CONTENTS(全5回)
- 第1回 琉球大学同期生のふたりが卒後に選んだ道
- 第2回 新専門医制度が立ち遅れている理由
- 第3回 若い世代への教育&腹腔鏡手術が目指す場所
- 第4回 女性医師は内視鏡に向いている
- 第5回 医療機器のこれから&若手医師に伝えたいこと
同じ1962年生まれで琉球大学の同窓生。
大学を卒業してからは専門とした診療科も違い、
同じ病院で勤務したこともなかったものの、
それまでの外科手術の常識を覆す「内視鏡外科」に
出会ってからは、お互い異なる立場と場所にあっても、
内視鏡外科手術の技術向上と普及を目指し、術者として、
そして教育者としても切磋琢磨して来られました。
そんなお二方をリンクスタッフ東京本社にお招きし、
学生時代のエピソードから内視鏡との出会い、そして
これからのお話までたっぷり対談していただきました。
第1回
琉球大学同期生のふたりが
卒後に選んだ内視鏡外科医の道
大学の同級生
― お二人は琉球大学の同級生でいらっしゃるんですね。
- 古閑
- そうなんです。寮も一緒でした。二人とも現役で大学に入ったけれど、留年したんです(笑)。
- 福永
- 比佐志とは最初から気が合いましたね。
- 古閑
- サークルは別だったよね。僕はウィンドサーフィンで、哲はバスケだった。
- 福永
- うん。でも僕も海が好きだったから、ウィンドサーフィンも一緒にやっていた。
- 古閑
- 僕は哲より先に留年した。ドイツ語を落としたんだ(笑)。あの頃は基礎医学があって、それから臨床だったんだけど、哲は一般教養は通ったけど、基礎医学で落ちた。
- 福永
- そう。薬理学でね(笑)。
― 卒業後古閑先生は大学に残られ、福永先生は順天堂大学にいらしたのですね。
- 福永
- 僕は胃がんを専攻したいと思っていました。学生時代に琉球大学脳神経外科の六川二郎教授に胃がんをやっていきたいと相談したら、六川教授が順天堂の榊原宣教授をご紹介くださったんです。六川教授と榊原教授は岡山大学の同級生でしたし、順天堂は胃がんで有名でしたからね。そういうご縁で、順天堂大学で研修することになりました。今で言うところの初期研修を順天堂でしたのですが、そのあとは日本で医師をしたくなくて、オーストラリアにしばらく留学しました(笑)。
― 帰国後は順天堂大学医学部附属浦安病院に勤務されたんですね。
- 福永
- 当時の本院はナンバー外科制で、浦安の外科はそこに属している形でしたが、私は浦安の外科が気に入っていたので、ずっといました。それから癌研究会付属病院に移り、腹腔鏡外科を立ち上げました。当時は国立がんセンターと癌研が争っていましたが、がんセンターは腹腔鏡を否定していたんですね。今のがん研有明病院の山口俊晴病院長には先見の明があり、癌研では腹腔鏡を積極的にやっていきたいと言われました。
- 古閑
- 立ち上げは大変だった?
- 福永
- あれだけの施設なので、大変でした。でも患者さんは何がいいのか、分かりますからね。内部でどんどん浸透していって、今に至るという感じです。
― 卒業後にお二人がお会いになるのは久しぶりですか。
- 古閑
- 全然、会っていないよね。
- 福永
- どこかで会った?
- 古閑
- 僕らの共通の友人がいて、お互い、彼には会っているんだよね。彼がいた飲み会のとき、哲もいた?
- 福永
- いないと思う。
- 古閑
- 今日はこれから3人で飲みに行くんだけど(笑)。彼が腰を痛めたことがあって、僕の勤務先の病院で僕が手術したんです。そのときに「今度、哲と飲もうよ」と言っていたんだけど、それから2年も経った(笑)。
内視鏡との出会い
― 今回は古閑先生が福永先生と内視鏡の話をしたいということで、お二人の対談が実現しました。
- 福永
- 僕も比佐志とずっと話したかった。内視鏡には色々な分野があるけど、科によって浸透の仕方や進み具合が全く違う。一口に内視鏡外科と言っても、消化器もあれば、呼吸器もあるし、婦人科、泌尿器、整形外科などの領域があるので、話し合っていそうで、意外に話すチャンスがない。ほかの領域のことが分かると、次の治療へのアイディアとして取り入れられるかもしれない。
― 福永先生は腹腔鏡に取り組まれたのは早いですよね。
- 福永
- 僕たちは1994年に始めました。日本で最初に胃がんの腹腔鏡手術をしたのは大分大学の北野正剛教授で、1991年のことです。我々が始めた頃もまだ手技が確立されておらず、当時の厚生省の班研究で研究も始めたんです。
― 最初から「これだ」と思われましたか。
- 福永
- いえ。我々は大きく切除するのが当たり前だとする拡大手術をやってきました。外科でよく「Big surgeon,Big incision」、「偉大な外科医は大きく切る」と言われていたように、とにかく大きく開けて、ガツンと取っていたんです。そうしないと治らないという感覚すらありましたね。そういう教育を受けてきましたから、最初は腹腔鏡手術を「何だ、これ」と思っていました(笑)。
― そのお気持ちがどう変わっていったのですか。
- 福永
- 順天堂大学医学部附属浦安病院の当時の教授がいち早く腹腔鏡をやろうと、専門の医師をお招きしたんです。腹腔鏡下での胆嚢摘出術を見せていただいたのですが、その経過を見て、驚きましたね。将来は腹腔鏡になるなと思いました。
― どんなところに衝撃を受けたのですか。
- 福永
- 回復が早いことです。傷はどういう傷であっても痛いものですから、傷が小さければ小さいほど回復が早いんです。我々はすぐに始めましたよ。
― 腹腔鏡を始めるにあたって、大変だったことはどんなことですか。
- 福永
- 教科書も何もなかったので、常識が定型化されていなかったことですね。海外の学会で勉強したり、国内でも色々な学会が始まりかけていたので、そういうところに行って、見せてもらって、勉強していきました。
- 古閑
- 僕が始めたのは2009年です。脊椎の内視鏡は海外では1990年代からありましたが、日本に入ってきたのは2000年ぐらいですから、少し遅れていますね。僕が始めたとき、今、勤務している岩井整形外科内科病院が一番多く行っていましたが、それでも年間250例ぐらいでした。その後、僕が勤務するようになって、今は年間1500例ぐらいです。
- 福永
- そんなにやっているんだ。凄いね。
- 古閑
- 岩井整形外科内科病院は日本で一番多くやっていて、件数もうなぎのぼりになっている。哲が言っていたように、やり始めると、医師が「やっぱり、これがいい」と実感するんだよね。そうすると、ほかの医師にも影響する。医師によっては興味があっても、嘘みたいだと訝しがっている人もいるけど、患者さんを実際に見たら、「これだ」と次々に入ってきてくれる。多分、哲が若い人たちをどんどん腹腔鏡の世界に取り入れたように、僕たちの病院にも「脊椎を内視鏡でしたい」と言う若い人たちが入ってきてくれた。
- 福永
- 最初は適応を絞り、胃がんや大腸がんの早期のものを対象にしていました。少し話が前後しますが、がんの手術でリンパ節を取るときに早期がんと進行がんでは取り方が違うんです。早期がんの場合は「もしかしたら、ないかもしれないけど、確率的には何%かの転移があるので、予防的に取りましょう」ということで、進行がんは「転移が30%あり、目に見えて分かるので、しっかり治すために根治的に取りましょう」という考え方なんです。それで、最初は予防的に取る症例だけをしていました。今でもそういうふうに適応を絞っている施設はありますし、ガイドラインにしてもそうですね。進行がんをするとなると、それなりに準備が必要です。話を戻すと、早期がんを対象にした腹腔鏡手術をした患者さんと開腹手術をした患者さんが同じ病棟にいるとします。場合によっては同じ日に手術したかもしれません。その患者さんたちの治り方には大きな差があるんです。看護師さんも「どうして、この患者さんを腹腔鏡で手術してあげなかったんですか」と言ってくるほどです。
― そんなに大きな差なんですね。
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プロフィール
福永 哲
(ふくなが てつ)
順天堂大学医学部
消化器・低侵襲外科 教授
【略歴】
- 1962年
- 鹿児島県奄美市生まれ。
- 1988年
- 琉球大学を卒業
順天堂大学医学部附属順天堂医院外科で研修を行う。 - 1992年
- 順天堂大学医学部附属浦安病院外科勤務(助手)。
- 1994年
- 米国ピッツバーグ大学 麻酔・集中治療部に留学(リサーチフェロー)。
- 1996年
- 順天堂大学医学部附属浦安病院 勤務。
- 2004年
- 癌研究会附属病院消化器外科 勤務。
- 2007年
- がん研有明病院消化器外科 勤務する。
- 2008年
- 徳島大学医学部臓器病態外科学臨床教授
- 2009年
- 聖マリアンナ医科大学消化器・一般外科臨床教授 併任。
- 2010年
- 聖マリアンナ医科大学消化器・一般外科教授 就任。
- 2015年
- 順天堂大学医学部附属順天堂医院消化器・低侵襲外科教授 就任。
聖マリアンナ医科大学消化器・一般外科客員教授 就任。
【資格・所属学会】
日本外科学会指導医・専門医
日本消化器外科学会指導医・専門医
日本内視鏡外科学会技術認定医
日本がん治療認定医など。
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プロフィール
古閑 比佐志
(こが ひさし)
岩井整形外科内科病院
副院長/教育研修部長
【略歴】
- 1962年
- 千葉県船橋市生まれ。
- 1988年
- 琉球大学卒業。琉球大学医学部附属病院で研修。
- 1988年
- 9月に沖縄赤十字病院
琉球大学医学部脳神経外科研究生 - 1989年
- 琉球大学医学部脳神経外科助手
- 1990年
- 沖縄県立八重山病院脳神経外科
- 1991年
- 琉球大学医学部附属病院脳神経外科
- 1992年
- 新潟大学脳研究所神経病理学講座に特別研修生として出向
- 1994年
- 北上中央病院脳神経外科
琉球大学医学部附属病院 - 1995年
- 豊見城中央病院脳神経外科
熊本大学大学院研究生
小阪脳神経外科病院脳神経外科 勤務 - 1998年
- Heinrich-Pette-Institut fur Experimentelle Virologie und Immunologie an der Dept. of Tumorvirologyに留学
- 2000年
- ヘリックス研究所第3研究部門主任研究員
新潟大学医学部脳研究所非常勤講師 - 2001年
- 湘南鎌倉総合病院脳卒中診療科 勤務
かずさDNA研究所主任研究員 - 2005年
- かずさDNA研究所地域結集型プロジェクト研究チームリーダー
- 2006年
- かずさDNA研究所ゲノム医学研究室室長
- 2008年
- 千葉大学大学院分子病態解析学非常勤講師
- 2009年
- 岩井整形外科内科病院 脊椎内視鏡医長
- 2012年
- 中国福建省厦門の漳州正興医院で微創脊椎外科主任医師
- 2014年
- 岩井整形外科内科病院教育研修部長
- 2015年
- 岩井整形外科内科病院副院長
【資格・所属学会】
日本脳神経外科学会専門医
日本脊髄外科学会
内視鏡脊髄神経外科研究会
日本整形外科学会
CONTENTS(全5回)
- 第1回 琉球大学同期生のふたりが卒後に選んだ道
- 第2回 新専門医制度が立ち遅れている理由
- 第3回 若い世代への教育&腹腔鏡手術が目指す場所
- 第4回 女性医師は内視鏡に向いている
- 第5回 医療機器のこれから&若手医師に伝えたいこと
トップドクター対談 バックナンバー
- 第4回
トップドクター対談
Dr.古閑比佐志×Dr.佐々木治一郎 - 第3回
内視鏡外科トップドクター 師弟対談
Dr.金平永二×Dr.稲木紀幸 - 第2回
内視鏡外科・総合内科トップドクター対談
Dr.古閑比佐志×Dr.徳田安春 - 第1回
内視鏡外科トップドクター 同級生対談
Dr.福永哲×Dr.古閑比佐志