第5回
病院を存続させて、
若い世代に繋いでいくために
若い医師を育てる
- 佐々木
- どの病院でもコストに苦労しています。オプジーボもそうですし、外科手術の器具を揃えるといった、一般の市中病院がやっている医療コスト削減が大学病院ではなかなか難しい。診療科ごとに使いたいものが違いますし。北里のような私立大学には腕に自信のある人が多いので、自分で機械や器具を選びたくなるみたいです。
- 古閑
- 内視鏡なら共有できるのにね。
- 佐々木
- そうなんですよ。希望を合わせるのが難しくて。そこでクオリティインディケーターが「その違いにエビデンスはないですよ」とか、科学的なことで説得するのが一番効くんです。
- 古閑
- 僕たちもだんだん年をとってきたから、そういうことが僕たちの仕事の大きな割合になってくるよね。
- 佐々木
- そうだと思いますよ。
- 古閑
- 下を育てるという意味でも、それでいいよね。
- 佐々木
- 病院を存続させて、若い世代に繋ぐということですよね。古閑先生のおっしゃるように、いつまでも若い者と同じようにはできませんし。僕が私立大学に移って思ったことですが、特に北里は実力主義なので、5年目の手技とか、すごくレベルが高いんです。臨床がよくできるなあと。でも、リサーチマインドが少ないんです。僕が呼ばれた理由はそこかなと、最初はラボを立ち上げて実験をやったり、頑張っていました。そのうちに、今度はどうやって回転させるかといった、経営的な視点を持つようになりました。今の院長が病院の住み分けをしている熊本をモデルにしたいと考え、それで僕を使ってくれているんだろうと思います。縁は縁なんですね。
- 古閑
- 佐々木くんから色々な話を聞けたので、良かった。僕が佐々木くんに聞くことで、若い先生方の役に立てればと思うよ。僕たちは上の先生によくしてもらったよね。
- 佐々木
- そうですよ。
- 古閑
- だから、下によくしたいんだよね。
- 佐々木
- 上の先生方には本当に恵まれました。自由にやらせてもらいましたからね。今度は下が自由にできる環境を作るためにはやはりその病院なり、集団が自立していないといけません。自立って、自活ですよ。汲々としていたら自由にできないし、そこに経営も絡んできます。
- 古閑
- 確かにね。
- 佐々木
- 先生が手術で一杯稼いだら、若い人が自由にできるでしょう。それが重要なんです。
― 古閑先生は症例数、多いですものね。
- 古閑
- それで機械を買ってもらい、若い人が使える分を増やす(笑)。
- 佐々木
- 本当にそうです。
- 古閑
- うち(岩井整形外科内科病院)は60床しかない、小さな病院なんだけど、PELD(経皮的内視鏡下腰椎椎間板摘出術)といって、細い内視鏡を使って背骨の手術をしている。7ミリぐらいの傷で手術するんだけど、日本でも普及してきた。ただ、きちんと教える場がない。下手な人がやってしまうと、リスクが結構高いので。今は僕がそれを教えていて、僕の下に8人ぐらいついている。
- 佐々木
- へえ。
- 古閑
- パーマネントではなく、たまに来るという人もいるけど、教えているよ。大体30例ぐらいやると、結構うまくできるようになるから。30例ぐらいはしっかり教えてあげる。2人は30例を超えて、かなりうまくなってきた。背骨って、脳神経外科と整形外科がコンピート(競合)している領域だから、脳神経外科と整形外科で認定医制度があって、一人は今度、認定医を取る。整形外科の人ももうじき取るよ。脳神経外科と整形外科の人が仲良くやってくれている。
- 佐々木
- そういう場を与えることが大事ですもんね。
- 古閑
- だんだんと上手になってくれたりすると、こっちも楽しいじゃん。
- 佐々木
- やっぱり僕らを超えてもらわないと、意味がないですよね。
― お二人が会われたのは久しぶりですか。
- 古閑
- いや、この間、会って、新宿で飲んだの(笑)。
- 佐々木
- あのときに突然、この対談のことを言われたんですよね。
- 古閑
- 僕は大学を離れて、個人の病院にいるけど、そこでも人を教えられることが分かった。結構、楽しいんだよね。僕のところは大学病院からの先生がかなり来ているよ。
- 佐々木
- 今の若い人はそういうことに貪欲ですよ。教育しやすいですね。
病院のブランディング
- 古閑
- 最近、大学病院も経営がすごく大事になってきて、病院長だけを選ぶこともあるよね。
- 佐々木
- ありますね。九州大学は病院長になったら、主任教授を辞めるんですよ。先日、地域医療計画を考えられた、産業医科大学の松田晋哉教授の講演を聞いたんですが、大学病院は本気になっていて、2016年はほとんどが黒字だったらしいです。大学病院が経営に熱心になっている以上は中核病院はうかうかしていられないですよとのことでした。だから、地域医療構想の中にコミットして、地域のために自分たちは何ができるのかということで生き残りを賭けないといけません。それから外れてしまうと、いつの間にか患者さんが減って、ジリ貧になってしまう。
- 古閑
- すごい世界だよね。
- 佐々木
- 神奈川県はまだしばらくは増えるので、逆に危機感が薄いんです。
- 古閑
- 近くに大学はないの?
- 佐々木
- ないですね。東海大学が伊勢原にありますが、医療圏が全く違うんです。それから聖マリアンナ医科大学が川崎にあります。聖マリアンナ医科大学も北里より先に地域医療を頑張っている。先日、神奈川県立がんセンターが地域連携の会をやったので、出てきたのですが、全職員が集まっていて、すごかったですよ。診療科ごとにテーブルがあって、そこに診療所の先生が集まってくるんです。そういうのを初めて見ました。神奈川県立がんセンターは神奈川県の東寄りにありますから、患者さんが「上りの法則」で東京に行ってしまう危機感があるようです。一方で、相模原市には病院がないから、逆に奥多摩地区からも、町田市などの東京都内からも患者さんが来ます。相模原市の人口が70万人ぐらいで、周辺を入れると100万人ぐらいなのですが、国立病院機構の相模原病院とJA系の相模原協同病院が1つずつあるだけですからね。
- 古閑
- 相模原市は本当に病院がないんだねえ。
- 佐々木
- 100床ぐらいの療養型の病院はありますが、済生会もないし、日赤もありません。熊本がすごいのは住み分けを既にやっていることです。熊本医療センターと熊本赤十字病院と済生会熊本病院が急性期を地区別に分けてやっていて、大学病院でがんをやる形になっています。それを真似たのが岡山です。岡山大学が病院群を作って、診療科別に分けたんですよ。そういうふうにやっていかないと、共倒れしてしまう。救急の患者さんを分析すると、介護施設から来る方もいらっしゃいます。そうすると、きちんと連携しないと、患者さんをお帰しできないんです。それから急性期の手術をした患者さんを受けていただくところも必要です。北里に地域医療連携推進協議会を作った理由はそれです。「うちは競合相手がいないから大丈夫だろう」という意見もありましたが、ベッドが埋まっていたら、新しい患者さんを入れられないですからね。
- 古閑
- そうした意識改革は一番難しいよね。
- 佐々木
- 難しいですね。
- 古閑
- 僕のところは60床しかないところだけど、ある程度は職員に危機感を植え込まないといけないのかなと思って、たまに煽っている(笑)。結構、皆、ついてきてくれるよ。
- 佐々木
- 古閑先生の病院のような規模だからこそ、できることがあります。領域を絞って先鋭化するのは生き残りの一つの手です。怖いのは競合ですよね。同じようなのが近くにできたときが怖い。だから、地域医療計画の中にコミットして、「うちはここを引き受けますから」と、医師会などとうまくやっていった方がいいと思います。一人勝ちしないようにすることが重要ではないでしょうか。
- 古閑
- 手術の手技とか、医師によってかなり違うじゃない?でも、患者さんのことを考えたら、全体的なレベルが上がった方がいいかなと思って、教えるわけですよ。でも、そういった人たちがよそに行ってやるので、そこに負けないようにするためには自分のレベルをもっと高くしないといけない。そこがいたちごっこで、結構辛い。
- 佐々木
- その中心にはイノベーションが必要で、常に新しいことをやっていかないと、すぐに追いつかれてしまいます。北里は外科は腹腔鏡手術、内科はESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)が有名なのですが、ESDをしている人は皆、辞めて、開業していくんですよ。そうすると、患者さんが減っていくわけです。私は北里に来てすぐに「これをウリにしていても、すぐ周りでやり出しますよ」と言ったのですが、案の定でしたね。そこで、北里は北里でしかできないものをどんどんやっていく必要があります。学生や患者さんを呼ぶためにはブランディングが必要で、順天堂大学などはそれがすごくうまくいっています。東京の激戦区は患者さんが減っていくし、共倒れしてしまわないためには同じことをやっていても駄目ですからね。
- 古閑
- 僕の琉球大学の同級生が順天堂の教授になっているよ。
- 佐々木
- ブランディングの大切さや経営を教授会が分かっているんでしょうね。北里に新世紀医療開発センターができたのもそういうことだと思うんですよ。大学病院とは言え、これからはとても重要な観点になってくるでしょう。
― 大村智先生のノーベル賞もブランディングになりましたね。
- 佐々木
- 大村先生はどちらかと言うと、埼玉県の北里大学メディカルセンターの先生なのですが、僕らがアイディアを出し、相模大野駅で「祝ノーベル賞」という展示を大がかりにしています。大村先生のご専門は寄生虫だから、患者さんは呼べないですけどね(笑)。これががんの研究なら、患者さんが押し寄せるのでしょうが。でも、ノーベル賞を獲ったということが慶應に勝ったからいいんです(笑)。日本で初めてノーベル賞を獲った私立大学になりましたから、良かったなと思っています。
- 古閑
- 今日はどうもありがとうございました。
- 佐々木
- あっという間でした。
- 古閑
- 楽しかったね。良かった。
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プロフィール
古閑 比佐志
(こが ひさし)
岩井整形外科内科病院
副院長/教育研修部長
【略歴】
1962年千葉県船橋市生まれ。1988年に琉球大学を卒業し、琉球大学医学部附属病院で研修。
国内の複数の病院で脳神経外科医として勤務ののち、1998年にHeinrich-Pette-Institut fur Experimentelle Virologie und Immunologie an der Dept. of Tumorvirologyに留学。2000年に帰国後は、臨床と研究を進め、2005年にかずさDNA研究所地域結集型プロジェクト研究チームリーダーを経てかずさDNA研究所ゲノム医学研究室室長。
2009年より岩井整形外科内科病院 脊椎内視鏡医長として勤務、2015年より現職。
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プロフィール
佐々木 治一郎
(ささき じいちろう)
北里大学医学部附属新世紀医療開発センター教授
北里大学病院集学的がん診療センター長
【略歴】
1964年熊本県生まれ。1991年に熊本大学を卒業し、1998年に熊本大学大学院を修了。
2000年から3年間、米国MDアンダーソンがんセンターで肺がん基礎研究に従事する。2004年に熊本大学医学部附属病院に勤務する。
2007年に熊本大学医学部附属病院がん診療センター長に就任し、肺がんの診療に加え、がん診療地域連携やがんサロンの普及活動に従事。2011年4月に北里大学医学部に准教授として着任。2014年2月に北里大学医学部附属新世紀医療開発センター教授に就任し、北里大学病院集学的がん診療センター長を兼任している。
CONTENTS(全5回)
- 第1回 北里大学病院のがん研究と診療への取り組み
- 第2回 若い人こそ一度は! 臨床にも活きる基礎研究のススメ
- 第3回 最先端のがん遺伝子検査による個別化治療
- 第4回 先進医療と医療経済について考えてみよう
- 第5回 病院を存続させて若い世代に繋いでいくために
トップドクター対談 バックナンバー
- 第4回
基礎研究を経験したトップドクター対談
Dr.古閑比佐志×Dr.佐々木治一郎 - 第3回
内視鏡外科トップドクター 師弟対談
Dr.金平永二×Dr.稲木紀幸 - 第2回
内視鏡外科・総合内科トップドクター対談
Dr.古閑比佐志×Dr.徳田安春 - 第1回
内視鏡外科トップドクター 同級生対談
Dr.福永哲×Dr.古閑比佐志