総合内科を学ぶ
大学を卒業後、どちらで研修をなさったのですか。
大森赤十字病院です。大森は東京都大田区の下町で、大森赤十字病院は当時も地域医療を頑張っている病院でした。今の初期臨床研修制度ではスーパーローテートが義務づけられていますが、当時はまだスーパーローテートで研修できる病院は少なかったのです。私はスーパーローテートができる市中病院を探して、自分で決めました。
コラム・連載
大森赤十字病院です。大森は東京都大田区の下町で、大森赤十字病院は当時も地域医療を頑張っている病院でした。今の初期臨床研修制度ではスーパーローテートが義務づけられていますが、当時はまだスーパーローテートで研修できる病院は少なかったのです。私はスーパーローテートができる市中病院を探して、自分で決めました。
そのときは入っていません。その頃は卒業と同時にどこかの医局に所属して、大学病院を中心に研修することがメジャーな進路でしたので、当時としては珍しいと思います。
卒業するときに専攻科を絞り切れていなかったので、研修医の間にローテートをしたいという思いがまずあったからです。それから、若いときにcommon diseaseをできるだけ多く診たいという希望があり、それなら大学病院よりも地元密着の市中病院の方がいいなと考えたんです。今からすると、今風ですよね(笑)当時は総合内科という考え方もまだ浸透していない時代でした。
自分が回りたい診療科を自分で自由に選べるところです。ほかにも、そういう病院はあったのですが、私自身が思い立ったのが遅くて、試験が終わってしまっていた病院もいくつかありました。そういう事情もあって、大森赤十字病院になったんです。
外科も産婦人科も回りましたし、内科系も一通り回りました。当時の大森赤十字病院には精神科はなかったので、大森赤十字病院とコラボレーションしていた東京都立松沢病院にも行きました。
そうです。大森赤十字病院での2年間の研修が終わる頃、私は総合内科的な医局に入りたいと思うようになっていました。そこで、大森医師会の先生にご相談したのですが、その先生が横浜市立大学のご出身で、「大学で腰を据えてやっていくのもいいぞ」とおっしゃって、旧第二内科を勧めてくださったのです。旧第二内科は総合内科的であり、一般的な内科をほぼ診られる先生方が揃っていると伺い、紹介していただきました。
旧第二内科に入局して、入局と同時にその関連病院である足柄上病院に勤務することになりました。
都心の病院ではありませんので、幅広く診る必要がありましたから、私は総合内科医のように、内科全般を診ていました。当時の院長は宮本一行先生で、今でも一番尊敬している先生です。今は院長職は引退なさっていますが、現役の総合内科医でいらっしゃいます。私は宮本先生のようになりたいと思い、上部、下部の内視鏡をはじめ、気管支鏡検査、それから肝臓がんのIVRまでやっていました。そうした毎日を過ごす中で、がんの内視鏡診断が非常に難しいと感じ、宮本先生と内視鏡の師匠である横山知子先生に「がんセンターで勉強したい」とご相談したのです。そうしたらお二人とも賛成して下さったので、がんセンターに行くことになりました。
著者プロフィール
聖マリアンナ医科大学臨床腫瘍学講座教授、聖マリアンナ医科大学病院腫瘍内科部長、腫瘍センター長
日本内科学会認定医・総合内科専門医指導医、日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医・指導医、日本癌治療学会認定医、消化器病専門医、日本消化器内視鏡専門医。