失敗に終わった神の探求—その代わり見つけたこと(16:12)
講演内容の日本語対訳テキストです。
自動スクロールはしませんので、映像に合わせてスクロールさせてご覧下さい。
何年か前 私は神を探しに出かけました 最初から言いますが この使命は失敗に終わったと 弁護士の私が そう認めるのは 実に辛いことです ところが その失敗に終わった旅で その代わりに見つけた多くのことは 非常に啓発的でした 中でも特に ある一つのことが 私に多大な希望を与えました それは人間それぞれの違いの 大きさと重要性に関係しています
私はアメリカで インド人の両親の元で 育ちました —文化的にはヒンズーですが 宗教的には インドの外ではあまり 知られていない厳格な宗教の ジャイナ教を実践していました それだけでいかに私が 少数派であるかを説明すると インド人はアメリカの人口の 約1パーセントを占めてます ヒンズー教徒が0.7パーセント ジャイナ教徒は せいぜい 0.00046パーセントです 違う言い方をすると バーモント州のテディベア工場の 年間来場者数は アメリカのジャイナ教徒の数を 上回ります それだけでも少数派の私なのに 加えて両親はある決断をしました 「いいことを思いついた! カトリック系の学校に通わせよう」
(笑)
その学校では 私と姉だけが非白人系で 非カトリック教徒の生徒でした
イリノイ州フロスムーアのその学校 「Infant Jesus of Prague School」 では — そうなんです 本当にそういう名前の学校でした — 私達は 唯一の神という教えを信じ 神は創られたもの全ての源 世の中の全てです 天地開闢から 道徳の導き 永遠の命まで ところが家に帰ると 全く違うことを教えられました ジャイナ教の信奉者は 唯一神を信じておらず 複数の神という考えすら受け入れません その代わりに教えられるのは 個人が完全になることで 神が表れるということです 信者は生涯をかけて 神のような完全な人間になるのを 妨害するような 悪のカルマを取り除く努力をします 更に ジャイナ教の思想の柱の一つが 「非絶対主義」と言われるものです 非絶対主義者らは 一人の人間が 絶対的な真理を得たり知ったりすることは できないと信じています たとえそれが信仰であっても カトリックの学校の神父様や尼僧に この概念を試すつもりなら 頑張ってくださいね
(笑)
私が混乱し いかに自分が周りと違うと感じても 無理ありません 場面は変わって 二十数年後 私は深いスピリチュアルな人間に なっていましたが もがいてもいました 精神面で「ホームレス」だったからです 私は「None (無し)」の部類に 属すことがわかったからです これは決して頭字語でも 器用な言葉のシャレでもなく 「Nun(尼僧)」のことでもありません それはただ単に ピュー研究所の意識調査で 宗教の項目で「無し」を チェックする人に与えられる 辛いほどつまらない名称です
(笑)
「無し」に属する人達に関して 興味深い点を挙げてみると 数では多数いること 若い人に偏っていること アメリカでは2014年の時点で 5600万人を超える人々が 宗教では無所属の「無し」でした 「無し」は 18歳から33歳の大人の 三分の一以上を占めています ところが私にとって 「無し」の人の一番興味深い点は スピリチュアルな人が多いこと 実は私達の68%が ある程度の確信を持って 神の存在を信じています ただ その神が誰なのかに 迷っているのです
(笑)
自分が「無し」に属すことに気付き それについて分かって 最初に感じたことは 私一人ではないということでした アメリカに存在する 多数のメンバーを誇るグループの 一員に やっとなれたことに 安堵を感じました ところが次に 少し不安を覚えました 私達が多数いるってことは いいはずはありません だって深いスピリチュアルな精神を持つ 私達が神を見出していないなら 神を見つけるのは 当初の予想より難しそうだからです
そこで私は 自分のスピリチュアルな旅を続ける上で ありふれたところは避けることを決め メジャーな宗教には一切目もくれず その代わり あえて スピリチュアルな世界の非主流に属する 霊媒師や 祈祷師や グルを探すことにしました ただ 思い出してください 私は絶対主義者ではないので 何にでも心を開いて接することができ それが良い結果につながりました ニューヨーク市の LGBTセンターで開催された 魔女の持ち寄りディナー集会に 出かけて行って 2人の魔女と友達になりました 20リットル容器に入った火山水を ペルーから来たシャーマンと 一緒に飲みました 会場で聖人に抱擁してもらいました— 彼女は本当に良い匂いをしてました—
(笑)
メキシコの海岸の 煙が充満した 高温の儀式小屋で 何時間も呪文を唱えました テキーラ飲みの霊媒師と一緒になって 霊を呼び出しましたが その体験で変だったのが 霊のなかには亡くなった姑と ヒップホップグループ「ザ・ルーツ」の 元マネージャーがいたこと
(笑)
そうなんです 姑は息子が私を嫁に選んだことを すごく幸せだったと言ってくれたの 当然でしょ! ところが—
(笑)
そう ところが ザ・ルーツのマネージャーからは 食べ過ぎのパスタの量を 減らすべきだと忠告されました ここでみんな同意できるのは 夫がラッキーだったのは 炭水化物を控えるよう忠告したのが 彼の亡くなった母親ではなかったこと
(笑)
南アフリカから来た 笑いヨガグループにも参加し ある女性が45分間性的絶頂に いる状態も目にしました— 作り話ではないの— 彼女は宇宙のエネルギーを利用していたの— もう一度行ってみようかしら—
(笑)
ネバダ州の砂漠で バーニングマンのイベントの 公衆電話ボックスから レオタードを着てスキーゴーグルをかけて 神に電話をしたり インド人の老人に 私の上に寝てもらいました いいえ 夫ではありません 全く知らないパラムジという人で 私の身体の「チャクラ」に向けて唱えながら 宇宙のエネルギーの力を利用し 私の「yoni(ヨニ)」を癒したの 「yoni」とはサンスクリット語で 腟部のこと
(笑)
ここでスライドでお見せする つもりだったけど 何人かの人から忠告されたの TEDでは— たとえTED Womenであっても 私の「yoni」のスライドは 決して適切とは言えないと
(笑)
探求を始めて間もなく ブラジル人の信仰治療師 ジョン・オブ・ゴッドを訪ねて ブラジルの彼の居留地にも行きました ジョン・オブ・ゴッドは フルトランス・ミディアムと言われます 要するに 死者と話せるのです ただ 彼は聖人と医師だけの特定の霊だけと チャネリングをすると主張し そうすることで どんな病いも 治せるそうです ジョン・オブ・ゴッドは 医学の学位を持っているわけでもなく ましては高校の卒業証書さえないのに 実際に手術を行います メスを使った正真正銘の手術ですが 麻酔は無しです そう やや疑問です 彼は身体を切らずにすむ 見えない手術や 代理手術もします 患者の愛しい人を代理として手術をし 何千キロも離れたところにいる患者を 治すことができるそうです
ジョン・オブ・ゴッドに会うには たくさんの規則と規定があります すごく複雑な手続きですが 結果的には ジョン・オブ・ゴッドに会って なおして欲しいことを3点提出すると 彼は聖人や医師の霊に あなたの願いが叶うよう働きかけて 務めをさせるのです
(笑)
呆れて笑う前に まずは検討してみてください 少なくとも彼のウェブサイトによると 彼の手で800万人以上の人が ― 昼間のテレビ番組の女神 オプラも含みます ― ジョン・オブ・ゴッドと会っているので 私も先入観にはとらわれませんでした ところが正直言って この体験は ちょっと変で結論には至りませんでした 最後にはそのまま飛行機に乗り 帰ってきてしまい 出発前よりも混乱していました だからと言って 何も得なかった わけではありません
ブラジルへ発つ数週間前から 私の探求の計画を数人の友人や 当時 弁護士として働いていた Google社の数人の同僚に 打ち明けていました もしかしたら 他の人にも 話していたかもわかりません 私はおしゃべりなので 近所の人や 毎朝立ち寄る コーヒーショップの店員や スーパーの「ホールフーズ」の レジ係のおばさんや 地下鉄で隣り合わせになった 見知らぬ人に 皆それぞれに私の行く先を伝え 行く目的も説明し 彼らの3つの願いも一緒に ブラジルに持っていくことを申し出ました ジョン・オブ・ゴッドに会いに行く人は 誰でも代理人になることが可能で 旅の手間を省くことができると 説明しました びっくりしたことに 受信箱にメールが溢れるように届きました 話が友達から その友達 更にその友達へと伝わり その友達らも もっと多くの友達や 知らない人や コーヒーショップの店員へ伝え 私がブラジルに発つ日までの間に 私のメールアドレスを知らない人は いないような状況になりました その時結論付けたことが あまりにも異常な数の人に 約束し過ぎたということだけ ところが数年経ってみて メールを読み直してみると 全く違うことに気付きました メールには3つの共通点がありました 最初の点はやや奇妙なことでした
ほとんどの人が連絡方法を 細かく指示してきたのです 私が彼らに伝えたこと また その友達が彼らに伝えたことは 3つの願いを書いたリストと共に 写真 名前と生年月日が必要だということ ところが細かい住所 それもアパート番号や 郵便番号まで送ってきました ジョン・オブ・ゴッドが 家に立ち寄って会ってくれるか 小包でも送ってくれるとでも 思ったかのようです ありそうもないことですが ジョン・オブ・ゴッドに願いを かなえてもらった場合を考え 間違った人や住所に 誤って届けられる可能性が ないようにしたかったようです 可能性がないことが わかっていても 万が一の失敗を防ぎたかったのです
2つ目の共通点も同じように 奇妙でしたが もっとずっと控え目でした ほとんどの人 — 地下鉄で会った知らない人 コーヒーショップの店員 廊下先のオフィスの弁護士 ユダヤ人 無神論者 イスラム人 敬虔なカトリック教徒 — 全ての人がほとんど同じ 3つのことを願っていました もちろん 全くはずれたことや 現金が欲しいと言う人が何人かいました でも そのような少数の例外を除けば 残った人の共通点は驚くほどでした ほとんどの人が まずは自分の健康と 家族の健康を願っていました ほとんどの場合 次に幸福を願っていました そして最後に愛情を その順番に 健康 幸福 愛情 特定の健康問題が治ることを 望む人もいましたが ほとんどの場合 ただ単に健全な体を願っていました
幸福となると 皆それぞれやや違う言い方で表現していても ほとんどの場合が 幸福のサブタイプは同じで 深く実感できるような 魂の中に根付くような幸福 私たちを支えてくれるような幸福 たとえ他の全てを失った時でもです
そして愛情に関しては 全ての人がロマンチックな愛情や 長編ロマンス本に出てくるような 魂で繋がれた相手を求め 人生の最後まで伴にするような愛を
ごめんなさい 夫のこと思って 胸がいっぱいになっちゃった
困ったわ!どこまで話したか忘れてしまった
(笑)
(拍手)
という事で ほとんどの場合 友達だろうと 知らない人だろうと 育った環境や人種や宗教に関係なく 皆同じことを求めていて 私が求めていたこととも同じでした 社会科学者のアブラハム・マズローや マンフレッド・マックス=ニーフが確認した 人間の基本的欲求を簡素化したものです 誰も重要な実存的な疑問の 答えを聞いてきたわけでもなく 私が探求していた 神の存在の証や生きる意味でもなく 戦争や世界規模の飢餓を無くすことさえ 求めていませんでした どんなことでも頼めたはずなのに 求めたことは 健康と幸福と愛だけ
メールには 3つ目の共通点もありました どれも同じように 締めくくっていました 遠いブラジルまで彼らの願いを運ぶ私に お礼を言う代わりに みんな こう書いたんです 「誰にも言わないで欲しい」 だから私は みんなに言うことにしました
(笑)
それも今 この壇上で それは 私が 信用できない人間だからではなく 私達には実はたくさんの 共通点があるという事実を 特に今 みんなが知る必要性を感じるからです 世界の様々な問題の原因は 私達がお互いの違いばかりに 注目していて 共通点に目を向けないことだと 思うからです
そう — 自分で一番よくわかっているのは 私は統計学者ではないので 提供できるデータは メールの受信箱にたまったものだけ 科学的というより逸話的で 定量的というより定性的です データを使った仕事をしている人なら 誰でも言うように 決して統計学的に有意でもなく 人口統計的に妥当なサンプルでもありません それでも 私は受け取ったメールのことを 考えずにいられません 自分の人生で直面した 偏見や嫌悪を思い起こすたびに あるいは 憎悪犯罪や 無意味な悲劇が起こって 私達の間にある違いは 克服できないかもという 残念な気持ちが強まるたびに 自分に言い聞かせるのは 私には証拠があること 私達の人間性には 謙虚で一体となる共通点があり それは 何でも叶えてもらえる機会を 与えられた時でさえも ほとんどの人が同じことを望み それは 自分がどんな人間であれ どの神を信じていようと どの宗教を拠り所にしようと 同じなのです
もう1つ注目したいことが 人によっては 願いがあまりに強いため 「無し」の人にメールさえ 送ってしまうこと— 精神面で混乱した— 他の面も混乱しているかもしれませんが 私のような「無し」にまで メールするのです 見ず知らずの人を探し出し 最も深遠な願いをメールを送ります もしかすると わずかでも可能性が残されていて 神などではなく ましてや 自分が信じる神でもない人 自分と同じ宗教ですらない人 経歴を見ても 期待に応えられるとは 到底思えない人が 願いを叶えてくれることがありやしないかと
そこで今 私のスピリチュアルな探求を 思い返してみて 私は神を見つけることは できなかったけれど この事実を発見したことで 自分の居場所を見つけました こんにちのような 宗教や 民族 政治 思想 人種によって 分断されてしまった世の中で 私達には明白な違いが多くあっても 結局のところ 人間の最も基本的な部分においては 私達は皆同じということです
ありがとうございました
(拍手)
アンジャリ・クマールは、神を探すつもりで始めた探求で、予期せぬ全く違う発見をしました。人類共通の人間性を語る希望とユーモアいっぱいのトークの中で、彼女が出会ったニューヨークの魔女、ペルーの祈祷師や、ブラジルの悪名高き信仰治療者等を紹介しながら、私達をスピリチャルな巡礼の旅に連れて行き、ある重要な教訓も共有します。私たちを結びつける力は、分断する力よりもはるかに強いこと、そして私たちの間にある違いは克服不能なものではないという教訓です。