中国の人口密度分布図(2010)
暖色が濃いほど、人口密度が高い。
北東から南西に引かれた緑色の線は「胡煥庸線」。
日本では「黒河・騰衝線」の名で知られる。
新疆ウイグル自治区の面積は、中国全体の約6分の1に相当するが、砂漠や山脈など不毛の土地が多くを占める。厳しい自然環境を背景に、人口は2022年末でも約2587万人であり、中国全体の2%弱にすぎない。
ただ、それでも2000年末の約1849万人に比べ、この20年あまりで約1.4倍になった。一方、この地に住む漢民族の割合はあまり変わらず、4割ほどにとどまっている。
新疆ウイグル自治区の民族分布図(2000)
赤は漢民族、青はウイグル族が大多数の地域。
黄色はカザフ族と漢民族が半々の地域。
この新疆ウイグル自治区には、あまり表に出ない組織が存在する。その名は新疆生産建設兵団(新疆兵団)。辺境防衛と開墾を担う準軍事的政府組織であり、要は「屯田兵」だ。
新疆兵団の前身組織が発足したのは、国共内戦が終結したばかりの1954年10月。最初に18万人弱の復員兵が生産部隊として、この組織に編入され、水利施設や国営農牧場の建設を始めた。新疆兵団は全国各地から復員兵や志願者を吸収しながら拡大した。
荒野を開拓する初期の新疆兵団 プロレタリア文化大革命が始まると、新疆兵団はほぼ崩壊。当時は新疆兵団も含めて計13の生産建設兵団が存在していたが、いずれも1975年ごろに解体された。
1980年にチベット自治区では、政府幹部に占めるチベット族の割合を高める一方、漢民族の幹部は帰郷させる方針が示された。
国境付近をパトロールする現代の新疆兵団 これが新疆ウイグル自治区に伝わると、上海など大都市から新疆兵団に加わっていた漢民族が、帰郷を求める抗議活動を展開。その一方でウイグル族の間では、漢民族の帰郷を視野に、民族主義的な動きが活発化した。
こうした不穏な空気を背景に、漢民族とウイグル族の衝突事件が頻発し、軍が鎮圧に当たる事態に発展。中央政府は民族政策の方針を変え、漢民族と少数民族の共存共栄を強調した。そこで、自治区の安定と開拓活動の継続を目的に、1981年に新疆兵団が復活した。
新疆兵団の綿花農場、収穫機は米国製(2013) 新疆兵団は中央政府と自治区政府の二重管轄下にあり、省レベルの行政権を有する。人口は2022年末で約361万人。これは自治区全体の約14%に相当する。2022年の域内総生産(GDP)では、新疆兵団が自治区全体の約20%を占めた。
2023年4月に発足した自治区北西の白楊市
第九師団が建設した「師市合一」の県級市
カザフスタンとの国境ゲートに隣接(2013)
新疆兵団は計14の師(師団)で構成され、それらが百数十の団(連隊)や農牧場を管理する。自治区では「師市合一」という師団と市政府が一体化した行政体制を採用。師団が荒野を開拓して県レベル市(県級市)を建設すると、そこは自治区政府の直轄となり、新疆兵団が運営する。師団の政治委員が市の共産党書記を兼ね、師団長が市長を兼務する。
2010年代に入ると、自治区では数年に一度のペースで、新疆兵団が新しい街を建設。2023年4月には自治区の北西部で、第九師団が建設した白楊市が発足した。
北京の国際貿易展に置かれた新疆兵団の展示ブース
(2021年9月)
また、新疆兵団は生産を担う組織でもある。1996年6月に支配下の新疆百花村を上海証券取引所に上場させた。新疆兵団は1998年から対外的に「中国新建集団公司」という法人名を使用。多くの上場企業を傘下に持つ。
新疆兵団はその名の通り、生産、建設、軍事を担う巨大組織。これを背景に、米国の標的となり、2020年には制裁対象となった。