iPS細胞技術を活用した未来の医療について

2020.10.20|text by 岡野 栄之

第2回

『脊髄再生への挑戦』

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脊髄再生への挑戦

我々はこのiPS細胞技術を使いまして、脊髄損傷の治療法の開発を行ってきました。ご存知の通り、脊髄損傷は健康な方がスポーツ外傷や交通事故などによって、ある日、突然になります。この方は慶應義塾大学病院に運ばれた22歳の男性です。第8胸椎、第9胸椎のの間に、このような脱臼骨折があって、ここから下が完全麻痺をしている患者さんです。こういう方を何とかして救いたいと思いまして、脊髄再生への挑戦を行ってきました。

さて、実際にこの中枢神経系の再生能力があるのは神経系の組織幹細胞、体性幹細胞です。これは神経幹細胞と呼んでいます。一つの神経幹細胞に由来して、ニューロン、アストロサイト、オリゴデンドロサイトという様々な細胞が作られます。ニューロンは、できて活動を担う、いわば脳科学的に脳の中の主役を務める細胞ですが、問題点はこの細胞は分裂の能力がないということで、一旦、事故や病気などで失われると、二度と補充されないと言われていました。しかしながら、これ自身は分裂しないのですが、それを作るもとになる細胞、神経幹細胞は分裂して、さらに様々な細胞になるという能力を持っています。したがって、神経幹細胞は神経再生の切り札ではないかと期待して、我々は研究を行ってきました。神経幹細胞は脳と脊髄の体性幹細胞で、胎児脳に豊富に存在して、シャーレの中でよく増えます。成人脳にもわずかではありますが、存在しますが、シャーレの中でほとんど増えないということが知られています。このような条件下で、もし神経幹細胞を使った再生医療をするならば、大人の脳由来の神経幹細胞は確かにありますが、あまり増えません。ES細胞も日本では再生医療用の実験として使うにはなかなか承認が得られない状況でした。

では、どうやって、この神経幹細胞を手に入れるかというと、胎児の脳に豊富に存在していますから、体外ですなわちシャーレの中で大量に増やして移植をするといった研究をラットを使って始めました。ラットの胎仔由来の中枢神経系幹細胞をラットの脊髄損傷モデルへの移植を行いました。この論文では移植の至適時期の決定をしました。損傷後1~2週、色々な解析からヒトでは4週と考えています。そして、この論文では、どのようなメカニズムで運動機能が回復したかについても検討しました。これは世界に先駆けて、こういう論文を書きましたけど、実際、臨床に応用するときはネズミの細胞だけをやっていては駄目で、ヒトの治療に使う事が出来る細胞を調整する必要があります。そのためにはマウスやラットのげっ歯類の細胞だけを使っていたのでは駄目で、ヒトの細胞を使った研究が必要だろうということで、我々、ヒトの神経幹細胞というものをニューロスフェア法という方法で採りまして、それで安全性と有効性の実証を行ってきました。そうしますと、いざ臨床にということに段々なっていきますが、その中で少し我々にとって大変だったのは胎児由来の神経幹細胞の使用は、臨床研究指針の対象外となってしまい、実際的には使えないことになってしまいました。

つまり、これまで開発した技術が臨床の現場にいかないということとなりました。「立ちはだかった倫理の壁」と書きましたが、こういったことが起きてしまいました。これを乗り越えるにはどうしたらいいか、やはり科学技術で対抗するしかないということで、2006年に山中先生がマウスのiPS細胞を樹立されることに成功しました。実際、我々もすぐに使いたいと思って、彼に連絡しましたら、快く送っていただきました。彼自身も整形外科医師ですので、共感することも非常に大きかったのではないかと思っています。これは非常に単純なスキームで、患者さんからの体性幹細胞を使ってリプログラミングを行い、iPS細胞を作成し、神経系の培養細胞を作って移植します。このような再生医療の開発が望まれたわけです。iPS細胞を神経系の細胞にするにはどのようにしたらいいのかといったことについて、検討しました。

この中で注目したのは、皆さん、高校の生物学で勉強したと思いますが、シュペーマン・オーガナイザーの実験という方法です。これは将来、腹側の細胞になる領域に背中側の細胞を移植したらどうなるかということで見てみますと、驚くべきことに、将来、背中側になる、この領域を別のイモリの腹側に移しますと、移植したあたりから、このような二次胚というものができました。このような背中側の構造、すなわち脳や脊髄といったようなものの構造を含む構造が、このように二次胚ができたということであります。このことは、こういった細胞が増えたというだけではなくて、周りの細胞、本来は消化管になるような細胞を巻き込んで、それを脳や脊髄にしてしまったということで、このことはシュペーマン・オーガナイザーというところから分泌性のタンパク質が発現しているということを示すものです。しかし、1974年、私が高校生だったとき、『この物質的実体は何でしょうか?』と、そのときの生物の先生に聞いたら、当時は、これが全く分かっていなかったことが分かりました。こういったような物質的実体も将来は大事だということになりました。

私はずっと、この問題に興味を持っており、ES細胞、あるいはiPS細胞からの神経系を誘導する方法を開発しました。ES細胞あるいはiPS細胞由来の三胚葉性の胚様体という構造物を作り、そこで神経系を誘導するような培地条件で、これを処理いたしますと、神経系の幹細胞ができました。これを継代しますと、最初にできるのが一次neurosphere(ニューロ・スフェア)、次が二次スフェア、三次スフェアと名づけます。一次ニューロスフェアを分化誘導しますと、ニューロンばかり出ます。それが二次ニューロ・スフェアになりますと、ニューロン、アストロサイト、オリゴデンドロサイトという様に、ニューロンに加えまして、グリアができるようになります。三次ニューロ・スフェアになると、グリアばかりです。まず、ニューロンができて、グリアができるというのは発生過程で起きていることと全く同じようなことです。

このようにして、iPS細胞から発生段階の様々な神経系の幹細胞、これを得ることができるようになりました。これを脊髄損傷の動物に移植しまして、運動機能の回復が起きるかどうかということで、第9胸椎、そして動物は前足を動かしますけど、後ろ足が麻痺しているという問題がありまして、後肢の運動機能の回復が起きるかどうかといったことを検討しましたところ、移植していない動物はこのように前足で這うようにしか動けませんが、さらに、これが移植しますと、前足と後ろ足の協調運動がここまで回復しています。

次に、山中先生たちによるヒトのiPS細胞の樹立が報告されました。これを活用しまして、ネズミの損傷モデルにヒトのiPS細胞から作った神経幹細胞を移植し、治療効果を世界に先駆けて報告することができました。つまり、ネズミの細胞を使った実験で、ネズミだけ治しているだけでは、本当に臨床に使えるかどうか判りません。ところが、このようなヒトの細胞を免疫学的に拒絶反応が起きないような動物の脊髄損傷モデルに移植しますと、十分な運動機能の回復が得られました。ところが、本当にそれがヒトに使える治療かといったことを検証するためには、やはりヒトに非常に近い動物であります霊長類を使った解析が必要になります。

そこで私たちは2005年に開発しましたマーモセット脊髄損傷モデルを活用することにしました。このマーモセット脊髄損傷モデルに、ヒトのiPS細胞由来の神経幹細胞を移植しますと、全く歩けなかったサルが飛び回れるまでに回復することが分かりました。移植したiPS細胞由来の神経幹細胞は何をしているかというと、一つはホストの神経細胞とシナプスを形成して、途切れた神経の軸索をリレーしているということがあります。もう一つはオリゴデンドロサイトというミエリンを形成するグリア細胞に分化しまして、ミエリンを形成することが分かりました。これらが重なりあいまして、運動機能の回復に成功したものと考えています。すなわち、これまでのところをまとめますと、マウス及びヒトのiPS細胞から神経幹細胞を作りまして、それをマウスとサルの脊髄損傷に移植したら、運動機能の回復が得られたということであります。ということは、ヒトの細胞を使ってサルの脊髄損傷を治したわけですから、これは非常に先が見えてきたということです。

次に考えないといけないのは、iPS細胞以外の細胞を移植しても本当に大丈夫かという、いわゆる安全性の問題です。これは色々と考える必要があります。これは実際の患者さんに移植するまでのスキームを考えたものですが、実際に皮膚の細胞を作って、そしてiPS細胞を作り、神経幹細胞を作るといったプロセスは1年ほどかかります。さらに、そのあと、このような安全性を確認するために神経幹細胞を移植します。そして、これが本当に安全な細胞であるのか、要するに、がんを起こすような細胞が混じっていないかということを1年ぐらいかけて解析していきます。そうすると移植できる細胞が調整できるまで、1年半くらい経ってしまいます。ですから、患者さん自身の細胞を用いるというこのスキームは使えません。だからこそ、前もってiPS細胞が用意されている必要があります。すなわち、京都大学のCiRAから細胞の臨床用のiPS細胞をいただきまして、神経分化誘導をするのは我々ですし、iPS細胞由来神経前駆細胞の品質管理を行っています。それをまた臨床グレードの細胞として用意することが、臨床に向けて大きな課題になると考えています。脊髄損傷はある日、突然、起きるわけです。だからこそ、iPS細胞バンクで神経系の細胞にして、増やして、とっておくことが必須です。それで4週間以内に移植するということが可能になります。

次に、慢性期の脊髄損傷の方の治療をどうするかということになりますが、我々はいくつかの方法を併用して取り組む必要があるだろうと考えました。慢性期の損傷した脊髄には、神経細胞の軸索が再生していくのを阻むような物質が存在しているということが知られています。その様な活性を有する分子には、セマフォリン3Aという神経の軸索の伸長をブロックするようなものがあります。私たちは、そのセマフォリン3Aに対する阻害薬を、ある製薬企業と共同して開発してきました。細胞移植に加えまして、このセマフォリン3A阻害薬を含む薬剤による神経の軸索の誘導、そして、リハビリテーションを行います。これを集学的に併用することが大事になると思います。プロトコルは、現在準備中ですが、動物実験による検討により、慢性期の脊髄損傷の患者さんの治療に関しまして、最適化を図り、将来iPS由来神経前駆細胞を用いた慢性期の脊髄損傷の臨床研究を開始したいと思っています。そのためには基礎と臨床ががっちり組んでやっていくということが必要になります。

我々は、近々臨床研究という形で、ファーストヒューマン、すなわち人を対象とした亜急性期の脊髄損傷への最初の再生医療の提供を行いますが、その後、速やかに治験に移行できるように企業への技術移転などを行っています。また、私たちの脊髄損傷の次のターゲットとして、髄鞘形成症、硬化症、白質形成不全症、ジストロフィー、そして、このような後縦靭帯骨化症、さらに、一部の神経変性疾患などが挙げられますが、これらは一旦、脊髄損傷について承認を受けてから、さらに適応を拡大といったことを狙っていきたいと思っています。

最後に、我が国におけるiPS細胞を用いた再生医療の開発状況について紹介致します。最初の臨床応用は、加齢黄斑変性症という疾患でありました。その次の標的としては、神経系におきましては脊髄損傷、パーキンソン病などありますし、さらに循環器での心疾患などが挙げられます。この様に我が国は、iPS細胞の研究のトップランナーのテーマだと思いますので、この一翼を担うiPS細胞を用いました脊髄損傷の治療を是非成功させたいと思っている次第です。

著者プロフィール

岡野栄之教授 近影

著者名:岡野 栄之

慶應義塾大学医学部生理学教室 教授

  • 昭和49 (1974) 年 3月 東京都世田谷区立山崎中学校卒業
  • 昭和52 (1977) 年 3月 慶應義塾志木高等学校卒業
  • 昭和52 (1977) 年 4月 慶應義塾大学医学部入学
  • 昭和58 (1983) 年 3月 慶應義塾大学医学部卒業
  • 昭和58 (1983) 年 4月 慶應義塾大学医学部生理学教室(塚田裕三教授)助手
  • 昭和60 (1985) 年 8月 大阪大学蛋白質研究所(御子柴克彦教授)助手
  • 平成元 (1989) 年10月 米国ジョンス・ホプキンス大学医学部生物化学教室研究員
  • 平成 4 (1992) 年 4月 東京大学医科学研究所化学研究部(御子柴克彦教授)助手
  • 平成 6 (1994) 年 9月 筑波大学基礎医学系分子神経生物学教授
  • 平成 9 (1997) 年 4月 大阪大学医学部神経機能解剖学研究部教授
  • (平成11 (1999) 年 4月より大学院重点化に伴い大阪大学大学院医学系研究科教授)
  • 平成13 (2001) 年 4月 慶應義塾大学医学部生理学教室教授〜現在に至る)
  • 平成15 (2003) 年より21世紀COEプログラム「幹細胞医学と免疫学の基礎-臨床一体型拠点」拠点リーダー
  • 平成19 (2007) 年10月 慶應義塾大学大学院医学研究科委員長
  • 平成20 (2008) 年 7月 グローバルCOEプログラム「幹細胞医学のための教育研究拠点」(医学系、慶應義塾大学)拠点リーダー
  • 平成20 (2008) 年 オーストラリア・Queensland大学客員教授〜現在に至る
  • 平成22 (2010) 年 3月 内閣府・最先端研究開発支援プログラム (FIRSTプログラム)
  • 「心を生み出す神経基盤の遺伝学的解析の戦略的展開」・中心研究者 (〜平成26年3月まで)
  • 平成25 (2013) 年 4月 JST・再生医療実現拠点ネットワークプログラム(拠点A)
  • 「iPS細胞由来神経前駆細胞を用いた脊髄損傷・脳梗塞の再生医療」・拠点長
  • 平成26 (2014) 年 6月 文部科学省・革新的技術による脳機能ネットワーク全容解明プロジェクト(中核機関・理化学研究所)・代表研究者
  • 平成27 (2015) 年 4月 慶應義塾大学医学部長(~平成29年9月)
  • 平成29 (2017) 年10月 慶應義塾大学大学院医学研究科委員長(~現在に至る)
  • 平成29 (2017) 年10月 国立大学法人お茶の水女子大学学長特別招聘教授(~現在に至る)
  • 平成29 (2017) 年10月 北京大学医学部客員教授(~現在に至る)
主たる研究領域

分子神経生物学、発生生物学、再生医学

受賞歴
  • 昭和63 (1988) 年 慶應義塾大学医学部同窓会・三四会より三四会賞受賞
  • 平成7 (1995) 年 加藤淑裕記念事業団より加藤淑裕賞受賞
  • 平成10 (1998) 年 慶應義塾大学医学部より、北里賞受賞
  • 平成13 (2001) 年 ブレインサイエンス振興財団より、塚原仲晃賞受賞
  • 平成16 (2004) 年 東京テクノフォーラム21より、ゴールドメダル賞受賞
  • 平成16 (2004) 年 日本医師会より、日本医師会医学賞受賞
  • 平成16 (2004) 年 イタリアCatania大学より、Distinguished Scientists Award受賞
  • 平成18 (2006) 年 文部科学省より「幹細胞システムに基づく中枢神経系の発生・再生研究」文部科学大臣表彰(科学技術賞)
  • 平成19 (2007) 年 STEM CELLS (AlphaMed Press) より、STEM CELLS Lead Reviewer Award受賞
  • 平成20 (2008) 年 井上科学振興財団より井上学術賞
  • 平成21 (2009) 年 紫綬褒章受章「神経科学」
  • 平成23 (2011) 年 日本再生医療学会よりJohnson & Johnson Innovation Award受賞
  • 平成25 (2013) 年 Stem Cell Innovator Award受賞
  • (GeneExpression Systems & Apasani Research Conference USAより)
  • 平成26 (2014) 年 第51回ベルツ賞(1等賞) 受賞
  • 平成28 (2016) 年 The Association for the Study of Neurons and Diseases (A.N.D.) よりMolecular Brain Award受賞
  • 平成28 (2016) 年 慶應義塾大学よりFaculty Award for Internalization 2016 (Impact factor Most Outstanding Award) 受賞
資格・学位
  • 昭和58 (1983) 年 7月 医師免許(昭和58年5月医師国家試験合格)
  • 昭和63 (1988) 年 7月 慶應義塾大学より医学博士
学術誌編集
  • Inflammation and Regeneration, Editor-in-Chief
  • Development of Growth Differentiation, Editor
  • The Keio Journal of Medicine, Editor
  • Stem Cell Reports, Associate Editor
  • eLife, Board of Reviewing Editors
  • Cell & Tissue Research, Section Editor (2003~2006)
  • Neuroscience Research, Associate Editor
  • J. Neuroscience Research, Associate Editor
  • Genes to Cells, Associate Editor
  • International Journal of Developmental Neuroscience, Associate Editor(2000~2003)
  • Stem Cells, Editorial Board
  • Cell Stem Cell, Editorial Board
  • Developmental Neuroscience, Editorial Board
  • Differentiation, Editorial Board
  • Regenerative Medicine, Editorial Board
バックナンバー
  1. iPS細胞技術を活用した未来の医療について
  2. 07. 慶應義塾大学アントレプレナー育成コース
  3. 06. 研究成果を伝える
  4. 05. 研究者を育てる
  5. 04. 再生医療の現状
  6. 03. アルツハイマー病の解明
  7. 02. 脊髄再生への挑戦
  8. 01. iPS細胞技術研究の意義

 

  • Dr.井原 裕 精神科医とは、病気ではなく人間を診るもの 井原 裕Dr. 獨協医科大学越谷病院 こころの診療科教授
  • Dr.木下 平 がん専門病院での研修の奨め 木下 平Dr. 愛知県がんセンター 総長
  • Dr.武田憲夫 医学研究のすすめ 武田 憲夫Dr. 鶴岡市立湯田川温泉リハビリテーション病院 院長
  • Dr.一瀬幸人 私の研究 一瀬 幸人Dr. 国立病院機構 九州がんセンター 臨床研究センター長
  • Dr.菊池臣一 次代を担う君達へ 菊池 臣一Dr. 福島県立医科大学 前理事長兼学長
  • Dr.安藤正明 若い医師へ向けたメッセージ 安藤 正明Dr. 倉敷成人病センター 副院長・内視鏡手術センター長
  • 技術の伝承-大木永二Dr
  • 技術の伝承-赤星隆幸Dr