3つの問いを通じてアメリカの市民権について考える(08:41)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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アメリカにやってきてから 4年が経った頃 16歳なら誰もがそうするように 運転免許を取りに行きました 係の人に自分の滞在資格証明である グリーンカードを見せると それは偽物だと言われました 「ここにはもう来ない方がいいよ」 と彼女は言いました こうして私は自分がアメリカに 不法滞在していることを知りました 今もその状況は変わっていません
ジャーナリストかつ映画監督である私は 物語に生きています そこで多くの人が移民問題について 理解していないのは 自分自身について 理解していない部分が あるからだと知りました 昔 家族が移住してきた時の話や グリーンカードや国境を示す壁がなかった頃に 進まざるを得なかった道程ー 言い換えれば 市民権そのものについての 考え方の根拠となっている部分です
私はフィリピンで生まれました 12歳の時に 母は私を 自分の両親のもとに送りました 私の祖父母です タガログ語ではロロ(おじいちゃん)と ロラ(おばあちゃん)です ロロの名前はテオフィロと言い 合法的にアメリカに移住して アメリカに帰化すると 名前をテオフィロから テッドに変えました 『チアーズ』というテレビ番組の テッド・ダンソンにちなんだそうです すごくアメリカ的でしょう?
ロロの好きな歌は フランク・シナトラの『マイウェイ』で たった一人の孫息子である私を アメリカに連れてくる方法を考えた結果 マイウェイを行くことにしました ロロによると 私を連れてくる 簡単な方法などなかったそうで ロロは4,500ドルを貯金しました これは時給8ドルの警備員にとっては 大変な額のお金です これで偽のグリーンカードを買い 密航請負業者に 私をアメリカに連れてこさせたのです
こうして 私は アメリカに来ました 数えきれないくらいの人から 「うちの先祖はアメリカに 『正しい方法』で来た」と 聞かされてきましたが そこで私が言いたいのは アメリカ側の「正しい方法」の定義は 植民者の最初の船が錨を下ろした瞬間から 変化し続けているということです
私たちの知るアメリカは 単なる土地ではありません これは特に 現在アメリカ合衆国を成す土地は かつて他の国の他の人々の ものだったからです 私たちの知るアメリカは 移民国家というだけでもありません 移民ではないアメリカ人には 2種類の人々がいます この土地の原住民である ネイティブアメリカンは 集団虐殺に遭いました それからアフリカ系アメリカ人は 拉致され 移送された上に 建国のために奴隷にされました アメリカは 何にもまして 概念なのです どれほど実現に至らず 不完全であっても この概念が存在するのは 最初の植民者が 市民権について心配することなく 自由にやってくることができたからです
皆さんはどこから来ましたか? どうやって ここに来ましたか? お金を出したのは誰? アメリカ全土の 多様な聴衆を前にして― 保守的な人々や進歩的な人々から 高校生や高齢者まで様々な人に この問いを 投げかけてきました 有色人種であるために どこから来たかは常に聞かれます 「元々はどこから来たのか」と そこで私は白人にも 元々はどこから来たのか尋ねます
ジョージア大学の学生に どこから来たかと尋ねると 彼は「アメリカ人です」と 答えました 「そうだね でも元々はどこから?」と私 「僕は白人です」と彼 「白人というのは 国ではありませんね」と私 「あなたの祖先は どこから来たんですか?」 彼は肩をすくめたので 私はこう言いました 「どこから来たんですか? どうやってここに来て そのお金を出したのは誰?」 彼は答えられませんでした
これら3つの核心的な問いに 答えることなく アメリカをアメリカとして 語ることはできません 移民はアメリカの生命線です この国は何百年もそうやって 人を補充してきました 植民者や アメリカ13州を作った革命家たちから 主にヨーロッパからやってきた 何百万人という移民たちまでが この国に絶えず移住してきたのです ネイティブアメリカンは すでにここに住んでおり 独自の部族意識と市民権についての 考えを有していたにもかかわらず 1924年のインディアン市民権法まで 彼らはアメリカ市民ではありませんでした 黒人のアメリカ人が勝ち取った 1964年の画期的な公民権法は 1965年の移民および国籍法が 生まれるきっかけとなり アメリカにおける人種に基づく 排他的なシステムに終止符を打ちました 実に40年間も続いたシステムです
こんな話はいくらでもあります でも 私が伝えたい要点はこうです 一体 私たちは― 過去や現在のいずれかの時点で 移民であった者は― アメリカ史の重要な転換点について どれほど知っているでしょうか? こうした歴史のどれほどが 実際の市民権取得試験に出るでしょう? 見たことがありますか? この試験はほとんどが口頭で行われ 政府の担当者が申請者に 100ある問題のうち10問を尋ねます 合格するには少なくとも 6問に正解する必要があります
最近 試験問題を見ましたが 私はそこで問われている問題と 許容される解答に 明らかに手落ちがあることに 唖然としました 自由の女神像についてや どこにあるかは問われるのに エリス島にまつわる問題 つまり 移民国家としての アメリカについての問題や 可決されてきた数々の反移民法についての 問題はありませんでした ネイティブアメリカンの歴史も 問われません マーティン・ルーサー・キング Jrの 功績については問われても 概して アフリカ系アメリカ人については 不適切でいい加減な文脈で述べられていました
例を挙げましょう アメリカ史のセクションの 問題74は 「南北戦争が起きるに至った問題を ひとつ挙げよ」というものです 許容される解答は3つ 奴隷制度 州権 経済的理由だそうです
私の祖父母はこの問題を 聞かれたのでしょうか? 聞かれたとしたら その背後にある歴史を 理解していたのでしょうか? 私のおじや おばや いとこを始め アメリカ人になるために 試験を受けなければいけない 何百万人もの移民たちはどうでしょう? 来る前に移民たちはアメリカについて 何を知っているでしょう? 一体 どんな市民権を得ようと 申請しているのでしょうか? そして 私たちが真に手にしたい市民権とは そのようなものなのでしょうか? 考えてみると― このことについてよく考えるのですが― 尊厳ある市民権とは どのようなものでしょうか? 26年前 アメリカにやってきた時に 私が求めることなどできたでしょうか? 黒人やネイティブアメリカンが 何百年もここアメリカに 住んでいながら 手にしていなかったというのに?
私の好きな作家の一人は トニ・モリスンです 自分が不法滞在していると 知ることになる1年前の1996年に 8年生の授業で 『青い眼が欲しい』という 彼女のデビュー作を読みました この本を読んですぐさま 厳しい問いに直面しました ピコーラ・ブリードラヴという この本の主人公である 黒人の少女は どうして青い眼を 欲しがったんだろうか? 誰に欲しがれと言われたんだろう? どうして欲しがるべきだと 信じたのだろう? モリスンが この本を通じて描いたのは 彼女の言うところの「大きな物語」に 人が屈するとどうなるかだと言います モリスンは「定義は定義される者ではなく 定義する者の手中にある」と言いました
自分が不法滞在者であると知ってから 私は生まれや法律によって 合法的な市民になれないとしても 別の市民権を手にしうるはずだと 考えました
参加という形の市民権 私は向き合います 私にこの国にいてほしくないと思う人も含めて あらゆるアメリカ人と向き合います
貢献という形の市民権 自分にできる方法で 地域社会に貢献します 不法滞在のアントレプラナーとして― 実際にそういうものがあるんですが 多くのアメリカ市民を 雇用してきました
教育としての市民権 過去についてや どのように現在に至ったかを 誰かが教えてくれるのを 待ってはいられません 自分自身と周囲の人々を 教育すべきです
自分よりも大きな存在としての市民権 私たちは 個人として そして集団として アメリカの大きな物語を 書き換えつつあります かつて定義される側だった人々が 定義しようとしているのです 問われて然るべき問いを 投げかけています 再定義の核心にあるのは 誰がアメリカ人であるかだけでなく 市民権とは何かを 定義することです 私に言わせれば それはお互いへの責任です
ですから 自分の物語を振り返って 自分に問うてみてください 自分はどこから来たのか? どのようにしてここに来たのか? お金を出したのは誰か?
ジャーナリストであり映画監督でもあるホセ・アントニオ・ヴァルガスは、16歳の時に自分がアメリカに不法滞在していることを知りました。それ以来、彼は移民問題について、そしてアメリカ市民であるとはどういうことかについて、深く考え続けてきました。アメリカ市民であるかどうかが決まるのは、生まれによるのか、法律によるのか、それとも他の要件によるのでしょうか。この力強いトークで、ヴァルガスは市民権についての考え方を変えようと呼びかけるとともに、次の3つの問いを通じて自分の来歴について考えてみるよう促します。自分はどこから来たのか? どのようにしてここに来たのか? そしてそのお金を出したのは誰なのか?