自分自身がかつて介護を受ける患者であり、今は介護をする側となったスコット・ウィリアムズが、無償の介護人が担う計り知れない役割について明らかにします。「無償の介護人」とは、愛情から、世話を必要とする患者のために、一層の努力を惜しまない友人や親族のことです。個人的な身の回りのケアから啓発活動、こころのサポートまで、無償で世話をする介護人は、世界中の医療や社会制度において、目に見えない支柱を形成している、とウィリアムズは言います。そういった人々がいなければ、システムは瓦解してしまうことでしょう。「無償の介護人が患者や社会にとって大きな価値があるものであるという認識を、どうしたら広められるでしょうか?」と、彼は問いかけます。
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医療(ヘルスケア)に 「ケア」を取り戻しましょう 私は過去15年間 医療分野で仕事をしてきました この分野に惹かれた理由のひとつに 私たちの医療制度における 「ケア」への関心がありました より正確には ケアをする介護人の担う 計り知れない役割です
さて ここにいる皆さんの中に 自分は「介護人」だと言う方は? 病気やケガや障がいを持つ人のために 介護をしたことがある人は どれくらいいるでしょうか? 自分もそうだという方は 手を上げてください 全体の半分ほどですね 今 手を挙げて下さった皆さんが 介護に費やされた時間に 感謝します 皆さんの行いは 非常に貴重なものです
私自身 かつては 介護を受ける側でした 十代の頃 私はライム病にかかり 18か月間 抗生物質による治療を 受けました 私は何度も誤診され 細菌性髄膜炎や線維筋痛症など 様々な診断を受けました 医師にも分からなかったのです 今日こうして皆さんの前に 私が立っていられるのは 私の命を守ってくれた― 粘り強く 熱心な ある介護人がいたからです その人はできることを すべてやってくれました 長距離を運転して 治療センターを何軒も周り 最良の治療法を探しました 何よりも 決して諦めませんでした 仕事や生活の質に至るまで 様々な困難にぶつかった にもかかわらずです その人とは 私の父でした 私が回復したのは ひとえに父の献身のおかげです
この経験から私は 患者の支援をするようになりました 実情に目をこらせばこらすほどに 父がやってくれたようなサポートを 多くの介護人が実践していると 分かりました そして医療制度で 不可欠な役割を果たしていたのです こう言っても 過言ではないはずです 父のような 無償の介護人がいなければ 私たちの医療制度や社会制度は 瓦解するでしょう それにもかかわらず 無償の介護人は評価されていません
私は今 母を 遠距離で介護しています 母は複数の慢性疾患を持っています 私は 今 これまで以上に 介護人の直面する― 差し迫った必要を 痛感しています 高齢化社会や 不安定な経済 医療制度への圧迫 長期的な介護を必要とするような 病気の増加に伴い 家族の介護人の重要性と需要は かつてなく増大しています 世界中にいる多くの介護人は 大切な人の世話をするために 自らの身体的、経済的 心理的な健康を 犠牲にしているのです 介護人自身にも それぞれの限界と必要があり 適切なサポートがなければ 多くの人々が忍耐の限界を 迎えてしまうことでしょう かつては家族生活における 個人的な事柄だと見なされていましたが 無償での介護は 世界中の医療や社会制度の 目に見えない支柱と なっているのです
今この場所だけでも 多くの介護人がいることは すでに確認した通りです 彼らはどんな人々で 何人くらい いるのでしょう? 彼らが直面している困難とは 何なのでしょう? それ以上に どうすれば 彼らの存在が患者にとっても 医療制度や社会にとっても 重要なものなのだという認識を 確保できるでしょう? 実に誰でも 介護人になり得るのです 多発性硬化症を患った親を介護する 15歳の少女もいます フルタイムの仕事に就きつつも 遠方に住む家族を介護する 40歳の男性もいます 末期がんに冒された妻の 世話をする60歳の男性もいます アルツハイマー病を患う夫の 世話をしている― 80歳の女性もいます
介護人が患者のために 行うことは様々です 身の回りの世話もします 着替えを手伝ったり 食事をさせたり トイレに付き添ったり 移動を手伝ったりします 重要な医療に関わる世話を 行うこともあります 介護人はしばしば 大切な人の症状やニーズについて 時には 患者自身よりも よく分かっているからです 患者に麻痺があったり 診断について混乱していることもあります そういった状況では 介護人は患者の代弁者にもなります
さらに非常に重要なのは 介護人が心理的なサポートも 行うということです 病院の予約を管理したり 家計面の管理をしたり 日々の家事もこなします こうした困難は 無視することはできません 現在 ヨーロッパ全体で 行われている介護の8割を 1億人以上の介護人が支えています この数字が印象的であるにせよ 介護人に対する認識の欠如を考慮すると おそらく本来の数字より小さいでしょう すでに確認した通り ここにいる多くの人が 自分を「介護人」と言ってよいものか よく分かっていませんでした 多くの皆さんは 「看護師」などの 医療の専門職の話だと 思ったでしょう
さらに驚くべきなのは 介護人が社会にもたらす 様々な利益です 2015年のオーストラリアでの例を ひとつお話ししましょう 精神疾患を患う人々に 無償の介護人が 提供する介護の年間価値は 132億オーストラリアドルと 見積もられました これはオーストラリア政府が 精神医療に費やす年間予算の 実に2倍近い金額です この数字を始めとした データが示すのは 介護人たちが 明日介護の提供をやめたなら 医療制度や社会制度は 瓦解するということです こうした何百万人もの 物言わぬ介護人の重要性が 否定できないというのに 彼らは概ね認識されていません 政府や医療制度によっても 私企業によってもです
さらに 介護人は 大きな個人的問題を抱えています 多くの介護人は高額な出費や 経済的な困難に直面しうるのです フルタイムで働くことが できなかったり 仕事を続けることが できなくなったりするためです 多くの研究によると 介護人は大切な人の世話をするために 自身の健康や 健やかな生活を犠牲にしています 多くの介護人が大切な人の世話に 非常に多くの時間を費やすために 家族や人間関係が その犠牲になってしまいがちです 多くの介護人の報告によると 雇用主は介護人をサポートする 適切な方針を 有していません
しかし 介護人への認識は 世界中で改善しつつあります ほんの数年前には 国際介護人団体連盟 (IACO) という団体が 世界中の介護人団体を集めて 体系的な方向性を示したり 情報の共有を促したり 国際レベルで介護人に関する啓発活動を 積極的に行いました 私企業もまた介護人の状況を 認識し始めています 誇らしいことに 介護人に関わるトピックへの 私自身の取り組みと熱意が 功を奏して 職場で手応えを得られました 私の勤める企業は この問題に取り組んでおり 雇用者と社会全体に向けた― 例を見ないような枠組みを 発展させました 目標は介護人を力づけること― 介護人自身の健康と 健やかな生活を改善し 生活によりよいバランスを もたらすことです
しかしながら こうした比較的珍しい取り組みを 補うためには もっと多くのことが なされねばなりません 私たちの社会は 医療の負担の増大に直面しており 人口の高齢化や がんや慢性疾患の増加 社会的格差の拡大など 多くの問題があります こうした困難に立ち向かうには 政策立案者は 従来の医療の在り方や 雇用政策以外に目を向けて 無償の介護人によるケアが 介護の基盤を成していくのだと 認識する必要があります
人の介護をすることは 個人の選択であるべきです そして誰かの健やかな生活を 天秤にかけずとも行えるべきです 真の意味で医療に 「ケア」を取り戻すには 根本的かつ社会を巻き込んだ 構造の改革が必要です 考え方を変えないことには これは達成できません 今日から始めようではありませんか 今日 世界中にいる 何千万人もの介護人のために 変化の種を蒔くことが できるのです
皆さんに提案させてください 今日 家に帰ったら あるいは 明日の朝に出社したら 介護人を抱きしめてください 彼らに感謝し 少し手伝おうかと 申し出てください 週に数時間 自分が介護を代わろうと 申し出るのもいいでしょう 世界中の介護人が 評価されていると感じられたら 彼らの健康と健やかな生活が改善し 充足感が得られるばかりでなく 彼らの介護を受ける人々の生活も また改善するのです
もっと互いへの「ケア」を
ありがとうございました
(拍手)