戦争とその後に起こること(12:44)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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言葉は重要です 癒すことも 殺すこともできます しかし限界があります
私が中学2年生のとき 先生が単語シートを配りました そこには「大量虐殺」と書いてありました 吐き気がしました 「大量虐殺」とは 冷たく 殺される個人を無視した 血も涙もない 非人道的な言葉です どんな言葉でも それがどう国に影響するのか 表現することはできません 知っておいてほしいことは このような戦争では 夫が妻を殺し 妻が夫を殺し 近所の人や友人が互いを殺し合うのです ある権力者は ある権力者は こう言います 「そこにいるのは よそ者だ 人間ではない」と 周りの人はそれを信じるのです このような行為を表す言葉は いりません それを止める言葉がほしいのです しかしその言葉はどこにあるでしょうか どうしたら見つけられるでしょうか 私が信じているのは 探し続けなければならないということです
私はルワンダのキガリで生まれました 家族や近所の人からの 愛情を感じていました 私はいつも誰かに 特に兄弟には からかわれていました 前歯が抜けたとき 兄は私を見てこう言いました 「お前のも抜けたのか もう生えてこないぞ」と
(笑)
私は遊ぶのが大好きで 特に母や近所の庭がお気に入りでした 幼稚園も大好きでした 歌を歌い たくさん遊び ランチを食べました 私は誰もにそう過ごしてほしい そういう幼少期を過ごしました
しかし私が6歳のとき 家族の大人たちが ひそひそと話すようになりました 何か尋ねても 答えてくれませんでした ある夜 母と父がやって来ました 私たちを起こしたとき 二人の様子が変でした 姉のクレアと私は祖父母の元へ送られ 両親は 今起きていることが なくなればと願っていました すぐに 祖父母の元からも 逃れねばならなくなりました
私たちは 隠れ 這って 時には走りました 笑い声が聞こえたり 叫び声や泣き声 聞いたことのない音がすることもありました お分かりのように 私はその音が何なのか 知りませんでした 人間ではないような しかし人間のような気もするのです 息をしていない人を見ました 私は眠っているのかと思いました 死が何なのか 殺すとは何かを知りませんでした 休憩や 食べ物を探すために 立ち止まると 私は目を閉じ 目を開けるときには 悪夢から覚めたいと思いました
家がどの方向にあるのかも分からず 日中は隠れ 夜は歩く日々でした 家から離れた人の所から 家のない人の元へ行くのです 自分を受け入れてくれるはずの場所から 追い出され 誰も受け入れてくれないのです 誰からも 必要とされません それが難民です 6歳から12歳まで 7つの国の 難民キャンプを転々とし 誰かに必要とされることを 望んでいました 姉のクレアは 若くして母親になり 家事上手になりました
12歳のとき 私はクレアとその家族と 難民としてアメリカにやって来ました これは始まりにすぎませんでした 私は12歳にして 3歳のように感じるときもあれば 50歳のように感じるときもありました 過去の記憶は薄くなり 確かでなくなり 歪んでいきました 全てのものが手にあまり そして 無意味でした 時間は破りとられたページのように あちこちに散らばっていました ここに立っている今も そのように感じることがあります
私がアメリカに来たあと クレアと私は過去について 話さなくなりました 2006年 家族と離れてから 12年後 家族が死んだと知ってから そして家族に死んだと思われてから 7年後に 再会しました それは とてもアメリカらしい ドラマチックな再会でした テレビの 生放送です
(笑)
オプラショーです
(笑)
(拍手) 言ったでしょう
(笑)
しかし 番組の後 両親と妹と 会ったことのなかった兄弟と 時間を過ごしていましたが 私は怒りを感じていました 深い苦悩がありました 私は知っていました 何を以てしても 離れていた時間と 家族の絆を埋めることはできないと 程なく 両親はアメリカに来ました しかし クレアと同じく 両親も過去について話しません 終わりのない現在の中を 生きていました 多くを聞かず 自身でも感じることを許さず おずおずと進みます
私たちは誰も自分の身に何が起きたか 説明できませんでした 私の家族は生きていますが 心は壊れてしまいました 麻痺し 自らの経験によって 沈黙させられました これは私の家族だけの話ではありません ルワンダだけが 互いを裏切り 殺し合いをした国ではありません 全人類は いろいろな意味で 私の家族のようなものです 死んではいませんが 支配する 世界の暴力により 壊れ、麻痺し、黙らされてしまうのです つまり 暴力による混沌は 私たちが使う言葉や 日々作り出される物語の中で 続いているのです また自分たちや 他の人に貼っているレッテルにも 続いています 誰かを「他人」 「それ以下の」 「その内の一人」 「より優れている」と言うとき 信じてください ある状況の中では 破壊への近道になります 私たちの知らない 混沌 雑音が あるのです
言葉では決して十分に 人間が起こした破壊の質と大きさを はかることはできません そのため 私たちが 世界で続いている 暴力を止めるために 私は望み そして懇願します 立ち止まってみてください 自分に聞いてみましょう 言葉がなかったら レッテルがなかったら 呼吸をする 私たちは何者なのか 拍動する心臓を持つ 私たちは何者なのかを
(拍手)
クレメンタイン・ワーマリヤはルワンダ内戦が起きた時6歳で、故郷キガリを出て両親と離れ、姉と逃げることを余儀なくされました。このトークの中で彼女は自分がどのようにして難民になったのか、6年間で7つの国の難民キャンプを転々とした話を通して、戦争の後に起こることを伝えています。