第3回
徳田闘魂道場にようこそ!
- 古閑
- 徳ちゃんの道場の話も聞きたい。道場ではどんな教育をしているの?
- 徳田
- 関西のある医学生の「色々な先生の話を聞きたい」というアイディアから生まれたのが「徳田闘魂道場にようこそ」なんです。色々なバックグラウンドのある先生方をゲストとしてお招きして、私と医学生がダブル司会という形で、お話を聞いていきます。これをポッドキャストで流すんですが、最初にやったときに意外にもニーズが高く、ランキングも上位に入ったんです。始めて1年程度ですが、既に150ぐらいのコンテンツがあります。
- 古閑
- ゲストの先生たちにどんな話を聞くの?
- 徳田
- どうして、その科を選んだのかとか、医療の中で力を入れているのはどんなことかとか、日本の医療の将来像などですね。色々な質問をぶつけて、それに対する答えをもらっています。熱心な学生は毎日のようにポッドキャストを聞いてくれていますよ。iTunesの科学部門のランキングでは一時、「NEJM※」を抑え、1位にもなりました。 ※The New England Journal of Medicine。1812年創刊と世界最古の医学雑誌で、国内では南江堂が取り扱っている。
- 古閑
- すごい。「NEJM」はトップクラスだもんね。
- 徳田
- でも、あちらは英語だから、日本ではあまり聞かれないのかもしれません。我々のコンテンツは日本語ですから。
- 古閑
- 学生のモチベーションを高める意味でもいいことだと思うよ。
- 徳田
- 古閑先生も是非、出演してください。関西の医学生の部屋と私の部屋とゲストの先生の部屋をSkypeで結んで、Skype上で録音して放送しています。Skypeのようなテクノロジーも発達していますから、どこに住んでいても、通信できますね。
今の医学生
― 今の医学生をご覧になって、いかがですか。
- 徳田
- バックグラウンドが多様化していると感じています。だから、古閑先生を思い出すんです(笑)。古閑先生が私たちの学年に来られたときは皆でびっくりしたんですよ。何かが違った。
- 古閑
- 海にばかり行っていたから、真っ黒だったしね。いつも短パンと汚いビーサンを履いていた(笑)。
- 徳田
- 色んなことを知っていましたよね。自分の意見をきちんと言う姿がかっこよかった。私なんて、ずっと地元にいて、世間知らずだったし、古閑先生は我々の憧れの人だった。
- 古閑
- そんなことないよ。
- 徳田
- 古閑先生ほどのレベルの医学生は見たことがないですが、今の医学生はそんな印象です。今は学士入学や再受験が増えているんです。社会人を経験した人、看護師や薬剤師だった人、最初の大学では文系だった人など、多彩ですね。
- 古閑
- 医師は色んな人と接する仕事だから、社会の多様性を分かっていないといけないと思う。だから、どこかの大学を一度、卒業したという経験は医師にとってはいいよね。
- 徳田
- アメリカのように4年制のカレッジを出た人や社会人経験者がメディカルスクールに進むというダイバーシティ※があった方がいいということで、日本でもメディカルスクール構想がありました。古閑先生がおっしゃったように、そういう人たちが医師になると、患者さんの社会的な背景にアプローチしやすくなります。今までの医学部は数学と物理が得意な理科系だけれど、どちらかと言うとコミュニケーションが得意でない人たちが多かったのですが、実際に病院に勤務したらコミュニケーションが取れないと、チームワークや患者さんへの共感ができなくなります。 ※多様性のこと
- 古閑
- 医師の技術よりも、ときにはそちらの方が要求されることもあるしね。
- 徳田
- もちろん、技術は大事です。でも、折角の技術があっても、最後の最後に患者さんとのコミュニケーションがうまくいかなかったら、もったいないですから、コミュニケーションスキルは必要です。医学部の同級生の中に多様なバックグラウンドを持つ人がいるといいなと思います。
アルバイト
- 徳田
- 医学生はアルバイトをすべきですね。できれば家庭教師以外のもの(笑)。私も居酒屋とかのアルバイトをすれば良かったと後悔しています。
― 徳田先生はどんなアルバイトをしていたんですか。
- 徳田
- 家庭教師ばかりだったんです。
- 古閑
- 家庭教師は時給がいいから、収入が安定するんだよね。でも、医学生は居酒屋とかで、頭を下げる仕事をした方がいい。僕はビルの掃除、スイミングクラブのコーチ、飲み屋とかのアルバイトをした。自慢にも何にもならないけど、人に頭を下げることは医師として大事なことだから、色々なアルバイトをしたのは良かった。
― 今の医学生は勉強が大変みたいです。
- 徳田
- 学ぶコンテンツが増えているんですよね。
- 古閑
- 診断の技術が進歩したから、覚えることが増えているんだね。20、30年前は詰め込めば何とかなったけれど、今は体系化されているから、体系的に覚えようとしないと、覚えられない。
- 徳田
- 国際基準の医学部のカリキュラムが厳しいんです。6年間のうち、今まではポリクリは1年間でしたが、国際基準では学部のカリキュラムのうち、3分の1以上ないといけないので、2年間になりました。覚えないといけないことは増えているのに、実習も増えているんです。
闘魂外来
― 徳田先生はどのような実習の受け入れをなさっているんですか。
- 徳田
- 「闘魂外来」をやっています。我々の考えに賛同してくださっている病院の土曜日、日曜日の救急外来を利用して、10人ほどの医学生に集まってもらうんです。医学生をチームに分けて、指導医もつけ、朝8時30分から夕方5時まで、救急車とウォークインで来られる患者さんを診ます。休日の診療も学べますし、フレッシュな患者さんの病歴聴取をしたり、必要に応じて、検査のオーダーをします。最初はカルテも全部、書かせます。我々の目の前で診察させて、リアルタイムに指導するんです。最終的には我々が全てを確認します。
― どのぐらいの頻度でなさっていますか。
- 徳田
- 月1回ペースです。最初は筑波大学の学生がそういうのをやりたいと希望したので始めたのですが、口コミで広がっていって、今は全国各地の病院で行っています。闘魂外来では大学病院では受けられないトレーニングを受けられます。大学病院は救急やプライマリケアの患者さんというよりも、紹介された患者さんが治療目的で来ますから、風邪を診断する機会がないんですよね。本来はそういう患者さんをきちんと診ることが大事です。「闘魂」というのは自分との闘いを意味しています。患者さんと闘うわけではありません。忙しくても、多くの患者さんを断らずに診ます。
― 同時に救急車が来ることもありますよね。
- 徳田
- そんなときのトリアージも経験させます。医学生に判断をさせたうえで、我々が介入するんです。それも自分との闘いです。
- 古閑
- それは力がつくよね。僕たちの頃は中部病院は違ったけど、僕は大学病院で研修したから、そういうことを教えてくれる徳ちゃんみたいな人はいなかった。今は徳ちゃんみたいな人がほかにもいるから、全国で若い医学生を指導できる。日本の医療は良くなるね。すごいことだと思う。
- 徳田
- 学生さんはそういう研修を受けたがっているんですよ。週末を潰してでも、我々のところに来てくれるんです。
闘魂外来に参加した医学生と / 画像提供:徳田安春先生
― 最近の医学生は熱心ですよね。
- 徳田
- 全員が熱心ではないですけどね。でも、熱心でない人も研修医になってから伸びたりします。学生時代では分からないですよ。
- 古閑
- 僕もそうだった。どう考えても、駄目な学生だったよ(笑)。
- 徳田
- 私が見て、すごい、素晴らしい、若手のリーダー的な医師がいるんですが、学生時代は全く勉強せず、遊んでいましたよ(笑)。学生時代は色々な経験があった方がいいんです。
- 古閑
- そのあとで伸びる人もいるしね。
- 徳田
- 学生のときは困っている患者さんを治したいという気持ちを持ちにくいんです。自分の目の前にそういう患者さんがばーんと出てこないと、分からないですよ。でも、もともと正義感や自分で何とかしてあげたいという気持ちの強い人は初期研修医になったときに変わります。
《 Next: 「臨床研修病院群プロジェクト群星〈むりぶし〉沖縄」 》
-
プロフィール
徳田 安春
(とくだ やすはる)
臨床研修病院群プロジェクト
群星沖縄臨床研修センター長
【略歴】
沖縄県南城市出身。1988年に琉球大学を卒業し、沖縄県立中部病院で研修する。2003年に沖縄県立中部病院内科副部長および臨床研修委員会副委員長に就任する。2005年に米国ハーバード大学大学院で公衆衛生修士号を取得する。2006年に医学博士号を取得する。2008年に聖路加国際病院に一般内科医長として勤務する。2009年に筑波大学大学院人間総合科学研究科医療医学系教授に就任し、筑波大学附属病院水戸地域医療教育センター・水戸協同病院で教育にあたる。2014年にJCHO本部研修センター長、JCHO本部顧問に就任する。
2017年4月に臨床研修病院群プロジェクト群星沖縄臨床研修センター長に就任する。
【資格・所属学会】
医学博士
公衆衛生学修士
日本内科学会 指導医・総合内科専門医
日本プライマリケア連合学会 理事・指導医・認定医
日本病院総合診療医学会 理事・認定医
米国内科学会フェロー
-
プロフィール
古閑 比佐志
(こが ひさし)
岩井整形外科内科病院
副院長/教育研修部長
【略歴】
1962年千葉県船橋市生まれ。1988年に琉球大学を卒業し、琉球大学医学部附属病院で研修。
国内の複数の病院で脳神経外科医として勤務ののち、1998年にHeinrich-Pette-Institut fur Experimentelle Virologie und Immunologie an der Dept. of Tumorvirologyに留学。2000年に帰国後は、臨床と研究を進め、2005年にかずさDNA研究所地域結集型プロジェクト研究チームリーダーを経てかずさDNA研究所ゲノム医学研究室室長。
2009年より岩井整形外科内科病院 脊椎内視鏡医長として勤務、2015年より現職。
【資格・所属学会】
日本脳神経外科学会専門医
日本脊髄外科学会
内視鏡脊髄神経外科研究会
日本整形外科学会
CONTENTS(全5回)
- 第1回 専門医制度とかかりつけ医構想
- 第2回 AIやITの発展で医療や教育はどう変わる?
- 第3回 徳田闘魂道場にようこそ
- 第4回 臨床研修病院群プロジェクト 群星沖縄
- 第5回 論文を書くということ/若手へのメッセージ
トップドクター対談 バックナンバー
- 第4回
トップドクター対談
Dr.古閑比佐志×Dr.佐々木治一郎 - 第3回
内視鏡外科トップドクター 師弟対談
Dr.金平永二×Dr.稲木紀幸 - 第2回
内視鏡外科・総合内科トップドクター対談
Dr.古閑比佐志×Dr.徳田安春 - 第1回
内視鏡外科トップドクター 同級生対談
Dr.福永哲×Dr.古閑比佐志