e-患者・デイブにこんにちは。(16:31)
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このようにして私たちが集結し、現代の患者たちの立ち上がりについて話し合っていることは、素晴らしいことです。今日、これまで患者達が自分たちのケースをきちんとコントロールし、「治る可能性は分かっているけど、自分で色々な情報を検索してみよう。」という活動的な姿勢についての数々のお話を聞いてきました。私も、自分の実体験に基づき、患者として生活する中で成し遂げられたものについてお話します。私が4年前に死にそうになり、もうちょっとで息を引き取りそうになった実体験についてもお話したいと思います。そして、私が知ることができたe-患者動向についてご説明します。このe-患者動向の存在を知った当時、私は「患者デイブ」 というハンドルネームでブログをしていて、後に「e-患者デイブ」に改名しました。
「患者」という単語に関してですが、私が医療と深く関わりを持つようになり、見学者として数々のミーティングに参加して気付いたのは、皆患者をこの部屋にはいない人たち、別世界の人たちのように話すことです。今日の数々のトークの中でも、私達はまだそういう姿勢をとっています。しかし、私が今日みなさんにお伝えしたいのは、「患者」とは三人称の言葉ではないということです。あなた自身が病院のベッドで入院患者として横たわることもあれば、あなたの母親や子供がそういう状況におかれることもあるのです。「納得!そのとおり!」とうんうんうなずいている人たちがいますね。
今日、私がお話するにあたって、まず知っておいて頂きたいのは、私は私が今まで出会ってきた患者たち、そして、まだ会ったことがない全ての患者たちを代表して話をすることです。これは患者さんたちにもっと積極的な役割を与えること。医療改善の手助けのため、医療修正のため。私の病院のベテラン医師のチャーリー・サフランと彼の同僚ワーナー・スラックは、何十年に渡って、「医療でもっとも活用されていない資源は患者だ」と主張してきました。彼らは、1970年代の頃から、この考えを主張してきました。
さて、ここで、歴史を遡ってみたいと思います。これは、1969年7月のものです。私は、当時大学一年生で、ちょうど人類史上初の月面着陸が行なわれた年です。私たちが今いる、今住んでいる地球を地球以外の他の場所から見たのは、この時が初めてでした。この時、世の中は目まぐるしく変化していました。誰もが予知できぬ変化が待ち構えていました。数週間後、ウッドストックが開催されました。楽しさと音楽がぎっしりつまった3日間でした。実録として、私の写真もお見せしましょう。(笑)このウェーブのかかった髪と言い、青い瞳と言い・・・なかなかイケてましたね。
1969年の秋、雑誌「ホール・アース・カタログ」が発刊されました。自己充足性のためのヒッピーな雑誌でした。一般的には、ヒッピーは単に快楽主義者だと思い込んでしまいがちですが、でもそこに強い要素があります。私もその運動の一部でした。自分自身の責任を持つという強い要素。この本の副題は、「ツールへのアクセス」です。自分の家の建て方、その他色々。1980年代では、この医師トム・フューガソンが雑誌「ホール・アース・カタログ」の医療専門の編集長を務めていました。そして彼は私達が医学・医療の中ですることの大半は、自分自身の健康管理をすることだということに気付いていました。しかも、彼曰く私たちがどう健康管理をするかで70~80%の健康状態が決まるそうです。そして彼は、より深刻な病気により保健医療がより高度な医療を必要とさせる時、私たちの足をひっぱるのは、情報へアクセスすることの難しさです。そして、ウェブの登場で、情報は即座に入手できるようになり、ネット上で仲間を見つけ、集結し、情報交換することができるようになり、全てが変わりました。そして、準備が整っている・深く携わっている・力が付与されている・可能性が満ち溢れている(全て英単語の場合、頭文字がE)という意味を取り入れ、「e-患者」という新造語を生み出したのです。当然のことながら、この頃の彼は、もっと偉い立場の医師になっていました。
私は「e-患者」という言葉を知る以前に自分の医療に深く携わる患者になっていました。2006年に、身体検査を受けに行った時に「肩が痛む」と訴えました。そして、レントゲンを撮り、その翌日・・・医療危機を経験した方なら理解してらっしゃるかもしれません。皆さんもお気づきかもしれません。今朝の数々のトークの中でも、自分の症状の診断結果を言われた時を日付で呼ぶ人たちがいましたね。私の場合は、2007年1月3日の午前9時でした。私は、片付いているが机ある、青い布張りの壁に囲まれたオフィスにいました。電話が鳴り、医者からでした。「デイブ、レントゲンを自宅のコンピューターで診たよ。」と彼が言いました。「肩は異常ないよ。しかし、デイブ、肺に何かがあるんだ」と告げてきました。 この赤い楕円形の中に見える影は、本来ないものです。話を短くしますと、私は、「今すぐ病院に戻るべきなんですね?」と彼に言いました。「はい。胸郭のCTスキャンをしましょう」、と医者は返事しました。 会話の終わり際に、「何かしておくべきことはありますか?」と尋ねました。そしたら、彼がこんなことを言いました。医者からの最高のアドバイスです。「家に帰って、奥さんとゆっくりワインでも飲みなさい。」
CATスキャンを撮ったら、私の両方の肺にこういうものが5つ見つかりました。この時点で、癌だということが分かりました。しかし、肺がんではありませんでした。どこからか転移してきたものだったのです。一体どこから?調べるために、超音波検査をしました。よく女性がやる、腹部に超音波ゼリーを塗布し、ビーーーっとプローブを滑らせました。私の妻も一緒に来ました。彼女は獣医師なので、超音波検査はたくさんやってきました。もちろん、私が犬じゃないこともちゃんと理解していました。これはMR像なのですが、超音波検査よりももっと具体的に撮影されます。腎臓の中に、こんな大きな塊が見つかりました。しかも、2つも見つかりました。一つは前の方にあり、既に破裂し、腸にくっついていました。 もう一つは後ろにできていて、ヒラメ筋という私が今までに聞いたことがなかった、大きな筋肉にくっついていて、急にヒラメ筋が気になり始めました。私は帰宅しました。
1989年からコンピュサーブでネットを使っていましたが、今はグーグルを使っています。私は帰宅しました。細かくて詳細が読めないと思いますが、そこは重要ではありません。私は、様々なサイトを閲覧し、信頼度の高い医療情報ウェブサイト、ウェブMDにたどり着きました。そうそう、実は妻もネットでみつけました。彼女に出逢う前は、最適以下の検索結果の女性達と会ってきました。(笑)検索するにあたり、情報の質に注目しました。信頼できるかどうかが問題です。情報源は信頼できるのか? 私の身体はどこで終わり、侵入してきた異物はどこから始まるのか?癌、腫瘍は、自分の体内組織からできるものです。どのようにしてできるのでしょう?医療のできることは、どこからどこまででしょう? ウェブMDで検索してみた結果、腎細胞癌の場合、予後は思わしくない。ほとんどの患者は治らない。」と書いてありました。長年ネットを使ってきた習慣で、最初の検索結果が気に入らない場合、もっと情報を検索します。他の検索したウェブサイトにも、グーグルの検索ページ3ページ目でさえ、「見通しは暗い。」「予後は思わしくない」と書かれていました。「何故なんだ?」と思いました。病気をしているとは思えませんでした。夕方になると疲れが出ていました。私は56歳でした。ゆっくりしたペースで体重も減っていましたが、それは医師に言われてやってきたダイエットの結果だと思っていました。考えられない事態でした。
そして、これは薬の投与を始めた後の後期の腎臓癌の図です。偶然にも、あの塊が肺にありました。左大腿骨にもありました。このせいで、足がポキッと折れました。失神し、地面についた時に折れてしまいました。頭蓋骨にもあります、そして、その他にこの場所に腫瘍もありました。治療が始まった頃、舌にもありました。腎臓癌が舌にまで転移していました。情報をかき集めてみた結果、私は平均24週間しかもたない、とのことでした。最悪でした。私は既に墓場に向かっていたのです。「母親はどんな顔をして葬式に出席するのか?」 と考えてしまいました。娘ともちゃんと話しました。「今こういう状態なんだ」、と。彼女の彼氏も一緒にいました。「私が生きている間にやっておきたいからと結婚を焦ってはいけない」と言いました。とても深刻でした。なぜ患者にはモチベーションがあって他の人を助けたいと思うのかを考えて下さい。
医師が患者コミュニティー、Acor.orgという癌患者のネットワークサイトを紹介してくれました。このコミュニティーが即座に教えてくれたのは「腎臓癌は稀な病気だ。専門治療センターに行った方が良い。完治することはないし、成功例も少ないが、高容量のインターロイキン治療がある。ほとんどの病院では取り扱っていないからこの薬の事を教えてくれることもない。彼らが勧めてくる治療薬を素直に受け入れたらだめだ。ついでに、あなたの地域にこの薬を取り扱っている4人の医師と電話番号を教えておくね。」でした。なんて素晴らしいことでしょう。
(拍手)
ここがポイントです。4年後の今、こういう情報を患者に与えているサイトはありません。政府が認証した、アメリカ癌協会のサイトには載っていませんが、患者同士はどういう情報を欲しがっているかが分かります。これが患者ネットワークの力です。この素晴らしい投薬・・・再び、私の身体はどこで終わるのか、と問いました。最近、腫瘍専門医とよく会話するのは、私のトークの情報を正確にしたいからです。腫瘍専門医は、「免疫システムは異物を察知するのがすごく上手。例えば外からやってきたバクテリア。しかし、自分の体内組織からできたものの場合は全く別だ。」と言いました。自分で患者サポートコミュニティーをウェブ立ち上げたのもあり、この免疫システムが腫瘍に対してどう反応するのかを じっくり勉強していたところ、親戚でもある一人の友人が「デイブ、何をしているんだ?あんまり一人で頑張りすぎたら、精神的に自虐することになるぞ」と言ってくれました。そんなことで、二人で勉強しました。この話の詳細は本に書かれています。
それはさておき、数値はこのように展開していきました。自分の性格上、通院していた病院のウェブサイトから得た自分の腫瘍のサイズの数値をスプレッドシートにまとめました。数値自体は気にしないでください。これが私の免疫システムです。この2つの黄色い線は私が2ヶ月の間を空けて受けた2つのインターロイケンの投与を示しています。ご覧のとおり、投薬のおかげで腫瘍の大きさが激減しました。本当に驚きです。インターロイケンの使用が増えたら、もっと色々な使い方がでてくるかもしれません。
この話のオチは、一年半後に私はこの美しい女性、私の娘の結婚式に出席できたことです。彼女が階段を降りてきた時、一瞬私と彼女だけになった時に、彼女が母親に向かって「パパにも出席してもらいたかった。」と言わせずに済んで、本当によかったと思ったのです。医療を改善することにより、こういうことが可能になるのです。
ここで、医療改善のために全力を尽くしている他の患者たちの話もしたいと思います。この方は、レジーナ・ホリデー、首都ワシントン在住の画家で、私が発症した翌年にご主人を腎臓ガンで亡くしました。これは、彼女がご主人の病院で過ごした過酷な最後の一週間を壁画として描いている姿です。彼女が分かったことの一つは、ご主人の医療記録がかなりぐちゃぐちゃにファイルされていることでした。 「なぜ医療の場では、シリアルの箱に記されている食品の栄養表示のように、新しく入ってきた看護師や医師が簡単に主人の病状の基礎を簡単に読むことができる、シンプルな医療記録がないのだろう?」 と彼女は思いました。そこで、彼女は栄養表示のフォーマットに真似た医療記録をこのようにして、彼を描いた絵の横に描きました。そして、去年、彼女はこの絵を描きました。
彼女は、私のように、医療についで勉強しました。沢山の人が患者を代弁する本を出版していることを知りましたが医療のカンファレンスでは全く聞きませんでした。患者は、全く活用されていない資源なのです。私の紹介文にも書かれているように、私は、患者は自分の医療データへのアクセス権があるべきだと主張してきました。そして、実は2-3年前のカンファレンスで、私はこんな事を言いました。 「俺のデータをよこせ!お前らは俺のデータをぐちゃぐちゃにしてしまうだけだ!」データがせき止められてしまったのだ(DamnとDamをかけている)-だじゃれです。しかし、この絵でデータを表す池のように、データは少しずつ入手できるようになってきているのです。
ここでちょっとラップしてみたいと思います。ボストン郊外に住む、ツイッター上で知り合った医療IT技術者がいるのですが、彼が「e-患者ラップ」を作曲しました。こんな歌です。♫俺のデータをよこせ♫ ♫e-患者デイブみたいになりてぇ♫ ♫俺のデータをよこせ、俺が守るべき人生だ♫ ここらへんで止めておきます。(拍手)ありがとうございます。タイムオーバーしちゃいますね。
(笑)
可能性を考えてみて下さい。なぜiPhoneやiPadの技術は明らかに速いスピードで発展していくのに、私たちが家族を救うために使える医療ツールの技術はうまれないのでしょう。これは、VisibleBody.comという私がたまたま見つけたサイトです。「私のヒラメ筋ってどこにあるんだろう?」と思い、検索してみました。除きたい箇所をクリックして取り除くことができます。操作しているうちに、「おー、これが腎臓で、これがヒラメ筋か!」 と納得し、更に三次元で回転させて、深く理解することができました。このサイトは、アドレスを打ち込むと何処へでも飛んで行けるグーグルアースを連想しました。 「このツールを使って、私の画像を取り込み、自分の体のグーグルアースのようなものがあればいいのに!」とひらめきました。グーグルは今年何を発表しましたか?そう、グーグルボディーブラウザーです。しかし、まだ一般的なものです。私のデータは取り込めません。でも、私たちが各自の医療データをアクセスできるようになり、ソフト開発者にアクセス権を与えたら、開発が好きな彼らならきっと素晴らしいものを開発できるでしょう。
最後のお話です。この方は、ケリー・ヤング、フロリダ在住の関節リウマチ患者です。この話はここ数週間の間に展開し始めた、かなり最近の話です。自分達を「RA患者」と称する関節リウマチ患者たち、彼女のブログの名前は「RA戦士」が抱える大きな問題は、40%の患者が目に見える症状がないことです。病状がどう経過しているのかを知ることも困難です。こういうことから、医師によっては「痛むだなんて、うそだろ」と信じてくれません。彼女はネット検索をとおして、よく癌患者が受ける骨シンチグラフィーがなんと、実は、炎症も写し出すことができると知りました。炎症がない場合は、スキャンが灰色に写し出されることを知りました。そして、彼女はスキャンを受けました。放射線科医は「癌は見当たらない」と報告しました。しかし、彼は癌かどうかを診るのではなかったのです。再度診てもらえるよう頼んだのですが、医師が反対しました。彼女はCDを取り出しました。彼は「私の指示に逆らうのであれば、出て行け。」と言いました。彼女は、CDからスキャン画像を取り出し、注目するべき箇所を見ていきました。現在、彼女はブログを通して、積極的により良い医療の追求を主張しています。 まさに彼女は、医学教育は受けていないが、その力を身に付けた患者です。
私たち、あなたは、医療の場では最も活用されていない資源なのです。彼女が成し遂げられたことは、生データにアクセスできたからです。これは、どのぐらい重要なことなのか?実は、TED2009で ウェブ開発者ティム・バーナーズリーがトークで、次の革命は、ブラウザーを使って他者の記事をアクセスすることではなく、生データをアクセスすることだ、と言いました。トークの最後の方では、彼は観衆とともに、 「今こそ、生データを! 今こそ、生データを!」と繰り返し唱えました。あなたにお願いします。 医療を改善するための3つの単語を言ってください。Let patients help! 患者達のために!患者達のために!患者達のために!患者達のために!
ありがとうございました。
(拍手)
世界中でこのプレゼンをご覧の患者の皆さま、神の恵みがありますように – Let patients help!
デイブ・デブロンカートさんが末期がんを告知された時、彼はネット上で患者たちのコミュニティーに参加し、彼の主治医たちも知らなかった治療法についての情報を得ることができました。そして、なんとこの治療法こそが彼の命を救ったのです。
この経験を機に、彼は、患者同士の交流、患者自身が自分の医療データをきちんと把握することの重要さ、そして、e-患者一人ひとりへの医療の改善を促しています。
1977年日本大学医学部卒。第一内科入局後、1980年神経学教室へ。医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)を経て、帰国後は1991年に特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。1993年、神津内科クリニック開業。
医師求人・転職専門サイト「e-doctor」にて『神津仁の名論卓説』を連載中。
【略歴】
1999年 世田谷区医師会副会長就任
2000年 世田谷区医師会内科医会会長就任
2003年 日本臨床内科医会理事就任
2004年 日本医師会代議員就任
2006年 NPO法人全国在宅医療推進協会理事長就任
2009年 昭和大学客員教授就任