第2回

新専門医制度が立ち遅れている理由

若い世代の強み

― 先生方は患者さんへの説明のスキルをどのように磨いてこられたのですか。

福永
僕たちの頃はそういう教育を受けることはあまりなく、上の先生方を見て覚えるしかなかったですね。今の世代には手取り足取りで教えていかないといけません。今の世代は恵まれていますよ。

― 以前の教育を受けてこられた先生方が今の教育をしなければいけないというのはギャップがありますね。

福永
それは仕方がないです。ただ、学生時代の講義のときから彼らを見ていますからね。

― 福永先生は大学で講義もなさっているんですよね。今の学生はいかがですか。

福永
素直ですよ。僕たちが教材を準備して、それを与え、彼らはそれを勉強します。自分から覚えるという感じではないので、あまり面白味はないですね(笑)。我々の学生時代とは全く違います。今は出席もきちんと取りますし、大学によってはタイムカードもあります。授業の資料をあとから貰いに来る学生に渡したり、インターネットにアップしたりするので準備も大変です。
古閑
昔は適当だったよね(笑)。
福永
コピーを頑張るみたいなね(笑)。
古閑
哲は学生も教えているけど、僕のところに来るのは35歳ぐらいの医師。専門医を取ったぐらいの人がさらなるスキルを習いたいということで来ているので、かなりやる気はある。内視鏡は2Dを見るんだけど、今の若い人たちは2Dに慣れているのが面白い。
福永
そう思うね。
古閑
ゲームをしているからじゃないかと思う。
福永
そうかもね(笑)。
古閑
最初は2Dにとても違和感があったでしょう?今は慣れたからそうでもないけれど、以前は距離感が分からなかった。でも、今の若い人たちは最初から結構、上手なんだよね。
福永
そうだよね。びっくりするよ。今の若い人たちは手技の上達が早い。学生時代からトレーニングボックスで体験しているしね。やはり早くから外科の手技に慣れさせる方がいいので、トレーニングや研修で触れさせている。比佐志のところのように、僕のところにも習いに来る医師は多いよ。海外からも来るし、日本国内からも結構、年配の人が来る。でも、年配の医師は慣れていないから、若手ほど上達が早くないね。2Dの情報を頭の中で3Dに変換するときは、例えば影を見て、頭の中で距離感を測ったりする。そういう細かい情報を頭に入れて3Dに変換するわけだけれど、慣れていないとうまく変換できない。でも、これから4Kぐらいの情報量になってくれば、慣れていない医師でも立体的に見えるようになる。

海外での教育

― 機器の開発も待たれるところですね。

福永
非常に大事ですね。
古閑
道具が進化しないと、内視鏡手術は進化しない。でも道具の進化のためにはマーケットが必要。メーカーは企業なんだから、儲からないことはやらない。僕たちがやっている脊髄の内視鏡はそこまで大きくやってなかったから、メーカーも入ってきてくれなかった。そこで、学会のたびにスライドの最後で「一緒に道具を作りましょう」と出して、メーカーが見てくれることを期待していたけど、なかなか食いついてこなかった。最近、ようやく「道具を作りましょう」と言ってきてくれるようになったよ。
福永
多分、比佐志が海外で仕事をしてきた影響があるんじゃないの。胃がんでも中国をはじめ、アジアの国々に教えに行ってきた。シェアが増えてくれば、メーカーは力を入れてくる。胃がんの抗がん剤にしてもそう。日本国内だけだと胃がんの数は知れているけれど、韓国や特に中国はとても多いし、富裕層も増えてきたから、抗がん剤治療をするようになってきた。そうすると、メガファーマは一気に開発に乗り出すようになった。その恩恵が日本と韓国に来ている。比佐志の分野もそれと同じだと思う。比佐志が中国に教えに行って、中国の人たちがその治療を受けるようになると、メーカーも機械を作れば売れるということが分かってくるよ。

― 古閑先生は中国の病院に勤務されましたが、中国語はどのように勉強されたのですか。

古閑
中国の病院が内視鏡治療を立ち上げたいということで、私が指導に行きました。中国語をいくら勉強しても、最初の1年間は全くできなかったんです。でも、ある日、突然できるようになり、「いつから痛いの」、「どこが痛いの」といったコミュニケーションを取れるようになりました。最初は通訳がいたのですが、彼女がいなくなってからは自分がやらないといけないので、勉強しましたね。そのうちに英語を話せる医師が来てくれたので、英語と中国語を交えたコミュニケーションになりました。

― 今も中国の若い医師を指導されているのですか。

古閑
今は中国には行っていないです。ただ、岩井整形外科内科病院では海外からの医師を教育できる病院になろうと、臨床修練制度の申請をしているところです。

― メディカルツーリズムも盛んになってきましたね。

福永
順天堂大学はメディカルツーリズムに力を入れたいと考えていますが、我々の領域はそこまで浸透していません。海外から呼ばれることの方が多いですね。

― 福永先生も海外での指導の機会が多いんですよね。

福永
腹腔鏡手術は絶対に広めていくべきものだと思っていますので、国内はほぼ全ての都道府県に行きましたし、海外からも呼ばれたら、なるべく行くようにしています。病院で手術をしてみせて、見学の医師に解説をします。私どもの病院になかなか見学に来られない医師も多いので、こちらから行って、手術をしてみるというのはいいですね。海外だとアジアに行く機会が多いです。アジアは胃がんの患者さんが多いですからね。
古閑
今は中国には行っていないです。ただ、岩井整形外科内科病院では海外からの医師を教育できる病院になろうと、臨床修練制度の申請をしているところです。
福永
脊椎疾患だと、世界中になるよね。どこという特定の地域はないと思う。
古閑
僕ももう少し海外で指導がしたいんだけどね。

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  • プロフィール
    福永 哲(ふくなが てつ)
    順天堂大学医学部
    消化器・低侵襲外科 教授

【略歴】

1962年
鹿児島県奄美市生まれ。
1988年
琉球大学を卒業
順天堂大学医学部附属順天堂医院外科で研修を行う。
1992年
順天堂大学医学部附属浦安病院外科勤務(助手)。
1994年
米国ピッツバーグ大学 麻酔・集中治療部に留学(リサーチフェロー)。
1996年
順天堂大学医学部附属浦安病院 勤務。
2004年
癌研究会附属病院消化器外科 勤務。
2007年
がん研有明病院消化器外科 勤務する。
2008年
徳島大学医学部臓器病態外科学臨床教授
2009年
聖マリアンナ医科大学消化器・一般外科臨床教授 併任。
2010年
聖マリアンナ医科大学消化器・一般外科教授 就任。
2015年
順天堂大学医学部附属順天堂医院消化器・低侵襲外科教授 就任。
聖マリアンナ医科大学消化器・一般外科客員教授 就任。

【資格・所属学会】
日本外科学会指導医・専門医
日本消化器外科学会指導医・専門医
日本内視鏡外科学会技術認定医
日本がん治療認定医など。

  • プロフィール
    古閑 比佐志(こが ひさし)
    岩井整形外科内科病院
    副院長/教育研修部長

【略歴】

1962年
千葉県船橋市生まれ。
1988年
琉球大学卒業。琉球大学医学部附属病院で研修。
1988年
9月に沖縄赤十字病院
琉球大学医学部脳神経外科研究生
1989年
琉球大学医学部脳神経外科助手
1990年
沖縄県立八重山病院脳神経外科
1991年
琉球大学医学部附属病院脳神経外科
1992年
新潟大学脳研究所神経病理学講座に特別研修生として出向
1994年
北上中央病院脳神経外科
琉球大学医学部附属病院
1995年
豊見城中央病院脳神経外科
熊本大学大学院研究生
小阪脳神経外科病院脳神経外科 勤務
1998年
Heinrich-Pette-Institut fur Experimentelle Virologie und Immunologie an der Dept. of Tumorvirologyに留学
2000年
ヘリックス研究所第3研究部門主任研究員
新潟大学医学部脳研究所非常勤講師
2001年
湘南鎌倉総合病院脳卒中診療科 勤務
かずさDNA研究所主任研究員
2005年
かずさDNA研究所地域結集型プロジェクト研究チームリーダー
2006年
かずさDNA研究所ゲノム医学研究室室長
2008年
千葉大学大学院分子病態解析学非常勤講師
2009年
岩井整形外科内科病院 脊椎内視鏡医長
2012年
中国福建省厦門の漳州正興医院で微創脊椎外科主任医師
2014年
岩井整形外科内科病院教育研修部長
2015年
岩井整形外科内科病院副院長

【資格・所属学会】
日本脳神経外科学会専門医
日本脊髄外科学会
内視鏡脊髄神経外科研究会
日本整形外科学会

岩井整形外科内科病院 PELDセンター

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