コラム・連載
シーズン3 第3回 医師国家試験
今の医学生をどうご覧になっていますか。
私が学生の頃は野武士のような人ばかりいて、特にアイスホッケー部なんて梁山泊のような雰囲気でしたが、今の学生さんは成績も良く、「麿が麿が」と言っているお公家さんのように見えます(笑)。昭和大学の医学部に行っても、違う学校に来たような気になります。
今の大学は出席に関しても厳しいですし、真面目でないと国家試験に通らないのかもしれません。
私たちは文武両道に優れていることが一人前だと思っていました。私も空手ができるようになりたかったし、白馬診療部でも働きました。成績は低空飛行でしたが、きちんと卒業できましたよ。医学部でいい成績だからといって就職に繋がるわけではないし、いい成績を取るのは馬鹿みたいです。医学部に行くのは医師の資格を取るためであって、医師としての腕を磨きたかったら卒業後に腕を磨くための病院で頑張ればいいんですよ。私たちの頃は国家試験も優しくて、ほとんどの大学が100%の合格でしたし、私の学年でも不合格者は1人だけでした。彼のせいで、合格率100%に届かなかったんです(笑)。
皆が受かることが前提の試験だったのですね。
当時の国家試験は午前中が筆記試験で、午後が面接でした。でも彼は面接試験に来なかったんです。あとで理由を聞いたら、パチンコに行っていたということでした。パチンコで玉がめちゃめちゃに出て、「こんなに出ることは二度とないだろうな」と思ったそうなんです(笑)。彼は基礎医学を専攻する計画を立てていたので、卒業後は研究室で研究をするのだから国家試験に合格しなくてもいいのだと気楽に言っていましたが、秋の試験にあっさり合格していました。当時は春と秋の2回、試験があったんです。そもそも国が医学生を6年もの間、支援しながら勉強させておいたのに、医師にしないのであれば国家的損失です。私の頃は皆が医学部に入ったということは医師になれるということを信じて疑わず、国家試験には絶対に合格するという自信を持っていました。でも、今は国家試験に受からず、医師になれない人もいるみたいですね。
合格率100%の試験ではないですね。
国家試験を受けた人を落とすぐらいなら、最初から受験資格を与えないといいんです。入学試験は定員がある以上、不合格者が出るのは当然です。でも、国家試験は自動車の運転免許の試験レベルにして、余程おかしな人でなければ合格させるべきだし、働く意欲がある人を皆、医師にすべきです。医師はそんなにいい職業ではありませんよ。家業が医業ではない方々からはとてもいい職業に見えるようですが、実際は3K産業です。志がなければ、医師になる意味がありません。今の医学生がお公家さんのようになるのも分かります。私が「何で医学部に来たの」と聞くと、「偏差値が高いから」と答える学生が少なからずいます。本当は全く違う学部に行こうと思っていたのに、成績が良いから、高校の先生に医学部を勧められたと言うんです。将棋の才能がある人に、「東大に行く力があるんだから、勉強しなさい」というのはおかしいです。だから、藤井聡太さんが高校を辞めて、将棋を指すのは正解です。
プロ棋士に学歴はいらないということですね。
かつては大学に行くことが目的だったかもしれませんが、今はそういう時代ではありません。いい大学を卒業したら、いいところに就職できて、いいところに就職できたら、いい暮らしが一生保障されているのは昔の話ですし、なおさら医師は違います。医師は就職するのではなく、自分の腕で自営業をするみたいなものなのだから、試験を受ける資格だけあればいいんです。いい大学の医学部を卒業しても国家試験に受からないのはかわいそうです。もしかしたら、そういう人は入学試験で燃え尽きてしまったのかもしれません。それなら、医学部への入学試験を医師国家試験のための予備校の試験に変えれば、皆が受かるでしょう。大学6年間は遊ぶ期間なんです。苦しい修行は医師免許を取ってから、病院という現場ですればいいんです。
医師国家試験はどうあるべきでしょうか。
私の祖母の時代は開業医試験という試験があり、これはオープンな試験だったんです。昔の開業医試験なら、今の司法試験のように独学できますので、こういう試験に戻すといいかもしれません。そうすれば、高校生で合格する人も出てきますね。勉強オタクな人たちが国家試験に特化した勉強に本気で取り組んだら、中学生でも合格する可能性がありますよ。一番頭が冴えている年代は17、18歳です。大学受験の頃がピークであり、入学後の6年間で劣化します。したがって、高校生に国家試験の問題を暗記させたら、すごいことになると思います。一方で、今の国家試験を作問している医学部の教授たちが国家試験を受けたら、自分が作った問題しか解けず、落ちてしまうでしょう(笑)。
どうしてですか。
国家試験が試験のための試験だからです。教授たちは現場に出て、自分の専攻している科の患者さんを診たら、超一流です。でも国家試験には通りません。私は整形外科と形成外科を専攻してきましたが、いきなり緊急の産科の患者さんが来て分娩ということになったら、仕方ないので何とかするでしょうが、それでも大変です。今は国家試験のための予備校があるそうですね。そこを卒業した人の合格率はそこに行っていない人たちの合格率よりも高いようです。それなら医学部に入学直後から予備校にも入っておけば、学生生活の途中でも合格しますよ。
年齢要件があるから受験できないですよね。
私が卒業した高校ではA群やB群というシステムがあり、先生から「君はここの大学まで受けていい」と指定されるんです。私は私立医学部コースだったので、試験は英語、数学、化学、生物の4教科のみです。だから高校2年生のときの模擬試験で昭和、順天堂、日医、東邦は受かるレベルにあると分かっていましたし、実際に合格しています。高校卒業資格がないと大学には入れないから、受けられるようになるのを待っていただけなんです。私の愛人の西原理恵子は高校を強制退学になり、当時の大検を受けて、大学に入りました。高校の試験よりも大検の方が優しいそうです。もし中学を卒業した段階で大検を受けていいなら、その年で大学に受かる人が出てきますよ。
日本には飛び級制度がありません。
すごく悔しいですね(笑)。折角勉強が進んでいても、そこで止められてしまいます。高校生の年齢の医師が出てくるかもしれないのに、年齢で止められるのは残念です。ゴルフや将棋、囲碁の世界は進んでいて、子どもたちの方が大先生よりも優れていることがあります。医師の仕事も年齢は関係ないんです。年をとらないと立派な医師になれないというのは幻想です。若い人ほど発想や技術面での可能性があります。
若い人は伸び盛りですよね。
医師もオリンピックに出るアスリートと同じです。一番の旬のときに働かないといけないのに、今のシステムだと旬を過ぎてから現場に出てきます。だから、外科の大先生たちは皆さん、旬を過ぎています。特にマイクロサージャリーはごくわずかな動きでやっていくわけだから、いい手術ができる時間は短いです。いくら論文を書いても、血管を繋げられなければ話になりません。中学生ぐらいでマイクロサージャリーを始めたら、うまくやると思いますよ。
新しい専門医制度によって、現場に出るタイミングがさらに遅くなると言われています。
整形外科の専門医制度ができたときは何もしなくても「専門医になりますか」と聞かれて、「なります」と言えば、簡単になれました。形成外科の場合は専門医1号が私のクラスメートだったから、めちゃめちゃ若い専門医が誕生しました。美容外科学会は私たちが勝手に作ったものですが、医師免許を取得して何年以上といった基準を厳しくしました。なぜなら、先輩を立て、若い芽を潰すために作った制度だからです(笑)。専門医制度は親方の偉さを見せつけるための制度であって、現場に出て勝負したら負けてしまいますよ。専門医になった人は功成り名遂げた人であって、伸び盛りの人は専門医になれないシステムなんです。
インターン制度がなくなった年の1期生
先生が国家試験に合格された頃はどのような世の中でしたか。
私たちは医師免許を取った日から診療できたので、失敗する人も多かったですよ。というのも、私が医学生の頃にインターン制度を粉砕する運動があったからです。卒業したらすぐに給料が欲しい、金儲けをしたいという人たちが色々な学生運動をした結果、インターン制度を粉砕することに成功しました。私は生活に困っていなかったこともあり、インターン制度に賛成でした。2年ほど留年することを考えれば、無給の医師生活でもいいのではと思っていたぐらいだったんです。しかし、成績が良かったけれども、生活に困っていた人たちが「6年間の学業を終えてようやく医師になったのに、2年間もただ働きをさせられるのか」と怒っていました。それで、私はインターン制度がなくなった年の1期生になりました。私は1945年1月生まれです。つまり早生まれなので、日本で一番若い医師だった可能性がありますね。
東京大学で入学試験が中止になった年ですね。
そうです。そのあおりで、東大の学生は皆が留年して、次の年の国家試験を受験しました。私と同じ年に大学に入学した人も医師になったのは私の1年後だったんです。ただ、学部の入学試験はなかったのですが、大学院入試はあったんです。東大の大学院は東大の卒業生が行くのですぐに一杯になるのですが、その年は東大生が留年しているので、がらがらのはずだと思い、学歴ロンダリングを狙って、東大の大学院を受験しに行ったんです(笑)。
大学院入試はいかがでしたか。
空手部の仲間と東大に願書を出しに行ったら、中核派や革マル派の人たちが願書を出させないよう、ゲバ棒を持って抵抗しているんです。私は彼に「あいつらを蹴散らして、願書を出そう」と言ったのですが、彼はものすごく怖がって「とても勝てん」と(笑)。それで結局、昭和大学の大学院に入学しました。ほかの大学でもそうですが、学部に入るのは難しくても、大学院は割と広き門です。でも大学院に行くと就職が不利になるとかで、大学院に進学する人は極端に少なくなりました。
著者プロフィール
著者名:高須 克弥
高須クリニック 院長
- 1945年 愛知県幡豆郡一色町(現 西尾市)で生まれる。
- 1969年 昭和大学を卒業する。
- 1973年 昭和大学大学院を修了する。
- 1974年 愛知県幡豆郡一色町に高須病院を開設する。
- 1976年 愛知県名古屋市に高須クリニックを開設する。
- 2011年 昭和大学医学部形成外科学(美容外科学部門)客員教授に就任する。
- インタビュー 高須克弥先生に訊け
- 25. 2022年の再生プロジェクト
- 24. 前科者の会
- 23. 高須クリニック銀座移転
- 22. GonzoさんとのCM撮影
- 21. 新型コロナウイルス第6波
- 20. 再生プロジェクト
- 19. がんを治療する
- 18. がんを発見する
- 17. 末期がんに対する挑戦的治療法
- 16. 新型コロナウイルス第5波
- 15. 本物と偽物
- 14. フェイスシールド
- 13. 医師国家試験
- 12. 昭和大学での日々
- 11. 東京オリンピック
- 10. ウィズコロナの時代に
- 09. 最近の美容外科に警鐘を鳴らす
- 08. 社会貢献活動
- 07. 愛知県に暮らす
- 06. 新型コロナウイルス
- 05. 新しい美容外科
- 04. ミケランジェロ™
- 03. 国際交流
- 02. 血液クレンジング
- 01. 美容外科のニーズ
- 精神科医とは、病気ではなく人間を診るもの 井原 裕Dr. 獨協医科大学越谷病院 こころの診療科教授
- がん専門病院での研修の奨め 木下 平Dr. 愛知県がんセンター 総長
- 医学研究のすすめ 武田 憲夫Dr. 鶴岡市立湯田川温泉リハビリテーション病院 院長
- 私の研究 一瀬 幸人Dr. 国立病院機構 九州がんセンター 臨床研究センター長
- 次代を担う君達へ 菊池 臣一Dr. 福島県立医科大学 前理事長兼学長
- 若い医師へ向けたメッセージ 安藤 正明Dr. 倉敷成人病センター 副院長・内視鏡手術センター長