経済危機が個人のせいにされるのはなぜか(13:54)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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寒くて晴れた3月のある日 私はリーガの街を歩いていました 冬がゆっくりと終わりを 迎えつつあったのを覚えています まだあちこちに 雪が残っていましたが 歩道はきれいに乾いていました リーガに住んだことがあれば 春の兆しがもたらす安堵感を 知っているでしょう 雪と泥が混ざってぬかるんだ道を 歩く必要がなくなるのです そんなわけで 散歩を楽しんでいると 足元の歩道にステンシルの塗装が あることに気づきました 落書きです 濃い灰色のレンガに 白い文字がペイントされていました こんな言葉です 「あなたの責任は どこに行ったのか?」
その問いに 私は足を止めました そこに立ったまま どういう意味なのかを考えていると それがリーガ市の社会福祉課の 建物の前であることに気がつきました 誰が書いたのかは知りませんが この落書きの作者は 生活保護の申請に来た人たちに 問いかけているようでした
その冬 私は ラトビアにおける経済危機の 余波について研究していました 2008年の世界金融危機で 開放経済を持つ小国であるラトビアは 大きな打撃を受けました 帳尻を合わせるために ラトビア政府は 国内通貨の切り下げを行いました つまり 公的資金の支出を 大幅に削減したのです 公的機関の職員の給与を削減し 公務員を減らして 失業手当などの社会扶助を減らして 増税を行いました
私の母はそれまでずっと 歴史教師をしていました 緊縮財政のせいで 母の給与は急に 3割カットされることになりました 多くの人が同じような あるいは それより悪い状況に置かれました 経済危機の損失が 一般のラトビア人にのしかかったのです
経済危機と緊縮財政のために ラトビア経済は2年間で 25%も縮小しました これほどの規模の不況に 襲われたのは 他にはギリシャだけです しかし ギリシャの人々が 何か月もの間 街頭デモに繰り出し アテネで継続的かつ 往々にして激しい抗議を行った一方で リーガは静まりかえっていました 『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムでは 著名なエコノミストたちが ラトビアによる緊縮財政という 奇妙で極端な実験について 議論をしていましたが 彼らはラトビア経済が それに耐えている様子を 信じられない気持ちで 見守っていました
当時私はロンドンに留学しており 占拠(オキュパイ)運動が 街から街へと広がっていった様子を 覚えています マドリードから ニューヨーク そしてロンドンへと 1%の富裕層に 99%が立ち向かったのです みなさん ご存じですね でも 私がリーガに降り立つと その運動の反響は どこにも感じられませんでした ラトビアの人々は ただ耐え忍んでいたのです 地元のことわざにあるように 「カエルを飲み込んで」いたのでした
私は博士論文の研究で ラトビアで国家と市民の関係が ソ連以後の時代にいかに変わったかを 研究したいと思っていました 私は職業安定所を 調査の場に選びました 2011年の秋に職業安定所に行って 気づいたのは 「経済危機の余波が いかに表れているかを 自分はまさに 直に目の当たりにしている 最も打撃を受けて職を失った人々が どう反応しているかを 目にしている」 ということでした
そこで職業安定所で出会った人々に 聞き取り調査を始めました 全員が求職中で 国の支援を望んでいました でも やがて分かったことは この「支援」は特定のものだということです いくらかの給付金もありましたが 国の支援の多くは 社会プログラムとして提供され 一番大きなプログラムは 「競争力向上アクティビティ」でした 端的に言うと これは一連のセミナーで 失業者は皆 出席するよう 促されていました 私も一緒に参加するようになりました そして多くのパラドクスに 気づくことになるのです
想像してください 経済危機はいまだ続いており ラトビア経済は縮小しています 新たに雇用しようとする人は ほぼいません そんな状態で 明るい照明に照らされた 小さな教室に集まった 15人の人々が 個人の長所や短所や 心の中の弱さなど そのせいで労働市場で 成功できないとされるものを 書き出しているのです
地元で最大の銀行が 財政援助を受けており その援助の資金が 市民の肩にのしかかっている時に 私たちは車座になって ストレスを感じた時の 深呼吸のしかたを 習っているんです
(深呼吸をする)
住宅ローンが抵当流れ処分にされ 何万人もの人々が 国外に移住しているというのに 私たちは大きな夢を追いかけろと 言われているのです
社会学者として 私は 社会政策が国家と市民の間での 重要な意思疎通のひとつだと知っています このプログラムのメッセージは トレーナーの一人の言葉を借りれば 「とにかく行動しろ」 ナイキのキャッチコピーですね 象徴的に 国は職を失った人々に こう伝えていたのです もっと行動的であれ もっと努力せよ 自己研鑽せよ 心の中の悪魔と戦え もっと自信を持て― まるで 失業したのが 個人の失敗のせいであるかのように 経済危機による苦境が 個々人のストレスによるものだとされ 深呼吸と瞑想によって 体内でコントロールするものと されたのです
個人の責任を強調するような こうした社会プログラムは 世界中でどんどん一般的になっています これらは社会学者のロイック・ワカンが 言うところの 「新自由主義のケンタウロス国家」の 台頭によるものです ケンタウロスというのは 古代ギリシャ文化における 神話上の生き物で 半人半獣の存在です 上半身が人間で 下半身が馬の生き物です ですから ケンタウロス国家というのは 社会階層の上位にいる者たちには 人間らしい顔を向けておきながら 社会階層の下位にいる者たちは 踏みつけられ 追い払われる国家です 富裕層や大企業は 税負担カットなどの 支援策を受けられるのに 失業者や貧困層は 国の支援を受けるに値すると 証明することを求められ 道徳的に罰せられ 無責任だとか受け身だとか 怠惰だと非難され 犯罪者扱いさえされます
ラトビアでは このような ケンタウロス国家モデルが 90年代以来 ずっと続いています 例えば 今年まで施行されていた 固定額の所得税がそうです 高所得者たちには有利でありながら 人口の4分の1の人々は 貧困にあえいでいました そして経済危機と緊縮のせいで こうした社会的不平等は悪化しました 銀行の資本や富裕層が守られる一方で 多くを失った人々には 個人の責任の名の下に 教訓を垂れるのです
こうしたセミナーで出会った人々と 話をしながら さぞ怒りを感じているだろうと 思っていました 個人の責任だとする教訓に 反発しているはずだと思っていました 結局のところ 経済危機は彼らのせいではなく その煽りを受けたに過ぎないのです でも 人々から話を聞きながら 私は何度も何度も 責任という考えの持つ力に 愕然としました
出会った中の一人は ジャネテと言います 彼女は23年間ずっと リーガの専門学校で 洋裁や手芸を教えていました 経済危機の打撃を受けて 専門学校は緊縮財政の一環で 閉鎖されてしまいました 教育制度の改革は 公的資金の節約の一環でした ラトビア全国で 1万人の教師が職を失い ジャネテはその一人でした 彼女からの話を聞く中で 失業によって 深刻な状況に 追い込まれたと知っていました 彼女は離婚歴があり 10代の子供を 2人抱えていました でも 彼女と話していると 彼女は経済危機は まさにチャンスだと言うのです 彼女が言うには 「今年で50歳になるけれど 立ち止まって 辺りを見回す機会を 人生が与えてくれてるんだと思う だって これまでずっと 休みなしに働いてきて 立ち止まる暇もなかった 今 立ち止まってみて すべてを見直して 決断する機会を 与えられているんだと思う 自分が何をしたくて 何をしたくないのかをね ずっと 洋裁ばかりで 疲れてしまっていたんだもの」
ジャネテは勤続23年の後に 解雇されたというのに 抗議をしようとも思っていないのです 1%の富裕層 対 99%の市民という 構図についても話しません 彼女は自己分析しているんです 彼女は実際に自宅で ちょっとしたビジネスを 起業しようと考えていて 観光客向けにお土産物の人形を 作ろうと考えていました
アイヴァースにも 職業安定所で出会いました アイヴァースは40代後半で 彼は道路工事の管理をする 政府機関での仕事を失いました 彼はミーティングに 読んでいる本を持ってきました 『ストレス撃退:合気道の霊的エネルギー』 という本でした 合気道は格闘技のひとつだと 知っている人もいるでしょうが 合気道の霊的エネルギーだそうです アイヴァースは数か月間 職を失ってから本を読んだり 考えを巡らせたりしているうちに 現在の苦境は自分のせいだとわかったと 教えてくれました 彼が言うには 「自分で招いた事態なんだ 僕はよくない心理状態に 置かれていた お金や職を失うことを 恐れていれば ストレスが溜まって 苛立ち もっと恐れを抱くようになる そういうことなんだよ」
説明してほしいと頼むと 自分の思考を縦横無尽に走り回る 野生の馬に詩的に喩えて言いました 「自分の思考を御さなければいけない 物質的世界で秩序を保つためには 自分の思考を御する必要がある 思考を通じて 秩序がもたらされるんだ」 彼は「最近はっきり分かってきた 周りの世界や自分に起こったことや 人生で出会った人々はすべて 自分に直接 帰するんだとね」 ラトビアが極端な経済実験を 行っているさなかに アイヴァースは自分の考え方を 変えなければと言うのです 彼は自分の状況をすべて 自分のせいだと考えていました
さて 責任を取ることは もちろん良いことですよね 「責任」が特に意味を持ち 道徳的に課されるようになったのは ソ連以後の社会です 国家に頼ることは ソ連時代の負の遺産だと 考えられました でも ジャネテやアイヴァースや 他の人々に耳を傾けて 私は あの問いが なんて残酷なのかと考えました 「あなたの責任は どこに行ったのか?」 なんて厳しいのだろうかと なぜなら この問いは 経済危機の打撃を最も受けた人々に 責任を負わせ 彼らをなだめすかしていたからです ギリシャ人が街頭デモに出る一方で ラトビア人は耐え忍んでいました 何万という人々が国外へ移住したのも 責任を取る行為の一環です
ですから 言葉― 個人の責任を語る言葉が 集団での現実逃避となっていたのです 失業が個人の失敗であるとする 社会政策が行われる一方で 人々に実用的なスキルをもたらす プログラムや雇用を創出する― 十分な資金がないのに 政策立案者らの責任には 気づかないままなのです 貧困層は受け身で怠惰なのだと 非難を浴びせる一方で 国外移住以外に 貧困を脱せるような 実際の手段を人々に与えない限り 貧困の真の理由からは 目を背けたままです そして その間 私たち全員が苦しみます なぜなら 社会科学者らの研究による 詳細な統計データによると 経済格差が高い社会であればあるほどに 精神的・肉体的健康に問題を抱えた人が 多いとされているからです 社会格差は持たざる者だけでなく 全員にとって よくないのです なぜなら 格差の激しい社会に 暮らすということは 社会的信頼が低く 不安が大きい社会に 暮らすことだからです
そうやって 私たちは 自己啓発本を読んで 習慣を改めようとしたり 考え方を変えようとしたり 瞑想をしていました もちろん それも一応 役には立ちます 自己啓発本を読めば 気分が明るくなりますし 瞑想することで他人との 精神的な結びつきを感じられます 私が必要だと思うのは 私たちは社会的にも 結びついているという意識です 社会格差はあらゆる人の 害になるからです 私たちには 道徳的教育を 目的とするのでなく 社会的正義と平等を目的とするような 思いやりのある社会政策が もっと必要なのです
ありがとうございました
(拍手)
2008年、世界金融危機によってラトビアは大打撃を受けました。失業率が一気に上がる中、政府は公的資金を打ち切って増税する一方で、富裕層や大企業に助成金を提供しました。これらはすべて、生活に苦しむ市民からの反発や抗議もないままに実行されたのです。社会学者のリエン・オゾリナは、どのようにしてラトビアの官僚たちが、自国の経済危機が個人のせいであると市民たちを納得させたかを検証します。そして世界中で起きつつある、不平等をよしとするような同様の社会政策の増加について浮き彫りにします。