発明の裏にある感情(19:32)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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これは技術の話ではありません。人間の物語です。
最近テレビの「60ミニッツ」という番組で紹介されたビデオをご覧になった方も多いことと思います。現在、退役軍人組織の責任者をしている人が出てきます。その人自身、39年前ベトナムで片腕を失いました。彼は、義肢なんて役に立たないと言っていましたが、カメラが回っている間にすっかり意見を変えました。彼は、私たちの義手をつけて2時間もたたないうちに自分で飲み物が注げるようになり、とても感動して、39年ぶりに腕を取り戻したように感じると言いました。
少し話が先に飛びすぎたようです 。これからあるビデオをお見せします。1分ほどの短いものです。以前に撮った粗いホームビデオ映像ですが、その方が話の内容がよく伝わると思います。
数年前に、大学や企業が手を出さないような先端技術に投資するDARPA(国防省の研究機関)の責任者が私のところへやって来ました。彼らは特に、兵士の助けになる技術に関心を持っています。私はそういう予期せぬ訪問をよく受けます。会議室で、年配の軍医とそのDARPAの責任者が私にこんな話をしました。現在米軍は、イラクやアフガニスタンの山岳地帯のような遠隔地にいる兵士にも素晴らしい技術を提供していて、兵士が負傷したときは、爆煙が収まるよりも早くその兵士を回収し連れ戻すことができます。私たちが、アメリカの大都市で交通事故に遭った場合よりも素早く、最先端の緊急医療を兵士は受けることができます。これは良いニュースですが、救出した兵士が腕や脚や顔の一部を失っていた場合、おそらくそれを元に戻すことはできません。腕を失った若者がどれほどいるか、彼らは数字を示しました。軍医が怒って言いました。「南北戦争のときにはマスケット銃で戦い、兵士が腕を失ったらフックのついた木の棒を与えていた。今やF18やF22で戦う時代となったのに、腕を失った兵士に、相変わらずフック付のプラスチック棒しか与えられないのはなぜだ?」
そんなのは受け入れがたいと言っていました。そして「私たちがここにきたのは、君に作ってほしいからだ。どうか義手を作ってくれないか」と言うのです。それで、国防省のお決まりの、500ページに及ぶお役所的書類が出てくるのかと思っていたら、違うと言います。
「いや、ここに腕を失った兵士を連れてくるから、君が作った義手をつけてぶどうやレーズンをつまめるようにしてほしい。ぶどうなら潰さずに――」
大変だ。遠心性/求心性神経に触覚センサーが必要になる。
「――レーズンも落とさずにつかめるように――」
繊細なモーター制御と手首や肘の自由度、肩にも自由度と外転機能が必要になる。
「――もちろん食べられること」「義手は標準体型の女性にフィットするように、指先まで80センチ、重さは4キロ以下、バッテリーも含めてすべて内部に収まらなきゃいけない」と言われました。
彼らが話し終わると、内気な性格の私はこう言いました。「あんたら頭どうかしてるよ」(笑)「ターミネーターの見すぎだ」(笑)
すると、軍医が言いました。
「両腕を失って戻った若者が二十人以上いるということを知っておいてほしい」
想像できませんでした。皆さんは私より想像力が優れていることでしょうが、22歳の若さで片腕を失うなんて、私には想像できません。しかし両腕を失うことに比べたら、それだってちょっと不便というに過ぎないでしょう。
とにかく、その夜は家に帰って考えました。文字通り一睡もできず、肩がなかったら、いったいどうやって寝返りを打つんだろうと考えていました。それで、これはやるべきだと思いました。すでに、日々の仕事がとても忙しく、FIRSTや浄水器や太陽発電といった自分の夢への投資で手一杯でした。それでも「これはやらなきゃいけない」と思いました。私はちょっと調査をして、ワシントンに赴き彼らに伝えました。
「今でもあんたら頭がどうかしてると思うけど、やることにするよ。腕は作るけど、FDAを通すのにたぶん5年はかかるし十分機能するものができるまで10年はかかる。iPodを新たに作るようなものなんだ」
「素晴らしい 2年でやってくれ」と彼は言いました(笑)
「すべての機能を備え、4キロ以下の腕を作るのに1年はかかる。それを機能的で有用なものにするのにさらに9年はかかる」
同意してないことに同意したわけです。
私は、会社に戻ってチームを作りました。この実現に情熱を抱く最高の人材を揃えました。そして、ちょうど一年後に、14の自由度を持ち、センサーやマイクロプロセッサーをすべて備え、すべてを中に収めた義手を作りました。不気味なくらいリアルな美容をほどこしたものをお見せしてもいいのですが、それだと肝心な部分が見えません。実用的なものにするには何年もかかると思っていましたが、あの義足のランナー、エイミーのように、何かをやろうという意欲があり、能力と覚悟を持った人には、驚くほどのことができるのです。そして自然の適応力は非常に高いということです。
たった10時間の使用で何ができるようになったのか。2名の男性、うち1人は両腕がなく、片方は肩もなく、もう一方も上腕の高い所から先がありません。チャックとランディの2人に、10時間ほど我々の元で義手を試してもらいました。低品質のホームビデオで撮った映像を後で皆さんにお見せします。1分ちょっとの短いものです。チャックは、私がうらやむようなことをします。私には出来ないことです。スプーンを手にとって、牛乳をかけたシリアルをすくい、スプーンを水平に保ったまま関節を見事に同時に動かし、口まで運んだのです。ミルクを一滴もこぼすことなく――私には無理です(笑)
彼の奥さんが私の後ろに立っていましたが、奥さんが言うには「ディーン、この人は19年間自分では食べられなかった。どうかお願いだから、私たちに義手をくれるか、さもなければ主人を引き取って」(笑)
皆さん見えますか? これがチャックです。すべての関節を同時に動かして、うちのスタッフにパンチしています。奥にいるのは技術者兼外科医で、身近にいると便利な人間です。こちらがランディです。彼らは、小さなゴムのボールを手渡しています。FIRSTの精神にのっとり、礼儀正しいプロ意識をもって互いをたたえ、祝杯をあげています。これは簡単なことではありません。どちらかが、これをフックのついた木の棒でやるところを想像してみてください。チャックはこれから特別なことをします。少なくとも、私の限られた身体能力からすると驚くべきことです。あのDARPAが私に依頼していたことです。ブドウをつまんで、落さず、潰さずに持ち上げ、食べるのです。あの日から15カ月の後、私たちはここまで来ました(拍手)
しかし、リチャードの言ったとおり、技術やプロセッサーやセンサーやモーターはこの話のテーマではありません。これまで、このような問題――医療のこの領域に――かかわったことはありませんでした。私が開発を始めてから、これまでに直面した驚くべきことをご紹介します。
私たちは、かなり良いデザインができたと感じました。工学上のあらゆるトレードオフを考慮する必要がありました。重さ、大きさ、コスト、機能。同時に実現できるのは4つのうちの3つだけです。私は、スタッフを飛行機に乗せて言いました。
「ウォルターリード陸軍病院へ行くぞ。我々がこの義手を気に入るかどうか、国防省が義手を気に入るかどうかは問題じゃない」
私がこう言うと、彼らはあまりうれしい顔をしませんでしたが「君たちの意見も実際問題ではない」と言いました。「大事なのは、腕を失った若者たちがこの義手を使ってくれるかどうかだ」
さらに技術者たちに言いました。
「ウォルターリードに行ったら、体の一部を失った人たちにたくさん会うだろう。きっと怒り、塞ぎこみ、不満を抱えているだろう。彼らに支えと励ましを与えなければならないが、我々はどうあっても正しい方向に進んでいることを確認するに十分な情報を彼らから引き出す必要がある」
ウォルターリードに着いて、私はこれ以上ないくらい間違っていたことがわかりました。
ものすごくたくさんの、体の一部を失った人々を見ました。残った部分も火傷を負っていて、顔の半分が欠け、耳が焼け落ちていました。
彼らは、テーブルに集められていました。私たちは彼らに質問しはじめました。
「私たちはまだ自然には及びません。繊細なモーター制御をできるようにも、20キロ持ち上げられるようにもできますが、両方同時にはできません。ギア減速比を下げ、速く動くようにするか、パワーを大きくすることはできますが、両方はできないんです」と言いました。彼らに何を作ってあげたらいいのか聞き出そうとしていたのですが、彼らは熱心に協力したばかりか、助けるのが自分の役目と思っていました。
「ねぇ、こうしたら役に立ちますか?」私は言いました。
「君たちはもう十分やってくれた。我々は君たちを助けるために来た。どうすれば助けられる?」
30分もしたころ、テーブルの隅の、あまり口を開いてない人に気付きました。片腕を失っているらしく、もう一方の腕で頬杖を突いていました。私は彼に、
「ねえ、あまり話してないよね。これとこれだったらどっちがいいと思う?」と聞きました。彼は、
「いや俺は…この中じゃラッキーな方だから。右腕はなくしたけど、俺左利きだから」と言いました(笑)。だから彼は口を開かずにいたのです。彼も含めて、みな素晴らしい精神の持ち主でした。彼もいくつか意見を言って、ミーティングが終わり、皆にさよならを言ったあと、先ほどの若者がテーブルを押して体を離しました。脚がなかったのです。
そして、私たちは病院から帰りました。支えと励ましを与えたのは、私たちではなく彼らの方だと私は感じていました。しかもそれで終わりではなかったのです。驚くばかりでした。私たちは、仕事場に戻るとより熱心に、より急いで開発を進めました。それからブルック陸軍医療センターに行きました。義肢が必要な大勢の若者に会いました。彼らの前向きさは驚くばかりでした。また仕事場に戻ってくると、より一層熱心に働きました。やがて臨床試験の段階に入り、5人にテストしてもらいました。みんな喜んでいました。
ある日、ワシントンから連絡を受けてウォルターリードに呼ばれました。そこにいたのは、爆弾で負傷した20代の青年で、一旦ドイツに運ばれ、その24時間後にはドイツからウォルターリードに移送されてきたのでした。その彼が今いるので、すぐ来てほしいとのことでした。その青年が部屋に運ばれてきましたが、両脚が無く、両腕も無く、片側に一部が残っているだけでした。顔も半分無くなっていましたが、視力は戻りつつあるということでした。片目は無事だったのです。彼の名はブランドン・モロッコといいます。
彼は私に言いました。「あなたが作った腕が、それも、2つ必要です」と。
「あげるとも」と私は答えました。その青年はスタッテンアイランドの出身でした。彼は聞きました「戦地に行く前はトラックを運転していて、シフトレバーのあるやつなんですが、また運転できるようになるでしょうか」と。私は「もちろん」と返事をし、そう答えてから「どうやったらできるんだろう?」と思いました(笑)。とにかく、彼はほかの皆と同じで、多くを望んではいませんでした。ほかの人を助けたがっていました。彼は、戻って仲間の力になりたいのだと言っていました。
その病院から帰る途中、テキサスに立ち寄るように頼まれました。退役軍人が3,500人集まる大きなイベントがありました。この集会は、ブランドンのように、体の一部を失ってしまったり亡くなってしまった若い軍人の家族を助けるためのものでした。私は、スピーチするよう言われました。「何を話せばいいんだ? もし、体の一部を失ったらこの装置を使えるけれども、まだまだ改善の余地がある。いい話ができない」と私は言いました。
「あなたは来なくちゃいけません」そう言われて行きました。そこには、療養中の人たちがたくさんいました。他の人よりも回復が進んでいる人もいました。でもみんな、苦難に遭いながらも、見事な姿勢を示していました。誰かが気にかけてくれるというだけでも彼らには大きな違いをもたらしたのです。
あと一つだけ話して終わりにしましょう。悪意を持っているとは思いませんが、世の中には「いくら特別恩給をもらってるんだ」なんて言う人がいます。皆さんもご存知のとおり、医療制度については大きな議論になっています。誰が何を受ける資格があるのか、誰がいくらもらえるのか、誰が負担するのか。難しい問題です。この国に生まれたというだけで全てを受給できるわけではありません。そうできればいいのですが、不可能です。現実的になる必要があります。
難しい問題で、意見が対立するでしょう。私にも答えはわかりません。他にも難しい問題があります。本当に戦地にいく必要があるのか? どうやって撤退すべきか? 何をしなければいけないのか? ここでも意見は対立するでしょう。私にも答えは見つかりません。これらは、政治と経済と国の戦略にかかわる問題です。私には答えがわかりません。でも、ひとつだけ私に意見を言わせていただきたい。これは簡単な答えです。
あの若者たちは、医療面で何がふさわしいかなら私にもわかります。私は、ある青年と話をしました。彼は私の作った腕を気に入っています。プラスチック棒にフックのついた義手なんかよりはるかにいいのです。それでも、自分の腕より義手の方が良いという人は誰もいないでしょう。私は彼に言いました。
「世界最初の飛行機はライト兄弟によって1903年に30メートル飛んだそうだ。それで鳩が羨ましがることはなかっただろう。でもそれが今やF15イーグルだ。あのハクトウワシだってマッハ2では飛べやしない。私たちはきっといつか、これをすごいものにしてみせる」。そして約束しました。
「君の仲間たちが、君の、ルーク(・スカイウォーカー)みたいな腕にできることを羨ましがるようになるまでやめはしない。改良し続ける。そうなるまでは絶対やめない」
この国では大論争が続くことでしょう。「私には受給資格がある」「君は犠牲者だ」と不平不満が出るでしょう。外交政策に対しても不平不満が出ることでしょう。
でも、私たちが、誰が何を支払い、何を得られるのかと、不平不満を垂れる贅沢を享受しているとき、そうできる恩恵を与えてくれているのは、戦地に行っている彼らなのです。人間にでき得る限りのすべてを、彼らが受けるに値することを、私は知っています。私たちは、それを彼らに与えるべきです。(拍手)
戦場で腕や脚を失った兵士は、日々われわれの想像を超える困難に直面しています。素晴らしい義肢をデザインすることによって彼らに生活を取り戻させようと取り組むきっかけとなった素晴らしい人々との出会いについて、TEDMEDの場でディーン・ケーメンが語っています。