晩年への通過儀礼(05:54)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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私は宗教色のない白人の 中流家庭で育ちました 1950年代のアメリカでした つまり独立記念日に花火を見て ハロウィーンは お菓子目当てに歩き回り クリスマスにはツリーの下に プレゼントを置きました ただ そんな伝統行事を 私が経験するようになる頃には どれも上っ面だけの 商業的なイベントとなっていて その後には ただ空しさだけが残りました ですから比較的若いころから 実存の空しさを埋めて 自分自身より大きな何かと つながることを求めていたのです
我家では ユダヤ式13才の成人式を 100年以上もしていなかったので やってみようかと思いましたー
(笑)
でも がっかりしました 1度ラビ(ユダヤ教の師)にお会いした時 実に長身で白髪をなびかせた 神様然とした方でしたが 書類に書き込むために 私のミドルネームを お尋ねになっただけでした そう それだけでした
(笑)
ですから万年筆はもらえましたが 私が求めていた 帰属意識と自信は得られませんでした
だいぶ後になって 私の息子が何の通過儀礼もなく 13才になると思うと たまらなくなりました そこで13才の誕生記念旅行という アイディアを思いつき 息子のマーフィーに 意義を感じるなら世界中どこでも 連れていくと言いました 亀を愛する 若きナチュラリストは 即座にガラパゴス諸島と決めました そして娘のケイティが13才になって 私と一緒にグランドキャニオンの 谷底で2週間過ごした時 彼女は初めて自分に パワーと勇気があると気づきました それ以来 伴侶のアシュトンや 友人 親戚の多くが 自分の子供たちを 13才の旅に連れていき 旅が親にも子にも変化をもたらすことに 皆 気づきました
私には祈る習慣がついていません でもこの20年間 食前には家族みんなで手を繋ぎます それはともに過ごす 美しい静寂の時であり 皆を結びつける瞬間です アシュトンは皆に 「手を握って」と言いますが 宗教的な意味はないと 安心させます
(笑)
最近 家族から 私が生涯かけて収集した 250箱以上の品を 何とかできないかと頼まれ 儀礼を行うという 私の本能が働きました 単なる「死の片付け」より 一歩先に行こうと思い始めました 「死の片付け」は元々スウェーデン語で 死ぬ前に自分の押し入れや 地下室そして屋根裏部屋を 片づけることです 自分の子供たちが 後でやらなくていいようにです
(笑)
私の子供たちが 次から次と箱を開けて なぜこんな物を取っておいたのかと いぶかっている様が浮かびました
(笑)
それから彼らが 1枚の写真に 私が若い美女と映っているのを見て 「父さんといるこの人は一体誰?」 と訊くのを私は想像しました
(笑)
その時 「ははあん」と 納得がいきました 大事なのは取っておいたものでなく それにまつわって意味をもたらす 物語の方だと 物語を語るために そういう物を使うことで 新しい儀礼を 生み出せるでしょうか 13才になった時ではなく 長く人生を歩んできた人のための 通過儀礼にできるでしょうか
それで私は実験し始めました 数ダースの物を箱から出し 部屋中に並べ そして人々を中に招き入れ 関心を持った物について 尋ねてもらったのです 結果は素晴らしかった 良い物語が呼び水となって さらに深い討論となり 客たちは その中に 自分の人生との 重要な接点を見出しました デリアスは 私が80年代によく着ていた― 政治犯レオナルド・ペルティエの 釈放を求めるTシャツについて尋ねました 悲しいことに彼は今も収監中です 会話の展開は早く アメリカの刑務所に収監中の 数多くの政治犯の話から デリアスが 60年代の黒人解放運動が 遺したものについて考えていること また30余年後でなく 当時 成人していたら 彼の人生はどう違っていただろうかという 話にまで及びました 会話の終わりにデリアスは私に そのTシャツをくれないかと尋ねました それを彼にあげた時に とても満たされた気持ちになりました
こうした会話によって 特に世代を超えた人びとが 共通の場に立てたので 気が付けば 私が開いた空間で 人々が 自らにとって 本当に重要な事を話していました そして私自身にも新たな目的意識が 生まれてきました 去り行く老人としてでなく 役割を持って前進する者としての 目的意識です
私が若かった頃には ほとんどの人が70代で亡くなりました 今では人々は遥かに長生きで 人類史において初めて 4世代同居が普通になりました 私は71才で ちょっと運が良ければ まだ20から30年先があります 今私の物をあげて 友人 家族 そして出来れば見知らぬ人とも それを分かち合うことは 私が人生の次の段階に入るための 完ぺきな手段に思えます 結局それは まさに私が求めていたことです それは すなわち 死にまつわるものというより 次に何が起きようとも ドアを開けて 招き入れる儀礼なのです
有り難うございました
(拍手)
前進!
(拍手)
私たちは、若い頃には誕生日や卒業式のようなお祝いの儀式をします。でも晩年になるとどうでしょう?過去と未来の両方を見つめるこの思索的なトークで、ボブ・スタインは年を取るとともに自分の所有物を人に譲る(そしてその背後にある物語を共有する)という新しい習わしを提案します。自分のそれまでの人生を振り返り、次に何が起きようともドアを開けて招き入れる儀礼です。