、その代わりに人間の愛や美しさや真実に目を向け、心を豊かにしよう」と。

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