男も女もみんなフェミニストじゃなきゃ(29:27)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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まずは私の大親友の一人について お話しします オコロマ・マドエウシ オコロマは近所に住んでいて 兄のような存在でした 好きな男の子ができたら 彼に相談したものです オコロマは2005年12月 ナイジェリアの ソソリソ墜落事故で亡くなりました ちょうど7年ほど前です オコロマとは口喧嘩をしたり 笑ったり 腹を割って話せる間柄でした 私を「フェミニスト」と呼んだ 最初の人でもあります
私は14歳くらいで 彼の家で口論になったんです 読んだばかりの本の にわか知識をふりかざして なんで口論になったのか 覚えていませんが 口論の末に オコロマに 「おまえ フェミニストだな」と 言われたのは覚えています 褒め言葉ではありませんよ
(笑)
口調で分かりました 嫌みを言うときのトーンです 例えば― 「おまえ テロリストだな」とかね
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「フェミニスト」が何を意味するのか 知りませんでした 知らないことを オコロマに知られるのがイヤで さっと話題を変えて 口論を続けました 家に帰って真っ先にしたことは 「フェミニスト」を 辞書で調べることでした
それから何年かが過ぎて 私は妻に暴力を振るう 男の小説を書きました あまりいい感じでは 終わらないお話です ナイジェリアでその本の PRをしていた時 紳士的なジャーナリストの男性が 私にアドバイスしたいと 言ってきました ここにいるナイジェリア人は よく知っていると思いますが ナイジェリア人って頼まれてもいないのに すぐアドバイスしたがるんです 私の小説がフェミニズム的だと 評判だと言うのです そして私に向かって 悲しげに首を振りながら こう続けました 「フェミニストを名乗るべきではない フェミニストは 結婚もできないような 不幸な女がなるものだ」と
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私は「ハッピー・フェミニスト」を 名乗ることにしました 次に学識のある ナイジェリア人の女性に フェミニズムは 私たちの文化でもないし アフリカの文化でもない フェミニストと自分で名乗るなんて 「欧米の本」に洗脳されたのね と言われました これは愉快でした 私が読んで育った本は全く フェミニズム的ではなかったからです 16歳頃まで読んでいたのは もっぱらハーレクインの ロマンス小説でしたから 「フェミニズムの古典」と 呼ばれるような本を 読もうとしたこともありましたが 飽きてしまって 読みきれませんでした とにかく フェミニズムは アフリカ的ではないらしいので 「ハッピー・アフリカン・フェミニスト」を 名乗ることにしました ハッピー・アフリカン・フェミニストですが 男嫌いでもなければ リップグロスもつけますし 男性のためではなく 自分のためにヒールも履きます
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もちろん 半ば冗談ではありますが フェミニストという言葉には マイナスイメージがついてまわります 男嫌いで ブラジャーが嫌いで アフリカ文化を嫌悪している といったものです
私が子どもの頃の話ですが 小学生の時 学期の初めに 先生が テストをすると言いました テストの最高得点者は 学級委員になれるというのです 学級委員は大役でした 学級委員になると うるさい子たちの名前を 書いたりできるんですから
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それだけでもすごいのに 私の先生は 杖も持たせてくれました それを持って クラスの中を パトロールするんです もちろん その杖を ふるうことは許されませんでしたが 9歳の私にとっては ワクワクすることでした どうしても 学級委員に なりたいと思いました 私はテストで最高得点を取ったんです ところが 先生は学級委員は 男子でなければダメだと言いました 先に言っておくのを忘れたのだと まさかこうなるとは という感じですね
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2番目に高得点だったのは 男の子で その子が学級委員になりました さらに興味深いのは その男の子は 優しく 穏やかな性格で 杖を手にパトロールなんて 全然したくなかったということです 一方の私は やる気満々でしたけど でも 私は女子で 彼は男子だったので 彼が学級委員になりました この出来事を忘れたことはありません
私は 自分にとって当たり前なことは 他の人にとっても当たり前だと 考えてしまうことがあります 例えば 友人のルイです ルイは 素晴らしい 進歩的な男性で 一緒に話をしていると こう私に言ったものでした 「男と女では色々なことが違うし 女は不利だと言うけど それは過去のことではないか」と こんな明白なことが なぜルイには 分からないのか 理解できませんでした ある晩 ラゴスで ルイと私は友人達と出かけました ここで ラゴスのことを あまり知らない方に一言 ラゴスでよく目にする光景なのですが レストランの外でうろついている 元気のいい男性たちが 仰々しく あなたが駐車するのを 「手伝って」くれるのです その晩 私たちの駐車スペースを 見つけてくれた男性の 大げさな仕草が気に入ったので 彼にチップをあげることにしました 私は自分のバッグを開けて 手を入れて 自分で稼いだ 自分のお金を取り出して その男性にあげました その男性は とても喜んで 私からお金を受け取り ルイの方を見て 「ありがとよ 旦那!」と言いました
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ルイは驚いた様子で私を見て こう言いました 「何で僕に礼を言うんだ? お金を出したのは僕じゃないのに」 その時 ルイはやっと気付いたようでした その男性は 私が持っていたお金は ルイが稼いだものだろうと 思ったのです ルイが男性だからです
男と女は違います ホルモンも違えば 性器も違います 生物学的な機能も違うのです 女は出産できますが 男はできません とりあえず 今のところは
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男性にはテストステロンがあり 一般的には 肉体的に女性よりも強いです 女性の方が男性よりも ほんの少し人口が多く 世界の人口の約52%は女性です しかし 地位の高い役職のほとんどは 男性で占められています 今は亡き ケニアのノーベル平和受賞者 ワンガリ・マータイが これを 上手く表現しています 「上へ登りつめるほどに 女性は少なくなる」 最近のアメリカ大統領選で リリー・レッドベター法をよく耳にしました この響きの良い名前の法律を 掘り下げていくと 結局のところ 男女間の問題で 同じ仕事をして 同等の能力であっても 男性の方が高い給与を 得ていたというものです
文字通り 男が世界を 牛耳っているのです 千年前なら これで良かったかもしれません その時代の人間にとっては 肉体的な強さが 生き抜くうえで 最も大切なことだったのですから 肉体的に強い人が主導権を 握ることが多かったのです そして 男性は 一般的に 肉体的に強いのです 例外もたくさんいますけどね
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でも 今の社会は全く違います 肉体的に強い人が必ずしも 主導権を握るわけではありません 創造力が豊かだったり 知性的だったり 革新的だったり ホルモンは関係ありません 男性も女性も同じように 知性的で 創造力に富み 革新的でありえるのです 社会は変わったのに ジェンダーに対する考え方は 変わっていないのではないでしょうか
数週間前 私はナイジェリアの 最高級ホテルのロビーに行きました ホテルの名前は あえて伏せておきます 入口にいたドアマンが私を呼び止めて 失礼な質問をしてきました 高級ホテルに1人で来る ナイジェリア人の女性は 売春婦だと思われるのです 不思議なのは なぜ そのようなホテルは 売春婦を呼ぶ客よりも 見せかけのイメージを気にするのでしょう? ラゴスでは 「評判の高い」お店に 私1人では行けません 女性1人では 入れてもらえないのです 男性の同伴が必要です ナイジェリアのレストランに 男性と一緒に行くといつも ウェイターは男性にだけ 挨拶をします こうしたウェイターは―
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「私もそう思ってた!」という 女性が他にもいますよね こうしたウェイターは 女性よりも男性の方が重要だと 見なす社会の産物なのです ウェイターに悪気がないことは 分かっています 頭では分かっていても 気持ちとなると別の話です 無視されるたびに 否定されたような気がして 悲しくなります 私だって同じ人間なのだと 言いたくなります 存在を無視しないでくれ と これは些細なことです でも こういう些細なことが 一番辛い時もあるのです
つい最近 ある記事に ラゴスで 若い女性が どのように扱われているかを書きました そうしたら 出版社に言われました 「怒りに満ちた記事だ」と 怒りに満ちていて当然です!
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私は怒りを感じているのです ジェンダーが 深刻な不平等を 生み出しているのですから 皆 怒るべきなんです 怒りは長い間ポジティブな変化を 生み出してきました でも 私は怒りだけでなく 希望も抱いています 私は 人間には 自らを良くしていくことができると 強く信じているからです
ジェンダーは世界的に 重要な問題です でも 私はナイジェリアやアフリカを 主に考えたいと思います よく知っていて 思い入れのある場所だからです 今日 お願いしたいのは 新しい世界を作るために 考え始めようということです もっと平等な世界― 男性も女性も自分らしさを持って 幸せに生きることのできる世界です まず 手始めに 娘の育て方を変えなければいけません 息子の育て方も変えなければいけません 間違った育て方のせいで 男の子たちに害を与えています 彼らの人間性を抑圧しているのです 「男らしさ」を とても狭く定義して その硬くて小さいおりの中に 男の子たちを押し込めているのです 「男は恐れてはならない」 「弱さを見せてはだめだ」と 教えます 「本当の自分に蓋をしろ」と ナイジェリア風に言えば 「強い男」であれ と 中学生になると 男の子も女の子も十代で 同じくらいのお小遣いをもらいますが 一緒に出かけると いつも男の子が払うべきという 空気になります 男らしさを見せるためです なのに 男の子の方が 親から お金を盗むことが多いのを不思議がります
でも もし 男らしさとお金は 関係がないと 教えられていたらどうでしょう? 「お金は男が払うもの」 という考えではなく 「持ってる人が払う」で いいじゃないかと もちろん 長年続いてきた 男性優位社会では 男性の方が多く持っている場合が 多いですが 今から 子どもの育て方を変えれば 50年後 100年後には そんな男らしさを証明してみせる 必要はなくなるのです でも 一番悪いのは 男は強くあれと 思わせていることです それは男性の自我を 非常に脆いものにします 「強い男」になるしかないと 思えば思うほど 自我が弱くなってしまうのです でも女の子にしていることは もっとひどいことです そんな脆い男性の自我に 応えるように育てるのですから 自分を抑え込み 小さい存在であれと教えるのです 女の子にはこう言います 「野心的でもいいけど ほどほどにね」
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「成功を目指しなさい でも成功しすぎはだめ 男が怖気付いてしまうわ」 付き合っている男の人がいて あなたが大黒柱でも そんな風な態度を 取ってはいけません 特に人前ではそうです 彼の面子をつぶすことになるからです
でもその根拠を 疑問に付してみませんか? 女性の成功が なぜ 男性にとって脅威なのでしょう? 「男の面子をつぶす」なんていう言葉は 捨てたらどうでしょう これほど嫌な言葉はありません ナイジェリア人の知人に聞かれました 男性に怖がられるかもと 心配にならないのかと そんな心配をしたことはありません 実際 考えたこともありませんでした なぜなら 私を怖がるような男性には 全く興味が持てないからです
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(拍手)
でも これにはショックを受けました 私は女なのだから 結婚したがっているはずだと 人生の選択をする際に 結婚が最も重要だと 思っているに違いないと 結婚は素晴らしいものでもあります 喜び 愛 そして支え合う関係を 生み出せるのです なのに なぜ 女の子には 結婚が一番と教えるのに 男の子にはそう言わないのでしょうか
ある知人の女性は 結婚するかもしれない男性が 引け目を感じないように 家を売りました ある知人のナイジェリア人の独身女性は 学会に出席する時に 結婚指輪をします 彼女によれば 他の参加者から 「敬意を得るため」だそうです 若い女性が家族や友達 更には職場でも 結婚するように 執拗にプレッシャーを与えられて 間違った選択をするのを 見てきました ある年齢に差し掛かった女性が独身だと この社会では 女として ひどく恥ずべきことだと言われるのです ある年齢に差し掛かった男性が独身だと まだ良い相手が 見つかっていないだけだと言います
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こう言うのは簡単です 「女も反論すればいいじゃないか」と でも 現実はもっと困難で 複雑なのです 人間は社会的な動物です 社会的な価値観で物事を考えます 結婚や男女関係を語る時に 私たちが使う言葉にも 表れています 結婚を語る言葉は 従属を含意することが多く 対等な関係を意味しません 「尊敬」という言葉は たいてい女性が男性に示すものであり 男性が女性に示すものではないのです
ナイジェリアでは男性も女性も よく言う表現で 私が面白いなと思うのは 「夫婦の平和のために」という言葉です これを男性が言う時は 大概してはいけないことを している時です
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既婚男性が男友達に ちょっと苦笑いを浮かべながら 自分がいかに男らしいか どんなに愛されているか 自慢するために言いますよね 「カミさんが毎晩クラブに 行くなって言うんだ だから夫婦の平和のために 週末しか行かないんだ」
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一方で 女性が 「夫婦の平和のために」と言う時は たいてい 何かをあきらめる時です 仕事や夢やキャリアなどです 男女関係では 女性が妥協するものだと 女性に言い聞かせているのです 女の子には他の女の子と 競うように教えます 仕事や成績のことだったら いいのですが 男性にモテるためにです 女の子は自分の性的な欲求を 男の子のように 表してはいけないと教えます 息子だったら 彼女がいても平気ですよね でも 娘の彼氏? とんでもない!
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でも 適齢期がきたら 娘に完璧な結婚相手を 連れてきてほしいと考えます 女の子は監視下において 処女であることを求めるのに 男の子にはそうしません これは どうすれば ありえるのかと いつも不思議なのですが―
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初体験には普通 相手が必要ですよね
最近 ナイジェリアの大学で 若い女性の集団レイプ事件がありました ご存知の方もいるでしょう ナイジェリアの若者の多くが 男女共に こんな意見を言っていました 「もちろん レイプは犯罪だ でも なぜ女の子が1人で 4人の男の子と部屋にいたんだ?」 こんな非人道的なことを 言えてしまうのは 女は罪を背負って生まれてきたような存在だと 教えられてきたからです 男が好き勝手に 残酷な行為をしても なぜか それを許すような考えが あるからなのです 女の子には恥じるように教えます 「足を閉じなさい」 「肌を隠しなさい」 女性は生まれつき 罪を背負っているかのような 気持ちにさせるのです こうして 女の子は 願望を持たない女性になるのです 自分自身を閉ざした女性に なってしまうのです 本音を言うことができない 女性になるのです そして― これが 一番ひどいことだと 思うのですが お飾りのような女性に 成長させてしまうのです
(拍手)
家事が大嫌いな女性がいました 本当に嫌いなのですが 好きなフリをしていました 「良き妻」になるように 育てられたからです ナイジェリアで言うところの 「家庭的」な女性に 結婚して しばらくすると 彼女は変わったと夫の家族が 文句を言い始めました
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変わったのではなく 嘘に疲れただけです
ジェンダー問題が起こるのは 「こうであるべき」と 規定するばかりで 本当の姿を認めないからです
どんなに幸せになれるか 想像してみてください ジェンダーにまつわる 様々な固定観念という重荷がなければ 自分らしく生きるのが どんなに楽になることでしょう 男の子と女の子が 生物学的に違うのは事実です でも 社会的価値観が その違いを強調するせいで それを実現せねばならなくなっています 例えば 料理です 現在 一般的に女性の方が 男性よりも家事をやっています 料理や掃除など なぜでしょう? 女性には料理をする遺伝子が あるからでしょうか?
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あるいは 長年 料理は女の役割と されていたからでしょうか? 女性には料理の遺伝子があるかも と言いかけましたが 世界の有名な料理家のほとんどは 私たちが「シェフ」と 呼ぶような人たちは 男性です
私は祖母を尊敬していました 本当に素晴らしい女性でした もし 祖母が男性と同じような 機会を与えられていたら どんな風になっていただろうと思います
現在では 私の祖母の時代に比べれば 女性に与えられる機会は増えました 政策や法律が変わったおかげです それも重要ですが もっと重要なのは 私たちの態度や考え方です ジェンダーについて どう考え 何を大切にするのか 子どもを育てるとき ジェンダーでなく 能力に重きを置いたら どうでしょう? ジェンダーでなく その子の興味を 尊重してあげたら どうでしょう?
息子と娘がいる家族を知っています 2人とも学業優秀で とても素敵な 良い子ども達です 男の子がお腹が空いたと言うと 親は女の子に言うんです 「お兄ちゃんに ラーメンを作りなさい」
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妹はラーメンを 作りたくはないのですが 女の子だから 仕方なく作るのです もし親御さんが 最初から 息子と娘の両方に作り方を 教えていたら どうでしょう? 料理は 男子にとって とても役立つスキルです これほど重要なことを なぜ知ろうとしないのか分かりません 自分自身を養う能力ですよ
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人に頼らずに生きていけます
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夫と同じ学歴を持ち 同じ仕事をしている女性がいます 帰宅すると 彼女が ほとんどの家事をします 多くの夫婦が そうではないでしょうか ただ 彼女たちについて驚いたのは 夫が赤ちゃんのオムツを替える度に 彼女は「ありがとう」と言うのです もし彼女が これは いたって普通のことで 夫は我が子の世話をすべきだと 思ったとしたら どうでしょう?
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私は若い頃に沁みついた ジェンダーにまつわる考え方を 忘れようと努めています それでも ジェンダーに関する固定観念に 直面すると 自分の弱さを感じる時があります 初めて 大学院で創作を 教えることになった時 心配になりました 講義の内容が 心配だったのではありません 十分に準備していたし 自分の好きなことを 教えるのも楽しみでした 心配だったのは 服のことです 一目置かれたいと思いました 女性であるがゆえに 自分の能力を 証明しなければと思ったのです あまりに女性らしい格好では 甘く見られると思ったのです 本当はリップグロスをつけて 可愛らしいスカートを履きたかったのですが やめました 代わりに 真面目に見えて 男っぽくて カッコ悪いスーツにしました
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悲しいことに 外見については 男性が基準とされています 男性が会議に行く支度をしながら 男性的になりすぎないようになんて 心配したりしませんよね 女性であれば 会議に行く支度をする時 女性的にしすぎると どう見られるか 甘く見られるのではないかと 心配しなければいけません
あの日のスーツのことを 今も悔やんでいます そのスーツは結局捨てました その時 今のように 自分に自信を持てていたら 私の生徒たちはより多くのことを 学べていたかもしれません なぜなら 私自身が 自分にもっと忠実で 私らしくいられたでしょうから 私は自分が女性であることや 女性らしさを二度と 恥じないと決めました
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女性らしくありながらも 尊重されたいと思います それが当然なのです ジェンダーについて話すのは 簡単ではありません 男女ともに ジェンダーの話になると 拒絶反応を示す人がいます 皆さんの中にも こうお考えの方がいるでしょう 「結局女は女じゃないか」 ここにいらっしゃる男性の中には 「興味深い話だけど共感しないな」 という方もいるでしょう それが問題の一部なんです
ジェンダーについて考えようとしない あるいは気づかない男性が多いことが ジェンダー問題の一部なのです 多くの男性が 私の友人のルイのように 今は何の問題もないと言い 何も変えようとしないことが問題なのです あなたが男性で 女性と レストランに行った時に 自分だけが挨拶をされたら ウェイターに尋ねるでしょうか? 「なぜ彼女に挨拶しないのか」と なぜなら ジェンダー問題は―
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このエピソードを もっと長く話すこともできますが とにかく ジェンダーは 非常に話しにくい話題ですし この話題を簡単に 終わらせる方法もあります 生物学的進化論や 類人猿の話を持ち出して 類人猿のメスが オスにお辞儀するだとか そういう類のものです でも 私たちは類人猿ではないんです
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類人猿は木の上に住んで 朝食にミミズを食べますが 私たちは違います 「男だって辛いんだ」 と言う人もいるでしょう それは本当です でも それとこれとは―
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でも それとこれとは話が違います ジェンダーや階級の違いは 形は異なりますが抑圧行為です 黒人の男性と話をするうちに 抑圧がいかに機能し いかに他の差別に関して 盲目的になってしまうかが分かりました
ある黒人男性と ジェンダーについて話していた時です 彼は私に言いました 「どうして『女としての経験』と 言う必要があるんだ? 『人間としての経験』でもいいだろう?」 この男性は 自分ではよく 「黒人男性としての経験」について 語っているというのにです
ジェンダーは問題です 男性と女性では 経験することが違います 私たちが経験することは ジェンダーに影響されます でも それは変えられます
こんなことを言う人がいます 「でも 女には奥の手があるじゃないか 女の武器だよ」 ナイジェリア人ではない方々に 説明すると 「女の武器」というのは 女性が性的な魅力を使って 男性に取り入ることです そんなものは 力ではありません 「女の武器」というのは 女性が 自分の性的魅力を利用して 誰か他の人の力を 利用することなのです でも どうでしょう 取り入ろうとした相手が 機嫌が悪かったり 病気だったり 役立たずだったら
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女性が男性に従属するのは 私たちの文化なのだと言う人がいます でも文化は常に変化するものです 私には美しい双子の姪がいます 15歳で ラゴスに住んでいます もしその子たちが 百年前に生まれていたら 取り上げられて 殺されていたでしょう それが文化だったからです 双子は殺されていたのです
文化にどんな意味があるのでしょう? 装飾的なものだったり 踊りだったり でも民族が守ってきたものを 受け継いでいくのが文化ではないでしょうか 私の家族の中で 家族の歴史や伝統 先祖伝来の土地について 一番興味を持っているのは私です 私の兄弟はそれほどでもありません それでも 私は 集落会議に参加すらできません 意見を言えないのです 私が女だからです 文化が人を作るのではなく 人が文化を作るのです ですから 実際に―
(拍手)
ですから 実際に 私たちの文化が 女性の人間性を きちんと認めないものなら 認める文化にするのです
私は 親友のオコロマ・マドエウシのことを よく考えます 彼とソソリソ航空墜落事故で 亡くなった方々の魂が 安らかでありますように 彼を愛した人は皆 彼を忘れることはありません 私をフェミニストと呼んだあの日 彼は正しかったのです
私はフェミニストです あの日 調べた辞書には こう書いてありました 「フェミニストとは 男女間の社会的、政治的 経済的平等を信じる人のことである」 話を聞く限り 私のひいおばあさんは フェミニストでした 結婚したくなかった 男性の家から逃げ出して 自分で選んだ男性と結婚したのです 参加や土地の所有などを 否定されたと思ったら 曾祖母は それを受け入れず 抗議し 声を上げたそうです
「フェミニスト」という言葉を 曾祖母は知りませんでしたが 体現していたのではないでしょうか 多くの人がこの言葉を取り戻すべきです フェミニストの 私流の定義はこうです 「フェミニストとは 男性あるいは女性で―
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「フェミニストとは 男性あるいは女性で 『今でもジェンダーの問題は 存在するから 正し 改善しなければならない』 という人のことである」 私の知るフェミニストの鑑は 私の弟のケネです 優しくて ハンサムで 素敵な男性です しかも とても男らしいんですよ
ありがとうございました
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「野心的でもいいけど、ほどほどになさい」「成功するにしても、成功しすぎてはだめ。男を怖がらせてしまうから」女の子たちはそう教えられている、と作家のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェは言います。世界中でフェミニズムに関する対話がなされるきっかけとなったこのトークで、アディーチェは今の世界とは違う、より平等な世界を思い描き、実現していこうと訴えています。男性も女性も自分らしさを持って、もっと幸せに生きることのできる世界のために。