国際交流
韓国は美容大国だと聞きますね。
韓国や中国の美容外科医は私どもで勉強した人ばかりですよ。2001年に大韓美容外科学会が設立されたのですが、創立に関わったメンバーの大半は日本美容外科学会にいつも参加してくれていた先生方でした。中でも朴萬龍先生は40年ぐらい前から日本美容外科学会の正会員で、私の同志でもあります。第1回の大韓美容外科学会はソウルで開かれましたが、私はそこに招待され、第一号の名誉会員にしてくれました。2005年には大韓美容外科学会と東方美容外科学会の合同の学会が日本で開催されました。韓国を美容大国にしたのは李明博大統領以降の大統領たちです。それまでは美容整形は国の方針に反するとのことで、日本に来て美容整形手術を受けたことが分かったら、パスポートを取り上げられて、日本に来られなくなったものでした。韓国は朴正熙、全斗煥、盧泰愚など、軍人出身の大統領が多かったからだと思います。軍人は美容整形が嫌いなんですよ。
儒教の影響も大きいのでしょうか。
そうでしょうね。親孝行は韓国人の美徳です。親孝行は本能ではできず、教養からのものであり、その根幹に儒教があります。教養のある子どもなら、老いた両親を幸せにしたいと思うものです。子どもたちがお金を出し合って、働き者のお母さんたちの皺を取ってあげようということになりました。子どもたちからの最高のプレゼントです。一方で、金大中が前の政権を倒して大統領になったときに、前の政権がしていたことの逆をしようということで、人気を博しました。軍政時代は北朝鮮を敵と見なすという方針だったのが、今度は太陽政策、融和政策で仲良くしようとなりました。次に何だとなったときに、迫害していた美容整形を擁護しようということになり、国策で美容整形を大事にし始めたんです。その後の李明博大統領がソウル市長だったときにソウルに美容整形通りが2つもでき、美容整形特区みたいになったんです。それで私の弟子たちがどんどん偉くなっていきました。
そんなに多くの先生方を育てられたのですね。
私どもで修行していたのはベテランの医師たちです。私はその人たちの師匠なんです。患者さんが韓国から来日して、私どもで手術をしても、アフターケアに来るのは大変です。そこで抜糸やアフターケアは韓国でしたいという方々のために、韓国の医師が私どもで修行したんですね。そのほかにも、日本に留学したい医師や日本の医師免許を持っている医師もいました。そのうちに皆が上手になり、「高須先生のところに戻さなくても、韓国で続きをできるよ」となっていきました。そこで働いている医師も増えていったんです。
そうだったのですね。
最初の頃は韓国の患者さんを日本に呼び寄せて手術するにあたり、情報の送りようがなかったんです。在日韓国人の方々は韓国のドラマを見たいのに、日本では見ることができませんでした。でもレンタルビデオはあるんですね。そこで、ビデオを借りるときに高須クリニックのビデオも一緒に借りてくれたら、レンタル料金を半額にすることにしました。そして、「高須クリニックに来てくれたら皺を伸ばせるよ、二重まぶたにできるよ」というメッセージを出したら、患者さんが増えましたね。でも今はもうぱったりいらっしゃいません。
韓国で手術ができるようになったということですね。
そうです。そう言えば、韓国にもタカスクリニックというのができ、流行っていたということもありました。私もしばらく気づかなかったのですが、DAKASUクリニックという名前なんです。韓国ではDAは「タ」と読むんですよ。私がある患者さんに「どこでやった」と聞くと、「タカスクリニック。有名よ。あなたのクリニックでしょう」と言われたんです。「全然違うよ」ということで、テレビカメラを連れて、そのクリニックに行ってみました。そうしたら、檀蜜さんみたいに色っぽい院長がいて、「先生」と抱きついてくるんです(笑)。「私は先生のセミナーにいつも行っていて、先生のことを尊敬しているから、先生の名前をつけました。何か悪いですか」と言うんです。ディレクターもそれはいけないと言ってくれましたし、私も「ここだけなら」と言ったのですが、チェーン展開したいと言うので、それは止めてもらいました。
その後、フィリピンの学会でDAKASUクリニック化粧品というのも見かけましたし、DをTに変えたTAKASUクリニックも見つけました。TAKASUクリニックはドメインがjpではなく、krになっていたものですから、それは学会に言いました。学会としても国の恥だということで、ようやく変更してもらいました。でも、そのクリニックは名前を変えたあとで発展して、大きなクリニックに化けている可能性はありますね。
中国はいかがですか。
中国では高須クリニックと高須克弥という名前を商標登録しています。中国で開放政策が始まった頃に、私は中国中を周って、授業をしたんです。中国の医師免許も持っていないし、公安も大勢いる中を自由にやってきました。だから、私は中国の美容外科の開祖みたいなものです。中国の偉い先生たちの本に私のことが出てくるんですよ(笑)。日本に留学中に私どものクリニックに住み込んで、美容外科を見学していた中国人医師もいます。私は中国美容整形学会の名誉会員ですし、学会誌の編集委員も務めたことがあります。でも、最近は医師は全く来ないですね。
メディカルツーリズムという言葉もよく聞くようになりました。
だから、医師は来なくても、患者さんは来ます。中国政府の偉い人がお金を貯めると、奥様は皺を伸ばしたいようです。映画スターも随分といらっしゃいました。香港の方たちも大勢いらしていたのですが、香港も段々と厳しくなりましたね。実は東京オリンピックが終わると、港区赤坂では再開発が始まるので、東京院は移転しないといけないんです。中国の富豪が来やすい場所にしたいと思っています。
台湾はいかがですか。
台湾にも私の弟子の美容外科医が何人も開業しています。弟子といっても、私どもに一度訪問したことがある、私のセミナーに参加したことがあるといった程度なのです。それで、「開運整形」という整形が流行っていたときにテレビの取材で訪問したのですが、訪問先で私の著書だという本を見せられました。私の名前はもちろん、写真も色々と使われていましたが、私は取材を受けた記憶が全くなく、印税もいただいていないんです。私が台湾でカリスマ的な存在だということは分かりましたが、そういった連絡はしてほしかったですね(笑)。ちなみに、開運整形は観相学の知見から診断を行い、福相を作って、悪運を退ける呪術的な美容整形手術です。観相学による診断と美容外科医の技術が確かであれば、思いのままに開運できるのだそうです。
アジアも変わってきましたね。
アジアの美容外科医たちのマーケットを拡大させるにはアジア人の美しさを認めさせ、アジア人のように美しくなりたい人を増やす必要があります。アジア人の美容外科医の夢はアジア人に憧れる欧米人が増えることなんです。以前の美容外科医は欧米に学んでいましたので、白人のコピーを作るような整形をしていました。でも今はもう流行りません。人種的な特性を活かさない整形だとマイケル・ジャクソンのような不気味な印象を与えてしまうのです。私は50年近く美容外科を研究してきましたが、「人種的な特性を活かした整形でなければ、自然な美を作り出すことは不可能」という結論がもはや信念になりました。東洋の美と西洋の美は基準が違うんです。
東方美容外科学会という学会もあるのですね。
この学会は中国や韓国のみならず、中東や中近東、ロシアの先生方も参加しています。ロシアは美容外科技術大国で、脂肪吸引手術、ケミカルピーリング、フェイスリフトといった技術の大半をスターリン時代に完成させていたと言われています。社会主義国家の独裁者の願いは不老長寿ですし、そうしたソ連時代の指導者のもとで素晴らしい研究が行われていました。今や社会主義国家ではないので、ロシア人も普通にお金儲けが好きになっていったのです(笑)。私も門外不出のアンチエイジング技術をロシアの先生から購入したことがあります。
先生のビジネスは国際的ですね。
1974年に高須病院を開業した頃、ルーマニアのアンナ・アスラン博士から若返りのノウハウも買ったことがあります。それから、日本政府が認可していない薬を使うために、フィリピンで合弁の抗老化療法クリニックを開設したのですが、後ろ盾であったマルコス大統領がアメリカに亡命したり、外貨持ち出しの制限もあって配当を受け取らないまま、クリニックを解散したこともありました。