コラム・連載

~内藤証券アナリストが書く~中国よもやま話

香港市民の窮屈な生活~劣悪な住宅事情

2024.08.20|text by 千原 靖弘(内藤証券投資調査部 情報統括次長)

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香港の住環境は劣悪だ。観光地である香港島のビクトリアピーク(太平山)から周囲を眺望すると、山腹に華麗な豪邸が点在するが、これは極めて例外的な存在。多くの香港市民は、“狭い、古い、高い”の三拍子そろった住宅で暮らしている。

何東の家族と豪邸「アイドルワイルド」 観塘区の公営住宅「和楽邨」 ビクトリアピークに住めるのは、大富豪の実業家や芸能人など “特別な人”に限られ、普通の市民とは縁もゆかりもない。

涼しさを好む白人にとって居心地の良いビクトリアピークは、1904年から1930年まで中国人の居住が法律で禁じられていた。

ただ、特別に中国人の居住が許される場合もあった。1906年に欧亜混血(ユーラシアン)の何東(ロバート・ホートン)は、中国籍の人物として初めてビクトリアピークに居を構えた。ビクトリアピークの住宅は、このように特別な存在だ。

香港の統治者だった英国人は、そこに暮らす中国人の住宅、教育、福祉などの問題に無関心だった。これらの問題に香港政庁が真剣に取り組み始めたのは、1971年に着任したマクレホース総督の時代。租借地のニューテリトリー(新界)に“ニュータウン”(新市鎮)が建設され、市民の住環境は改善に向かった。

香港の世帯数は2023年3月末のデータによると、267万世帯。うち46.3%が公営住宅で生活している。持ち家に住むのは53.0%で、これには新界の一部住民だけに建設が許された戸建て住宅 “丁屋”が含まれる。このほか0.7%は、ベランダ、バラック小屋、集合住宅の廊下や階段など“臨時住宅”で暮らしている。

劣悪な香港の住環境
台所のベッドで寝る子ども
トイレ兼シャワールームの横にベッド
プライベートな空間は極めて少ない
約2.5億円で販売中の北海閣の物件(67平米)
香港市民にとって日本の住宅は安くて広い
一世帯あたりの平均居住者数は、公営住宅と持ち家のいずれも2.7人だった。

公営住宅の32%は築年数が36年以上。10年以下は17%にすぎない。公営住宅の一戸あたり床面積を見ると、30平米台が47%を占め、最も多い。30平米未満は37%で、40平米を超える物件は16%にすぎない。日本風に言えば、1DKや1LDK以下の面積がほとんど。ここに平均2.7人が暮らしているわけであり、いかに窮屈か分かるだろう。

公営住宅の建設は進まないが、入居申込者は多い。2022年度の完成件数は1.9万戸だが、入居申込者は23.0万人。劣悪な公営住宅で暮らすのも競争が厳しく、簡単ではない。

だが、持ち家に住むのは、さらに難しい。2022年度に完成した分譲住宅は2.1万戸。70平米以下の分譲住宅は、専有面積1平米あたり単価が、香港島で平均17.3万香港ドル(約330万円)、新界でも平均13.2万香港ドル(約250万円)に達する。つまり、30平米のような狭い分譲住宅でも、香港島で1億円近く、新界でも7500万円近くが必要だ。

例えば、香港島の“太古城”には、“観海台”という区画に、 高層マンションビル“北海閣”があるのだが、その低層階の物件(築39年、専有面積67平米)は2024年8月上旬の販売価格が1300万香港ドル(約2.5億円)だった。

香港では住宅が株式と並ぶ投資商品。香港の新聞では、住宅相場情報に多くの紙面を割く。だが、多くの香港市民には無縁の話であり、彼らの窮屈な暮らしは今日も続く。

 

~内藤証券アナリストが書く~中国よもやま話
次回は9/5公開予定です。お楽しみに!

バックナンバー
  1. ~内藤証券アナリストが書く~
    中国よもやま話
  2. 44. 民族の公認をめぐる試行錯誤~中国の民族政策におけるソ連の影響NEW!
  3. 43. 「あなたは何民族ですか?」~日本人と中国人の大きな違い
  4. 42. 洋の東西で同じ答えに~収斂進化した会計技術
  5. 41. これぞ「文明の利器」なる~王朝の誕生に会計あり
  6. 40. 商売の神様は実在した人物~彼が神たる理由とは?
  7. 39. 見た目は違うが、生まれは似ている~日本の「株式」と中国の「股份」
  8. 38. 香港市民の窮屈な生活~劣悪な住宅事情
  9. 37. 香港の“街並み景観”に歴史あり~租借地と王領植民地の違い
  10. 36. すべては英国王の手中に~英領香港の土地制度
  11. 35. “割当品から商品へ”~中国本土の住宅市場勃興
  12. 34. “所有権はないが、不便もない”~中国本土の土地制度
  13. 33. 労働力需要で犯罪組織が誕生~明治日本と改革開放中国の共通点
  14. 32. 香港裏社会に暗躍する三合会~返還後の表社会にも及ぶ影響力
  15. 31. 香港犯罪組織の系譜~数百年に及ぶ「洪門」の伝統
  16. 30. なぜ犯罪組織が人気?~中国起源の任侠道が果たした社会的役割
  17. 29. 21世紀版のグレート・ゲーム~ウイグルをめぐる情報戦
  18. 28. 現代の屯田兵~新疆生産建設兵団
  19. 27. 新疆ウイグル自治区は東西交易の要衝~現代も続く「西域経営」
  20. 26. 東トルキスタン独立運動と西側諸国の連帯~ウイグル人が歩んだ歴史
  21. 25. 中国の街で目立つウイグル人~民族移動と人種的変容
  22. 24. チベット発展の秘策とは?~天国に最も近いタックス・ヘイブン
  23. 23. 神秘な世界の複雑な裏側~チベットの“化身ラマ制度”
  24. 22. 人を拒む神秘の地~異質で過酷なチベットの環境
  25. 21. 情報の真偽をめぐる混乱と論争~昔も今も中国は“遠い国”
  26. 20. 隋王朝に始まる中国経済の挑戦~言葉に映る南北の相違と一体化
  27. 19. 黄河文明と長江文明の融合と摩擦~中国の南北対立
  28. 18. 中国南北相違の原点~東アジアで異色な中国北部の小麦食
  29. 17. 漢字は同じでも、ひと味違う~複雑に絡み合う“麺料理”の概念
  30. 16. 現代中国の“漢服ルネサンス”~漢民族の服飾文化の探求
  31. 15. “人民服”の歴史的変遷~国民服から最高指導者の正装へ
  32. 14. 元々同じ圓が結ぶ奇妙な縁~東アジア一円の通貨
  33. 13. 誰もが彼らを無視できない~香港の摩天楼に潜む陰の実力者
  34. 12. 中国の人々を鼓舞する名曲~中国国歌の「義勇軍進行曲」
  35. 11. 伝統的バイオテクノロジーの傑作~茅台酒が高価な理由
  36. 10. 世界に目を向けよう~国際分散投資の魅力
  37. 09. なんでも漢字で表記~奥深い中国語名の世界
  38. 08. 自由を追い求める姿~中国の投資家たち
  39. 07. “口にすべし、楽しむべし”~中国的可楽世界
  40. 06. “いままで”と“これから”~EV投資をめぐる視点の違い
  41. 05. 株式市場を育てる順序~ミャンマーと中国の違い
  42. 04. 対中情報戦の犠牲者~王立強事件の空騒ぎ
  43. 03. 全国展開可能な中華料理~アメリカザリガニの恵み
  44. 02. 強烈すぎるこだわり~中華的な数の世界
  45. 01. イメージの先に在るもの~中国株投資の魅力

筆者プロフィール

千原 靖弘 近影千原 靖弘(ちはら やすひろ)

内藤証券投資調査部 情報統括次長

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい。


バックナンバー
  1. ~内藤証券アナリストが書く~
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