宇宙から見た考古学(5:20)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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昔、アメリカのメイン州に住んでいた頃、「スカシカシパン」というウニの一種を海岸で見つけるのが大好きでした。幸運をもたらすと両親が言っていたからです。でも、なかなか見つかりません。砂に覆われていて見えません。それでも段々と、探すのに慣れてきました。形やパターンを見て集められるようになったのです。
このことは、過去の何かを探すという考古学への興味へ繋がりました。やがて私はエジプト学を学び始めましたが、肉眼だけでは不十分だと気が付きました。なぜなら、その対象はメイン州の小さな海岸からエジプトのナイル川の横、長さ1,300キロの領域になり、そして私のスカシカシパンは街の大きさになったからです。そして、衛星画像の使用に至ります。過去の姿を描き出すために、異なる目が必要でした。
そこで、赤外線を用いて、どう違いが見えるのかサンプルをお見せしましょう。ここは、東エジプトの三角州に位置するベンディクスです。その場所は茶色で見えていますが、赤外線画像を用いて処理を行うと、突然その場所はフォールスカラーの明るいピンクで表示されます。そしてそこには、古代エジプト人による活動や建築材料に起因する化学変化を見ることができます。
今日皆さんにお伝えしたいことは、どのように衛星画像を用いて、数千年以上失われていたイチタウイと呼ばれる古代都市を見つけたのかということです。イチタウイは約4,000年前、中王国時代に400年以上に渡って存在した古代エジプトの首都です。ここはエジプトのファイユームに位置する、とても重要な場所です。なぜなら、中王国時代には古代エジプトにおける美術や建築、宗教のルネサンスとも言える時期があったからです。エジプト学者は、イチタウイがこの赤い丸で示された二人の王のピラミッドの近くにあることは知っていました。この大規模な氾濫原の中にです。このエリアはとても広く、6.5×5キロの大きさです。ナイル川はイチタウイのすぐ横を流れていました。そして、東側に川が移動したことにより、街を覆い尽くしたのです。
では、どうやってこの広大な土地から埋もれた街を探し出すのか? ランダムに探すのでは、野球のミットで目を覆って干し草の中で針を探すようなものです。私たちが行なったことは、NASAの地形データを用いて、土地の微妙な変化を精密にまとめました。そして、過去にナイル川があった場所を見つけました。しかし、もっと詳細で興味深いことがあります。わずかに隆起しているこの丸の部分が、おそらくイチタウイではないかと考えられる場所です。
そこで私たちは、エジプトの科学者と協力して、このようなコア掘りを行いました。
コア掘りというのは、氷床コアの掘削と似ていますが、気候ではなく人の活動による層の変化を探すことです。
そして、5メートルの厚い泥の層の下に、密集した陶器類の層を見つけました。このことが意味するのは、この5メートル下の場所には、中王国時代の数百年の間の、ある特定の期間の地層があり、それがイチタウイであったと考えられます。また、カーネリアンや水晶、メノウなどの石細工も見つかっており、ここに宝石加工所があったということです。大した物に見えないかもしれませんが、中王国時代に一般的だった宝石を考えると、まさにこれらがその石なのです。
さて、ここに中王国時代の密集した地層があったわけですが、宝石加工所の形跡が意味することは、何かとても重要な街があったということです。イチタウイなのかはまだわかりませんが、私たちはこの場所に戻り、近い将来にそれを解明します。さらに重要なことは、衛星技術を使用するために若いエジプト人スタッフの訓練をしています。彼らも素晴らしい発見者の一人になれるのです。
それでは、私の好きな中王国時代の言葉を引用してこの場を締めくくりたいと思います。
おそらく、イチタウイで4,000年前に書かれたものです。
「知識の共有は、人の欲求の中で最も偉大なものであり、地上でそれに勝るものはない」
つまり、TEDの始まりは 紀元1984年ではなく—(笑)実際このアイデアは、紀元前1984年のイチタウイで始まったのです。そしてこれは、まさに壮大な海辺での貝殻探しです。
ありがとうございました(拍手)。
この短いスピーチの中で、TEDフェローのサラ・パーカックは「宇宙的考古学」、過去の文明で失われた都市の糸口を探すために、衛星画像を用いた例を紹介します。