聖マリアンナ医科大学で臨床腫瘍学講座を立ち上げる
聖マリアンナ医科大学にいらしたきっかけをお聞かせください。
聖マリアンナ医科大学に臨床腫瘍学講座が設立されたときに、こちらに移ってきました。きっかけはJCOGでお世話になっていた朴成和先生からのお誘いです。がんセンターにいますと、色々な臨床試験を計画したり、参加することが多くなります。JCOGは日本臨床腫瘍研究グループのことで、がんに対する多施設共同臨床試験を実施している、日本では有数のグループです。朴先生は今はがん研究センター中央病院の副院長を務めていらっしゃいますが、当時は静岡県立静岡がんセンターにいらっしゃいました。私はJCOGではお世話になっていたものの、朴先生と一緒に働いたことはなかったんですが、「聖マリアンナ医科大学で臨床腫瘍学講座を立ち上げるから、一緒に来ないか」と言っていただいたんです。立ち上げメンバーは初代教授の朴先生、私、聖マリアンナ医科大学の内科と外科の中でがん薬物療法を担当していた先生が1人ずつの4人でした。最初はこじんまりとしていましたね。
臨床腫瘍学講座をどのように盛り上げていかれたのですか。
当初は朴先生が院内をよくまとめてくださり、私はそれをサポートしていた立場でした。外科の先生方が望んで、この講座を立ち上げたという事情もあったので、外科の先生方とはとても関係が良かったです。外科の先生方は術前だろうが、術後だろうが、全ての消化器がんに関しては我々に任せてくれました。乳がんも手術数がとても多かったので、最初から乳がんの薬物療法もお手伝いしていました。ただ、私たちは4人しかいなかったので、肺がんや婦人科癌はそれぞれの科でそのまま継続していただき、どこの科も難しい原発不明がんなどの困っているところから需要を満たしていきました。
ほかに力を入れられたことはどのようなことですか。
がん種横断的な治療、特に支持療法ですね。制吐剤の使い方や緊急時の対応といったことなど、どのがんにも共通することを整備していきました。
2016年に教授になられましたが、講座のモットーである「世界とともに“がん”への飽くなき挑戦を」に込められた思いをお聞かせください。
目の前の患者さんに標準治療をするのは当たり前のことなんですね。腫瘍内科といえば、どこの病院でもしているようなことを目の前の患者さんに実施するのは当然です。しかし、やはり大学ですから、それだけではいけません。前任の朴先生も私も治療開発をずっとやってきましたので、その経験を生かして、日本の患者さんにより良い治療を届けるために、薬物療法の臨床開発を行っています。私たちの経験上、日本にいて、日本の患者さんに新しい薬を届けようと思うと、世界のメンバーとコラボレーションしないと届きません。十年、二十年、何十年と遅れて投与しても意味がないんです。そうなると、日本が、川崎がと言っている場合ではありません。私たちの全ての研究や治療開発が世界中の患者さんに繋がることは実感していましたし、実際にそうなっていました。私たちが参加した治験をもとに、世界中で新薬が承認されることも何回も経験しています。
標準治療とは違うものをということですね。
標準治療は最低限、しなくてはいけないものです。標準治療以上のものをどうやって作っていくかということですね。私たちのすべきこととして、2つの大きな柱があります。標準治療を正しく実践するということと、標準治療以上のものをつくっていくことです。新しい標準治療をつくるというのは、前述した臨床開発を行うことを意味します。一方で、標準治療を目の前の患者さんに正しく実践するにあたっては、薬物療法だけを考えていてもいけません。やはり支持療法をはじめ、患者さんの生活自体を支える必要があります。臨床試験では表れてこないこと、日常臨床でこそ見えることを考えた多方面のケアが求められるのです。しかし、多方面のケアは臨床試験では評価されないので、現場にいる医療従事者の工夫が大切です。
どのような工夫をしていらっしゃるのですか。
私たちの特徴としては多職種連携です。医師だけでなく、薬剤師、看護師、ソーシャルワーカー、地域医療連携室、地域にいる在宅医療の医師、訪問看護師など、一緒くたになって進めていくことではじめて、標準治療を正しく患者さんに再現できると考えています。そのようなケアにより、一人ひとりの患者さんにとっては臨床試験で検証された標準治療以上のものになっているのかもしれません。
チーム医療について
先生は聖マリアンナ医科大学病院でのチーム医療をどのように作り上げてこられたのですか。
お蔭様で、当院でのチーム医療でについてよく尋ねられたり、講演を依頼されたりします。でも不思議なことに、何の苦労もなく、自然とできていったんです。というのも、私がこの大学に来たときに、既に薬剤師や看護師にとてもやる気があったんです。ただ、それをうまく吸い上げて、まとめる余力が当時の現場にありませんでした。特に、医師が忙しすぎたのです。そこに、腫瘍専門でやりますという私たちが来て、「おお、ちょうど良かった」となりました。現場でくすぶっていたやる気が一気に集結したんですね。私たちとしても、腫瘍内科の医師は4人しかいなかったので、チームの力を借りないと全ての患者さんにベストなケアができませんでしたから、本当に自然にまとまりました。
具体的にはどのようなことをなさったのですか。
毎朝7時15分から勉強会をしました。最初の1年ぐらいは朴先生と私が毎朝、交代交代で講義をしたんです。
準備だけでも大変そうです。
新しい内容を準備することもありましたが、それまでやってきたこともありましたので、学生に授業をするような形で続けていきました。1年ぐらい経ったところで、皆の頭が慣れてきたこともあり、薬剤師も看護師も絶対に英語の論文を読もうと、毎朝の抄読会に変わっていきました。
英語となると、ハードルが高くなりますね。
そうだと思います。でも1年間、きちんと教育してきましたから、その中では当然のごとく英語の論文は出てきますし、違和感なく読み始めました。今はコメディカルスタッフの方が研修医よりも英語の論文をしっかり読めていますよ。
そういうチームを育ててこられたのですね。
私が育てたというよりも、自然に育っていったという感じがしています。