全国各地からの救護チームをどのようにまとめていかれたのですか。
震災発生から1週間は日赤救護班の16チームだけだったのですが、8日目以降は全国から様々な救護チームが来てくれました。ただ、石巻赤十字病院に来てくれたチームもあれば、宮城県からの指示で、避難所に直接入ったチームもあり、複数のチームがバッティングする避難所もあれば、救護チームが全く来ない避難所もあったりという問題が出てきたんです。チームがばらばらに活動していては震災関連死が増加しかねませんから、私は宮城県、石巻医療圏の自治体、医師会、歯科医師会、薬剤師会、東北大学、自衛隊などを回って調整を重ね、石巻圏合同救護チームを3月20日に立ち上げました。私は幸いにも宮城県の災害医療コーディネーターを委嘱されていましたので、全ての救護チームをまとめることになりました。参加チーム数は3月26日には最大の59チームにまで増加していました。
チームの割り振りをどのように決められたのですか。
提供元:石井正
26日の時点で、避難所は302カ所、避難所暮らしをされている方は43596人に上っていました。ご自宅の2階や3階で避難生活をしている方も含めると、約7万人の避難者がいたのです。2004年に新潟県中越地震や2008年の岩手・宮城内陸地震では発生から2週間で急患数が落ち着いていたのに、この震災では石巻赤十字病院に搬送される患者さんの数は2週間経っても1日平均300人と減る様子がありません。そこで、私は避難所の分布状況や救護ニーズの高い重点避難所の数などをもとにして、石巻医療圏を14の「エリア」に分けました。このときは長岡赤十字病院の江部克也先生の「避難所レポート」がとても役に立ちました。
江部先生のレポートはどのような内容だったのですか。
避難所の受診ニーズを「連日必要だが、Dr(医師)が3人なら、2日に1回のローテーションでも可」など、受診ニーズや必要な巡回ペースが書かれていたほか、各救護チームの予定や意向も記述してありました。さらに、避難所のある地域の全体状況も、地区ごとに総括してあったんです。これでエリア分けがスムーズになりました。
ラインというのはどういったものですか。
合同救護チームに参加してくれる医療チームには少なくとも1カ月程度は継続的な救護活動をしてほしかったんです。それで病院や医師会といった派遣元に「第1班」「第2班」というようにリレー方式で参加していただくよう、調整をお願いしました。1つの班の活動期間は通常3~5日ですので、こうすれば継続的に支援を頂くことができるわけです。例えば、近畿地方の大学病院を「近畿地区大学ライン」として一つにまとめ、「大阪大学―京都大学―滋賀医科大学」のように、現地入りの順番を派遣元の方で調整してもらいます。これを当時の東北大学病院の里見進病院長は「柱」とお呼びになっていましたが、私たちは里見先生より若いので、かっこつけて「ライン」と呼ぶことにしたんです(笑)。
これが「エリア・ライン制」の確立だったのですね。
提供元:石井正
これで医療ニーズの高いエリアは4、5ライン、低いエリアは2ラインなど、エリアごとのニーズに応じて、必要なライン数を決めることができるようになりました。このラインの割り振りは合同救護チーム本部が一元的に管理し、継続的に記録しました。ただし、エリアやラインの数は固定しませんでした。これは救護チームを効率的に運用するためです。その他、3月末からは医療ニーズが高いエリア6と7の避難所には拠点救護所も設置しました。また、経過観察や点滴、簡単な処置が必要な被災者の方々のためのショートステイができるベースを石巻ロイヤル病院の4階に設置し、エリア15としました。
「エリア・ライン制」のメリット
「エリア・ライン制」が確立されて、どういうメリットがありましたか。
確立前は本部でチーム管理や運営業務を担っていたのですが、その負担がとても軽くなりました。それに後続チームへの申し送りや情報伝達もスムーズになりました。ミーティングも朝のミーティングはエリアごとに行えるようになったので、全体ミーティングは夕方のみとなり、全体ミーティングではエリアごとの要望や意見を集約し、エリアにフィードバックしていきました。
被災者の方々にとってのメリットもありましたか。
実施してみて、初めて気づいたメリットだったのですが、チームが変わっても、特定の地域のメンバーが継続して、被災者の方に接するので、被災者の方々も安心したようです。例えば近畿のチームが来た翌週には九州のチームが来たのでは、チームメンバーの方言も違いますし、被災者の方々にはストレスになります。でも、同じラインに所属するチームは地域が同じですので、被災者の方々もその地域への親近感が湧き、心の通い合いが生じるということが分かりました。その後、避難所生活を終えた被災者の方が救護チームのラインの地域を訪ね、メンバーと再会して旧交を温めたという話も聞きました。
ボランティア
被災地には多くのボランティアの方々も集まったと伺っています。
ゴールデンウィークの前に大勢のボランティアの方々が来ると予想されていたのですが、その頃には地域の開業医の先生方も復活されつつあったので、もしボランティアの方々が怪我などをしたら、まずは地域の診療所への受診を勧め、あまり関わらないようにしようと考えていました。発災後わずか2週間の頃、私はボランティアの人たちが酒盛りをしている姿を目撃したことがあり、ボランティアに対して懐疑的だったんです。しかし、後日ある避難所のヘドロを取り除いてくれていた人たち、別の避難所ではそばの側溝に溜まった泥を掻き出してくれていた人たちの献身的な活動ぶりを目撃しました。それは素晴らしいものでしたので、考えを改めました。それからボランティアの方々の怪我も積極的に救護チームで診るようにしたのです。
怪我をした方々は多かったのですか。
釘などを踏んでしまって、怪我をするというケースが多かったですね。それでボランティアの若者がいたラインから「破傷風トキソイドをやってもいいか」という問い合わせがあったので、「どんどんやって」と答えました。ただ、破傷風トキソイドは保険診療外ですので、開業医で受ければ有料です。救護所で無料で行っていたら、地域医療の復興の足を引っ張るのではないかということで議論になりましたが、石巻医師会と桃生郡医師会に連絡をしたところ、どちらも了承してくださったんです。救護チームの活動は地元の医療関係者の理解を得ることが欠かせないのだと思いました。救護チームは一時的に被災地の医療を引き受けるものであり、その間に地域の開業医の先生方は復活を目指していただくという姿勢が重要なのです。