Randas Batista(バチスタ) 先生の思い出
1995年、私はカトリック大学ジェメッリ総合病院に心臓外科教授として勤務し、ローマに住んで1年が過ぎようとしていた。
「プロフェッソーレ、キエティ大学のカラフィオーレ教授からお電話が入っています」
8月のある朝、教授室で論文の制作に没頭していた私に秘書が声をかけた。
「チャオ、アントニオ、元気かい?」
「ボンジョルノ、ヒサヨシ。お陰さまで毎日手術に追われて元気いっぱいだよ。実はね、イタリアの若手の心臓外科医たちが夏休みを利用して手術見学に来るので来週2日間セミナーをやることにしたんだ。皆が君の手術も見たいというので都合つくかな?」
「もちろん喜んで行くよ」
アントニオは私より3歳上の心臓外科医で、アドリア海を望む旧い町キエティの大学で心臓外科教授を務めている。新しいアイデアを盛り込んだ冠動脈手術を精力的に発表して国際的に活躍しているイタリアの星だ。
「ところでアントニオ、最近何か目立った話題はないか?」
キエティ大学で見学者たちに私の手術を供覧し終えて教授室に戻った私は彼に尋ねた。
「そうだな、バチスタ手術って聞いたことあるか?」
アントニオが真顔になって言った。
「その名前は聞いている。ブラジルのランダス・バチスタが考え出した手術だね。拡張型心筋症でほとんど動いていない心臓の筋肉を大きく切り取って左心室の収縮力を増加させるという奇想天外な話だ。本当かな?」
「誰も最初は信じないが、私が親しくしているニューヨークのバッファロー大学の心臓外科教授のトーマス・サレルノが、この間やってみたら心臓が良くなったと電話をしてきた」
「しかし、拡張型心筋症は左心室の筋肉が弱って心臓の壁が薄くなり、収縮力が落ちて心不全になる病気だ。薬が効かなれば心臓移植しか救う道はない、というのが常識だ。そんな心臓から筋肉を大量に切り取って機能が改善するとは考え難いな」
筋肉を増やすことを考えるべきだろう、と私は思った。
「誰だってそう考えるが、バチスタが言うには物理学のラプラスの定理に則ると心臓の内径を小さくすれば心臓の壁にかかるストレスは低下して心臓は収縮しやすくなる。確かに理屈には合っている。注目すべき手術だよ」
ローマへの帰路、私の心の中でバチスタ手術への思いが急速に膨らんだ。考えてみれば、10年前に世界に先駆けて成功させた胃大網動脈を使った冠動脈バイパス手術も、最初は奇想天外な手術として賛否両論の渦の中でスタートした。心臓外科医が学ぶべき手術として認知され、欧米の教科書に載るまでに10年かかった。外科医生命を賭けて公開手術を受けて立ち、私を信じる若者達と共に基礎研究や手術結果の検証を行い、幾多の学会で講演し数多くの学術論文を発表してようやくたどり着いたのだ。バチスタ手術もそうなのかも知れない。この手術が有効ならば、これまで心臓外科医が経験したことのない領域に踏み込むことになる。特に移植の出来ない日本では大きな希望になるにちがいない。
1996年にイタリアから帰国した私は、その年の暮れに日本初のバチスタ手術に着手した。そして翌1997年、札幌で開かれた心臓外科学会に招待されたバチスタ先生の講演の司会を務めることになった。当時すでに心臓外科の寵児だった彼とは海外の学会で何度か顔を合わせている。彼は私より3歳上で190センチを超す長身を生かしてバスケットボールでブラジルのオリンピック強化選手に選ばれたほどのスポーツマンだ。サンパウロ大学医学部を卒業して米国に渡り、ハーバード大学で競争の厳しい外国人枠の卒後研修カリキュラムを修了した後、米国内をはじめロンドン、パリなどの著名な心臓外科病院でトレーニングを積み、ブラジルに帰国して心臓外科医として活躍している。
彼の講演は機知に富み、誰もが見たことのない驚愕の手術の世界に聴衆を引き込んだ。興奮冷めやらぬ会場をあとにして彼と私は控室に戻った。
「素晴らしい講演でした。私も昨年からバチスタ手術に挑戦しているのでとても勉強になりました。実は第1例目の時にあなたに来ていただこうと思って友人のカラフィオーレ教授に相談したのですが、残念ながらあなたは南アフリカの病院で手術をしておられるとのことで叶いませんでした。幸いカラフィオーレ教授に加えてバッファロー大学のサレルノ教授とUCLAのバックバーグ教授の3人が応援に駆けつけて下さいました」
「その話は彼らから聞いています。その後も続けているそうですね」
「そうです。最初の患者さんは術後肺炎のために亡くなったのですが、その後は皆さん退院できています。一度あなたの手術を見学したいと思っているのですがなかなかブラジルまで行く時間が取れません。この機会に思い切って出かけて行きたいのですが」
「もちろん歓迎するよ。来月にでも来ませんか?」
翌月の私の手術予定を調べるとぎっしりと詰まっていたが、なんとか調整して3日間休みを取った。成田発ニューヨーク乗り換え便でサンパウロまで辿り着くのに25時間。夜に着いたサンパウロで一泊して早朝の便でクリティバに飛び、空港で迎えてくれたバチスタと共にアンジェリーナ・カロン病院に到着したのは昼前だった。
病院内を素早く案内したバチスタは早速手術室に入った。手洗い消毒を済ませて手術台に向き合ったバチスタと私の前に、拡張型心筋症患者の大きく膨らんで力なく動いている心臓があった。手順を説明しながらバチスタは何のためらいも見せずに心臓の真ん中にメスを入れた。心臓から血液が噴き出す。それを助手に吸引させながら躊躇なく左心室後壁の筋肉を大きく切り取った。
「いつも同じこの部分を切り取るのですか?」
私の問いに彼は「イエス」とだけ答えた。流れるように手が動き、切り開かれた心臓はすでに縫い閉じられようとしていた。縫い合わせた心臓から出血はなかった。
私達は手術室を出てラウンジでタイム誌の女性記者から質問を受けた。
「バチスタ先生。これまでに何人にこの手術をされて、どれだけの人が回復したのですか?」
「100人余りを手術して成功率は約60%です」
「40%の人が回復しなかったというのは結構な数ですね」
記者は挑むように彼をみつめた。
「それは見方によります。ブラジルで心臓移植はそう簡単に受けられません。私のところにくる患者は内科治療が限界に達した重症心不全を抱えています。その中から60%の人がよくなると考えたら、それほど悪い手術とは言えないと思いますがね」
笑みを湛えながら答えたバチスタの言葉に頷いてメモをとっていた彼女が、私に向かって訊いた。
「あなたの国ではこの手術のことはどう受け止められているのですか?」
「日本では脳死が人の死とは法律上認められていませんので、心臓移植はできません。脳死状態であっても動いている心臓を切り取れば殺人罪に問われますからね。我が国でまもなく脳死法案が認められそうですので心臓移植が可能になると思いますが、ドナーがすぐに出てくるとは考えにくい。1995年の調査でみると世界中で年間4,000人近くが心臓移植を受けていますが、そのうち2,000人以上が米国で手術されています。それだけ米国はドナーが多い国だと言えますが、その米国においても心臓移植を必要としている人が数万人いると報告されています。ということは移植にはおのずから限界があるということです。移植を希望して受けられた人は幸運ですが、移植を受けられない患者に対して何らかの希望を見出してあげることも医療者の大切な仕事です。その観点からバチスタ手術は大きな意味があります」
「あなたは既に日本でバチスタ手術を手掛けておられますが、実際やってみてどのような感触をお持ちですか?」
「難しい質問です。私が昨年暮れからこれまでに手術したのは7人で、1人の方が亡くなりましたが、幸いにも残りの6人は回復して退院されました。これは世界的にもかなりいい成績だと思いますが、正直言って次の手術が上手くいくかどうか確信がもてません」
彼女は私の言葉に怪訝な表情を見せてバチスタに何やら訊いた。そして私に向かって首をかしげながら言った。
「それはどうしてですか?バチスタ先生はあなたのほうが自分よりいい成績だと言っておられますが」
「この手術はまだ掴みどころがない感じです。ここをこう切って、こう縫えば必ず良くなる。問題はそれがきちんと出来るかどうか、外科医の腕次第ということならば自分の技量と照らし合わせて成功出来そうかどうか判断できるのですがバチスタ手術はそうではない。やるべきことを完璧にやっても凄く良くなる心臓とそうでない心臓がある。今の私にはその違いが手術前に見えない。バチスタ先生はそんな迷いはお持ちではないと思いますが、まだ私にははっきりとした勝算が頭に描けません。もっと奥の深い手術のような気がします。私は入り口をくぐったばかりですからね」
ウーンと唸った彼女が確かめるように訊いた。
「でもこれからも続ける気持ちはあるのですね?」
「もちろん研究を重ねて続けます。実際、もう手の施しようがないと言われた患者がこの手術を受けて助かっているのですから」
話し込んでいるうちに次の手術の準備が整ったと連絡が入った。バチスタと私はその日2例目のバチスタ手術に臨んだ。そして前の患者と同じく手術は流れるように終了した。
「もう1例ある」と彼は言った。バチスタ手術ではないが興味深い手術だった。
「オーケー。拝見しましょう」
夕方、3例目の手術が終わり、現地の手術スタッフとともにバチスタの自宅に招かれて寛いだ夕食を楽しんだ。
「君は最も遠くから来て、最も短時間に濃厚な手術を見た外科医だよ」
バチスタの言葉に送られて、その夜私は帰国の途に就いた。
この年、脳死法案が可決されて臓器移植法が成立した。1999年、我が国で心臓移植が再開したがドナーは少なく移植を待つ心不全患者は増え続けた。一方、私たちの手術成績をもとに当時の厚生省はバチスタ手術の保険適応を認め、少ない自己負担でこの手術が受けられるようになった。当時、バチスタ手術の成功率は依然として70%前後で決して安全な手術といえるものではなかったので何らかの打開策が必要だった。ある日、私たちは拡張型心筋症の心筋病変の広がりにいくつかのタイプがあることを見出し、その病型に応じて手術法を選択すべきと考えた。左心室後壁が障害されているタイプにはバチスタ手術を適応し、さらにその手技を改良して短時間で出血の少ない方法にすることで成功率が90%を超えた。しかしその反面、バチスタ手術あるいはその変法の適応は狭まり、手術施行数は減少した。一方、左心室前壁中隔が障害され、バチスタ手術で切り取るべき後壁の傷みが少ない心臓の場合はバチスタ手術の適応とはならず、私が考案したSAVE(セイブ)手術を用いて左心室を縮小することにした。心臓移植の手の届かない患者さんたちを救うべく、私たちはこのような工夫を繰り返しながら人工心臓の開発や再生医療の進歩を期待しつつ重症心不全の外科治療に取り組んでいる。
- 1974年3月
- 大阪医科大学卒業
- 1974年4月
- 虎の門病院 外科レジデント
- 1978年4月
- 順天堂大学 胸部外科
- 1982年7月
- 大阪医科大学 胸部外科
- 1984年1月
- 米国ユタ大学心臓外科 留学(~1984.6)
- 1989年2月
- 三井記念病院 循環器外科科長
- 1992年5月
- 三井記念病院 心臓血管外科部長
- 1994年8月~
- ローマカトリック大学心臓外科客員教授
- 1996年10月
- 湘南鎌倉総合病院 副院長
- 1998年1月
- 湘南鎌倉総合病院 院長
- 2000年5月
- 葉山ハートセンター 院長
- 2005年4月
- (財)心臓血管研究所 スーパーバイザー
- 2012年4月
- 須磨ハートクリニック 院長
- 2017年2月
- スクエアクリニック 院長
略歴
所属学会等
・米国胸部外科学会 (American Association for Thoracic Surgery:AATS)・米国胸部外科学会 (Society of Thoracic Surgeons:STS)
・欧州胸部外科学会 (European Association for Cardiothoracic Surgery:EACTS)
・国際心臓血管外科学会(International Society for Cardiovascular Surgery:ISCS)
・日本冠動脈外科学会(理事)
・日本冠疾患学会(名誉会員)
・日本心臓血管外科学会(特別会員)
・日本心臓病学会
・日本胸部外科学会
兼任
・順天堂大学心臓外科客員教授・香川大学医学部医学科臨床教授
プロフィール
海外・国内での学会発表多数。心臓手術症例を5,000以上経験し、1986年に世界に先駆けて胃大網動脈グラフトを使用した冠動脈バイパスを開発し、各国で臨床応用が広まる。1996年、日本初のバチスタ手術を施行。以後拡張型心筋症に対する左心室形成術を多数行う。海外での公開手術多数。「プロジェクトX」、「課外授業-ようこそ先輩」(NHK)などで紹介。テレビドラマ「医龍」、映画「チームバチスタの栄光」等の医療監修を行う。2010年、海堂 尊原作をもとに須磨の功績を描いた特別ドラマ「外科医 須磨久善」が放映。同年、日本心臓病学会栄誉賞受賞。 2012年、自著「タッチ・ユア・ハート」を講談社から、2014年「医者になりたい君へ」を河出書房新社から出版。