コラム・連載

~内藤証券アナリストが書く~中国よもやま話

生々流転の中国民族興亡史~滅亡が悲劇とは限らない

2025.03.20|text by 千原 靖弘(内藤証券投資調査部 情報統括次長)

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「テルモピュライのレオニダス」(1814)
フランスのジャック=ルイ・ダヴィッド作
ペルシャ戦争で英雄的戦死を遂げたスパルタ王レオニダス
「公民の義務と自己犠牲」のモデルとして描かれた
アウシュビッツを生き延びたユダヤ人の子どもたち
1945年1月にソビエト軍によって解放された
民族とは独自性を共有する人々の集団だ。そうした独自性としては、言語、文化、宗教、血統などが代表的。その独自性から集合的アイデンティティが生じ、それを共有する人々の間に、自民族への帰属意識が芽生え、その共同体に所属したいという欲求を抱く。

そうした所属欲求を背景に、人々は自民族の規範に沿った価値観や行動を好み、同胞から疎外されることを嫌う。時には、自民族のために個性を捨て、自己犠牲さえ厭わない。

一方、他民族に対してはその逆だ。自民族と友好関係を築けなかったり、対立したりすれば、相手の価値観や行動を嫌い、他民族を積極的に疎外、排斥、迫害することさえある。

民族興亡の歴史は、「群れる生き物たる人間」の原初的欲求が背景にある。ただ、民族を形成する独自性は、変化したり、消滅したりする。独自性を保つためには、それを次の世代へ伝え続ける必要がある。独自性の継承が途切れた時、その民族は歴史から姿を消す。

民族人口の激減は、独自性の継承が途絶える要因の一つ。新大陸では白人による侵略と伝染病の蔓延で、無数の民族が人口激減の悲劇に見舞われ、苦しみのうちに滅亡した。

イスパニョーラ島の先住民を虐殺するスペイン人
16世紀のイラスト
天然痘に苦しむメキシコの先住民
欧州から伝わった感染症に耐性がなかった
16世紀の写本

鮮卑が華北東部に樹立した北斉王朝(550~577年)で武安王に封ぜられた徐顕秀の墓に描かれた壁画
当時の鮮卑は漢民族に同化したが、その文化には騎馬民族としての面影が残っている

一方、人口激減の苦難がない民族滅亡もある。例えば、モンゴル高原の騎馬民族だった「鮮卑」。この民族は4世紀から中国に多くの王朝を樹立し、漢民族を支配した。だが、文化面で優位な漢民族に自ら同化し、通婚を続け、歴史から姿を消した。鮮卑の独自性が継承されなくなったからだ。ただ、遺伝子レベルで鮮卑が滅亡したわけではない。例えば、唐王朝の皇室は、鮮卑の血統だ。鮮卑の血筋や文化は、漢民族と中華文明に溶け込み、細胞中のミトコンドリアのように生きている。

香港の女優ロザムンド・クワン
中国名は関之琳
祖先は満族のグワルギャ(瓜爾佳)氏
グワルギャ氏の多くは関に改姓した
関之琳の祖先は貴族階級の満洲旗人
清王朝を樹立して漢民族を支配した満族(満洲族)は、鮮卑のような民族滅亡を警戒。満族の髪形や服装などを漢民族に強制し、独自性を守ろうとした。だが、やはり漢民族は文化面で優位だった。満族は髪形や服装など外面の独自性こそ保てたものの、自らの言語さえ失うほど内面は漢民族化。清王朝が崩壊すると、満族は外面の独自性も喪失し、漢民族化が加速。いまでは血筋のほかに独自性もなく、満族とは身分証に残る民族名に過ぎない。ただ、満族の文化は漢民族に変化を及ぼし、その影響は今も続く。つまり、独自性喪失による民族滅亡とは、他民族に溶け込むこと。同化先の他民族も、存続は保てるが、変質は免れない。すべての民族は生々流転する。

「東アジアのピグミー」と呼ばれた
タロン族の最後の5人
では、独自性を保つために、他民族との接触を断ち、通婚しなければ、どうなるのか。ミャンマーのタロン族は、同族間で近親交配を続けた結果、先天性障害が増加し、純血の男性は今世紀初頭までに1人だけになった。他民族との交流を断てば、民族性は保てても、その民族は最終的に人口激減の悲劇に遭う。

イスラム教徒のチェチェン人
チェチェン紛争の最中で祈る姿
そもそも民族とは、人類の増加と多様化で生じた概念。逆に、人類の人口が激減したり、世界の均質化が進んだりすれば、民族の概念も希薄化あるいは消滅するだろう。人間の生命と平和に比べれば、民族性への執着は、それほど重要なことではないのかも知れない。

 

~内藤証券アナリストが書く~中国よもやま話
次回は4/5公開予定です。お楽しみに!

バックナンバー
  1. ~内藤証券アナリストが書く~
    中国よもやま話
  2. 52. 生々流転の中国民族興亡史~滅亡が悲劇とは限らない NEW!
  3. 51. 何度も変わった民族名~中国の支配階級だった満族
  4. 50. 中国人の百人に一人はチワン族~影が薄い中国最大の少数民族とは?
  5. 49. 民衆と権力を動かすチベット仏教~モンゴル人への影響力は今も健在
  6. 48. 同族意識と連帯感はそれほどでも~二つのモンゴルの違い
  7. 47. モンゴル独立をめぐる攻防~中露両国に翻弄された歴史
  8. 46. モンゴル国と内モンゴル自治区~二つのモンゴルの起源
  9. 45. 信仰で区別された特異な少数民族~中国の回族とは?<
  10. 44. 民族の公認をめぐる試行錯誤~中国の民族政策におけるソ連の影響
  11. 43. 「あなたは何民族ですか?」~日本人と中国人の大きな違い
  12. 42. 洋の東西で同じ答えに~収斂進化した会計技術
  13. 41. これぞ「文明の利器」なる~王朝の誕生に会計あり
  14. 40. 商売の神様は実在した人物~彼が神たる理由とは?
  15. 39. 見た目は違うが、生まれは似ている~日本の「株式」と中国の「股份」
  16. 38. 香港市民の窮屈な生活~劣悪な住宅事情
  17. 37. 香港の“街並み景観”に歴史あり~租借地と王領植民地の違い
  18. 36. すべては英国王の手中に~英領香港の土地制度
  19. 35. “割当品から商品へ”~中国本土の住宅市場勃興
  20. 34. “所有権はないが、不便もない”~中国本土の土地制度
  21. 33. 労働力需要で犯罪組織が誕生~明治日本と改革開放中国の共通点
  22. 32. 香港裏社会に暗躍する三合会~返還後の表社会にも及ぶ影響力
  23. 31. 香港犯罪組織の系譜~数百年に及ぶ「洪門」の伝統
  24. 30. なぜ犯罪組織が人気?~中国起源の任侠道が果たした社会的役割
  25. 29. 21世紀版のグレート・ゲーム~ウイグルをめぐる情報戦
  26. 28. 現代の屯田兵~新疆生産建設兵団
  27. 27. 新疆ウイグル自治区は東西交易の要衝~現代も続く「西域経営」
  28. 26. 東トルキスタン独立運動と西側諸国の連帯~ウイグル人が歩んだ歴史
  29. 25. 中国の街で目立つウイグル人~民族移動と人種的変容
  30. 24. チベット発展の秘策とは?~天国に最も近いタックス・ヘイブン
  31. 23. 神秘な世界の複雑な裏側~チベットの“化身ラマ制度”
  32. 22. 人を拒む神秘の地~異質で過酷なチベットの環境
  33. 21. 情報の真偽をめぐる混乱と論争~昔も今も中国は“遠い国”
  34. 20. 隋王朝に始まる中国経済の挑戦~言葉に映る南北の相違と一体化
  35. 19. 黄河文明と長江文明の融合と摩擦~中国の南北対立
  36. 18. 中国南北相違の原点~東アジアで異色な中国北部の小麦食
  37. 17. 漢字は同じでも、ひと味違う~複雑に絡み合う“麺料理”の概念
  38. 16. 現代中国の“漢服ルネサンス”~漢民族の服飾文化の探求
  39. 15. “人民服”の歴史的変遷~国民服から最高指導者の正装へ
  40. 14. 元々同じ圓が結ぶ奇妙な縁~東アジア一円の通貨
  41. 13. 誰もが彼らを無視できない~香港の摩天楼に潜む陰の実力者
  42. 12. 中国の人々を鼓舞する名曲~中国国歌の「義勇軍進行曲」
  43. 11. 伝統的バイオテクノロジーの傑作~茅台酒が高価な理由
  44. 10. 世界に目を向けよう~国際分散投資の魅力
  45. 09. なんでも漢字で表記~奥深い中国語名の世界
  46. 08. 自由を追い求める姿~中国の投資家たち
  47. 07. “口にすべし、楽しむべし”~中国的可楽世界
  48. 06. “いままで”と“これから”~EV投資をめぐる視点の違い
  49. 05. 株式市場を育てる順序~ミャンマーと中国の違い
  50. 04. 対中情報戦の犠牲者~王立強事件の空騒ぎ
  51. 03. 全国展開可能な中華料理~アメリカザリガニの恵み
  52. 02. 強烈すぎるこだわり~中華的な数の世界
  53. 01. イメージの先に在るもの~中国株投資の魅力

筆者プロフィール

千原 靖弘 近影千原 靖弘(ちはら やすひろ)

内藤証券投資調査部 情報統括次長

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい。


バックナンバー
  1. ~内藤証券アナリストが書く~
    中国よもやま話
  2. 52. 生々流転の中国民族興亡史~滅亡が悲劇とは限らない NEW!
  3. 51. 何度も変わった民族名~中国の支配階級だった満族
  4. 50. 中国人の百人に一人はチワン族~影が薄い中国最大の少数民族とは?
  5. 49. 民衆と権力を動かすチベット仏教~モンゴル人への影響力は今も健在
  6. 48. 同族意識と連帯感はそれほどでも~二つのモンゴルの違い
  7. 47. モンゴル独立をめぐる攻防~中露両国に翻弄された歴史
  8. 46. モンゴル国と内モンゴル自治区~二つのモンゴルの起源
  9. 45. 信仰で区別された特異な少数民族~中国の回族とは?<
  10. 44. 民族の公認をめぐる試行錯誤~中国の民族政策におけるソ連の影響
  11. 43. 「あなたは何民族ですか?」~日本人と中国人の大きな違い
  12. 42. 洋の東西で同じ答えに~収斂進化した会計技術
  13. 41. これぞ「文明の利器」なる~王朝の誕生に会計あり
  14. 40. 商売の神様は実在した人物~彼が神たる理由とは?
  15. 39. 見た目は違うが、生まれは似ている~日本の「株式」と中国の「股份」
  16. 38. 香港市民の窮屈な生活~劣悪な住宅事情
  17. 37. 香港の“街並み景観”に歴史あり~租借地と王領植民地の違い
  18. 36. すべては英国王の手中に~英領香港の土地制度
  19. 35. “割当品から商品へ”~中国本土の住宅市場勃興
  20. 34. “所有権はないが、不便もない”~中国本土の土地制度
  21. 33. 労働力需要で犯罪組織が誕生~明治日本と改革開放中国の共通点
  22. 32. 香港裏社会に暗躍する三合会~返還後の表社会にも及ぶ影響力
  23. 31. 香港犯罪組織の系譜~数百年に及ぶ「洪門」の伝統
  24. 30. なぜ犯罪組織が人気?~中国起源の任侠道が果たした社会的役割
  25. 29. 21世紀版のグレート・ゲーム~ウイグルをめぐる情報戦
  26. 28. 現代の屯田兵~新疆生産建設兵団
  27. 27. 新疆ウイグル自治区は東西交易の要衝~現代も続く「西域経営」
  28. 26. 東トルキスタン独立運動と西側諸国の連帯~ウイグル人が歩んだ歴史
  29. 25. 中国の街で目立つウイグル人~民族移動と人種的変容
  30. 24. チベット発展の秘策とは?~天国に最も近いタックス・ヘイブン
  31. 23. 神秘な世界の複雑な裏側~チベットの“化身ラマ制度”
  32. 22. 人を拒む神秘の地~異質で過酷なチベットの環境
  33. 21. 情報の真偽をめぐる混乱と論争~昔も今も中国は“遠い国”
  34. 20. 隋王朝に始まる中国経済の挑戦~言葉に映る南北の相違と一体化
  35. 19. 黄河文明と長江文明の融合と摩擦~中国の南北対立
  36. 18. 中国南北相違の原点~東アジアで異色な中国北部の小麦食
  37. 17. 漢字は同じでも、ひと味違う~複雑に絡み合う“麺料理”の概念
  38. 16. 現代中国の“漢服ルネサンス”~漢民族の服飾文化の探求
  39. 15. “人民服”の歴史的変遷~国民服から最高指導者の正装へ
  40. 14. 元々同じ圓が結ぶ奇妙な縁~東アジア一円の通貨
  41. 13. 誰もが彼らを無視できない~香港の摩天楼に潜む陰の実力者
  42. 12. 中国の人々を鼓舞する名曲~中国国歌の「義勇軍進行曲」
  43. 11. 伝統的バイオテクノロジーの傑作~茅台酒が高価な理由
  44. 10. 世界に目を向けよう~国際分散投資の魅力
  45. 09. なんでも漢字で表記~奥深い中国語名の世界
  46. 08. 自由を追い求める姿~中国の投資家たち
  47. 07. “口にすべし、楽しむべし”~中国的可楽世界
  48. 06. “いままで”と“これから”~EV投資をめぐる視点の違い
  49. 05. 株式市場を育てる順序~ミャンマーと中国の違い
  50. 04. 対中情報戦の犠牲者~王立強事件の空騒ぎ
  51. 03. 全国展開可能な中華料理~アメリカザリガニの恵み
  52. 02. 強烈すぎるこだわり~中華的な数の世界
  53. 01. イメージの先に在るもの~中国株投資の魅力