モザンビークでの医療支援
モザンビークでの医療支援を始められたきっかけについて、お聞かせください。
知人からモザンビークの医療状態が良くないという話を以前から伺っていたんです。その後、2006年に駐日モザンビーク大使とお会いする機会があり、そこで大使から改めて「眼科の医療レベルが低いので、どうか協力していただけないか」というお話を伺ったのがきっかけです。
『内藤教授が語る
海外での眼科医療ボランティア』
第4回
知人からモザンビークの医療状態が良くないという話を以前から伺っていたんです。その後、2006年に駐日モザンビーク大使とお会いする機会があり、そこで大使から改めて「眼科の医療レベルが低いので、どうか協力していただけないか」というお話を伺ったのがきっかけです。
とりあえず現地調査をしてから考えようということで、2007年にモザンビークに行きました。現状視察をして、モザンビークの保健省のことなどを調べてみると、私が初めて行った1984年のネパールと2007年のモザンビークはよく似ていることに気づきました。
当時、モザンビークでは医学部が一つしかなく、二つ目がそろそろできそうだという状況にあり、国内に眼科医が11人しかいなかったこと、医師が都市部に偏在し、周辺部や僻地には医師がいないことです。僻地には病院に行く機会に恵まれず、病気への知識が乏しいゆえに、病気に罹ったときに祈祷師にすがる人も少なくありませんでした。これはアイキャンプが必要だと思いました。
初めは一人で下見に行こうかと思っていたのですが、ある知り合いに話したら、「じゃあ、ついていくよ」ということになりました。当時、新潟大学医歯学総合病院の眼科医だった荒井紳一先生とカメラマンの井口博之さんです。井口さんは大阪で経営者をなさっている方なのですが、写真撮影が趣味なのです。井口さんは1984年のネパールでのアイキャンプで我々に同行されたのを皮切りに、ずっとネパールの写真を撮ってこられました。1991年には『神々の大地 ネパール紀行』という写真集も出版されていますし、二科展の審査員でもあります。井口さんが「モザンビークにも行きたい」と申し出てくれましたし、荒井先生もネパールにご一緒したことがあり、国際協力に興味がおありだったので、下見にはこの3人で行きました。
モザンビークではアイキャンプをすべきだと考えましたので、そういう提案を行いました。海外での医療支援では相手方があることですので、こちら側の相手となるカウンターパートとの連絡を密にすることが大切です。モザンビークの場合、カウンターパートは保健省でした。日本では厚生労働省に相当する官庁です。その保健省には国立エドアルド・モンドラーネ大学医学部の眼科の教授であり、首都マプトにあるマプト中央病院の眼科部長も兼任されているヨランダ教授がいらっしゃいました。ヨランダ教授の退任後、今はマリアーモ教授ですが、2人とも女性医師です。こうした話し合いの中で、色々な取り決めをするにあたっては私個人が進めていくよりも団体を作った方がいいのではということになり、「アフリカ眼科医療を支援する会」というNGOを設立したのです。
「アフリカ眼科医療を支援する会」は仲良しクラブのような小さな組織でしたが、寄付金や助成金を受け、専門職と活動資金を確保しました。そして、眼科医師3人、看護師1人、視能訓練士1人、数人のボランティアスタッフと現地コーディネーターというチームを作り、2008年に初めてアイキャンプを行いました。現地の眼科医には手術の助手に入ってもらい、白内障手術の技術やアイキャンプの運営についてもレクチャーしました。
モザンビークも1984年頃のネパールと同様に、白内障での失明の患者さんが多く、これが貧困を加速化させています。私どもは2008年に47人の白内障手術を行いましたが、それから毎年アイキャンプを運営し、2019年まで断続的にアイキャンプでの手術をしてきました。症例数は少ないのですが、先天性白内障の子どもにも手術を行いました。2019年には成人、子どもを合わせて216人に手術を行い、今では1800人を超える方々の視力を回復させています。モザンビークの方々がこうして視力を回復し、労働者としての日常生活を取り戻せれば、貧困の改善に繋がると期待しています。
モザンビークは経済情勢が非常に厳しく、困難な状況にあります。ネパールよりも経済は厳しいですね。特に医療物資が乏しく、病院に十分な量の医療物資が届かないのです。私どもは日本では1回使ったメスなどは捨ててしまうのですが、彼らはよく洗って、消毒し直して、切れなくなるまで何回も何回も使っています。また、これからはモザンビーク人の眼科医を育成していくことも課題です。
随分と前のことですが、徳島大学の眼科学教室にエジプトから2人の留学生が来てくれたのです。しかし、彼らは日本では医療行為ができず、見学や模擬眼を使った手術の練習ぐらいしか経験できません。しかし折角、日本に留学したのだから、母国に帰ってから日本で学んだことを活かしていてほしいと思い、経過観察のためにエジプトを訪れたのがきっかけです。
エジプトでは首都のカイロは充実した医療情勢なのですが、彼らが住んでいるのはカイロから南に500キロ行ったソハーグというところです。ここは非常に厳しい状況にありました。ネパールをはじめ、発展途上国はどこでもそうなのですが、糖尿病の患者さんが増えており、糖尿病網膜症の手術が求められています。ところが、彼らは白内障の手術はうまくできるのですが、網膜の手術が苦手でした。この手術はとても難しいんです。特に、眼内出血のある患者さんには硝子体切除手術が必要です。これは高度な手術であり、良い設備と高いテクニックがなくてはならないものなので、それを私が教えに行きました。
エジプトには4年連続で行きました。最初の年は彼らと朝から晩まで一緒に仕事をし、手術はほぼ全て、私が担当しました。次の年は彼らができるようになっていたので、私が半分ほどの手術をしました。4回目に行ったときは私は助言だけで、ほとんど手伝わなくていいという状況になっていました。
モンゴル健康科学大学と徳島大学が協定を結んでいた関係で、モンゴルからも留学生が来ていたのです。私もモンゴルに行ってくれないかと言われていたので、5、6回行きました。モンゴル健康科学大学で講義をしたり、手術をしたりしてきました。
まだ発展途上にあります。ネパールの方が進んでいますね。ネパールには36年前から行っていますし、彼らも頑張っていますからね。モンゴルも糖尿病の患者さんが増えているので、硝子体手術をしなくてはいけません。今、JICAのODAで、モンゴル健康科学大学の付属病院の建設プロジェクトが進行しています。2019年に開院して、システムの構築をしなければというところで、新型コロナウイルスの感染が拡大し、日本からは渡航できないため、ストップしている状況です。
徳島大学の眼科学教室にモンゴルからの留学生が来ていて、大学病院で指導していました。彼女は私の自宅にホームステイしていたのですが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、帰国してしまいました。2020年5月現在、まだ日本に来られる状況にないので、心配しています。
著者プロフィール
徳島大学国際センター国際協力部門 特任教授
日本眼科学会指導医・専門医、日本網膜硝子体学会PDT認定医など。American Academy of Ophthalmology(AAO)Association for Research in Vision and Ophthalmology(ARVO)、日本眼科手術学会、日本糖尿病眼学会、日本眼感染症学会、日本眼炎症学会、日本角膜学会、日本弱視斜視学会、日本眼内レンズ屈折手術学会、抗ウイルス療法研究会にも所属する。