自分の中にある多様性の力(09:44)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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私達は手を取り合って ドアを見つめていました 私は兄弟と 母が病院から戻るのを 待っていたのです その日は 祖母の 癌の手術日だったからです ようやく 玄関の扉が開き 母は言いました 「亡くなったわ おばあちゃんは もういないのよ」 母はすすり泣き すぐに言いました 「準備しなきゃ おばあちゃんは 最期まで祖国 韓国の墓に入りたいと言っていたわ」
私はまだ12歳で ショックが収まった頃 母の言葉が 耳に鳴り響いていました 祖母は 祖国の墓に 入ることを望んだのだ 私達が 韓国からアルゼンチンに 引っ越したのは その6年前のことでした スペイン語も全く話せず 生計を立てる方法も知らずに 到着するとすぐ 私達は全てを失った 移民となったので 生活を立て直すために 本当に 必死で働かねばなりませんでした そうやって 何年か過ごした後だったので 私の祖国が まだ韓国のままだとは 感じられなかったのです そこで将来 私はどこの墓に入りたいか 考えてみました 私にとっての祖国はどこなのか その答えはすぐには分からず 思い悩みました これがアイデンティティを探す 私の生涯にわたる旅の始まりでした
私はキムチの国 韓国で生まれ アルゼンチンで育ちました そこで ステーキをたくさん食べたので 今 私の身体の80%は きっと牛です そして アメリカで教育を受け そこでは ピーナツバターに はまりました
(笑)
子供の頃 自分は アルゼンチン人だと 強く感じていました しかし時々 外見のせいで そうでないことに気づきました
中学校に入学した 初日のことを覚えています スペイン文学の先生が 部屋に入ってきて クラスの生徒を見回し 言いました 「あなた―あなたには 家庭教師が必要ね そうしないと 落ちこぼれてしまうわ」 しかし その頃には 既にスペイン語を流暢に話せていました その時思いました 自分は韓国人か アルゼンチン人のどちらかにはなれるけれど その両方にはなれないのだと― それはまるで ゼロサムゲームのようで 新しいアイデンティティを 手に入れるには 古いアイデンティティを捨てる 必要があると感じました
18歳の頃 韓国に行くことを決めました ようやく 祖国と呼べる場所を 見つけられると期待したのです しかし そこで訊かれたのはこれです 「なぜスペイン語訛りの 韓国語を話すの?」
(笑)
また「目が大きくて 外国人のようなボディランゲージをするから 日本人に違いない」と つまり私は アルゼンチン人にしては 韓国人らし過ぎるし 韓国人にしては アルゼンチン人らし過ぎるのです
私にとって これは かなり重要な発見でした 世界で 祖国と呼べる場所を 見つけることは出来ませんでした しかし 日本人のような外見の韓国人が スペイン語のアクセントで― より具体的には アルゼンチンのアクセントで 韓国語を話す人がどれくらいいると 思いますか? おそらくこれは 私の武器になるでしょう 私は目立ちやすかったのです 自分のスキルが 一夜にして 時代遅れとなることもある 目まぐるしく変わる世界において それは長所になります だから私は 出会った人に 100%の共通項をさがすのをやめました その代わりに 頻繁に 争っているグループの間で 私が唯一の共通項になることが よくあると気付きました
そのことを頭におきながら 私は自分の中の異なる部分を 全て愛そうと決めました 時には 新しい自分になっていくのに 身を任せました 例えば 高校では 実は大のガリ勉でした ファッションセンスのかけらもなく 分厚い眼鏡に地味な髪形で 容易に想像できると思います 私に友達がいたのはきっと 宿題を見せてあげていたからでしょう 実はそうなんです しかし かつて大学で 自分の新しいアイデンティティを 見つけることができました ガリ勉の子が クラスの人気者になったのです ただ MITでの出来事なので そんなに凄いことでは ないかもしれません MITの学生は言っていました 「付き合える可能性は高くても 相手は変な奴ばかり」
(笑)
専攻を何度も変えたので アドバイザーは冗談で 私は「ランダム研究」で 学位を取るべきだと言いました
(笑)
子供達にも この話をしています
数年が経ち 私はたくさんの 異なるアイデンティティを見つけました 発明家、起業家、社会革新者に始まり その後 投資家となり テクノロジー分野の女性 教師 そして最近 母親になりました 私の幼い子供はくりかえし言います 昼も夜も「ママー!」と アクセントでさえも 色々なものが入り混じり 起源も曖昧なので 友人は私の言葉を 「レベッカ語」と呼んでいます
(笑)
しかし 新しい自分になるのは とても難しいことです 時には 多くの障害に 直面するでしょう 私は 博士号が あと少しで 取得出来るという時 起業家熱に かかってしまいました 私はシリコンバレーにいました 地下室で論文を書くことは 自分で起業することに比べて つまらないと思ってしまったので 私は保守的な韓国人の両親に 会いに行きました 2人は今日この場に来ています その時 私は両親に 博士課程を中退すると 伝えなければなりませんでした 私達兄妹は 家族で初めて 大学に進学した世代でしたので 移民の家族にとって これは 大きな事件でした この会話がどんな結果になるか 想像できると思います しかし幸いにも 私には 秘密の切り札がありました それは スタンフォード大の博士課程の 修了者の平均年収と スタンフォード大の修士課程を 中退した人の平均年収の比較表でした
(笑)
実は このデータは グーグルの創業者達に 明らかに偏っていましたがー
(笑)
しかし母は 表を見て 言いました 「まあ 自分のために 情熱を追いかけなさい」
(笑)
ママ どうも
今 私のアイデンティティ探しの旅は もう同じ仲間を探すことではありません 自分自身の変化の可能性を受け入れ 自分の外にある多様性を 探すのではなく 自分自身の中にある 多様性を探すことに変わりました 現在私には 3歳と 生後5か月の息子がいます 彼らは生まれながらに 3つの国籍を持ち 4つの言語に囲まれています 私の夫はデンマーク出身だからと お伝えするべきですね 私の人生にカルチャーショックという 非日常がなくならないように デンマーク人男性と 結婚することにしました きっと 私の子供たちは 大人になっても 髭が生えずに苦労する 初のバイキングになるでしょう
(笑)
ええ 将来 大変でしょうね しかし 私は彼らの多様性が 人生において たくさんの可能性を 引き出してくれると信じています そして現在 急速にグローバル化する世界で 共通項を見つけるのに 役立ててもらえると思います ある1つの箱に収まらないとか 自らのアイデンティティが 合わなくなる日が来るのではと 不安や心配を感じるのではなく ためらわず 自分を試し 自身の物語やアイデンティティを 自分でつかんでほしいです そして 彼らの 独特に入り混じった 価値観、言語、文化、能力を使って アイデンティティが 自身と異なるものを 遠ざけるのではなく 人々を繋げるものとなる世界を 作っていってほしいと思います そして最も大事なことですが 彼らには 未知の領域を旅する中で 大きな喜びを見つけてほしい と思います 私もそうだったからです
さて 私の祖母についてですが 彼女の最期の願いは 私への最期の教えでもありました 実は 祖母は韓国に帰って そこで埋葬されたいと 願ったのではなく 自分の息子の隣で 永眠したいと願っていたのでした その息子は 祖母がアルゼンチンに 移住するずっと前に亡くなりました 祖母にとって大事だったのは 彼女の過去と新しい世界とを 隔てた海ではなく 世界に接点を見いだすこと だったのです
ありがとうございました
(拍手)
レベッカ・ワンは自分のアイデンティティをうまく掛け持ちしながら、人生を送ってきました―韓国の血を受け継ぎ、アルゼンチンで育ち、アメリカで教育を受け―そして長い間、世界の中で祖国と呼べる場所を見つけるのに苦労していました。しかしそんな中で大事なことに気づきました。個人の持つ多様なバックグラウンドは今日のグローバル化する世界では、確かな武器になると。ワンはこのトークの中で自分の人生を振り返り、自身の複雑なアイデンティティを受け入ることの恩恵を数多く語っています。そして、アイデンティティが人々を隔てるのではなく、人々をつなげる世界を作りたいという思いを語ります。