我々は本当に自分で決めているのか?(17:26)

ダン・アリエリー(Dan Ariely)
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対訳テキスト
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不合理な行動について話します あなた方のことではありませんよ もちろん (笑)

MITに行って数年後 論文を書くのはそんなに楽しいことじゃないと悟りました 読んだ人がいるかは分かりませんが 読んでも面白くないし 書くのもあまり面白くありません 書くほうがもっと退屈です ですから もっと面白いことを書くことに決めました それで 料理の本を書こうと思いつきました 本のタイトルは 「パンくずなしの食事 -- 流し台の上で食べる技術」 (笑) これは台所を通した人生の観察になるはずでした 私はこのアイデアに夢中になって 研究について少し 台所について少し書くつもりでした 私たちは 台所でいろんなことをするので面白いと思ったんです 2、3章書いたところで MITプレスに持っていったら 言われました 「いいね、でもウチ向きじゃない 他所を当たって」 他も当たってみましたが 皆口をそろえて 「いいね、でもウチ向きじゃない」

誰かがこう言うまで 「君、これを本気でやりたいなら まず自分の研究について本を書いて実績を作んなさいよ そしたら別な本を書けるチャンスだって出てくる 先にやるべきことをやることです」 「でも研究については書きたくないんだ 一日中やってるんだ 他のことを書きたい もっと自由で、制約のないものをさ」 この人は 大変力強く言いました 「道はこれしかありませんよ」 だから私は言いました「仕方ないな」 「他にどんな方法もないなら、自分の研究について書いて それから、料理の本を書をくぞ」と思い 長期休暇を取って 自分の研究について書きました

これは2つの点で結構楽しいものでした 最初に 書くことが楽しかったです でも、もっと面白かったのは 人から学ぶようになったこと ものを書くには素晴らしいご時世です 沢山のフィードバックがもらえます 人は彼らの個人的経験や、実例 同意しない点、微妙な違いなどを 書いてきてくれます ここに居る数日の間にも 今まで考えたこともないような 究極的に偏執的な行動を知ることになりました (笑) それはまったく素晴らしいことだと思います

さて 不合理なふるまいの話です 不合理性の象徴として 目の錯覚を いくつかご覧いただきましょう この2つのテーブルを見てください この錯覚は見たことがあるでしょう どちらが長いでしょう 左の縦になったテーブルか 右に横になったテーブルか どちらが長く見えますか? 左の方が長いということに反対の人はいますか? いませんね? ありえません しかし 錯視の良いところは 間違いを簡単に示すことができる点です 線を加えて見ましょう 助けになりません 線を移動させてみましょう 私が線を短くしていないと信じてもらえれば あなたが目に騙されていることを証明したことになります さて 興味深いのは この線を取り除くと まるでこの1分間に何も学ばなかったみたいです (笑) これを見て こうは言えません「わかった、これで、ありのままに見えるぞ」 そうですね? こっちのほうが長いという感覚を 打ち破ることは 不可能です 直感は我々を 繰り返し予想通りに欺くのです それについて ほとんど打つ手はありません 定規を持って 測り始める以外は

これは別のものです 私の大好きな錯視の1つです 上の矢印が示しているものは何色に見えますか? 茶色 ありがとう 下のは? 黄色 実は同じ色です 同じ色に見える人はいますか? すごく難しいです 立方体の残り部分をすべて覆ってみると これらが同じ色であることがわかります 信じないなら、後でスライドを手に入れて 同様の細工をして同じ色であることを確認してください この場合も 目隠しを取ると 錯覚が復活します この錯覚を避ける方法はありません 色盲の人なら、これは見えないかもしれませんね 錯覚を象徴的に 捉えてみてください

視覚は我々の最も優れた能力であり 脳の大きな部分が視覚に使われています 他の何よりも大きい 他の何をするよりも多い時間を"見る"ことに費やしています 人間は視覚に合わせて進化しました この得意とする視覚で 予想通り 繰り返しミスをするならば 得意でない分野でミスしない 可能性はどれほどでしょう 例えば 投資の判断とか (笑) 我々の進化に関係がなく 脳にそのための部分があるわけでもなく 一日の大半の時間を費やすわけでもありません だからそういった分野では より多くの間違いを犯しているかもしれず もっと悪いことに、その間違いになかなか気付きません 錯視では間違いを簡単に示すことができますが 認識の誤りを人に示すのは ずっと難しいからです

そこで 私は認識の錯覚、または 意思決定の錯覚を同じように示したいと思います これは社会科学で私の大好きなグラフで ジョンソンとゴールドスタインの論文からです これは基本的に 臓器を寄付することに 関心を示した人の割合を表します これは、いくつかのヨーロッパの国ですが 基本的に二つのタイプに分かれています 右の国はたくさん寄付しそうな国 そして左の国は かなり少ないか ほとんど寄付しません なぜたくさん寄付する国と あまり寄付しない国があるのでしょう?

この質問をすると 通常、文化の違いだろうと言います どれほど他人を思いやれるか 誰か他の人に臓器を与えるというのは どれほど社会を思いやり、繋がっているかを示すように思えます または、宗教的な理由 でも、このグラフを見ると 似たような文化背景と思われる国が 実は、かなり異なった振る舞いをするのがわかります 例えばスウェーデンは、右側にありますが 文化的に似ていると思われるデンマークは 左側です ドイツは左、そしてオーストリアは右 オランダは左、そしてベルギーは右 そして最後に、ヨーロッパの類似点を どう定義付けるかによって イギリスとフランスが文化的に似ているかどうかはさておき 臓器提供に関しては 非常に異なることがわかります

オランダについては面白い話があります オランダは提供しない方のグループの中では高い割合を示します この28パーセントは オランダのすべての家庭に 臓器提供のプログラムに入るよう嘆願する手紙を送付した結果 得られたということが判明しました 「頼まれてするのにも限度がある」という言い回しはご存知ですね それは臓器提供では28パーセントということです

(笑)

右側の国が何をしているにせよ 頼み込むよりも ずっとうまくやっています 何をしているのでしょう? その秘訣はDMV(運輸局)の記入用紙にありました こういうことです 左の国のDMVは このような 記入用紙を使っています 臓器提供者プログラムに参加したい場合 下のチェックボックスに印を入れてください どうなるでしょう? みんなチェックをつけず 参加しません 右側の寄付の多い国は 記入用紙がわずかに違っています 参加したくない人は 下記のチェックボックスに印をしてください 興味深いことに この用紙を受け取った人も 同じく印をしません その結果 参加することになります

(笑)

では、これが意味することを考えてみましょう 朝目を覚ましてからずっと 自分の意志で行動しいると思っています 起きて洋服ダンスを開け 何を着るか決めていると思っています 冷蔵庫を開け 何を食べるか決めていると思っている これが実際 示すものは 多くの決断を自分ではしていないこと それは あの記入用紙をデザインした人の手の中にあるのです DMVの建物に入ったら その用紙をデザインした人が あなたの行動に 多大な影響力をもっています これらの結果を予感するのは非常に難しいです 考えてもみてください どれだけの人が 明日 免許証を書き換えに DMVに行って あなた自身の行動を変える記入用紙に 直面すると思うでしょう? 影響すると思うのは難しいですね 「あの変なヨーロッパの連中なら そうだろうさ」 とは思っても 自分たちに関しては 自分で制御している感覚があります 自分でコントロールしていて 決定を下しているという感覚があり 実は決定している幻影を 見ているに過ぎないんだという考えを 受け入れるのは大変難しいです

こう言う人もいるでしょう 「これは あまり大切な事じゃないから」 事実 これはあなたが死んだ後に どうなるかを決めるものです 死んだ後に起こることになんて かまっていられません 合理性を信じる普通の経済学者は こう言うでしょう「鉛筆持ち上げ Xと印をつけるコストのほうが 決定による利益より大きいからさ」 だからこんな結果になるんだと しかし実際は それが簡単だからではなく 取るに足らないからでも、我々が気にかけないからでありません 逆です 私たちはそれを気にかけていて それは難しく しかも複雑なのです 複雑すぎてどうしていいかわからないのです どうしていいかわからないから 何であれ選ばれているものを そのまま受け入れるのです

もう一つ例を挙げましょう これはレデルマイヤーとシェーファーの論文からです 彼らは言っています「これらの効果は 高い報酬を得ている専門家の 意思決定においても よく見られる」 患者の事例研究を装って 一団の医師を集めました この患者は67歳の農民で 右腰の痛みにずっと苦しんでいました 医者たちにこう説明します 「あなたは 数週間前に もう この患者には施す手がないと判断しました 薬はどれもまったく効き目がない 患者に人口股関節置換を薦めました 手術です いいですね?」 患者は人工股関節置換手術を受ける手続きを始めています それから医師たちの半数にこう言います 「昨日、患者の記録を再検討し 薬剤の1つを試し忘れていたのに気付きました イブプロフェンはまだ試していない どうしますか?あなたは患者を引戻してイブプロフェンを試しますか? それとも、そのまま手術を受けさせますか? ありがたいことに、この件では 殆んどの医者は 患者を引きとめてイブプロフェンを試すという判断をしました 医者として 良いことです

他の医者のグループにはこう言いました 「昨日、患者の記録を再検討し 薬剤を2つ試し忘れていたことに気付きました イブプロフェンとピロキシカムです」 「試していない薬剤が2つありますが、どうしますか? そのままにするか、引き戻すか 引き戻すなら、イブプロフェンとピロキシカムのどちらを試しますか?」 さて考えてみてください この決定は 患者にそのまま手術を受けさせるのは簡単 しかし引き戻すほうは 突然複雑になりました 決めることが一つ増えました さでどうなるでしょう? 大多数の医者は患者に 人工関節置換手術を 受けさせることを選びます この結果には 不安になりますね (笑) 皆さんが医者にかかるとき 問題は 医者がこうは考えないこと 「ピロキシカム、イブプロフェン、 人工股関節置換 どれにしよう? よし、人工股関節置換にしよう」 しかしこれをデフォルトとして設定してしまうと それは人々の行動に大きな支配力を持ちます

不合理な意思決定に関する例をあと2、3上げましょう 想像して下さい、私があなたにこういったオファーを出します ローマに週末旅行に行きたいですか? 費用はすべてこっち持ちです ホテル、旅費、食事、朝食 コンチネンタル ブレックファスト 全部タダ それとも 週末のパリ? さて週末のパリと 週末のローマ これは異なるものです 食事 文化 芸術 みな違います これに誰も望まない選択肢を 追加してみましょう 「どれがいいですか? ローマでの週末 パリでの週末 車を盗まれる」 (笑) おかしな発想です 車の盗難にあうという選択肢が 何かに影響するでしょうか? (笑) では もし車の盗難にあう事が もうちょっと違ったものだったら? ローマの旅行で 旅費に朝食 すべての費用が支払われる でも朝のコーヒーはなし―というのが選択肢だとしたら? コーヒーが飲みたければ自分で支払います 2.5ユーロです さて ある意味 コーヒーつきのローマが選べるのに なぜコーヒーなしのローマを選びたいと思うでしょう? まるで車の盗難のように 明らかに劣った選択肢です しかしなんと 「コーヒーなしのローマ」が加わった途端に 「コーヒーつきのローマ」の人気が上がるのです みんなそちらを選びます コーヒーなしのローマという存在が コーヒーつきのローマの魅力を引き立てるのです そしてコーヒーなしのローマだけでなく パリよりも魅力的になります (笑)

この原則にそった例が2つあります これは数年前のエコノミスト誌の広告で 3つの選択があります オンライン購読、59ドル 雑誌の定期購読 125ドル 両方なら 125ドル (笑) 私はこれを見て、エコノミスト誌に電話しました 何の意図があってのことかが知りたかったのです 私は、たらいまわしにされ そしてようやくウェブサイトを担当していた人にたどり着きました 彼らに電話したら、確認してみますということでした その後あの広告はなくなったのですが、何の説明もありませんでした

ですから私は エコノミスト誌に 一緒にやってほしかった実験をすることにしました MITの学生100人に 「どちらを選ぶ?」と聞きました これがそれぞれのシェアです 大部分の人が"両方"という選択を選びました ありがたいことに、真ん中はいませんでした 学生は読むことはできるようです (笑) しかし、そこに誰も望まない選択肢があるので それを除くことができますね? それで、私はもう一つのバージョンを印刷しました 真ん中の選択肢を抜いたものです 別な学生100人に選ばせました これがその結果です 最も人気のあった選択肢が、最も人気のないものになりました そして、最も人気がなかったものが、最も人気があるようになりました

これが何を意味するかというと、真ん中の役に立たない選択肢は 誰もそれを望まないという点では役立たずですが 人に自分が望むものを分らせる点で 役立たずではなかったのです 事実、雑誌のみで125ドルという 真ん中のオプションと比較して 雑誌とウェブの両方で125ドルというのは、すごくお得に感じられます そして結果として、人はそれを選びます ここでの基本的な考え方は 我々は自分の好みをよく分ってないということです そして自分の好みをあまり知らないがゆえに 我々は外部の影響を受けやすいのです デフォルト、我々に提示される特別なオプション などなど

もう一つの例は 肉体的な魅力ということに関しては 誰かに会ってすぐに、好きかどうかわかると私たちは思い込んでいます ひきつけられるかどうか これがカップリングパーティみたいなものが成り立つ理由です それで私はこれを実験してみることにしました 人物のイメージをご覧いただきます 本物の人ではありません この実験の対象は人です 私は一部の人々に トムの写真とジェリーの写真を見せて こう聞きました「トムとジェリーどっちとデートしたい?」 でも半分の人には、ジェリーの醜いバージョンを加えました Photoshopを使って ジェリーをすこし魅力的じゃなくしました (笑) 他の人には、トムの醜いバージョンを加えました そして問題は、醜いジェリーと醜いトムは 彼らの魅力的な兄弟の助けになるか? 答えは、もちろんイエスです 醜いジェリーがいると、ジェリーに人気が出ます 醜いトムがいると、トムに人気がでます

(笑)

もちろん これには人生一般において 2つの明確な意味があります もし飲み歩きに行くなら誰を一緒に連れて行くか (笑) 少し醜いバージョンの自分を連れて行きたいですね (笑) よく似ていて、でもちょっと醜い (笑) もう1つの点はもちろん 誰かに飲みに誘われたとき、自分がどう思われているかわかるということです (笑) さて、わかりますね

共通項は何でしょう? それは 経済学について考えるとき この美しい人間性という面に触れます 「人間とはなんたる傑作か!理性の高貴なること!」 我々は自分や他人に対してこういう見方をします 行動経済学的見解は 人々にあまり寛大ではありません 行動経済学者は人を医学的にこう見ています (笑) しかし希望の兆しがあります 希望の兆しは 私が思うには 行動経済学が面白くて刺激的な理由でもあります 我々はスーパーマンかホーマー シンプソンか?

物質的な何かを作るときには 我々は限界を理解します 階段を造って、そしてこのような 誰もが使えはしないものを作ります (笑) 我々は限界を理解しています そして限界をわきまえて作ります しかし、精神的な世界となると 健康保険や年金や株式市場みたいなものをデザインするとき どうも我々は 限界を忘れます 我々が物質的な限界を理解すると同様に 認識的な限界を理解するならば 我々をみんな同じようには見ないにしても より良い世界を設計することができると思います これが行動経済学が示す希望なのです

どうもありがとう

(拍手)

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このプレゼンテーションについて

「予想通りに不合理」の著者である、行動経済学者ダン・アリエリーは昔ながらの視覚的錯覚や彼独自の思いもよらぬ(時にショッキングな)研究結果を用い、人が何かを決断する際、自分で思っているほど合理的ではないことを証明します。

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