聞くことの美しく神秘的な科学(15:34)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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聴こえますか?
(聴衆)聴こえます
(ハドスピス)OK これは驚ろくべきことです なぜなら私の声は皆さんの 座っている場所の空気圧を 大気圧のわずか数十億分の1程度だけ 変化させます でも あたり前のように その極小のシグナルを耳で捕捉できて ありとあらゆる聴覚体験が 脳へ信号として送られています 人間の声 音楽 自然界の音もあります それはどんな仕組みなのでしょう 答えのカギを握るのは この講演で真の主人公となる ある細胞です 耳の感覚受容器で 「有毛細胞」と呼ばれます
さて これらの有毛細胞は 不運にもそう名付けられました 不運と言ったのは この頭から 失われつつある普通の毛髪とは まったく関係ないからです 最初にこれらの細胞を名付けたのは 初期の顕微鏡学者でした 細胞の一端から出ている 小さな房状の毛に気づいたのでした 現代の電子顕微鏡を使えば もっと詳細に観察でき 有毛細胞の名前の由来となった特徴が より鮮明に見られます これが感覚毛です このように 20本から数100本の 微細な棒状の円柱が集結して 細胞の上の端に立っています そしてこの器官によって 今まさに 私の声が聞こえているのです
さて 私はこれらの細胞たちを愛していると 言っておかなければなりません 付き合って45年になります
(笑)
その美しさも 理由の一部です ここには美的な要素があります 例えばここにお見せする細胞は ありふれたニワトリの聴覚を担っています こちらはコウモリの超音波ソナーの細胞です 実験で良く使うのは こんなカエルの大きな有毛細胞です 有毛細胞は さらに遡って きわめて原始的な魚にもあります は虫類の有毛細胞は このように本当に美しいものも多く 結晶のような秩序も見られます
しかしただ美しいだけではなく その感覚毛はアンテナになっていて 機械のように 音の振動を電気的応答に変換し その信号を脳が解釈します この写真のように それぞれの感覚毛の先端には 小さい毛である 不動毛の1本1本を繋ぐ 細いフィラメントがあります 画面では小さな赤い三角で示しています このフィラメントのつけ根には 2-3個のイオンチャンネルという 細胞膜を貫通するたんぱく質があります
その働きを説明します このネズミ捕りが イオンチャンネルです カリウムイオンとカルシウムイオンを 通す穴が開いています 分子に対して小さなゲートがあって 開けたり閉めたりすることができます タンパク質のフィラメントを表す このゴム紐でゲートの開閉が決まります さてこの腕が 不動毛だとしましょう そしてこの腕が隣の短い不動毛です その間はゴム紐でつながっています 音のエネルギーが感覚毛にぶつかると 感覚毛は高い側に押されることになります 不動毛どうしがスライドすることで このリンクが引っ張られ チャンネルが開くと イオンがセルへ流入します 感覚毛が反対側へ押されたときには チャンネルは閉じます そして最も重要なのは 感覚毛の前後の動きが 音波があたっている間は 引き起こされて チャンネルの開閉が繰り返されることです 開くたびに数百万個のイオンが 細胞に流入します イオンの動きが電流となって 細胞は興奮します その刺激は神経線維に伝わり 脳まで伝播します 音の強度は この応答の強さで表されます 大きな音で押されると 感覚毛は大きく動き チャンネルが長い間開いて 多くのイオンが流れ込み 大きな反応を生じるのです
さて この動作方式は とても速い というのが長所です 視覚など 私たちの感覚の中には 化学反応を利用し 時間のかかるものもあります そしてそれゆえ もし私が皆さんに一連の写真を 1秒に20枚から30枚の割合で見せたら 連続したイメージという 感覚を得るでしょう 有毛細胞は 反応を利用しないので 他の感覚器官に比べ 優に1000倍もの早さです 私たちは音を毎秒2万回もの 高周波数域まで聞くことができます そしてもっと速い耳を持った動物もいます 例えばコウモリやクジラの耳は 毎秒15万回という彼らの超音波パルスを 検知します
しかし耳の能力が高いことは このスピードだけでは説明できません 「アクティブプロセス」と呼ばれる 増幅器が私たちの聴力に 大いに役立っていることが わかっています 「アクティブプロセス」は聴力を増強し すでに述べたような全ての特徴を 可能にしているものです
仕組みを説明します まず アクティブプロセスは 音を増幅します 最小の音だと 感覚毛の動きは 10分の3ナノメートルほどですが その音を聞くことができます 水分子の直径ぐらいの振動です とても驚くべきことです そのシステムはまた ものすごく広い ダイナミックレンジを有します なぜこの増幅が必要なのでしょうか? 大昔には増幅は有益でした なぜなら虎が私たちに気づく前に 私たちが虎に気づくことが重要だったからです その時代の 早期遠距離警報システムでした 今日では火災警報とか 消防車やパトカーなどの緊急車両の サイレンなど危険信号に 気づけることが重要です 増幅ができなくなると 聴覚が劇的に低下します そうなった人は 生物的な聴覚支援の代わりに 電気的な補聴器が必要になるでしょう
このアクティブプロセスは私たちの 周波数に対する選択性も強化します 訓練していない人でも 周波数が 0.2%違うだけの 2つの音を聞き分けられるのです その差は ピアノで隣り合う音の 30分の1の違いです 訓練された音楽家なら もっとよく聞き分けられます この優れた識別能力は 違った声を聞き分け 言葉のニュアンスを理解するのに 役立ちます 繰り返しになりますが アクティブプロセスが劣化すれば 言語によるコミュニケーションが より難しくなります
最後に アクティブプロセスは 耳が許容する音の大きさを 拡大するのに役立っています 聞くことのできる最も微かな音 たとえば ペンの落ちたときの音から 耐えうる最大の音 たとえば 削岩機やジェット機まで 音の強度の比率は100万倍に相当します これはあらゆる他の感覚や 私の知る限り あらゆる人工のデバイスよりも 大きな値です 繰り返しになりますが もしこのシステムが損傷すると その影響によって 最も微かな音を聴きにくくなったり 最も大きい音に 耐えられなくなったりするかもしれません
さて 有毛細胞の働く仕組みを理解するために 耳の中で有毛細胞の周りはどうなっているか 見てみましょう 聴覚器は カタツムリのような らせん型の渦巻管だと 学校で学びます ひよこ豆ぐらいの大きさの器官です それは頭蓋の両側面の骨に 埋め込まれたようになっています またプリズムで白色光を分解して 周波数が異なっていて 私たちに別の色として見える光に 分けられることも学びます 同じように 渦巻管は 複雑な音を周波数で分解する― ある種の音響プリズムのように機能します ピアノが鳴って 違った音が混ざり合い和音となります
渦巻管はその過程の逆を行います 音を分けて それぞれ別の場所に届けます この図では ピアノの中央のCと 両端の音 あわせて3つが 渦巻管のどこに対応するかを示します 最も低い周波数は渦巻管の最先端まで 伝わっていって取り出され 最も高い周波数である 20,000ヘルツの音は 渦巻管の根元のあたりで取り出され そして他の周波数は この間のどこかで取り出されます そしてこの図が示すように 音階で隣り合う音の高さは 渦巻管の表面において 有毛細胞で数十程度離れています
さて この周波数の分離は 違った音を聞き分ける能力において 重要な鍵となります なぜならあらゆる楽器も あらゆる声も それぞれに違った高さの音が 固有の集まりを作っているのです 渦巻管がそれを周波数で分けて 1万6千個の有毛細胞が脳に 周波数ごとの強さを報告します 脳が全ての神経信号を比較して 何の音を聴いているのかを 判断します
ただ 私が説明したいと思っている全てが これで説明できるわけではありません 秘密はどこにあるでしょう? 有毛細胞のすごさはすでにお話ししました アクティブプロセスはどう働いて そして 最初にお伝えした 驚くべき特徴が実現されるのでしょうか 答えは「不安定性」にあります 私たちはかつて 感覚毛は刺激された時以外は じっとしている 受動的な存在だと考えていました しかし実は 感覚毛はアクティブな機構です 機械的に活動して聴力を増強するために 感覚毛は内部でずっと エネルギーを使っています 外部からのインプットが全くない 休止状態のときでも アクティブな感覚毛は 絶え間なく振動しています 絶え間なく前後に 動いています しかしながら微弱音が入ると その音を捕まえてその音と同期して 巧妙に動き始めます そうすることで シグナルを何千倍にも増強させます
この同じ不安定性がまた 周波数の選択性を高めます ある感覚毛は 刺激のないときに 振動しているいつもの周波数で 最も大きく振動するようになっています つまり この組織は素晴らしく鋭い聴覚を もらたすだけでなく とても繊細な同調も行うのです
ではここで ちょっとしたデモンストレーションを やってみたいと思います 音響担当のスタッフにお願いして ある特定の周波数だけ 感度を高くしてもらいます 有毛細胞がある一つの周波数に 同調しているのと同じで 増幅器が私の声の 特定の周波数を強調します 背景となる音と比べてある高さの音だけが くっきりと浮かび上がる様子がわかりますか これがまさに有毛細胞のはたらきです それぞれの有毛細胞はある特定の周波数だけを 増幅して伝える一方で その他全ては無視します そして一連の有毛細胞は 一つのグループとして 聞こえた音にどの周波数が存在したか 脳に伝えます そして脳は 何のメロディを聴いているのか また何を意図したスピーチなのかを 判断できます
さて音響拡声システムのようなアンプは 問題の原因にもなることがあります もし増幅を強めすぎると 音は安定せずハウリング音を出したり 音が割れます 不思議なのは アクティブプロセスが 同じことにならない理由です なぜ私たちの耳は音を出さないのか? その答えは 「音を出す」です 適当な静かな環境下で 健常者の7割は 耳から1つ以上の音を 出しています
(笑)
例をご紹介しましょう 健常者の耳からは 高い周波数で 2つの音が出ています 背景の雑音も 識別できるかもしれません マイクのヒス音や ゴボゴボいう胃の音、心音や 衣服のこすれ音などです
(耳の音を提示)
これは典型的な例です 大抵の耳から出る音は5種類程度ですが 中には30種類ほどの音を出す耳もあります それぞれの耳は違っています だから私の左右の耳も異なります 私の耳は皆さんのものとも異なります でも耳は 劣化しなければ 何年間も あるいは何十年間も 同じ周波数スペクトルの音を出し続けます
話を整理すると 耳は感度すなわち増幅率を 自分で調整できることがわかりました だからスポーツイベントや コンサートのような 大音響の環境では まったく増幅を必要とせず この機能は最低レベルまで低下します もしこの会場のような場所では 少し増幅されているでしょう ただ音響システムが 大半の増幅作用を受け持っています 最終的にピンが1本落ちても聞こえるような とても静かな部屋では この機能はほぼ最大限の 増幅をする状態です さらに無響室のように 極めて静かな部屋では 増幅機能はメモリ11まで強くなり 不安定になります すると音が出始めます こういう音の放射は有毛細胞が どれほどアクティブになり得るかを くっきりと示すものです
残りの時間で ここから生じそうな もう一つの質問を扱います それは この先何をするのかです 私がこれから取り組みたいと考えている 3つのことについてお話しします
1つ目は 有毛細胞の増幅器の動きを決める 分子モーターはどんなものなのか? どのようにしてか 自然が偶発的に獲得したシステムは 毎秒2万サイクル以上で 振動して増幅できます これは生物学的などの振動よりも はるかに速く その起源について理解したいと 考えています
2つ目に 有毛細胞による増幅を 音の環境に応じて調整する方法です 静かな環境や騒がしい環境で 増幅器のつまみを 調整するのは何者なのか
そして3つ目は 私たち全員が気にしていること 聴力低下に対して 私たちにできることは何なのか 3千万人ものアメリカ人が そして世界では4億以上もの人が 日常生活にかなりの問題を抱えており 騒がしい環境でスピーチを聞いたり 電話するのに苦労しています さらに悪い状況の方も たくさんいらっしゃいます さらにその状況は時を追うごとに 悪くなりがちです なぜなら人の有毛細胞は死んだ時 細胞分裂で置き換えられないからです しかし非哺乳類では細胞は置き換え可能と わかっています これらの非哺乳類の細胞は 一生を通じて 死ぬたびに置き換えられます だから動物たちは 正常な聴覚を維持できます これは 小さなゼブラフィシュの例です 最上部にある細胞が細胞分裂をして 新しい2つの新しい有毛細胞を 生み出します それらの細胞は少しの間動き回り その後 しばらくして落ち着き 機能し始めます
そこで 他の動物において 有毛細胞が再生されるときに 登場する分子シグナルを解読できれば 人間でも同じことが可能になると 私たちは考えています 今や 私たちのグループや 他のグループもたくさん すばらしい有毛細胞が 再生できるように研究を進めています
ありがとうございました
(拍手)
耳がどういう仕組みになっているのか不思議に思ったことはありませんか? 生物物理学者のジム・ハズペスのトークは、有毛細胞が見事に単純な仕組みで驚くほどの処理能力をもつことを、明快に魅力的に紹介します。有毛細胞は聴覚を実現するミクロの原動機であり、それゆえに極めて静かな環境下では、耳から一人ひとりの固有の音が生じるのです。