現実の捉え方を追求する想像的な彫刻(10:20)
講演内容の日本語対訳テキストです。
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あなたがメイン州のルベック市に 2016年7月 たまたま居合わせたとしたら 湾を見渡すと やや不思議なものが 地平線に見えたかもしれません 遠い彼方に それ以外は無人島でしかない場所に 大きな黒字のアルファベットで 「FOREVER」の文字がそびえていました 高さ4.5メートル 幅15メートルの この標識は 晴れた日には確かに 「FOREVER(永遠に)」と見え 遠くからでもハッキリと見え 読める大きさでした
ところが 日によっては 深く白い霧が海から押し寄せ 言葉も景色もすっぽりと包み込み 消してしまうのでした そして時には このビデオでわかるように 「FOREVER」が 流れる霧の合間にかすかに見え リズミカルな濃霧警報の音だけが この風景の伴奏をしています
(濃霧警報の音)
(濃霧警報の音)
発端は とても素朴なアイデアでした 確かに少し不思議ですが 「FOREVER」の言葉を 風景に融合させて 霧の中で見え隠れする様子を 作り出そうと思ったのです ところが計画から実行までに 1年以上かかり 沢山の人の助けを要しました 例えば全ての資材の島への輸送を 手伝ってくれた ロブスター漁船の船長 何百キロという重さの木材や鋼鉄を 腰まで伸びた茂みの中歩いて 丘の上まで運んでくれた ボランティアの人々 最終的に この「FOREVER」は たった3週間でしかありませんでした
(笑)
なぜこんなことをしたのかと 疑問に思うかもしれません 私自身も取り組みながら 度々自問しました 私のことと 私の生い立ちをもう少し知れば 手助けになるかと思います 私は福音主義キリスト教徒の 家庭で育ちました 今の私は無神論者ですが 私の宗教的生い立ちは 今の私という人間の形成に 大きな役割を果たしたと自覚しています
1986年 私が5歳の時 両親は宣教師として 南アフリカに行きました ちょうどアパルトヘイト政策の 最後の数年間にあたり 私たちは白人地域に住み 私は白人生徒だけの 公立学校に通いました その間 私の両親は ケープタウン市のダウンタウンに 多民族共存の教会の 設立にあたりました
幼い私には 南アフリカで起きていた 当時の出来事の重要性は 理解できませんでした 私の知る大切な黒人の人たちが 毎日のようにさらされた 人種差別と迫害を目撃しながら 私の肌の色が妨げとなり 彼らの立場を完全に理解することは できませんでした それでも 私は20世紀で 最も影響力のある社会運動のひとつを 肌で感じることのできる 恵まれた立場にいました
そして その体験から得た中で いつまでも印象に残っているのは 南アフリカで出会った人々が 自分と自分の国の 明るい未来の姿を思い描く様子でした そんな未来が実現できると 彼らは確信していたのです それから何十年と休むことなく 力を合わせて努力し 歴史を塗り変えた あの驚くべき瞬間を達成したのでした 私はそこでネルソン・マンデラ氏が 獄中から解放されるのを見ました そして国全体が大きく 変貌する様子を見つめました それは私自身の変貌でもありました 私の創作する全ての作品を 貫く感性である― 驚異や楽観や可能性を 教えてくれたのです
「FOREVER」のような作品を 作るのは 言語と時間を目に見える物理的な形で 表現したいからです 言語と時間は 実体は無くても強大な力で 私たちの現実を認識する見方と 体験の仕方を形作ります そうすることで 私は他の人たちにも 自分の現実の見方を考える機会を与え 他に何が可能なのかと思いを巡らせ 想像を働かせるよう 促すのです
そのために私は よく標識を使います 標識は簡単かつ効果的に 人々の注意を引き 情報を伝達できるからです 標識は見落としがちな事柄に 目を向けさせます 例えば このテキサス州の ハイウェイの脇にある標識 [誘惑] 多くの場合 目には 全く見えないものを表して 目的地までの距離などを 表示します 標識は世の中での 自分の位置を確認する助けとなり [あなたは島にいます] 現在地と今起きていることを 教えてくれます 現在地と今起きていることを 教えてくれます さらに視点をズームアウトさせ 私たちの見方を変え 広い視野からの視点を 垣間見させてもくれます
例えば 想像してみてください あなたはフィラデルフィアの 街中を歩いています 歴史に満ちたアメリカの都市で アメリカ合衆国憲法の発祥地です ところが あなたが歩いている道は 地域の高級化により 大きな変貌のさなかにあります 地域の高級化により 大きな変貌のさなかにあります 道を歩いていると 頭上で何かが光るのに気づきます そこで見上げると これが目に入ります 点滅するネオン標識に こうあります 「目に見えるのは 過去の光の残像だけ」 それから「目に見えるのは過去だけ」 その後 ほんの一瞬 ネオンは完全に消えます この標識は人の足を止めて 目に見える全てのものに 刻まれた歴史に気づかせるのです さらに気づくのは 光が空間を移動するのには 時間がかかるので たとえそれが道の向こうや 部屋の反対側くらいの距離でも この瞬間に あなたが目にする全てが 理論的には 過去の残像だということです
標識は私たちみんなの 世の中を渡る方法に影響を与えます つまり 私たちが共有する体験や理解を 生み出すことができるのです 南アフリカでの体験に 教わったのは 人々が共通の基盤を見いだし 共通の目的を達成するために協力すると 強力な効果を発揮し 予想以上のことが可能になることです 私は人々が共通の基盤を 見つけられる機会を もっと生み出したいのです 人々に協働することで生まれる力を 時には文字通りに 感じ取ってほしいのです
数年前 ある友人が 私たち人間の体は少量の電流を害なく 伝導できるのだと教えてくれました 誰かと手をつなぐと 少量の電流を 2人が握った手を通して 流すことができます スイッチの働きをして 他の動作を引き起こせるのです そこで昨年 手をつなぐという 人間の結びつきを使って 空気注入式の彫刻を 膨らませました 台の上に2つのセンサーを ある程度の距離をあけて設置し 1人では作動できないようにしました ところが2人以上の人が 協働することで 電気回路が完成し しぼんだ彫刻に 命が吹き込まれます 彫刻に空気が流れ込み始め 手をつなぐ時間が長ければ長いほど 彫刻は大きくなって 「あなたは魔法みたい」 という文字が立ち上がります
(音楽、鳥のさえずり)
どんな時でも好きなのは それぞれのグループの人たちが みんな違う方法で 物理的・比喩的な分断を 埋めようとすることです ところが 手を離して 結びつきが断たれると 言葉の彫刻はすぐに しぼんで倒れ始め そのうち地面に積み重なる ただの張りのない布に戻ってしまいます
(拍手)
今のこの時代 みんなが同感できるのは 将来の見通しは暗く 不透明であることでしょう でも もしかしたら もっと明るく 持続可能で 平等な未来への希望は まず そんな未来を想像する力に かかっているのかもしれません 想像したからには 達成できると 実際に信じなくてはなりません それから 本来ならば 意見の異なる人たちと 共通の基盤を探し出して 共通の目的に向かって 力を合わせるのです それができれば 魔法がきく可能性は あると私は信じています
さて あと1分くらい 時間をいただけるなら 会場にいる全員で 手をつないでください 最後に他人と手をつないだのは いつのことですか?
(笑)
そして抵抗がなければ 通路の向こう側にいる人にも 手が届いているつもりで 手を差し伸べてください 両隣の人と手をつないだら 抵抗がなければ 目を閉じてください それから 一瞬 想像してみてください あなたが描く未来の姿を ちょっとだけでも 自分の理想を掲げてみてください 自分個人の生き方がどう変化し 何が起こることを期待しますか? 人類や地球がどう変化し 何が起こることを望みますか? 思い描けますか? 私たちみんなで協力すれば もしかしたら 可能かもしれないと 思えるでしょうか? 目を開けてください さあ 実現してみましょう
ありがとうございました
(拍手)
TEDフェロー、アリーシャ・エガートが私たちを彼女の作品を巡る視覚的な旅へと誘います。メイン州の無人島に建てられた巨大な彫刻から、人間が手をつなぐと電流が流れ、その時だけ膨らむインタラクティブなインスタレーションへまで様々です。彼女の作品は、失意の時に感銘を与え、希望を育むようなアートの力を追求しています。エガートは、こう言葉にしています。「もっと明るく、持続可能で、平等な未来が実現されるかどうかは、まず私たち自身がそんな未来を想像できるかどうかにかかっているのです」