須磨久善先生に出会う
手術をどのように上達させていかれたのですか。
私は割と恵まれていました。昔は外科医志願者が多く、私たちの教室も同級生13人で入局したのです。そのうち心臓外科を一緒に始めたのが4人です。そのうえに講師や助教授がいましたから、大きな教室だったのですね。手術するのは教授、助教授がほとんどで、たまに講師がしていましたが、私は帰国後1年ぐらい経ったところで講師にしてもらえたから、当時の教授から「バイパスは全部、あなたがしなさい」と言われて、全部しました(笑)。当時は年間のバイパス手術は20例ぐらいでしたが、1年目で50例、2年目で100例を超えるぐらいになって、そんなこんなで症例が増えていったのです。
須磨先生に出会われたのもその頃ですか。
初顔合わせはトロントから帰国した年のウィンターセミナーです。私が初めて参加したウィンターセミナーで、1987年当時、大阪医科大学附属病院の心臓外科にいらした須磨先生が胃の大網動脈を使った冠動脈バイパス手術(CABG)についての発表を行いました。CABGでは1970年代はCABGのグラフトには主に大伏在静脈が使われていたのですが、静脈に動脈の代用をさせることには無理があったのです。動脈にかかる血圧は静脈の10倍ありますので、時間が経つと、静脈血管がもろくなり、血栓、硬化により、閉塞を起こします。そこで1980年代に内胸動脈が使われ始め、静脈グラフトより成績が良いことが分かり、徐々に内胸動脈の使用が広まりました。須磨先生はさらに動脈グラフトとしての胃の大網動脈を使われたのですね。私は須磨先生の発表後すぐに先生のところに行き、「先生、どんなふうにして、その血管を使うのですか」と質問しました。それから大阪医科大学附属病院に見学に行ったり、電話や手紙でやり取りしたりというお付き合いが始まったのですが、須磨先生とは最初から気が合いましたね。
そして先生も須磨方式の手術をなさったのですね。
大阪医科大学附属病院で須磨方式を学び、久留米大学病院で内胸動脈と胃大網動脈を用いたCABGを行いました。それが九州地方で初めての胃の大網動脈を使った心臓バイパス手術でした。須磨先生はその後、三井記念病院に勤務され、さらにローマ大学の客員教授になられました。ローマからの帰国後に、湘南鎌倉総合病院から心臓病センターの責任者になってほしいという声が須磨先生にかかったのです。それで、須磨先生が私に「湘南鎌倉病院から独立して外科主導の循環器専門のハートセンターを作って、先生、一緒に手術しない?」と誘ってくださいました。
葉山ハートセンターを開設する
湘南鎌倉総合病院にいらっしゃったときはまだ葉山ハートセンターはなかったのですよね。
そうです。葉山に心臓血管外科に特化した病院を作るという構想があり、その翌年に建物が建つ予定でした。それから3年ぐらいかけて、須磨先生と2人でどういう病院にするか、考えていたのです。葉山ハートセンターのモデルは須磨先生の案でモナコにあるモナコ・ハートセンターです。こちらのドール先生のもとに2、3回ぐらい職員を連れていきました。
葉山ハートセンターは最初から患者さんが多かったですか。
須磨先生がバチスタ手術をしたということでテレビのニュースに出たりしたので、患者さんは多かったですね。オフポンプどころではなく、普通のバイパス手術のご紹介もありました。もちろん重症例は全国から集まっていました。ただ、2000年に葉山ハートセンターを設立したときの須磨先生と私の約束は「手術を沢山して、休暇を沢山取りましょう」ということでした。手術をうまく行うためには自分の好きなことに使う時間を作って、生活にメリハリをつけることが大事だと留学生活で学んだからです。
セイブ手術を開発する
先生はバチスタ手術を最初はどのようにご覧になっていたのですか。
1996年の学会の抄録で知ったのですが、面白そうな手術があると思って、須磨先生に言ったら、「来月、僕がするから見においで」と言われたのです。当時はまだ久留米大学病院にいたのですが、湘南鎌倉総合病院まで見に行きました。私は以前から心筋症に興味があったのですが、外科で手をつける人は一人もいませんでした。そういうものが成功するのか半信半疑でした。
それからセイブ手術になっていったのですね。
バチスタ手術で心臓の左室後壁の筋肉を切るだけでは駄目だということがある程度、分かりました。湘南鎌倉病院では1997年には拡張型心筋症の患者さん全てにバチスタ手術を行うようになっていましたが、1998年になるとバチスタ手術を行うべきか、やめるべきかの判断ができるようになりました。外科の手術は難しい症例にあたったり、失敗したりしないと次のアイディアが出ないのです。その失敗にこだわって、ステップアップしていく必要があります。心臓の働きでは収縮する力だけでなく、拡張する力も大切です。しかし、バチスタ手術は拡張する力を低下させるのです。こうした拡張不全が起きると、心拍数が増え、心臓がバテテくるのです。そこで臨床データをチェックし直し、分析しました(当時は左室形成の論文はほとんどありませんでした)。
セイブ手術の開発をどのように進められたのですか。
バチスタ手術では傷んでいない部分の心筋を切り取ってしまうこともあるため、ほかの左室形成術を考えました。その方法は傷んでいない左心室の後ろの筋肉を残して、前の筋肉を縮小するのです。そのために左心室の前壁を大きく切開し、前壁から中隔にはめ込むパッチも縦長の大きな楕円形にして、左心室が正常に近い形になるように改良しました。これが前壁中隔形成術、セイブ手術です。
素晴らしいですね。
左室形成術に慣れるとシミュレーション通りに手術できるようになりましたが、心筋をどこまで切り取るかという判断は難しいです。これは身をもって会得しないといけないですね。手術を実際に経験することで、ここまでは安全だという限界線を知ることができるのです。
大崎病院東京ハートセンターに移る
大崎病院東京ハートセンターに移られたのはどうしてですか。
こちらの循環器内科の細川丈志副院長は湘南鎌倉総合病院時代に知り合い、昔からとても親しくなっていました。葉山ハートセンターを創設し、その後15年間5000例近い手術をしてきましたが、外科チームを変えるという話が突然出て、当時の心臓外科医5人全員が退職した時に、細川先生から「先生、一緒に仕事しませんか」と言われたので、移りました。以前からの患者さんもいらしていますし、近くの病院からの紹介も多いです。
今はどのぐらい手術されているのですか。
心臓大血管外科全体のうち、開心術は年間250例から260例でしょうか。私はその3分の2ほど一緒について手術しています。
若い先生への指導にあたって、心がけていらっしゃることはありますか。
ある程度、我慢しなくてはいけないことです(笑)。手術中に怒ったりすると、パワハラになってしまいますしね。外科医は、昔は、怒られるのが当たり前で、試練の一つでしたが、今の若手にそういうわけにはいきません。私も以前は手術中に怒ったりしていましたが、今は全く怒りません。怒ると自分が損をするだけです。これはパワハラと言われる時代になる前から、そうしています。
そこにストレスはないですか。
昔からずっと教えていたので、教えるのは嫌いではありません。葉山ハートセンターにいた15年間には60人ぐらいの若手医師が研修に来ました。若手が手術に時間がかかったり、ミスをしたりするのは仕方ないです。私も失敗することがありますから、それを踏まえれば気になりません。教えながら、問診一つにしても自分と違うなと気づくと、逆に教えられることもあります。また、若い先生の手術で間違ったことをするのを見て、これをしたら駄目だと思うこともありますね(笑)。でも、外科医は皆、手術上手になりたいと考えている人ばかりですよ。