総合診療科を志す
先生が総合診療科を専攻しようと思われたのはどうしてですか。
私たちが卒業した頃は総合診療科という診療科はなく、総合診療という概念自体もありませんでした。でも私は問診や診察で診断に迫ることには大きな興味があったんです。加えて、神経学や神経内科学にも興味がありました。今の神経内科は随分と進歩してハイテクになりましたが、当時は診察して、問診するぐらいしかなく、MRIも出たか出ないかの頃でした。
コラム・連載
私たちが卒業した頃は総合診療科という診療科はなく、総合診療という概念自体もありませんでした。でも私は問診や診察で診断に迫ることには大きな興味があったんです。加えて、神経学や神経内科学にも興味がありました。今の神経内科は随分と進歩してハイテクになりましたが、当時は診察して、問診するぐらいしかなく、MRIも出たか出ないかの頃でした。
そうです。神経内科学に興味があったのももちろんですが、私のしたかったことが神経内科のスタンスに似ていたので、神経内科に進みました。そして卒後9年目に旭中央病院に来たのです。最初に配属されたのがいわゆる混合病棟で、色々な患者さんがいらっしゃるところだったんですね。神経内科の患者さんに加え、内分泌代謝、感染症、膠原病、糖尿病などの患者さんがいらっしゃいました。そこで今の理事長である吉田象二先生に師事したのです。
吉田先生はもともとアレルギー・膠原病がご専門なのですが、神経内科の領域においても中堅の先生よりおできになるぐらいの何でもできる先生でした。「こりゃあ、すごい人だなあ」というのが最初の印象でした。私は神経内科医として赴任したものの、そういう病棟に配属された以上は「私は神経内科だから、ほかは診ません」とは言えないです。もしかしたら言えたのかもしれませんが、そうしていられなかったし、そうしたくなかったのかもしれません。それから色々な病気の勉強をするようになりました。その中で、「そうだった、こういうのをしたかったんだなあ」と思い起こされてきたんです。大学に戻るチャンスもありましたが、ここにいると大学の5年分ぐらいが半年か1年で診られるぐらい、膨大な症例があります。ここでなら内科医として、さらには総合内科的な視野も広がるだろうと思いました。
吉田理事長を一生懸命に見て、目で盗みながら、背中を追いかけてきました。最初は神経内科の専門医であることを軸足に総合的な内科を診ようということで、総合内科という名称でやっていたんです。そのうちに神経内科から暖簾分けをしてもらって、総合診療内科という部門を作りました。ここで神経内科のお手伝いもするけれど、それ以外の総合診療的なところにも広げていったという流れです。総合診療医になった理由としては、もともと総合診療に興味があり、そういうことをしたかったというのと当院に赴任したということが大きいですね。もし当院に来ていなければ、今頃はどこかの病院で神経内科医をしていたと思います。
偶然にも当院に来て、そういうスーパードクターに師事することができたので、こういう流れになったわけです。私のマインドはあったものの、偶然の産物ですね(笑)。
偶然でしたが、ただそういうマインドが私になければ、吉田先生に出会っても、そのまま神経内科医で終わっていたかもしれません。こちら側の要因もあるでしょう。それでも、とんでもなくできる人という吉田先生との出会いは衝撃的でした。
問診や診察は総合診療のスキルではなく、医師としてのスキルです。また、手技は内科医としてのスキルです。では総合診療医のスキルとは何かというと、何でしょうね(笑)。
スキルというよりもマインドですね。総合診療医として多くの病気や症状をしっかり診るということです。病院総合診療医と家庭医は若干違います。私たちは病院にいるので、家庭医の先生方と同じことはなかなかできません。病院にいる側としての総合診療ではありますが、それでも病院にいる患者さんを社会的に、生物学的に、機能的に、包括的に診るということは必ず行っています。それはやはりスキルではなく、マインドなのだと思います。
著者プロフィール
総合病院国保旭中央病院 塩尻俊明 副院長、総合診療内科部長、臨床教育センター長
日本内科学会総合内科専門医、日本内科学会認定内科医、日本内科学会指導医、日本神経学会神経内科専門医、日本神経学会指導医、日本病院総合診療医学会認定医など。