コラム・連載
シーズン3 第2回 昭和大学での日々
大学進学にあたって、昭和大学を選ばれたのはどうしてですか。
学びやすかったからです。合格通知は昭和大学以外にも、日本医科大学、順天堂大学、東邦大学からも来ました。どこでも良かったのですが、父が昭和の卒業生で、入学金100万円のところを家族割引で50万円にしてくれたので、入学しました。皆から裏口入学と言われますが、私は勝手口入学だと言い返しています(笑)。勝手口から入ってくると、いいことが一杯あるんです。
そんな割引があったのですね。
昭和大学は優しいです。学生が病気になったら、大学病院で無料で診てくれるんです。今の学生にはどうか知らないですけどね。私は卒業生だからか、客員教授だからか、ほかの人よりも入院費用が安いようです。それで昭和大学で治療していただいていますし、歯学部の附属病院で歯も全部作りました。昭和大学で完結してしまうので、何かあると昭和大学だとうちのかかりつけ医のようになっています。医学生の皆さんも入学して何かあったら、母校の大学病院にかかるといいですよ。浮気をして、ほかの病院に行くと、色々と意地悪されるかもしれません(笑)。
どんなサークルに入っていらっしゃったのですか。
空手部と白馬診療部です。サークルのお蔭で、キャンパスライフはすごく楽しかったですね。空手は大学に入ってから始めました。高校では柔道が正課だったのですが、柔道で首を締められたり、叩きつけられたら痛いので、大学では別のことがしたいと思ったんです(笑)。でも柔道は二段を取得しています。それで、大学に入学してすぐに空手部に入り、6年間、続けました。
空手を通じて、身につけられたことはありますか。
空手に限らず、部活動で身につくことは多いですよね。空手では危機のときに抵抗する術を覚えました。攻撃されると、私は本能的に反対側の手がぱっと出ます。「おい」とぽんと叩かれるとすると、反対側から手を出せるんです。身体が先に動くような反射的な動作ができるので、危ないときに身を守ることができます。でも空手は卒業までに1級止まりになってしまい、黒帯が取れませんでした。いまだに茶帯なので、表彰式などで身分が低いんです(笑)。柔道の表彰式では道着の上に黒帯を締めて出席していますが、空手は皆が黒帯の中、私だけ茶帯で出席しているので、恥ずかしいです。
昭和大学白馬診療部
白馬診療部は昭和大学を代表する伝統的なサークルですね。
そうです。1932年に設立されたサークルです。長野県の白馬岳にある白馬山荘と町営頂上宿舎に診療所を開き、夏の約5週間、医学生が登山者救護のボランティア活動をします。まだ医師になっていないのに、白衣を着て、医師の手伝いができるんです。この診療所での経験のお蔭で、私は1年生のときから救急の臨床をかなり身につけていました。山の上にいると、あらゆる症例が来ます。落石に当たったり、ガレ場に落ちたり、食あたりでお腹が痛いみたいな方々が来て、最初はどうしたらいいのか分かりませんでした。それで、医師である先輩がてきぱきと治療をする側にいると、「高須くん、これを全部、消毒して」と言われます。「どうやって消毒するんですか」と聞くと、「シンメルブッシュ消毒器に入れて炊くんだ」と教えられます。山の上だと気圧が低いから、100度いかないうちに沸騰するんですけど、しつこく消毒します。とても勉強になりましたね。今でも山岳救助隊に参加すれば、使い物になると思いますよ。
今も学生さんは頑張っていらっしゃいますか。
2020年の夏は新型コロナウイルスで閉山となり、残念でした。それまでは医学生が「登山するときは睡眠を取ってください」といったインフォメーションなどをしていましたよ。私のときは医師がいないと、看護師しかおらず、医師がいれば、その先生の治療を見て覚えます。小石川養生所の赤ひげ先生の徒弟や見習いをしているうちに、段々と腕がついてくるようなものです。集合も「白馬の診療所に集合」という感じで、新入部員が下駄で現れたこともありました(笑)。根性で上がってきたらしく、稜線を下駄で歩いているんですよ。
天狗みたいですね。
白馬の診療所にニワトリを差し入れてくれた先輩もいます。私たちに生きのいいニワトリを食べさせたいという一心で、ニワトリをばたばたと鵜飼の鵜匠のように紐で縛って引き連れ、診療所まで歩かせたのだそうです。ニワトリも辛かったと思いますよ(笑)。そして、診療所で締められ、私たちに食べられました。今の医学生からすると信じられないぐらいに自由なキャンパスライフでした。
高須先生は色々な社会貢献活動をなさっていますが、その原点が白馬診療部でのボランティア活動ですか。
山の上に登って、医師の真似事や「お医者さんごっこ」ができるサークルだから入っただけで、高邁な理想や思想はありませんでしたよ。先輩たちの足手まといになることは分かっていましたが、その中でノウハウを身につけました。社会貢献は死にかけてきたから始めたのです(笑)。
先輩方からどのようなことを教わったのですか。
どうやって仕事の手を抜くのかとか、どうやって患者さんに納得して帰っていただくかとか、とても勉強になりました(笑)。
医師になってから、白馬岳にいらっしゃいましたか。
数年前にヘリコプターで行きましたよ。私が医学生当時も診療所に物資を運ぶのはヘリコプターでした。私はそのヘリコプターを見ながら、山小屋のご主人や常駐隊の隊長に「将来、医師になってここに来るときは歩いては来ない。あれで直接来るからな」と挨拶して、山を降りたんです。そして、ようやくヘリコプターで上がっていったら、あの頃にお世話になった方々は皆さん亡くなっていて、寂しかったですね。
著者プロフィール
著者名:高須 克弥
高須クリニック 院長
- 1945年 愛知県幡豆郡一色町(現 西尾市)で生まれる。
- 1969年 昭和大学を卒業する。
- 1973年 昭和大学大学院を修了する。
- 1974年 愛知県幡豆郡一色町に高須病院を開設する。
- 1976年 愛知県名古屋市に高須クリニックを開設する。
- 2011年 昭和大学医学部形成外科学(美容外科学部門)客員教授に就任する。
- インタビュー 高須克弥先生に訊け
- 25. 2022年の再生プロジェクト
- 24. 前科者の会
- 23. 高須クリニック銀座移転
- 22. GonzoさんとのCM撮影
- 21. 新型コロナウイルス第6波
- 20. 再生プロジェクト
- 19. がんを治療する
- 18. がんを発見する
- 17. 末期がんに対する挑戦的治療法
- 16. 新型コロナウイルス第5波
- 15. 本物と偽物
- 14. フェイスシールド
- 13. 医師国家試験
- 12. 昭和大学での日々
- 11. 東京オリンピック
- 10. ウィズコロナの時代に
- 09. 最近の美容外科に警鐘を鳴らす
- 08. 社会貢献活動
- 07. 愛知県に暮らす
- 06. 新型コロナウイルス
- 05. 新しい美容外科
- 04. ミケランジェロ™
- 03. 国際交流
- 02. 血液クレンジング
- 01. 美容外科のニーズ
- 精神科医とは、病気ではなく人間を診るもの 井原 裕Dr. 獨協医科大学越谷病院 こころの診療科教授
- がん専門病院での研修の奨め 木下 平Dr. 愛知県がんセンター 総長
- 医学研究のすすめ 武田 憲夫Dr. 鶴岡市立湯田川温泉リハビリテーション病院 院長
- 私の研究 一瀬 幸人Dr. 国立病院機構 九州がんセンター 臨床研究センター長
- 次代を担う君達へ 菊池 臣一Dr. 福島県立医科大学 前理事長兼学長
- 若い医師へ向けたメッセージ 安藤 正明Dr. 倉敷成人病センター 副院長・内視鏡手術センター長