コラム・連載

2021.4.10|text by 平林 国彦

第4回 UNICEFの課題

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第4回

UNICEFの課題

《 2021.4.10 》

2016年に今のポジションに就かれたのですね。バンコクにオフィスがあるのですか。

そうです。東アジア・東南アジア・太平洋地域事務所は40年以上前からバンコクにオフィスを構え、地域内の27カ国を管轄し、俯瞰的・地域横断的な視点でアドバイスをしています。また、国事務所のスタッフやカウンターパートの能力強化や、地域内で特有の課題に関する研究、会合を主催することも主要な活動の一つです。アジア・太平洋地域は過去数10年間、世界で最も経済的に躍進した地域ではありますが、経済成長のスピードと社会開発の質は各国間に大きな差が存在します。また、地域全体の急激な都市化と並行し、一部の国では若年人口が増大する一方で、高齢化と非感染性疾患の割合が急増する国もあるなど、人口動態・保健・社会・経済構造が急速に多様化しています。また政治・統治・保健システムも各国で大きく異なるため、国際基準の視点からの画一的なアドバイスだけでは機能しません。一方、同じ地域内の他国で得られた経験は同様な気候や類似した文化を共有する地域内の多くの国にとって、貴重な教訓であることは良く知られています。このような国家間で相互関係を深めながら、互いに協力し合う、いわゆる南・南協力の推進は現在、私が最も重要視している活動の一つです。例えば、タイ国が隣国であり、文化や言語で共通するところが多いラオスに対し、保健関連の技術協力や人材交流をするといったことですね。特に、タイの保健システムや、そのUniversal Health Coverage政策(全ての住民に対し、適切で、質の高い予防・治療・リハビリなどのサービスが医療費などの負担により貧困に陥ることなく、支払い可能で、継続して受けることができる状況)は多くの開発途上国にとって、お手本になるモデルであると考えています。

今のお仕事の遣り甲斐はどのようなところにありますか。

地域事務所は本部ほど組織内のポリティクスに影響されにくく、また国事務所ほど、日々のプログラムのマネージメントに忙殺されず、けれども子どもたちの問題解決の当事者として、より近い立場にあるという利点があります。そして、同じ使命を持った様々な分野の専門家と共同して、学際的、かつ地政学的にアプローチできる点にも遣り甲斐を感じています。ただ、現在はパンデミックの影響で、国内外の移動と人との接触が著しく制限されています。オンラインで政策レベルの方々との協議などは可能にはなっていますが、保健施設や村々を訪ね、人々や子どもたちの声を直接聞くことには大きな制約を受けてしまっています。我々の使命は科学的に根拠のある政策を訴えるばかりでなく、子どもたちや除外されている人たちの聞かれない声、声なき声を、為政者に直接届けることを含みます。そのため、パンデミックの制約下でも、オンラインでの調査なども通じて、親や子どもたちに間接的にアプローチし、パンデミックで増幅された、あるいは新たにもたらされた問題などを積極的に理解するように務めています。

やはりコミュニケーションが大事なのですね。

おっしゃる通りです。繰り返しになりますが、国際的な仕事ばかりでなく、医師や保健医療従事者を目指している方々に伝えたいのは正確に話すという「語学力」ばかりでなく、「コミュニケーション力」の大切さです。コミュニケーション力は正しく内容を伝えるだけではなく、明確に、場所や場面に適切な論調で、自信を持って、他者の感情を理解し、かつ相反する意見にも敬意を払い、柔軟な姿勢で意志の疎通をとり、信頼関係を築いていく能力のことです。その能力を高めるためには自分自身の強みや弱みなどを客観的に理解し、他者、特に疎外され、困難な中にいる人たちに共感し、厳しいときこそ創造性や集中力を高められ、簡単に倒れず、かつ燃え尽きない、いわゆるEmotional Intelligenceを伸ばしていく必要があります。私自身は現在の職責において、Emotional Intelligenceの重要性をより理解するようになり、その真の意味は、より人間らしく、生きがいと働く意義を感じて、継続して社会に貢献できる力の源ではないかと感じています。

現在のUNICEF全体の課題として、どういったことが挙げられますか。

UNICEFは子どもの権利条約の遵守といった伝統的・普遍的なものばかりでなく、各国の社会構造的な特徴や課題に起因し、地政学的なダイナミクスにも影響を受けた、より複雑な子どもたちの問題にも対応が求められています。さらに、現在はパンデミックが引き金となり、米中の対立やVaccine Nationalismなど自国第一主義の拡大により、国連を中心とした多国間主義の価値観も揺らいでいます。また、特にアジアではミャンマーで見られるような、民主主義の後退や人権の軽視も見逃せない潮流です。このような現状においては高度な専門性を持って、その国や地政学的の特徴や地域の問題を分野横断的に分析し、各国の為政者や様々な当事者から信頼を勝ち得られる、的確で実施可能なアドバイスができる能力が求められています。

UNICEFは新型コロナウイルスによるパンデミックに対し、どのような対応をしているのですか。

幸いなことに、現時点では子どもに対する影響は感染症という意味ではそれほど大きくありません。子どもの感染者の多くは無症状から軽症で、重症化する症例は多くなく、最近問題になっている変異株のウイルスでも、子どもたちにより重い症状を引き起こすという科学的根拠は得られてはいません。しかし、パンデミックが及ぼしている広範な社会・経済インパクトは子どもたちに対して深刻な影響を及ぼしています。例えば、ロックダウンなどに伴う経済活動や移動の制限により、親御さんが仕事を失い、十分な栄養を摂取できない状況になったり、感染することへの恐怖や移動手段の欠如により、予防接種や、急性の下痢や気管支炎の症状があっても保健施設を利用しないといった公衆衛生上の問題が挙げられます。さらに、学校の閉鎖により、オンライ授業などへのアクセスに、地域間及び家庭間に大きな格差に生じ、非常に多くの子どもたちが教育の機会を失っています。また、外出制限や、学校で友達に会えないことで、孤独や不安を抱える子どもも多く、さらに、家庭での暴力や虐待、ネグレクトを受けている子どもたちが見逃され、支援を受けられないといった問題も生じています。さらに、学校の閉鎖・再開については科学的根拠よりも、政府の過度な反応など、政治的な意思に基づいて行われていることが少なくありません。感染症そのものをきちんとコントロールすることは短期的には重要ですが、教育の機会の喪失やメンタルヘルスの問題は子どもたちに生涯にわたる影響を与えるリスクがあると考えるべきです。

ワクチン導入に関する政策の提案もするのですか。

UNICEFは新型コロナウイルスワクチンの公正な配布を目的とするグローバルな取り組み、COVAX Facilityにおいて、大きな役割を担っています。公正な配布とは国家間ばかりでなく、各国内での適切な人口への優先接種も含むものと考えます。まずは感染リスクの高い保健医療従事者や、重症化リスクの高い高齢者、糖尿病などの基礎疾患ある人たちを優先しつつ、子どもたちにとって重要な社会サービスを担っている人々、例えば身体的距離を取りにくい保育士や幼稚園や小学校低学年の教諭なども、感染のリスクから守る必要があると考えています。このような優先接種人口の設定や新しいワクチンの承認・調達・輸入・保管・搬出および接種などの技術的な分野は各国がそれぞれの国の保健システムの枠組み、人口及び疾病構造、及び冷凍・冷蔵設備基盤などに基づいて、決定・実施していく必要があります。しかし、全てが新しく開発されたワクチンであり、また確保できる数量もまだ十分でないため、各国間でのワクチン調達能力やワクチン接種実施能力には大きな格差が存在します。しかし、全ての国と地域が新型コロナウイルスに対し、有効なワクチン接種率の達成ができなければ、世界中のどの国もこの感染症のリスクから逃れることはできません。UNICEFはWHOとともに、COVAX Facilityや及びそのほかの多国間のワクチン支援の国際的枠組みや、さらには2国間でのワクチン贈与も、安全で有効なワクチンの適正で公正な分配に貢献するものであるよう、様々な形で働きかけを行っています。

新型コロナウイルス以外ではどういうことを問題視されていますか。

私自身は気候変動と環境問題はすでに保健・健康政策者や実践者にとっても無視することのできない、破壊的な変化をもたらす喫緊の課題であると強く感じています。地球温暖化の健康への影響はこれまでも気候変動に関する政府間パネル(IPCC)などを通じて、幾度となく警告されてきました。しかし、世界で進む富の格差や、保健医療サービスを含む社会サービスへの質とアクセスの格差は社会の一貫性を損ない、気候変動や環境問題に、国民が一致して取り組む力を著しく削いでいます。アジア・太平洋地域においても、本来は社会資本であるべき医療システムがその提供される医療サービスが商品として、利潤と利益、および効率性を過度に重きを置く、変質した資本主義経済に取り込まれつつあります。高額で先進的な医療のサービス資源の富裕層への極端な集中も顕著です。バンコク市内にある、ある私立病院の病室のサービスや設備などはまるで最高級ホテルです。私の理解では現在、資本主義に代わるシステムは存在しませんし、いまだに最良のシステムでしょう。しかし、利潤と効率性最大化と自己利益を目指す資本主義の負の側面を補うためにはこれに対応できるメカニズムを同時に構築していかなくてはいけません。新型コロナウイルスによるパンデミックは社会・経済危機も同時にもたらしており、温暖化や環境問題の対策に向かうはずの投資が経済対策などに配分されるおそれがあります。また、一部の国ではパンデミックへの対策やワクチン調達に関する不満から、政府、企業、国際機関を含む諸機関への信頼度が、特に恵まれた立場にない人、差別を受けている人の中では大きく低下しています。諸機関へのこうした不信は気候変動や環境問題の危機に対処するための取り組みにも、悪影響を与えています。パンデミックの収束後は持続可能(Sustainability) を基調とした社会に変わっていかなくてはいけません。UNICEF としては公正・公平で、質が高く、かつ効率的でもあり、持続可能で、気候変動や環境問題、さらには疾病構造や人口動態の変化に対応可能な保健システム構築には、プライマリヘルスケアの拡充が必須であると考えています。

今後、保健システムはどう変わるべきでしょうか。

保健システムは必須な社会資本として、全ての人たちから信頼され、多数派・少数派・疎外されている人たちとともに共生でき、持続可能な社会に沿ったものにならないといけません。私が臨床医だった頃は、医師は患者さんや家族の方々から、専門家としてほぼ無条件に信頼されていると感じていました。しかし、現代ではこの地域においても、患者さんはインターネットなどを通じ、正しいもの、不確かなものを含め、ときには医療側より多くの情報と知識を持って医療施設を訪れるようになっています。医師側は必要な手続きや記録などに時間を取られ、患者さんの増大するニーズと期待するサービスには十分に応えらない状況が見受けられます。また、一部の国では医療従事者への信頼が顕著に低下しており、それが暴力や嫌がらせにまで発展している状況も見受けられます。特に、インドでは顕著であるとされ、75%の医師が病院において、患者さんや利用者から言葉や身体的な暴力を受けたことがあると報告している文献もあります。これは将来的には多くの国の保健医療システムにおける重大な問題になるのではと危惧しています。

患者さん側の保健サービスへの認識や期待も変遷しているのですね。

そうです。特に、現在のパンデミックの状況では医療関係者からウイルスが感染するという思い込みや、根拠もなく信頼のおけない情報も流布されており、保健医療システムへの信頼が揺らいでいます。単に保健医療サービスの質とアクセスのみを重視する政策だけでは、信頼を得ることには繋がらないと考えます。今の医師は専門職の実務としての医療以外に学ぶことが増えていますが、その中でもコミュニケーション力を中心とした、いわゆる人間力を高める努力も求められていると思います。

著者プロフィール

平林国彦先生 近影

著者名:平林 国彦

国連児童基金(UNICEF)東アジア・太平洋地域事務所 保健・衛生部 平林国彦部長

  • 1958年:長野県大町市で生まれる。
  • 1984年:筑波大学を卒業し、筑波大学附属病院、茨城県立こども病院での外科系ジュニアレジデントプログラムで研修を行う。
  • 1986年:心臓血管外科チームのシニアレジデントとなる。
  • 1986年:日立総合病院で一般外科で研修する。
  • 1987年:筑波大学附属病院で研修する。
  • 1988年:チーフレジデントとなり、神奈川県立こども医療センターで研修する。
  • 1989年:筑波大学附属病院で研修する。
  • 1990年:筑波大学大学院に入学する。
  • 1994年:筑波大学大学院を修了し、医学博士号を取得する。
  • 1994年:国立国際医療研究センター国際医療局に勤務後、インドネシア、キルギスなどでJICA専門家として勤務する。
  • 2001年:WHO短期コンサルタントとしてベトナムに勤務する。
  • 2003年:UNICEFアフガニスタン事務所に勤務する。
  • 2006年:UNICEFレバノン事務所の保健栄養部で臨時チーフを務める。
  • 2006年:UNICEF東京事務所シニアプログラムオフィサーに就任する。
  • 2008年:UNICEFインド事務所の副代表に就任する。
  • 2010年:UNICEF東京事務所代表に就任する。
  • 2016年:国連児童基金(UNICEF)東アジア・太平洋地域事務所 保健・衛生部長に就任する。
バックナンバー
  1. 国境を越えて命と向き合う
  2. 05. 医師のキャリアの多様性
  3. 04. UNICEFの課題
  4. 03. UNICEFに入る
  5. 02. 国際保健の世界に入る
  6. 01. 筑波大学へ

 

  • Dr.井原 裕 精神科医とは、病気ではなく人間を診るもの 井原 裕Dr. 獨協医科大学越谷病院 こころの診療科教授
  • Dr.木下 平 がん専門病院での研修の奨め 木下 平Dr. 愛知県がんセンター 総長
  • Dr.武田憲夫 医学研究のすすめ 武田 憲夫Dr. 鶴岡市立湯田川温泉リハビリテーション病院 院長
  • Dr.一瀬幸人 私の研究 一瀬 幸人Dr. 国立病院機構 九州がんセンター 臨床研究センター長
  • Dr.菊池臣一 次代を担う君達へ 菊池 臣一Dr. 福島県立医科大学 前理事長兼学長
  • Dr.安藤正明 若い医師へ向けたメッセージ 安藤 正明Dr. 倉敷成人病センター 副院長・内視鏡手術センター長
  • 技術の伝承-大木永二Dr
  • 技術の伝承-赤星隆幸Dr