コラム・連載

~内藤証券アナリストが書く~中国よもやま話

すべては英国王の手中に~英領香港の土地制度

2024.07.20|text by 千原 靖弘(内藤証券投資調査部 情報統括次長)

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若き日のビクトリア女王 英領香港の土地制度は複雑だった。“アヘン戦争”を終結させた「南京条約」が1842年8月29日に締結され、1843年6月26日に発効。これに先立つ1843年4月5日に、大英帝国のビクトリア女王は “香港勅許状”(中国語:英皇制誥)を発布し、清王朝から割譲された香港島を“王領植民地”(クラウン・コロニー)とした。つまり、香港島の土地はすべて英王室の所有地となった。

“アロー戦争”(第二次アヘン戦争)の末期に当たる1860年10月に、英仏連合軍が北京を占領すると、清王朝は英仏露3カ国と「北京条約」を相次いで締結。香港島の北に位置する九龍半島南部が、英国に割譲され、香港の王領植民地に加わった。

新界との前哨地で撮影された税官吏と警備員
(1898年)
割譲された九龍半島南部の北限には、清王朝との境界線“バウンダリー・ライン”(中国語:界限線)が引かれ、関所が設けられた。

1898年6月9日に英国は、界限線の北から深圳河の南に至るまでの地域を清王朝から租借することで契約。租借期間は1898年7月1日から1997年6月30日までの99年間。この “ニューテリトリー”(中国語:新界)と呼ばれる租借地が最後に加わり、英領香港の領域が確定した。新界の土地面積は英領香港の約86%に及び、その租借期限の到来が、いわゆる“香港返還”の背景にあった。

このような歴史を背景に、英領香港の土地は約14%が王領植民地であり、約86%が租借地だった。租借地の新界には当時、10万人ほどが約800の村落で生活していた。新界住民の多くは英国による統治に抵抗。1899年4月には約500人の新界住民が英軍に殺害される“新界六日戦”も発生した。

第十二代香港総督のヘンリー・アーサー・ブレイク卿(左)
新界の士紳たち(右)
新界の統治原則について説明している(1899年)
こうした事情を背景に、新界住民と清王朝の土地所有契約は、1905年に香港政庁との集団借地権契約(ブロック・クラウン・リース)に切り換えられた。新界住民は土地所有権を手放すものの、香港政庁から75年間にわたり土地を租借することで、当時の状況が維持されることになった。なお、この契約は後に1997年6月27日まで延長された。

持ち主がいない新界の土地は、香港政庁の公有地となった。こうして租借地の新界を含む英領香港の土地は、すべて香港政庁が所有することなった。

英国の土地利用形態は、“フリー・ホールド”と“リース・ホールド”に大別される。前者は日本での土地所有とほぼ同じ。後者は日本の定期借地権に相当し、こちらの方が一般的。

聖ヨハネ座堂(聖約翰座堂)
日本統治下では日本人倶楽部として利用された
英領香港では聖ヨハネ座堂が例外的なフリー・ホールドの土地だが、そのほかはリース・ホールド。誰も土地を所有できず、期限付きの使用権を香港政庁から購入するしかない。1978年12月に改革開放が始まった中華人民共和国では、英領香港の土地制度を参考に、土地使用権の売買が始まった。

皮肉なことに、英領香港と共産主義を標榜する中華人民共和国は、誰もが土地を所有できず、その使用権を購入することしかできないという点で共通していた。もし、英領香港の土地が公有制ではなく、私有制だったら、香港返還の大きな障害となっていただろう。

 

~内藤証券アナリストが書く~中国よもやま話
次回は8/5公開予定です。お楽しみに!

バックナンバー
  1. ~内藤証券アナリストが書く~
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  2. 41. これぞ「文明の利器」なる~王朝の誕生に会計ありNEW!
  3. 40. 商売の神様は実在した人物~彼が神たる理由とは?
  4. 39. 見た目は違うが、生まれは似ている~日本の「株式」と中国の「股份」
  5. 38. 香港市民の窮屈な生活~劣悪な住宅事情
  6. 37. 香港の“街並み景観”に歴史あり~租借地と王領植民地の違い
  7. 36. すべては英国王の手中に~英領香港の土地制度
  8. 35. “割当品から商品へ”~中国本土の住宅市場勃興
  9. 34. “所有権はないが、不便もない”~中国本土の土地制度
  10. 33. 労働力需要で犯罪組織が誕生~明治日本と改革開放中国の共通点
  11. 32. 香港裏社会に暗躍する三合会~返還後の表社会にも及ぶ影響力
  12. 31. 香港犯罪組織の系譜~数百年に及ぶ「洪門」の伝統
  13. 30. なぜ犯罪組織が人気?~中国起源の任侠道が果たした社会的役割
  14. 29. 21世紀版のグレート・ゲーム~ウイグルをめぐる情報戦
  15. 28. 現代の屯田兵~新疆生産建設兵団
  16. 27. 新疆ウイグル自治区は東西交易の要衝~現代も続く「西域経営」
  17. 26. 東トルキスタン独立運動と西側諸国の連帯~ウイグル人が歩んだ歴史
  18. 25. 中国の街で目立つウイグル人~民族移動と人種的変容
  19. 24. チベット発展の秘策とは?~天国に最も近いタックス・ヘイブン
  20. 23. 神秘な世界の複雑な裏側~チベットの“化身ラマ制度”
  21. 22. 人を拒む神秘の地~異質で過酷なチベットの環境
  22. 21. 情報の真偽をめぐる混乱と論争~昔も今も中国は“遠い国”
  23. 20. 隋王朝に始まる中国経済の挑戦~言葉に映る南北の相違と一体化
  24. 19. 黄河文明と長江文明の融合と摩擦~中国の南北対立
  25. 18. 中国南北相違の原点~東アジアで異色な中国北部の小麦食
  26. 17. 漢字は同じでも、ひと味違う~複雑に絡み合う“麺料理”の概念
  27. 16. 現代中国の“漢服ルネサンス”~漢民族の服飾文化の探求
  28. 15. “人民服”の歴史的変遷~国民服から最高指導者の正装へ
  29. 14. 元々同じ圓が結ぶ奇妙な縁~東アジア一円の通貨
  30. 13. 誰もが彼らを無視できない~香港の摩天楼に潜む陰の実力者
  31. 12. 中国の人々を鼓舞する名曲~中国国歌の「義勇軍進行曲」
  32. 11. 伝統的バイオテクノロジーの傑作~茅台酒が高価な理由
  33. 10. 世界に目を向けよう~国際分散投資の魅力
  34. 09. なんでも漢字で表記~奥深い中国語名の世界
  35. 08. 自由を追い求める姿~中国の投資家たち
  36. 07. “口にすべし、楽しむべし”~中国的可楽世界
  37. 06. “いままで”と“これから”~EV投資をめぐる視点の違い
  38. 05. 株式市場を育てる順序~ミャンマーと中国の違い
  39. 04. 対中情報戦の犠牲者~王立強事件の空騒ぎ
  40. 03. 全国展開可能な中華料理~アメリカザリガニの恵み
  41. 02. 強烈すぎるこだわり~中華的な数の世界
  42. 01. イメージの先に在るもの~中国株投資の魅力

筆者プロフィール

千原 靖弘 近影千原 靖弘(ちはら やすひろ)

内藤証券投資調査部 情報統括次長

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい。


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