アルツハイマー病の解明
もう一つのiPS細胞の医療応用について、お話したいと思います。
再生医療への応用につきましては、今お話した通りですが、病気の原因の解明については、世界的にも競争が非常に激しく、強い技術として注目されています。
我々はこれまで、東京にいるという地の利を活かして、非常に多くの大学や医療機関と共同研究し、ここに述べるような30ぐらいの疾患からのiPS細胞の樹立とそれを使った病態の解明を進めています。
認知症として有名なアルツハイマー病は、血管性痴呆と違い、病理像として老人斑というアミロイドプラーク、そして神経原線維変の2つを伴う病気です。
これまでは、患者さんがお亡くなりになってから脳を解剖して、このような病理的変化があることなどをもってアルツハイマー病と診断していました。しかし現在では色々な診断技術が向上し、患者さんがご存命中にアルツハイマー病を診断することが可能になりました。
患者さんの皮膚の細胞からiPS細胞を作り、そして神経細胞にします。この細胞は受精後5.5日の細胞ですから、ここまで来ますと、生まれたばかりの赤ちゃんの神経細胞と同じです。つまり、患者さんが発症する前の状況を作り出し、どのような時間経過をたどって、このような異常が出てくるのかという、病気のナチュラルヒストリーの研究、そして、その病気の進行を阻む薬の原因解明となります。
脳細胞を血液由来の細胞で何とか原因を解明しようとする、時間と空間を超えた新しい解析手法と言えます。
アルツハイマー病の発症につきましては、βアミロイド、あるいは中心として老人斑という構造ができるアミロイド仮説という有名な考え方があります。これがアルツハイマー病を引き起こしていく初期のイベントです。
そのあと、遺伝要因や環境要因と相互作用しながら神経細胞の異常が起き、神経細胞死、認知症と進んでいくわけです。
我々はまず、遺伝子性素因の存在を明らかにしようということで、はじめに家族性のアルツハイマー病の患者さんからiPS細胞を樹立して、アルツハイマー病由来の神経細胞にしました。
アルツハイマー病の患者さんから作ったiPS細胞を分化させると、ニューロンは正常時の倍ぐらいの量のβアミロイド40の悪玉物質を発現していることが分かりました。つまり、パーキンソン病は老年期で発症するものでありますが、このような遺伝子の変異の質によっては、生後1カ月ぐらいで既に表現形が介在しています。
したがって、痴呆症状が始まってから対症療法を始めるのではなく、赤ちゃんが生まれたときから、将来、アルツハイマー病にどれだけの確率でなるかということが、ある程度、予想がつくようになってきているということです。
このβアミロイドの産生をブロックする薬があるかということですが、これはどなたでも神経細胞の表面にある物質である、アミロイド前駆体タンパク質がブロックします。これをBACE-1という酵素で切ります。ここでガンマ・セクレターゼという酵素によって切断されやすくなります。その結果、このアミロイド斑、すなわち老人斑を作る素になる分子であるAβというものが切り出されます。
このようなタンパク質分解酵素に対するβアミロイド4つの産生が抑えられるかということを次に研究したところ、見事に抑えることがわかりました。
しかしながら、これは色々な副作用があり、これだけでは効きません。むしろ、ガンマ・セクレターゼというものはアミロイド10のみの基質ではなく、色々な幹細胞の活性化に必要なNotchシグナルにも効いてしまうので、甚大な副作用が出てきます。
ところが、アミロイド前駆体タンパク質に対して、非常に特異性の高い阻害薬、βアミロイド修飾薬と呼んでいますが、アミロイド前駆体タンパク質にだけ働き、それ以外のタンパク質に働かないという、化合物が開発されてきました。
こちらの旧世代のガンマ・セクレターゼ阻害薬ですと、先ほども言いましたように、色々なNotchシグナルというシグナルがブロックされ、その結果、自己免疫疾患が発症したりするなど、色々なことが起ります。
甚大な副作用なので、こちらのガンマ・セクレターゼ阻害薬を薬にしようと、製薬会社にアプローチしても難しい状況です。このようなアミロイド前駆体タンパク質に非常に特異性の高いガンマ・セクレターゼ修飾薬は注目されています。
このようにアルツハイマー病の患者さんからのiPS細胞で神経細胞を作ると、βアミロイドが増加しますが、どういう薬を投与すれば治療効果が上がるのかということが試験管内で分かるということです。
そして、アルツハイマー病の病態解明においても、βアミロイドが必ず増加するということが分かってきました。
これらは言ってみれば、新規の診断治療法では、あなたは将来、アルツハイマー病になるかもしれないといったことをiPS細胞技術で確かめることができるということです。
将来、認知症になるということを告知されたくないということもありますが、早く治療を開始して、決定的に認知症になる前に、それ以上、症状が進まないようにするのも重要なことだと言えます。
こういった積極的な医療は先制医療とも呼ばれています。アンジェリーナ・ジョリーは自身の遺伝子に色々な変異があるということが分かり、 2013年2月、健康な両乳房を切除して再建する手術を行い、2015年3月には卵巣を摘出しています。
がん抑制遺伝子が変異すると87%という、非常に高い確率で乳がんを起こすということが知られています。彼女は叔母さんをこのような遺伝子の変化によって、亡くされています。ですから、将来、乳がんになるかもしれないという不安にかられながらの生活ではなく、発症前に両側の乳房を切除するという決断をしたのでしょう。
このような予防的な切除は我が国ではなかなかできなかったわけですが、最近ようやく、この方法を意識して、いくつかの病院の倫理委員会で承認を得て、実際に治療が始まっていると聞いています。これはラジカルな治療法ですから、非常に議論を呼びますが、お薬を早めに飲み始めればできるということです。
アルツハイマー病の発症が70歳だとすると、生物学的には30年前から異常が起きていることが知られています。
全く症状がない時期、そして軽度認知障害、ちょっと忘れっぽいといったことなどから痴呆となりますが、全く症状がないときにもβアミロイドはどんどん蓄積するといったイベントが起きているということが分かってきたのです。
すなわち、患者さんは日々の生活にも困るような痴呆症状になってから病院に連れてこられても、なかなか治す術がありません。
先ほどのガンマ・セクレターゼモジュレーターもこの時期に投与すると治療効果がないということがわかっています。本来、飽和してしまってからでは、遅いのです。ですから、もっと早い時期に投与して、最後の増殖を止めることが重要ではないかと考えられます。
早期の治療開始によって病気の進行を食い止め、発症を遅らせることができるかもしれません。
再生医療とは、今そこにいる難病の患者さんを救う医療であり、先制医療は将来、難病になる可能性のある人をならないように予防することなのです。
すなわち、遺伝子の配列を使ったバイオインファーマティクスや様々な技術を集約して難病予防を可能にすることができるであろうと考えています。
先日、来日されたオバマ大統領は非常にアクティブな方で、彼なりのメッセージとして、いかに科学技術を進めるかということを重要視しています。
この中でアルツハイマー病も非常に重要な標的として出てきますので、何とかiPS技術と、今回はお話しができませんでしたが、遺伝子間変動動物、遺伝子間変動霊長類、これを使って明らかにしていきたいと思っている次第です。
1日も早く安全なiPS細胞をということで、2017、2018年の臨床応用を目指して、慶應義塾大学の整形外科の中村雅也教授、東北大学の青木正志教授とは15年来に渡って研究しております。2006年からは山中伸弥教授とも共同研究を行っております。
また、ALSという神経の難病中の難病の新しい治療法の開発といったものに関しまして、第Ⅰ-Ⅱa相試験、実際の臨床の治験が始まっていますので、これらを組み合わせまして、1日も早く患者さんにお届けしたいと思っております。