医療をメインフレームから取り外そう

エリック・ディシュマン (Eric Dishman)
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ドクターズゲートオリジナル神津 仁Dr. 監修対訳テキスト
神津Drプロフィール
e-doctorで好評連載「名論卓説」の神津 仁Drが監修。ドクターズゲートでしか読めない、医療関係者向け対訳文です。
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電話について考えてみましょう。インテル社は、今日お見せする多くのことを、この10年間に約600の高齢者世帯で試してきました。-- アイルランドで300軒、ポートランドで300軒です。我々はどのように人の行動を測りモニターするのが医学的に意味のあるやり方なのかを理解しようと努めてきました。さて電話についてですが、そう、人助けのためにとっても素晴らしい使い道があります。正しい薬を正しい時間に飲む助けに使えます。我々はこうしたシンプルな、センサーネットワーク技術を家庭で試し、お年寄りが使い慣れている電話が、薬を飲む役に立つだろうと考えています。お年寄りが電話をとると、服用すべき薬を教えてくれるメッセージが聞こえてきます。彼らは単に友達と会話をしているふりをすればいいのです。キッチンのテーブルに置いてある 「年寄り ひ弱」とでも言いたげな薬入れに、恥を感じなくていいのです。こんな密かなテクノロジーが、薬を忘れずに正しく飲む、という単純なことの役に立つのです。

また私たちは電話で他にもすごいことをやっています。実は電話を受けるたびに、認知機能のテストを受けているといえるのです。考えてみてください。3パターンの電話の受け方をデモします。「もしもし、おお」いいですか、これが一回目です。「もしもし、えっと、おお」、「もしもし、えっと、どなた?ああ、おお」どうです? 三回の電話の受け方には、ずいぶんな違いがありましたよね。お年寄りの電話の受け答えを、長期的に見ていき、0.01秒単位の正確さで、認知した瞬間を調べます。電話しているのを友達だと理解し、すぐに会話を始めるか、それともまごまごと「えっ?どなた、ああ」というようにしばらく戸惑うか、を記録します。この認識するまでにかかる時間は、初期の痴呆を感知するにあたって、最も的確な尺度かもしれません。

こういうのを行動指標といいます。他にもいろいろあります。例えば、電話が鳴ったら答えるのに以前より時間がかかっているか、耳が遠くなったのか、それとも体が不自由になったのだろうか、声が以前より小さいか、研究中にアルツハイマーやパーキンソン病の方と触れ合うと、特にパーキンソン病患者がたまに発するあの小声が、医学的に認知される5年から10年も前に、病を感知する最も的確な目印になりうるということが分かってきました。ただこんなかすかな声の変化は気付き難いため、患者自身や配偶者は極端に声が小さくなるまで、気付かないものなのです。

電話のセンサーはそんな声に注目しています。受話器を取ったとき、どれくらい手が震えていて、震えの具合はどのように変化しているか、以前より電話するのに苦労しているか、不器用になったのか、それとも初期の関節炎だろうか、頻繁に電話するか 以前より非社交的になっていないだろうか、傾向に注目するのです。このような社交性の減少は、将来の身体的健康とどうつながっているだろうか。そして、うわあ、何て画期的なアイディアでしょう。アメリカ以外では、このような全く新しい技術を利用して 電話の向こう側のナースやドクターと会話できるかもしれない。実際にこんなことができる日がきたら、何て素晴らしいことでしょう。

これらを私は行動指標と呼んでいます。これはまさにこの10年間インテルで私達が研究してきた分野です。破壊的技術をシンプルに表すのが、今日お話しする5つのスローガンの一つ目です。行動指標は重要、どうしたら行動を変えられるか、どのように行動の変化を測ったら効果的に病気を予防し、病気の始まりや、その進行を長期的に追うことができるでしょうか。

さて、この10年間なぜインテルは、大量のお金と時間をかけてお年寄りが必要とするものや、このような行動指標についての研究をさせてくれたのでしょうか。これは私達が行った実地調査の例です。この10年の間に20カ国で1000もの、お年寄りの家庭に暮らしてみました。ニューヨーク州のロチェスターの人々が対象です。現地で暮らすのは冬と決めました。冬期の暮らし、また医療の利用しやすさや彼らの社交性は、夏とはかなり異なるからです。腰骨を骨折した場合、一緒に病院に行き、退院までの経験を全て研究します。介護に大きく貢献する重要な家族がいる場合、その家族も含めて、つまり医療経験を全て研究するのです。この10年間で、20カ国における1000人以上のお年寄りを調査しました。なぜインテルはこの研究への投資をいとわないのか、その理由は二つ目のスローガンにあります。今から10年前、私がインテルに自立生活を支援する破壊的技術の、研究の許可を求め始めとき私はこの課題を"Y2K + 10"とよびました。

2000年のことを思い出すと、みんなコンピュータの老化について、絶えず心配してましたよね。1999年から2000年への変わり目を、無事に生き抜くことができるのか、心配しすぎて、人口統計学者しか注目していなかった瞬間を見逃したのです。まさに新年のあたりのことです。突然の大転換が起きました。初めて、世界のお年寄りの数が 若者の数を上回ったのです。史上初のことです。宇宙人が侵入したり、世界的な流行病が起きない限り、今後もこの状況は続くと人口統計学者は予想しています。

10年前ですから、インテルを説得するのにたっぷり時間があったかと思うでしょう。Y2K + 10問題はどんどん進行し、ベビーブーマー達は退職し始めています。さて皆さん、ここにあるのは見慣れた人口統計ですよね。これは全世界の地図です。まるで灯りはついているけど、誰も居ないかのようのです。まさにY2K + 10の問題ですよね。みんなは分かってはいるけど、実感してない、誰もこの問題に全く取り組もうとしません。

医療改革法案は大いに、老化現象の実状を無視しています。また私達が変えなければいけないのは、どうやって介護費を支払うかだけでなく、介護の革新的な提供方法が必要だということも推測できます。この問題は私達にかかっているのです。この見出しを見たことがあるでしょう。キャサリン・ケイシーです。彼女はベビーブーム世代で初めて社会保険を受け取った人です。今年、彼女は早期退職を選びました。彼女が生まれたのは1946年になった1秒後でした。退職する前は教師でした。保険行政官と一緒にいるところです。初のベビーブーマー、来年2011年までもかかりませんでした。もう今年から早期退職する人がでてきています。

さあ、Y2K+10問題はもうここまで来ているのです。50の津波が予約済みといえるでしょう。しかし私たちは政府の力や先進的な技術を使ってそれらに立ち向かうことはできないようです。今から準備するのではなく、大惨事になるまで待っているのでしょうか。このY2K+10問題に備えることが、非常に困難な理由の一つ、それは私達はメインフレーム中毒にかかっているのです。

6~7年前にアンディ・グローブ(当時のインテルCEO)が、本人は忘れたでしょうがフォーチュン誌中で、メインフレーム医療という表現を用いました。私はこの観念を発展させてきたのです。 彼は「エリック、するどい発想だね」と言ったので。私は「あなたがフォーチュン誌に載せたものを、発展させただけです」と返しました。これがメインフレームです。

このように医療機関にお金をかけて、みんなで行って共同使用するという観念は1787年に始まりました。これはウィーンにある、初の一般病院です。ウィーンに第二の一般病院が建築されたのは、1850年頃で、徹底的な医学カリキュラムを開発して医学生に専門科目を教え始めました。またここで開発された、まさに人体を分割するという考え方や、医療を別々の学科や区画に分類するという観念が発展しました。私たちの思想にもそれが反映され、医学教育もその影響を受け今日までこのメインフレーム思考が持続しています。

さて、私は反病院思考なわけではありません。健康のために薬物治療を受けたり、様々な病院を訪問したこともあります。しかし私たちは高台にある病院をすごいと思いがちです。そう、これがメインフレーム医療なのです。そしてたった30年前には、今使っているような技術は考えられませんでした。以前はこの部屋の大きさほどあったメインフレームコンピュータが、今ではバッグやベルトにつけている、携帯電話の中にあるのです。突然コンピュータという、以前は専門家中心だったシステムが、みなさんが日々利用する個人的なシステムになったのです。このようなメインフレームから個人への転換を、医療にも応用するべきです。メインフレーム思考の医療から個人中心型の医療に、移り変わらなければならないのです。

私達はこのような考え方にはまり過ぎています。インテルが世界中の人に、「医療と聞いてすぐに思いつくのは?」と聞くと、一般に最初の答えは「医師」です。二番目の答えは「病院」、そして三番目は「病」。私達の脳は機械的に、医療と医療改革といえばこういう所で起きるものだと、考えるようになっています。今進行している医療改革や医療技術の方針を聞くと、どのようにしてメインフレーム内の電子医療資料を医師たちに普及させるか、ということばかりです。メインフレームから家庭へと、移行する方法など頭にありません。この問題の根源は、私達の医療の認識にあります。

今のシステムは危機に対する反応で成り立っています、診療時間は15分。医療は全人口レベルでとらえていて、人工的な環境の中で生体情報を集め、そして患者をさっと治して、家に返します。そして、冊子を渡したりネットのサイトを教えたりして、メインフレームに戻ってこないことを願います。

既にこんな方法ではやっていけないことは明らかです。メインフレーム医療では無保険者まで治療できない、そしてこれから高齢化の波に対面したら、この問題は数倍に拡張しますよね。医療面で不景気が続いているので、何か新しい対策が必要です。家庭に注目しなければなりません。

より個人的な医療対策を目指し、医療を家庭に移動させなければなりません。早期予防的な対応はどうすれば実現するか、どうやって24時間365日休みなく生体情報などを測定するか、どうやって患者特有の正常数値を得るのか、家の中や周辺における、生体情報に限らない行動、心理、環境との関係についての情報を、どうやって収集すればよいのか、そして今まで通りの医療プランに従うのをやめて、素晴らしい技術を利用した個人的なものに変えるためにはどうしたらいいのでしょうか。これこそ個人的な医療モデルを発達させるための的確な対策です。

いくつか例を挙げましょう。ミミです。私達の研究に参加した一人で、90歳代のとき彼女が転倒したことを気にして、家族は彼女を外に預けることにしました。ひどい転び方をした経験がある人、または親や家族の誰かがひどい転倒を経験したことがある人は手を挙げてください。典型的なパターンです。骨盤骨折をもとに施設に入るお年寄りは珍しくありせん。ミミの場合も同様、心配した家族は、彼女を自宅から介護施設に移すことにしました。そこで彼女は酸素吸入器につまづきました。

この年代の人は警報機を持っていても、人の世話になりたくないから使いません。毎月30ドル払っているにも関わらずです。ベビーブーム世代は間違いなく押すでしょう 休み無しに警報ボタンを押すでしょうね。

ミミは骨盤を骨折し一晩中、そして次の日の朝もずっと誰かが彼女を見つけて病院に連れて行くまで、倒れたまま待っていました。そこで治療を受けましたが、介護には戻れないため、老人病棟に入れられました。同じ施設の老人病棟での最初の夜、次々と違うベッドに投げられるように移動させられ、彼女は再び骨盤を骨折し、同じ病院に戻されました。そこでは誰もカルテを見ずに、アレルギーであるタイルノールを飲ませました。彼女はアレルギー反応や床擦れ、心臓異常などに苦しまされ亡くなりました。転倒とその結果起きた手違いと過失の結果です。

さてこの話の一番恐るべきことは、これは私の家内の祖母に起きたことなのです。私はエリック・ディシュマンです。英語を話し、インテルの社員で、いい給料をもらっています。研究分野である、転倒や関連した怪我についてもよく理解しています。私は上院議員やCEOへも顔がききます。それでもこのようなことを防げないのです。このような避けられない問題が起きたときに、お金がなく、英語が話せなかったら、こんなときどうすればよいのでしょうか。大多数の転倒を予防するためにはどんな対策をとればいいのでしょうか。

まさにその対策を築くために私達が進めている、研究の例をいくつか挙げましょう。私はシマーというちょっとした電子機器をつけてきました。ここに研究のプラットフォームがあるのです。この機械には加速計がついており、心電図もつけられます。様々な機能のものをつけることができ、これらによって外の世界で実際の震えや足取り、歩幅などを記録します。

ミミの例からも分かるように、問題なのは転倒についての私達の知識は州から三ヵ月後に送られてくる調査書にある「転倒時に何をしていましたか?」の統計位だということです。そんなものなのです。でもシマーやマジックカーペットという機械、つまりカーペットにスポーツ医療に使われているセンサーやカメラ装置を搭載したものを、600件のお年寄りの家庭に導入しだし、実際の動作に関するデータを収集することでお母さんが転倒する恐れがあるというサインになるような、かすかな動きの変化について分かり出してきています。

そして多くの場合、二種類の介入が可能です。医薬品の問題も解決しなければなりません。私は定理的データを研究対象としていますが、家庭から送られてきたデータを見れば、どこかの医者が知らないうちに新しい薬を処方した日にちを推定することができます。家庭内での移動パターンに明らかな変化が見られるからです。このような行動指標や行動の変化についての発見は、医療に非常に重要な影響をもたらす 顕微鏡の発見のようなものなのです。データ、ストリーム収集という初めての試みが可能にしたことです。

これはアイルランドのトリルクリニックです。ここに見えるように、彼女はマジックカーペットに記録されたデータを見ています。この小さなカーペットによって、何ヶ月にもわたって姿勢のゆれ具合とその変化を観察できます。これはそのようなデータの例です。これはセンサーが点灯しているところです。

これは私達の研究に参加した、2人のお年寄りの約1年分のデータです。彼らが移動した室内の様々な部屋が色で示されています。左図の人は自宅生活で、右の人は介護施設に住んでいました。なぜ分かるかというと、食事の時間、つまりそれぞれの個室にいないときの時間がとても規則的ですよね。大したことではないように感じるかもしれませんが、このような長期に渡って繰り返し収集されたデータを見ることで、行動を完全に家庭内での部屋の移動から、シマーがとらえるような細かな足の動きまで見ることで、このデータストリームから今まで分からなかった行動パターンに関する様々なことが明らかになってきます。

ORCATech.orgを見てみてください。シャチ(orca)は無関係です。オレゴン老化と医療センターです。そこにもっと詳しいことが載っています。インテルは今でも、世界有数の自立生活支援技術に関する研究のスポンサーです。多くの資金提供を自慢しているのではなく、問題なのは他の人達が老化現象に無関心で、新しい対処法、慢性病管理、また自宅での自立生活に関する研究への援助が、極端に少ないということです。

四つ目のスローガンは、一万の家庭に広めなければ破滅です。国際的にそれが無理ならせめて全国規模で、フラミンハム式の心臓の研究を自立生活支援技術に関して実施するために、一万のお年寄りの家庭に対して医療が全てそろった環境と研究を開始するための基盤を提供し、大学がスポンサーとなって進めてきた20の家庭での結果をもとに大規模の臨床実験に発展させ、これらの技術の重要性を証明する必要があります。だから一万の家庭に広めなければ破滅です。これらはインテルの研究のために訪問したいくつかの家庭です。

さて私の五つ目、そして最後のスローガン。この2年間、もうすぐそこと思われることもありましたが、とにかく医療改革法案の主題が何かから何かへの変化となるように促す努力をしてきました。メインフレーム中心構造から、個人中心の医療構造への移り変わり、または公共医療保険の制定とその資金の問題について論議以上のものになるように。医療費用の支払い方法は重要な問題ではありません。何かいい方法を今後10年間で考えて試すのです。誰が費用を提供しようと、とにかく根本的に違う方法で 患者を家庭内で介護し、家族や介護をする人達を介護チームの一員と認識し、ここにある破壊的技術を使うことで、根本的に介護の仕方を変えなければいけないのです。

私達の大統領は堂々と、医療改革の論議の最後に「この国の目標は10年以内に介護の50%を施設、診療所、病棟や老人ホームから家庭に移すことだ」と述べるべきなのです。これは可能です。経済的にも道徳的にも、達成するべき目標です。そして生活の質を高めるためにもです。今ある医療改革法案には何の目標もありません。全くめちゃくちゃです。

さて、私からの最後のメッセージです。どうやってこれからのY2K +10問題を解決に向けて、月旅行レベルの目標を定めたらいいのでしょうか。新しい技術やその進歩がこの問題を完全に解決しないかもしれない。でも解決策の一つとなるでしょう。個人中心の医療を目指す動き、つまり医療改革の大目標を私達みんなで始めなければ行き詰まってしまうでしょう。この会議をそんな運動へと進めてください。どうもありがとう。(拍手)

《破壊的技術》とは
破壊的技術とは、従来の価値基準の下では従来製品よりも性能を低下させるが、新しい異なる価値基準のもとでいくつかの優れた特長を持つ新技術のことである。いくつかの優れた特長は低価格・シンプル・使い勝手のよさなどであることが多い。破壊的技術は優れた特長を有しながらも従来の価値基準では性能的に劣るので主流市場では地位を得られない。かわりに破壊的技術の優れた特長を高く評価する、小規模で新しい市場を創出することになる。
(Wikipediaから)

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このプレゼンテーションについて:

TEDMEDでエリック・ディシュマンが大胆な発言をします:米国医療システムは病院、医師、老人ホームなどからなる巨大中央システムによって縛られ、まるで1959年頃のコンピューティングのような状態に陥っているのです。
高齢化が進む今、全ての人が利用できる、より個人的であり、かつ周囲の機関とのつながりがしっかりしていて、家庭を基盤とした医療管理に注目することが重要だと彼は力説します。

神津 仁Drについて

神津内科クリニック 神津 仁 院長 1977年日本大学医学部卒。第一内科入局後、1980年神経学教室へ。医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。 米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)を経て、帰国後は1991年に特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。1993年、神津内科クリニック開業。
医師求人・転職専門サイト「e-doctor」にて『神津仁の名論卓説』を連載中。

【略歴】
1999年 世田谷区医師会副会長就任
2000年 世田谷区医師会内科医会会長就任
2003年 日本臨床内科医会理事就任
2004年 日本医師会代議員就任
2006年 NPO法人全国在宅医療推進協会理事長就任
2009年 昭和大学客員教授就任

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