上達する為に、医療チームにもコーチをつけよう(16:47)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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今日私はここに専門家としてではなく どうやったら物事に習熟できるのか ということに とても興味を抱いている個人として 来ました 重要なのは今どれくらい 優れているかだけでなく 将来どれくらい上達するか ということなのだと考えています
私はインド北部の産院を訪れていました 出産に立ち会う医療スタッフを眺めていると 自分が「人々が複雑な物事に直面して いかに上達するか あるいはしないか」 という究極の例を 目撃していたと気づきました この地域では1/20の確率で 出産時に赤ん坊が亡くなります 母親の死亡率となると他の地域の10倍です 私たちは出産時の生死を分ける 重要な医療行為が何かを 何十年も前から知っていましたが 困ったことにこんなところでは 特にここでは 最も単純な作業も 難しいということです 例えば手を洗ったり 清潔な手術用手袋を装着したり しかしここでは 手洗い場は別の部屋にあり 清潔な手術用手袋もありません 手術用手袋を使い回す為に 彼らは希釈した漂白剤で洗いますが まだ血がついたままのものもありますね 1割の赤ちゃんは 生まれた時 呼吸がうまくできません やるべきことは分かっています 赤ちゃんを乾いた布で拭き 呼吸を誘発しますが 呼吸し始めないようなら 気道吸引します それが効果がなければ 人工呼吸マスクで呼吸をさせます これらは主に教科書から学んだ知識ですが 見て下さい 人工呼吸器用マスクが壊れています
このショッキングな画像は 状況の深刻さを痛感させます これは生まれて10分経った赤ん坊で 生きています 辛うじて 清潔な乾いたタオルも無く まだ拭かれて乾かされておらず 肌で直接温められておらず 消毒されていないクランプが 臍の緒を挟んだまま 感染症に起こってくれと 言わんばかりです 赤ちゃんは刻一刻と体温が低下していきます 出産の成功には それを助けるチームとしての成功が必要です チーム全員が高いスキルを持ち 上手く連携していなければいけません このような場所で助産師や それを支援する医師 22種類の重要な医薬品や備品を 常に分娩台横にストックする備品係や 施設全体の質の管理責任を持つ — 医務責任者 全員に スキルと連携が必要なのです 皆 経験豊富なプロフェッショナル達です 私が出会ったのは 数千もの出産に 立ち会ってきたスタッフばかりでしたが 複雑な状況に直面して 彼らは手一杯になり 技術の向上が止まってしまっていました 本当に重要な技術について どこまで精通しているかです
根本的な問題への対処を迫ります プロ達はどうやってその技術を 高めていくのでしょう? どうやって達人になるのでしょう? これには2つの見方があって 1つは従来の教育観によるものです 学校へ行き 勉強して 練習し 学び終えたら卒業します それから社会へ出て そこからは自分一人です 自分で技能の向上を図れるのが プロということになります これはあらゆる職業のプロが習熟した方法です 医師達はこうやって学びます 弁護士達も 科学者達も 音楽家達も これが効果的なんですよ ジュリアードの伝説的なバイオリン指導者 ドロシー・ディレイはどうでしょう 彼女はバイオリンの天才たちを教育しました 五嶋みどり、サラ・チャン イツァーク・パールマン 皆 若い頃 才能ある生徒として彼女につき 何年も彼女の指導の下に訓練しました 彼女によると 最も力を入れたのは 考え学ぶ習慣をつけさせ 巣立っても彼女の助け無しに 世界で活躍できるようにすることでした
しかし スポーツの世界では対照的です 「選手の成長に終わりは無い 皆 コーチを必要とするものだ」 と言いますね 例外無く 最も優れた者ですらコーチが必要なのです
それでこれを 外科医として考えてみました お金を払ってコーチを雇い 手術室で私を 指導してもらおうと思ったんです 馬鹿げているとは思いました 専門家であるという事は コーチが必要無いという事ですから
ではどちらの考えが正しいのでしょう? 私はコーチングが非常に米国的な概念として スポーツに取り入れられたと知りました 1875年 ハーバードとイェールは 最初のアメリカ式ルールのフットボールで戦い イエールはヘッド・コーチを雇い ハーバードはそうしませんでした 結果はどうなったか? その後30年間で ハーバードが勝ったのは4回だけ コーチを雇うことになりました
(笑)
それがスポーツのやり方になりました しかしそれは一体 他の分野にも当てはまるものでしょうか?
私はほかでもない イツァーク・パールマンに 聞いてみることにしました 彼はドロシー・ディレイのメソッドで練習し 彼の世代で最高と言える バイオリニストに育ちました 私が『ニューヨーカー』誌寄稿者になって 得た特権とは 誰に連絡を取っても— 折り返し連絡がもらえる事です
(笑)
パールマンは折り返し電話してくれました それからほぼ2時間ぶっ通しで話して 彼がどのようにして今の彼になったかを 語り合いました
こう尋ねました「何故バイオリニスト達は コーチをつけないんです?」
「分かりません でも私にはいましたよ」
「えっ 常にコーチがいたんですか?」
「もちろん 妻のトウビーです」
2人は共にジュリアードを卒業し 彼女はコンサート奏者をあきらめ 彼のコーチとなるため 観客席に座り 彼の演奏を観察し 感想を述べました
「イツァーク 曲の中盤で 少し機械的な演奏になったわね どうしたら改善できると思う?」 それは彼の成長のあらゆる点で 重要だったと彼は言いました
一人でやりのけるという事には 数々の問題があったんです まず 自分では 障害となっている課題に気付かない 気づいたとしても その解決方法が分からない 結果として ある時 あなたの成長は 頭打ちになってしまいます その事を考えてみて 外科医としての自分に起きたのは まさにそれだと気付いたのです
私は2003年に臨床を始めましたが 最初の数年は 私の学習曲線は着実に上昇しました 毎年 合併症が起こる率は減って行き およそ5年経った時 その下降は止まり それからまた数年後 もはや何ら向上が見られないと 気付きました こう思ったものです 「これが自分の限界か?」
それで もう少し考えて決めました 「よし コーチをつけてみよう」 それでボブ・オスティーンと言う 私の恩師で 既に退職した教授に頼むと 彼は手術室で私の指導をする事に 同意してくれました まず 最初の症例を良く覚えています 非常に上手く行きました 手術が終わった時に ほとんど指摘されることもないだろうと 思っていました ところが彼のノートは 走り書きで埋まっていました
(笑)
「ちょっとした事だが」
(笑)
それが大事なんです 「照明が術野から逸れたのに気づいたかい? 30分ほど 反射光を使って処置していたね」 「他には —」 「君の肘が時々浮いているのに気づいたよ 体を完全にコントロールしていないという事だ 外科医の肘は自然に両脇に垂れているべきだ つまりもし肘が浮いてしまうようだったら 他の器具を選ぶか 足の位置を変えた方がいい」 これは全く別次元の気付きでした この体験には 何か本質的な気づきがあったと感じました 彼は偉大なコーチがするように 私の挙動を描写していました コーチは外側から観察する 目や耳となり より正確な現実を描き出し 基本的な要素を見つけ 私の一挙手一投足を分析して それを再構築するのを手伝ってくれるのです 2ヶ月のコーチングの後 自分がまた上達し始めたのに気付きました 1年後 私は自分の合併症率が 更に減ったのに気付きました 快くはありませんでした 自分が観察されるのも好きでは無かったし 努力を続けるのが 嫌になる時もありました 上達する前には 更に腕が落ちたと感じた時期がありました しかしこう気づきました コーチは何か大変重要な 核心に迫っているのだと
私は他に 「アリアドネ・ラボ」という 医療提供における課題に取り組む 医療システムイノベーション・センターを 運営していたのですが 世界の出産問題も扱っていました その中で 世界保健機構(WHO)と協力し 安全な出産チェックリストを開発しました 基本的な事項をリストにして 細かく分けてあります チームが必ず行う必要のある 重要な手順です 陣痛が始まった妊婦が運び込まれた時 腹圧をかける準備ができた時 赤ちゃんが娩出された時 母子ともに帰宅できる時などです そして私たちは チェックリストを配るだけでは 殆ど何も変わらないと 教室で教えるだけでも 人々に必要な変化を起こさせるには 十分ではないと知っていました それで私は自分の経験を振り返り こう言いました 「コーチングを試してみよう 大規模なコーチングをやってみないか?」
インド政府を含む 素晴らしいパートナーたちを見つけ インド最大の州 ウッタル・プラデーシュの 120の産院で比較を行いました 産院センターの半分は 観察しただけでしたが もう半分にはコーチを派遣しました 私たちは このような医師や看護師 マネージャーの一団を訓練して 観察手法を学んでもらい それぞれの強みを伸ばし 弱みを改善します スタッフとの訓練で最も重要だと分かった スキルの一つは コミュニケーションでした 赤ちゃんの人工呼吸マスクが破れていたり 手術用手袋が欠品していたり 手洗いを忘れている人がいたら 看護師が ちゃんと指摘するように教育する そしてマネージャーを含め皆には ちゃんと聞く姿勢を教育する 少人数のコーチの一団は 400名の看護師たちと その他助産スタッフたち 100名の産婦人科医とマネージャーたちを コーチしました 私たちは16万件の出産結果を追跡しました
結果は… コーチングを受けなかった コントロール・グループでは 私たちが計測していた18の基礎的な手順の 1/3しか行われず 最も重要なことは 何年にもわたるこの研究中に 何ら改善が見られなかった事でした 4ヶ月のコーチングを受け その後8ヶ月徐々に独り立ちしたグループでは 2/3以上の手順が 適切に行われるまでに 改善したことが観察されました 効果があったということです 質が改善したことは明らかで しかも どの産院でも 改善が見られて コーチングが私たちの仕事に 価値をもたらす可能性を示していました コーチングが成果をもたらす 色々な仕事が想像できますね それにより成果を上げる人々も
私たちはまだまだ始めたばかりでしたし やるべきことがまだ沢山ありました 死亡率を大幅に減らすには 全てのチェックリストを 統合しなければなりませんでした しかし前進をしつつある施設も出始めていて この産院はその1つでした コーチングが基礎的な処置の 習熟を助けたからです この例からもそれが分かります
この23歳の女性は 3人目の子供の出産に 救急救命室に来ました 治療選別(トリアージ)エリアで破水して 直接分娩出産室へと連れてこられたので チェック項目の確認が行われました 写真にタイムスタンプをつけました 事態がどれだけ速く展開し そのせいで どれだけ作業が複雑になるか わかるでしょう 4分のうちに 血圧と脈を測り 赤ん坊の心拍を測りました つまり血圧測定用カフと 胎児超音波心音モニターが準備されていて 看護師が使い方を 分かっていたということです チームはスキルに長け 連携が取れていました 母親の状態は良好で 赤ん坊の心拍は143と正常でした 8分後 陣痛が強度を増し 看護師は手を洗い 清潔な手術用手袋を装着して 産婦の子宮口が 完全に開いているのを確認しました 赤ちゃんがいつ生まれても おかしくありません 看護師は直ぐに次のチェック項目に移り 全ての機器を点検し終えると ベッドサイドに必要な物が 全て揃っているのを確認しました 人工呼吸マスクがあり 殺菌済みのタオルがあり 殺菌した器具が揃っていました それから3分後 母親が一回いきむと 赤ちゃんが生まれました
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私はこの出産を見ていて 部屋の雰囲気が 一変したのにすぐに気づきました 看護師は 赤ちゃんの容体が悪かった為 産婦に付き添って来た コミュニティー・ヘルスワーカーを 見つめていました 赤ちゃんは青白くぐったりしていて 息をしていませんでした 赤ちゃんは死んでしまいそうでした しかし看護師は チェック項目をたどり続けました 赤ちゃんを清潔なタオルで拭き 1分後 それが赤ちゃんの刺激に なっていないと分かると 人工呼吸マスクを取りに走り もう一人の看護師は 吸引器を取りに行きました 電気の供給が頼りなかったので 機械式吸引機はありませんでした 自分の口で(器具を使って)吸引し 20秒後に 赤ちゃんの気道の確保ができました 緑色のどろどろした液が取れて その1分後 さらに吸引を続けると 赤ちゃんは息をし始めました
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もう1分すると 赤ちゃんは泣き始めました それから5分後 その子の肌は上気し 母親の胸で温められていました 母親は看護師の手を取り 皆 安堵の息をつきました
私はチームがコーチングのお陰で 生まれ変わった所を目にしました そして少なくとも1人の命が 救われるのを目にしました 数ヶ月後にその母親を検診した時 母子ともにとても健康でした 赤ちゃんの名前はアンシカ 「美しい」という意味です この子は私たちが上達する方法を 本当に理解した時に 可能になる事の象徴です
ありがとうございました
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アートは私たちの人生に意味を与え、文化に生命を吹き込みます。では、なぜ私たちは、アーティストになったら生計を立てるのに苦労するだろうと考えてしまうのでしょう?ハディ・エルデベックは、アーティストが副業ではなく作品制作に集中できるように、助成金や資金援助を紹介するオンライン・プラットフォームを作り、アーティストの価値が認められる社会を作ろうとしています。