第4回
女性医師は内視鏡に向いている(1/2)
CTを読む力
- 古閑
- 検査にあたっては、CTの精度のみならず、誰がCTを読影するのかも大事になるね。
- 福永
- 我々は自分たちでやっている。放射線科の医師も読影してくれるけど、手術前の状態を見て、手術でお腹の中を見て、術後の状態を見るのはやはり我々だしね。若手にも「CTの読影は誰よりもできるようになれ」と厳しく言っている。
- 古閑
- 外科医って、画像を見ながら想像するんだよね。
- 福永
- そうそう。
- 古閑
- 手術したときに、こうなっているんじゃないかという想像。これはすごく大切だと思う。手術前にはしつこく見るよ。見て、見て、見抜く。それでも想像とは違うことがある。
― そういったトレーニングはどのようになさるんですか。
- 古閑
- ひたすら読むこととフィードバックですね。
- 福永
- 診療からのフィードバックですね。
- 古閑
- 実際に手術をして、もう一度、画像を見返す。「あ、こうだったのか」という発見があるね。でも、最近はソフトウェアも随分と進化してきた。CTだとDICOMデータを色々な方向に切ったりできるし、情報量もかなり変わってきたね。
- 福永
- 医師になった頃は今とは治療の仕方も違った。僕が役に立ったと思っているのは血管造影だね。僕が研修をさせてもらった病院には血管造影が得意な先生がいらっしゃって、がんの患者さん全員に血管造影をしておられた。今は色々なソフトウェアがあって、3Dで血管構築をしてくれるけれど、当時はそうではなかった。我々が血管造影をやって、血管の構築を頭に入れて、自分たちでカテーテルを作っていたよ。そして、もう一度、血管造影をしていた。そういう教育を受けていたので、血管の構造や解剖を読む習慣が鍛えられたと思う。我々はCTを見ながら、頭の中で血管構築をする。お腹の中の血管の分類に「Adachiの分類」というのがあるけど、「Adachi III型のどれ」といったことが頭の中に読めるようにトレーニングする。
― そういったトレーニングはどのようになさるんですか。
- 福永
- かなり厳しいですよ。若手の医師がかわいそうになります(笑)。うちの医局のカンファレンスはとてもハードです。僕たちも厳しいトレーニングを受けてきましたしね。
- 古閑
- そういう医局だと、若手が育つね。
- 福永
- そう。うちの若手医師はCTを見ながら、どの分類だと普通に言うよ。ほかの医局では多分、やっていないと思う。これから先に活きてくることだから、うるさく教育している。
手術中の教育
- 福永
- 手術症例からのフィードバックも大事で、腹腔鏡手術は話しながら伝えるしかない。比佐志も同じだよね。
- 古閑
- そうだね。
- 福永
- 見学の医師もいるから、助手やカメラ持ちに何をやっているかを伝えながら、解説しながら手術をしている。録画もするから、彼らは録画した映像も繰り返し見ることができる。だから、彼らが術前のカンファレンスで「こうなっています」と言ったことを、術中に話しながら「ここは合っているね」、「ここはもう少し下から出ているよね」などと血管の構築を確認している。
― 執刀しながら教育もされるのは大変ですね。
- 福永
- そうしてあげないと、勉強になりません。それに、もう話し慣れていますしね。でも、疲れて、話せなかったりすると、助手が私と同じように解説しています。
- 古閑
- それはすごい。
- 福永
- 叩き込まれているんだよね。口で伝えるのは大事だよ。口できちんと説明できるということはその手技が完全に分かっているということなので、言語化できないといけない。若手によく言うのは「チャンスはいきなり回ってくるんだから、常日頃からビデオを繰り返し見て、トレーニングしておけ」ということだね。それで、若手に「はい、ここをやってごらん」とさせたりする。
― それで、皆さん、おできになるんですか。
- 福永
- できる人とできない人がいますね。育っている人と育っていない人がいるんです。
― 育っていない人にはどうなさるんですか。
- 福永
- そこで没収です。それ以上はさせません。僕はいつも「医師としての学年は関係ない」と言っています。努力しているか、していないかしか見ていません。卒後の年数が短くても、ビデオを何十回、何百回と見て、しっかり努力し、手技を完璧に覚えていれば助手もさせるし、術者もさせます。でも全く勉強していない人には何年経っても、一切させません。
― 大学病院は若手医師になかなかチャンスが回ってこないとも聞きますが。
- 福永
- そんなことはないですよ。大学病院ですから、もちろん難しい症例が多いのですが、全ての症例に僕が入りますので、全部、責任を取っています。そのうえで、若手の医師ができそうな手術をしてもらっています。
- 古閑
- 僕のところは哲のところのような大きな組織ではないけど、若い医師は今、3人ぐらいいる。半年ぐらいは手術に一緒に入って、そのあとは僕の後ろに立ってもらって、手術中に教える。彼らはモチベーションが高いから、僕が言わなくてもビデオを見ているね。何をやっているのかなと思っていたら、ビデオを見ていることがよくある。それで頭の中に叩き込んでいるようだ。
- 福永
- 少しさせてみただけで、勉強しているかどうかがすぐに分かるね。隠しようがないよ。勉強熱心な人は普段から頻繁に手術室に来て、映像を見ながら、僕の後ろにずっと立っている。映像と僕の言葉を合わせながら確認しているんだね。
― 外科に興味を持てない初期研修医がローテートしてくることもありますよね。
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プロフィール
福永 哲(ふくなが てつ)
順天堂大学医学部
消化器・低侵襲外科 教授
【略歴】
- 1962年
- 鹿児島県奄美市生まれ。
- 1988年
- 琉球大学を卒業
順天堂大学医学部附属順天堂医院外科で研修を行う。 - 1992年
- 順天堂大学医学部附属浦安病院外科勤務(助手)。
- 1994年
- 米国ピッツバーグ大学 麻酔・集中治療部に留学(リサーチフェロー)。
- 1996年
- 順天堂大学医学部附属浦安病院 勤務。
- 2004年
- 癌研究会附属病院消化器外科 勤務。
- 2007年
- がん研有明病院消化器外科 勤務する。
- 2008年
- 徳島大学医学部臓器病態外科学臨床教授
- 2009年
- 聖マリアンナ医科大学消化器・一般外科臨床教授 併任。
- 2010年
- 聖マリアンナ医科大学消化器・一般外科教授 就任。
- 2015年
- 順天堂大学医学部附属順天堂医院消化器・低侵襲外科教授 就任。
聖マリアンナ医科大学消化器・一般外科客員教授 就任。
【資格・所属学会】
日本外科学会指導医・専門医
日本消化器外科学会指導医・専門医
日本内視鏡外科学会技術認定医
日本がん治療認定医など。
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プロフィール
古閑 比佐志(こが ひさし)
岩井整形外科内科病院
副院長/教育研修部長
【略歴】
- 1962年
- 千葉県船橋市生まれ。
- 1988年
- 琉球大学卒業。琉球大学医学部附属病院で研修。
- 1988年
- 9月に沖縄赤十字病院
琉球大学医学部脳神経外科研究生 - 1989年
- 琉球大学医学部脳神経外科助手
- 1990年
- 沖縄県立八重山病院脳神経外科
- 1991年
- 琉球大学医学部附属病院脳神経外科
- 1992年
- 新潟大学脳研究所神経病理学講座に特別研修生として出向
- 1994年
- 北上中央病院脳神経外科
琉球大学医学部附属病院 - 1995年
- 豊見城中央病院脳神経外科
熊本大学大学院研究生
小阪脳神経外科病院脳神経外科 勤務 - 1998年
- Heinrich-Pette-Institut fur Experimentelle Virologie und Immunologie an der Dept. of Tumorvirologyに留学
- 2000年
- ヘリックス研究所第3研究部門主任研究員
新潟大学医学部脳研究所非常勤講師 - 2001年
- 湘南鎌倉総合病院脳卒中診療科 勤務
かずさDNA研究所主任研究員 - 2005年
- かずさDNA研究所地域結集型プロジェクト研究チームリーダー
- 2006年
- かずさDNA研究所ゲノム医学研究室室長
- 2008年
- 千葉大学大学院分子病態解析学非常勤講師
- 2009年
- 岩井整形外科内科病院 脊椎内視鏡医長
- 2012年
- 中国福建省厦門の漳州正興医院で微創脊椎外科主任医師
- 2014年
- 岩井整形外科内科病院教育研修部長
- 2015年
- 岩井整形外科内科病院副院長
【資格・所属学会】
日本脳神経外科学会専門医
日本脊髄外科学会
内視鏡脊髄神経外科研究会
日本整形外科学会
CONTENTS(全5回)
- 第1回 琉球大学同期生のふたりが卒後に選んだ道
- 第2回 新専門医制度が立ち遅れている理由
- 第3回 若い世代への教育&腹腔鏡手術が目指す場所
- 第4回 女性医師は内視鏡に向いている
- 第5回 医療機器のこれから&若手医師に伝えたいこと
トップドクター対談 バックナンバー
- 第4回
トップドクター対談
Dr.古閑比佐志×Dr.佐々木治一郎 - 第3回
内視鏡外科トップドクター 師弟対談
Dr.金平永二×Dr.稲木紀幸 - 第2回
内視鏡外科・総合内科トップドクター対談
Dr.古閑比佐志×Dr.徳田安春 - 第1回
内視鏡外科トップドクター 同級生対談
Dr.福永哲×Dr.古閑比佐志