コラム・連載

2021.5.10|text by 平林 国彦

第5回 医師のキャリアの多様性

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第5回

医師のキャリアの多様性

《 2021.5.10 》

新専門医制度では医師が多様なキャリアを歩めないのではないかと言われています。

新専門医制度の目的は国民に広く認知される専門性を確立し、医師の質の向上と医師の偏在是正を図り、かつ医師の役割分担を進めることにより、効率良い医療システムの確立に貢献すると理解しています。しかし一方で、基幹病院が都市部に集中している、内科や外科や、新制度の根幹の一つである総合診療専門を目指す専攻医の数が伸びないなど、今後解決すべき多くの課題も聞いています。私自身は医療従事者が信頼を受けるのは専門性があるということばかりでなく、高い倫理感を持って献身するからだと考えています。今の若い年代の人たちは気候変動や環境問題、また働きやすい職場環境づくりなど、社会問題に関心が高く、専門性の高い病院や、あるいは病院以外の場で社会に広く貢献できる力も十分にあります。そして、このような多様な生き方やキャリアを積むことは医師としての倫理観を多面的に醸成するものであると信じます。新専門医制度が各医師の様々なライフイベントや人生の節目で変化もするプロフェッショナルゴールにも対応できるよう、「これ以外の道は駄目だ」とうのではなく、より人間中心で、柔軟なものになるよう強く願います。

選択の幅が狭くなると、先生のようなキャリアをたどる人が少なくなるのではと心配されます。

医学部、特に国公立の大学には多額の税金が投入されているのだから、医学部を卒業したからには医師、あるいは医療を活かした職業で社会貢献するべきだという意見を完全に否定するつもりはありません。しかし、医師であるから、常に病院や大学で、専門医や研究者として働かなくてはならないということではないと思います。多くの方々に、医師として、その専門分野や国境を超えて、多くの人々や社会に貢献できる様々な道があるのだということを知ってほしいです。

医学教育はどう変わるべきですか。

日本はアメリカのようにメディカルスクールに入るためには学部の卒業と社会への奉仕活動など、人格面の評価も重要視されるのと違い、高卒から医学部に進む人がほとんどです。私自身は医師や専門家としてのプロフェッショナリズムとは、いわば終着地のない旅路のようなもので、常に改善を求め続けなくてはならないものだと思っています。ですから、高校段階での意識付け、医師として求められる基本的な資質と能力を高める大学教育、そして卒後研修・卒後教育の中にも地域や海外での短期間のボランティアなども取り入れ、生涯を通して医師としてのプロフェッショナリズムを育むシステムが必要ではと感じます。最近、高校の中に医療系を目指す生徒に医療現場を見学させる取り組みをしているところがあると聞きました。私はとてもいい試みだと思います。私が大学病院で働いていた頃、スウェーデンからよく医学部学生が来ていました。当時、スウェーデンの大学では医学部卒業の前に、途上国の医療現場を見たり、スウェーデン国内での高齢者施設やホスピスで職業体験をする必要があるがあると聞かされました。私は病院のチーフレジデントでしたので、「それじゃ君たちは日本を途上国と思って見学に来たのか」と聞いたところ、彼らは笑って答えませんでした(笑)。今の日本の大学はカリキュラムが密で、学生時代はもちろん、卒後も含めて、大学・病院や、専門分野、勤務地地域以外の社会との接点を持つ時間がほとんど取れないようです。日本も否応なしに様々な多様性が必要とされる時代になっています。医学教育は医師を育てることより、まず、他者の苦しみを知り、そして理解し、共感を持てる人間を育てる方向に向いてほしいと願います。

先生は国際人材育成のお仕事もなさってきたんですよね。

東京事務所にいる頃、厚生労働省の国際保健に関する懇談会のメンバーとして、国際保健政策人材養成の政策立案に携わった経験があります。その検討の中で、ライフステージを踏まえた必要な学歴、スキル、経験、能力を蓄積するキャリア開発システムの欠如や、国際保健政策人材を戦略的に育成・維持・活用するために必要な環境、つまりバランスの取れたアウトバウンド(柔軟に海外に送り出す)、インバウンド(海外で活躍した人材を受け入れる)システムがないことなどが指摘されていました。このような障壁は公的機関・民間企業を問わず、ほかのほとんどの分野でも同様で、実は国際保健医療は日本では最も人材が豊富な分野の一つであることも分かりました。私は海外や違った環境を経験した人たちをより積極的に受け入れ、活用することがより多くの優秀な人材を海外で活躍させることにも繋がると考えています。国際機関で働いていると、人種、文化、そして視点や、立場、考え方の多様性を持つこと、意見の相違を自由にかつプロフェッショナルに論議できる環境は正解のない問題に、より正義に近い道を見つける、あるいは新しいアプローチを生みだす原動力になっていることが分かります。そしてこのような多様性の価値とそれを機能させるまでの課題を理解し、かつ対応できる力は全ての組織にとっての不可欠の資源であり、財産だと思います。いじめ、人種差別、ヘイトクライムが繰り返される現在、学校、医学教育、病院だけでなく、企業も含めて、抜本的な改革が不可欠な時期ではないかと考えます。

先生ご自身の今後のキャリアについて、お聞かせください。

私自身は65歳の国連のリタイアに近づいてきました。パンデミック対策に忙殺されながらも、健康・社会・経済への影響を分析するにつれ、強く認識したのはパンデミックにはワクチンがあるが、気候変動・環境破壊は比べることができないくらいのインパクトがあり得るのに、有効な「ワクチン」が存在しないということです。パンデミックの悲劇を知ったからこそ、持続性のある社会を明確に目指さなくては、子どもたちばかりか、人類の未来はないと感じました。今後は保健医療の道に限らず、家族の協力も得ながら、様々な形で社会に貢献していきたいと考えています。

若い医師へのメッセージ

若い先生方にメッセージをお願いします。

自分のミッション、つまり自分の人生の中での使命や志を見つけることが大事だと思います。そのミッションを達成するには一生かかるわけですから、結果として寄り道、周り道であったとしても、また、たとえ立ち止まったり、つまずいたりしても、また次の一歩から歩み始めればいいわけですから、ある意味焦る必要はありません。誰と働こうが、どこで働こうが、どのようなポジションに就こうが、志を持っていれば、心の中に一貫性があります。最近の若い医師は、良いポジション、良い生活を目指すより、がんの患者さんだったり、誰かの命を助けたいなどのミッションがはっきりしている人が多いと感じています。

それは良いことですよね。

一方で、なぜ医師になったのかという動機が希薄な人も少なくないのも気になります。志がクリアでなくなると、挫折しやすくなります。働くことは必ずしも楽しいことばかりでなく、困難にぶつかり、苦しいことも多々あります。自分の心の中に志という一貫性のある目標があると、レジリエンス、つまり困難や苦境から回復・復活する力が高まります。私自身もこれまでも何度も蹉跌の時期を経験しました。また、自分とうまく合わない人も何人もいました。そのようなときは自分の志を確かめながら、Tomorrow is another day (明日は明日の風が吹く)と乗り切ってきました。

国連で働くにはどうしたら良いですか。

医師として考えられる組織には国連システムの中では国連総会の機関であるUNICEFや、国連人口基金(UNFPA)、専門機関である世界保健機関(WHO)や世界銀行グループ、また、国連システムではありませんが、地域限定の国際機関であるアジア開発銀行(ADB)、国際非政府組織である国境なき医師団、また国際的な連合体である国際赤十字・赤月社連盟などがあります。自分の志を成し遂げるために、人生のある時期にこのような組織を選び、働くことには大きな意味があります。しかし特定の組織で働くこと自体は人生の目的にも、自分の志にもなり得ないと思います。それぞれの組織には果たすべき使命、負託された責務があり、自分の志と方向性があった組織で働くことが最も大事でしょう。これらの組織の多くが大学生や大学院生に対し、ボランティアやインターンの機会を提供しています。パンデミックで状況は変化しましたが、私の事務所ではリモートで参加することも可能なので、組織の文化を知るうえでも、ある程度の人脈を形成するためにも、このような機会を利用すべきだと思います。国連や国際機関の雇用形態の多くは2年おきに更新されるもので、その後の雇用が保証されているわけではありません。また、国連の組織ではエントリーレベルでも最低2年以上の国際的な仕事の経験が必要で、1つのポジションに平均200人ぐらいが世界各国から応募することが普通です。特に最初の就職ではまさに勝ち取らなくてはなりません。一方、外務省では35歳以下の日本人に対し、2年間国際機関や世界銀行グループで勤務経験を積むJPO(Junior Professional Officer)制度を提供しています。JPO終了後の2年後に派遣された国連機関などで正式なポストを勝ち取ることは決して容易ではありませんが、例えばUNICEFでは80%以上の現日本人職員はJPOの出身者です。私自身は色々な機会を用いて、チャレンジしてほしいと思いますが、たとえ結果が望むものではなくとも、選ばれなかったのは自分に責任があると考える必要はありません。あなたが選ぶのではなく、私が選ぶのだという気持ちを持ってください。

ミッションや志が大切なのですね。

私は志という言葉が好きで、よく使っています。しかし、志を成し遂げるには自分だけではなく、家族の理解も必要でしょう。私は妻や2人の娘たちから多くのサポートを受けています。例えばタリバン政権崩壊直後のアフガニスタンに赴任するときにアフガニスタンの子どもたちは多くの助けが必要でしょうから、ぜひ支援してほしいと快く送り出してくれました。妻と娘たちにはいつも心から感謝しています。

現在の臨床研修制度をどうご覧になっていますか。

現在の臨床研修制度は、研修医を育てる意味で多いに期待できるものです。しかし、実際の医療現場を見れば、いまだ長時間の労働時間や体力など物理的な負担が医療に携わる者、特に若い医師や看護師などの強い使命感で支えられているという現状があると理解しています。若い医師を育てる側に立っている先生方にお願いしたいのは燃え尽きることなく、継続して社会に貢献できる医師の養成と、それを支える医療システム構築を常に模索してほしいということです。

若い方の可能性は無限ですね。

私は医学生時代、心臓が生み出す運動エネルギーが血圧という抵抗を受け、物理法則に従いながらも、宿主の意図とは無縁の内分泌系によってコントロールされている、いわゆる循環器系に特に興味がありました。心臓の生み出す運動エネルギーは母親の胎内で成長とともに、無から生み出されてくることにも、生命の神秘を感じていました。社会を一つの大きな生命体を見ると、タイやミャンマーなどで若者たちが抱く現状への疑問、不条理な社会への批判、自分たちの理想を求める姿はまさに新しい社会が生み出されるときの自然に生まれてくる、躍動的で壮大な運動エネルギーではないかと感じます。その運動エネルギーを抑え込もうとする抵抗は権力を持っている側ばかりでなく、多くは一般の人たち、特に自分たちが経験したことが正しいと変化を嫌う人たちや、無関心・無行動・無責任な人たちにあるとも感じます。私自身もその3つの無に引きずり込まれることがないよう、今後も努力していくつもりです。若い医師の方々には心の中に明確な志の旗を掲げ、より人間らしく、生きがいと働く意義を感じながら、社会の健全な発展のために、率先して行動してほしいと願います。

著者プロフィール

平林国彦先生 近影

著者名:平林 国彦

国連児童基金(UNICEF)東アジア・太平洋地域事務所 保健・衛生部 平林国彦部長

  • 1958年:長野県大町市で生まれる。
  • 1984年:筑波大学を卒業し、筑波大学附属病院、茨城県立こども病院での外科系ジュニアレジデントプログラムで研修を行う。
  • 1986年:心臓血管外科チームのシニアレジデントとなる。
  • 1986年:日立総合病院で一般外科で研修する。
  • 1987年:筑波大学附属病院で研修する。
  • 1988年:チーフレジデントとなり、神奈川県立こども医療センターで研修する。
  • 1989年:筑波大学附属病院で研修する。
  • 1990年:筑波大学大学院に入学する。
  • 1994年:筑波大学大学院を修了し、医学博士号を取得する。
  • 1994年:国立国際医療研究センター国際医療局に勤務後、インドネシア、キルギスなどでJICA専門家として勤務する。
  • 2001年:WHO短期コンサルタントとしてベトナムに勤務する。
  • 2003年:UNICEFアフガニスタン事務所に勤務する。
  • 2006年:UNICEFレバノン事務所の保健栄養部で臨時チーフを務める。
  • 2006年:UNICEF東京事務所シニアプログラムオフィサーに就任する。
  • 2008年:UNICEFインド事務所の副代表に就任する。
  • 2010年:UNICEF東京事務所代表に就任する。
  • 2016年:国連児童基金(UNICEF)東アジア・太平洋地域事務所 保健・衛生部長に就任する。
バックナンバー
  1. 国境を越えて命と向き合う
  2. 05. 医師のキャリアの多様性
  3. 04. UNICEFの課題
  4. 03. UNICEFに入る
  5. 02. 国際保健の世界に入る
  6. 01. 筑波大学へ

 

  • Dr.井原 裕 精神科医とは、病気ではなく人間を診るもの 井原 裕Dr. 獨協医科大学越谷病院 こころの診療科教授
  • Dr.木下 平 がん専門病院での研修の奨め 木下 平Dr. 愛知県がんセンター 総長
  • Dr.武田憲夫 医学研究のすすめ 武田 憲夫Dr. 鶴岡市立湯田川温泉リハビリテーション病院 院長
  • Dr.一瀬幸人 私の研究 一瀬 幸人Dr. 国立病院機構 九州がんセンター 臨床研究センター長
  • Dr.菊池臣一 次代を担う君達へ 菊池 臣一Dr. 福島県立医科大学 前理事長兼学長
  • Dr.安藤正明 若い医師へ向けたメッセージ 安藤 正明Dr. 倉敷成人病センター 副院長・内視鏡手術センター長
  • 技術の伝承-大木永二Dr
  • 技術の伝承-赤星隆幸Dr